“ども”と“たち”の言語感覚
何気なく使っている日本語が、ふと気になることがある。
この間、知り合いの会社で、弊社と当社の使い分けが話題になった。
使い分けているかどうかを聞かれて、私は余り明確に意識していなかったが、あえていえば、オフィシャルな文書では当社、営業的な場合には弊社を使う、という感じかな、と答えた。
厳密なルールはないようであるが、一例として以下のような説明があった。
当社と弊社の使い分け
当社と弊社という場合についてですが、どちらかといえば、当社よりも弊社という表現の方がよりへりくだった言葉であると考えられています。身内同士(同じ会社同士)ではへりくだる必要が無いので「当社」と呼び、他の組織や会社の人に自分の会社を説明する場合は「弊社」という表現を使うと良いでしょう。ただし、相手に抗議をする場合など、強硬な立場で臨む際は「当社」と表現すべきでしょう。
弊社というのは文語だから、口語ではないという方もいますが、厳密には弊社という言葉は文語で登録されているわけではありませんので、口語で読んでも問題ありません。
http://www.bpb-jp.com/manner/2009/02/post_79.html
石井美千子さんの「昭和のこどもたち」という作品展を見た。
⇒2011年8月15日 (月):石井美千子人形展「昭和のこどもたち」
タイトルの「こどもたち」というのは、日常的によく使われる言葉である。
この、“ども”も“たち”も共に複数形を示す表現である。
広辞苑第六版では、以下のように説明している。
ども【共】:接尾
複数化の接尾語。体言に添えて、その語の表す物事が多くある意を表す。謙譲、あるいは見下した意が加わることが多い。古事記[上]「荒ぶる国つ神―」。古事記[中]「七ゆくをとめ―」。古今和歌集[恋]「おこせたりける文―をとりあつめて」。「荒くれ―」
一人称の語に付き、へりくだった気持を表す。単数にも用いる。狂言、鹿狩「身―は急ぎの者でござるによつて」。「私―では」たち【達】:接尾
名詞・代名詞に接続して複数形を作り、または多くをまとめていうのに用いる。古くは主に神または貴人だけに用いた。万葉集[17]「玉ほこの道の神―まひはせむ吾あが思ふ君をなつかしみせよ」。伊勢物語「せうと―の守らせ給ひけるとぞ」。源氏物語[夕顔]「親―はやううせさせ給ひき」。土佐日記「をとこ―の心なぐさめに」。「私―」「子供―」
複数の意が薄れ、軽い敬意を表す。源氏物語[花宴]「をかしかりつる人のさまかな。女御の御おとうと―にこそはあらめ」
要するに、“ども”は、相手を見下した感じであり、“たち”は相手を敬う感じ、ということであろう。
“こども”は、一人前でないから見下した感じであるのは理解できる。
それでは“こどもたち”の“たち”はなぜ付けられるか?
立命館大学の加地伸行教授が次のように解説していた。
「ども」も「たち」も共に複数を表すものの、「ども」は相手を低く見る感じだ。「野郎ども、馬鹿(ばか)ども」と。「たち」は相手を高く見ている感じ。「先生たち」、古くは「公達(きんだち)(貴族グループ)」と。
すると、子が一人前でないと下に見て「子ども」となるが、もし「子たち」と言うと、子に対して大事にしているという感じ以外、その言いかた自体が上品な感じを与える。
だから「子どもたち」と言うと、なんだか子を下げたり上げたりの感じを否めない。あるいは「子ども」で「子」を指し、「たち」をつけて複数の意味としているのかもしれない。もっとも「たち」の元来の意味を離れ、子自体を指して「子どもたち」と使われるようにもなったらしい、と諸説ある。
それなら響きのいい「子たち」を使ってはどうか。私は反省して最近は「子たち」と言っている。ただし「子どもっぽい・子どもの使い・子どもだまし…」は変えないが。
さて、「子ども・子たち・子どもたち」、どれを使おうと大した差はないと言えばそれまでのこと。
いやそういうことではない。ことばを正しく使わなければ、議論の筋道が崩れてしまうのである。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110817/stt11081702480002-n1.htm
敬語というのは、難しくかつ便利でもある。
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