宮沢賢治『オホーツク挽歌』/私撰アンソロジー(4)
もう5カ月目の11日である。
東北といえば、宮沢賢治の名前を思う人は少なくない。
早稲田大学グリークラブのチャリティ沼津公演においても、『永訣の朝』が歌われた。
⇒2011年5月22日 (日):早稲田大学グリークラブによる宮沢賢治『永訣の朝』
8月6日の産経新聞に、福島敏雄論説委員の『ツイッター詩の可能性』という文章が掲載されていた。
福島在住の和合亮一氏という詩人の、ツイッターに詩作を紹介したものである。
和合氏の詩は『詩の礫』と『詩ノ黙礼』として既に単行本化され、評判になっている福島氏はそのことに触発された、と書いている。
「あめゆじゆとてちてけんじや」
大正11年11月27日、宮沢賢治は「永訣の朝」と題する詩を書いた。このコトバはそのなかにでてくる畳句(ルフラン)で、「あめゆきをとってきてください」という意味だそうだ。
この日、賢治の2つ年下の妹で、結核におかされたトシ(とし子)は岩手・花巻の自宅で、死の床にあり、熱に苦しんでいた。頼まれた賢治は、みぞれが降る戸外に「まがつたてつぽうだま」のように飛びだし、椀(わん)に雪を盛って、トシに食べさせた。その夜、トシは死んだ、24歳だった。
はじめて読んだとき、意味もわからないこのコトバに、胸をつかれた。いま思えば、日本語というコトバの「豊かさ」に驚いていたのであろう。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110806/trd11080603260001-n1.htm
たしかに、私も意味もよく分からないで読んだ。
しかし、不思議な訴求力をもって迫ってくる。
「一個人」1107月号は、「美しい日本の言葉」という特集を組んでいる。
“日本人を元気にするこころの言葉”とあるから、震災に遭った日本人、ということが趣旨であろう。
その中に、「夭折した二人の天才詩人」と題して、金子みすゞと宮沢賢治が取り上げられている。
金子みすゞは、発災直後のCM自粛期間中に繰り返し放映されたAC(公共広告機構)でおなじみだろう。
宮沢賢治も、たとえば詩誌「ユリイカ」の1107月号で「宮沢賢治-東北、大地と祈り」という特集に見られるように、“祈り”を喚起する言葉から選ばれたのだろう。
宮沢賢治記念館副館長の牛崎敏哉氏は、産経新聞に次のような文章を寄稿している。
今回の東日本大震災において、「雨ニモマケズ」やいくつかの宮沢賢治作品が、日本のみならず世界各国で、明日への復興に向けた「祈り」や「願い」として受け止められ、紹介されています。
宮沢賢治は、自ら「イーハトーブ」と名付けた岩手県において、その生涯を過ごしました。童話集(大正13年刊)の序文において、「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです」と述べているように、賢治は自然の中で生き、生かされてきた人でした。ただその大自然は、決して人間に優しいばかりではなかったのです。
賢治は明治29(1896)年8月生まれですが、その2カ月前には死者2万人をこす明治三陸地震津波がおこり、また誕生の数日後には、岩手と秋田の県境に最大震度7と推定される陸羽(りくう)地震が起きています。そして没年の昭和8(1933)年3月には、昭和三陸地震津波により再び大被害を受けましたが、賢治の命日は、それから半年後のことでした。
http://www.sankei.jp.msn.com/life/print/110606/art11060608130001-c.htm
「一個人」の記事の書き出しは、次のようである。
人はなぜ旅に出るのだろうか。旅先で人は何を見出すのだろうか。岩手県立花巻農学校教諭をしていた宮澤賢治が、花巻駅から青森駅に向かったのは一九二三年七月三一日のことである。
一九二三年は大正一二年、すなわちトシ(子)の死の翌年である。さらに翌年に、心象スケッチ『春と修羅』を自費出版している。
その『春と修羅』の中に、「オホーツク挽歌」という章があって、「青森挽歌」「オホーツク挽歌」「樺太鉄道」「鈴谷平原」「噴火湾(ノクターン)」という5篇の詩から成る。
「挽歌」は、妹の死を悼むものだ。
妹の死を受け止めきれていない賢治だ。
自然は冷酷なものだ。
震災は一挙に、このような悲しみを不条理にも、もたらした。
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