石井美千子人形展「昭和のこどもたち」
既に「昭和は遠くなりにけり」という感懐は、多くの人が共有するところではなかろうか。
その昭和は、20年8月15日を境として、大きく変わった。
昭和20年8月15日から、「戦後」が始まった。そして、「3・11」によって、「戦後」は終わり、「災後」へ移行した言われる。
まさに「災中」だともいえるが、それはやはり後遺症と呼ぶべきであろう。
お盆の親戚の集まりのとき、石井美千子さんという人形作家の「昭和のこどもたち」という作品展が話題となり、私も観てきた。
石井美千子さんの名前は今まで目にしたことはなかった。
Wikipedia(110622最終更新)によれば、以下のような略歴である。
1953年 福井県福井市に生まれる。生後間もなく母が亡くなる。
1959年 この年から14歳まで児童養護施設で育つ。
1971年 学習研究社入社。
1973年 東京デザイン専門学校に入学。
1975年 東京デザイン専門学校を卒業し、デザイン会社に勤務。
1977年 結婚。長男の出産と共に義祖母の介護をする。
1983年 長女を出産。間もなく義祖母がなくなり、介護生活は終止符をうつが、自身が結核を発病し、闘病生活に入る。
1987年 桐塑人形作りの基礎勉強を始める。
1993年 東京都中野区の嫁菜の花美術館にて、初の個展である『昭和のこどもたち』展を開催。
1995年 阪神百貨店主催『昭和のこどもたち』展を開催。この展覧会がきっかけとなって以後、全国各地で展覧会を開催。
「昭和のこどもたち」は、全国で150万人以上を動員しているといい、「昭和30年代ブーム」の1つの要因にもなっているらしい。
確かに、私たちの同世代にとっては、「うん、あった、あった」という情景が多い。
失われた故郷、コミュニティ、時間……。
私も、間違いなく、「昭和のこどもたち」の1人であった。
8月は、鎮魂の月ともいわれる。
敗戦、旧盆、日航ジャンボ機墜落……。
東日本大震災の年、8月にふさわしい展示会であった。
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