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2011年8月24日 (水)

綱領なくして漂流する民主党の出口戦略を問う

菅首相の退陣が決まって、民主党の執行部は肩の荷を降ろしたかのようである。
まことに奇妙な情景であると言わざるを得ない。
⇒2011年8月 5日 (金):与党が首相退陣の条件を整えるためにマニフェストを放棄する不可解

それにしても、代表選への動きを見ると、「何だかなあ」というのが正直な感想である。
『あーあ、民主党 こんな奴らが総理かよ』という週刊誌のタイトルに妙に納得してしまう。
「週刊文春」110825は、グラビアで悪乗りして、「菅総理後継レースの候補者を並べてみたら……」と、次のように並べている。

えはら誠司
るとこ伸二
淵澄夫
鹿野道彦
だ佳彦
いえだ万里
ざわ鋭仁

こんな風にコケにされても、それでも現在の「しくみ」では、民主党の代表が総理ということになるから、どうでもいいというわけにはいかない。
私は次期内閣は選挙管理内閣(であるべき)だと考えているので、余り野心のない人の方が好ましいだろうと思う。
それより、民主党の出口戦略を掲げる候補者はいないのだろうか?

出口戦略とは、ビジネス用語としては、市場から撤退する際などに使われる。
そもそもは、ベトナム戦争のとき、アメリカ国防総省内で、人命や物資の損失を最小限にして軍を撤退させる検討や実施に対して用いられた。
敗勢濃厚な状況下でいかに損害少なく収束させるかは、一般に非常に難しい問題である。
撤退戦においては、最も有能な部隊がしんがりを務める。

私は、1月の段階で、菅内閣にどのような出口があり得るのかと考えたことがある。
⇒2011年1月12日 (水):出口の見えない菅政権と民主党解党という選択肢
何が何でも解党という解党主義というわけではないが、綱領すら決め切れなかった民主党は政党としての資格を欠いていた。
市民活動家だったことをウリにして首相になった人の、献金先との関係を説明できないなどということが許されようか。
ポスト菅は、綱領なき民主党の存立そのものが問われることになろう。
⇒2011年1月 5日 (水):綱領なき民主党の菅VS小沢の不毛な争い
⇒2011年3月 8日 (火):「啓蟄」とポスト菅の行方/民主党とは何だったのか(6)

加地伸行・立命館大教授が、民主党政権について次のような指摘をしている。

政権担当能力のない民主党がなぜ政権を維持しているのかと言えば、2年前の衆院選で国民に支持され、多数派を占めたからだと彼らは言っている。
それは筋道が通らない。自民党時代の予算から16兆円もの財源が出てくると原口一博・前総務相は言っていた。この種の大嘘をはじめ、することなすことのほとんどが選挙公約違反。それでは国民の支持に反するではないか。当然、衆院を解散して国民に信を問うべきだ。
するとこう言う。東日本大震災の被災地3県は選挙人名簿も作れず、投票できる状態にない。地方選挙も9月に延期したぐらいだと。
それは通らない。総選挙は国政問題であり、地方政治と異なる。あえて言おう、国政を立て直さなければ被災地3県の復興はできない、と。
ところが、民主党はもちろん、野党の自民党までが同3県における総選挙に腰が引けている。選挙人名簿の確定困難だの被災者感情への配慮だのと言い、総選挙どころではないとしている。
愚かな話である。ならば同3県に限り、比例代表制選出にすればすむことだ。党への票を比例配分して、議員を決めれば、同3県における多数の意志を反映できるではないか。たとい完璧な選挙人名簿がなくとも。
だいたいが投票率100%などありえないのだ。60%で十分。この特例は国会で臨時措置として決めればできるはずだ。
民主党は自民・公明との連立などと恥も外聞もないことを言いだしている。延命を図っているのは、首相でなくて、実は民主党そのものではないのか。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110817/stt11081702480002-n1.htm

衆議院で圧倒的な多数をもつ民主党が、舵取りができなくて漂流しているのだ。
国難の時ではあるが、民主党自身が出口戦略を真剣に問い直すべきではないか。
次のリーダーは、せめてそれくらいの真摯さを見せたらどうか。

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