「3・11」と日本の「戦後」
このブログの第1回は、2007年の8月8日だった。それから満4年。
途中、発症と入院でやむを得ず中断したが、それ以外は継続している。何事にも飽きっぽい私であるが、連続出場にも価値があるという気持ちで続けてきた。
8月8日というのは私の誕生日であるが、毎年この時期になると考えさせられることがある。
8月6日と9日がわが国にとって特別の意味を持った日だからである。
いうまでもなく6日のヒロシマ、9日のナガサキと人類史上唯一、原爆が投下された日だからである。
しかし、今年は特別である。「3・11」にるフクシマの惨事が起きた年であるからである。
もちろん、原爆と原発を同一平面で論じるべきではないであろう。
核・放射能の脅威という意味では同じであるという意見もあるが、原爆は、意図的な殺傷のための兵器である。原発は平和的利用の形態であり、フクシマは意図せざる事故である。
その違いは分けて考えるべきであろう。
菅首相は6日の広島の平和式典で、「脱原発」を強調した。
日経新聞
菅直人首相は6日午前、広島市での平和記念式典であいさつし、エネルギー政策について「白紙からの見直しを進めている。原発への依存度を引き下げ、原発に依存しない社会を目指していく」と述べ、原発依存からの脱却をめざす姿勢を改めて鮮明にした。同時に「原子力についてはこれまでの安全神話を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じる」と強調した。
首相は退陣表明後、原発依存度を段階的に引き下げる「脱原発依存」の方向を打ち出したが、後に「個人の見解」と修正した。再び言及したのは、脱原発に取り組む首相の意思を内外に示すとともに、政府方針に位置付ける意欲のあらわれだ。
首相は式典で、東京電力福島第1原発事故の現状に触れ「事態は着実に安定してきている」と説明した。同時に「今回の事故を人類の新たな教訓と受け止め、世界の人々や将来の世代に伝えていくことが我々の責務だ」と主張した。
核兵器廃絶に関しては「核兵器のない世界の実現に向け、国際社会の先頭に立って取り組むと強く決意し、実践してきた」と表明。「日本国憲法を順守し、非核三原則を堅持する。核軍縮・不拡散分野の国際的な議論を主導する」と語った。
広島での首相あいさつを巡っては、首相周辺にも「原爆と原発を同列に考えるべきではない」として原発政策に触れることへの慎重論もあったが、首相の姿勢を明らかにする好機ととらえ、改めて訴えることにした。
菅首相が強調するまでもなく、事実上、原発の新規立地が認められる状況ではないであろう。
休止中の炉を再稼働させる見通しもない。
定期点検により休止した炉が再稼働できなければ、近い将来稼働している原発施設はゼロになる。
すなわち原発なき社会は否応なくやってくる可能性が高いだろうと考える。
しかし、菅首相の演説には違和感を感じざるを得ない。
発言に一貫性がないこともさることながら、平和式典を政治利用する姿勢が馴染めない。
学習院大学教授・井上寿一氏は産経新聞の「正論」欄で、『震災下の8・15』で次のように書いている。
戦後の日本は矛盾を抱えて再出発する。科学技術立国の立場から原子力の平和利用(原子力発電)に積極的であると同時に、絶対平和主義の立場から反核運動を展開したからである。
矛盾はもう一つあった。冷戦状況の進展の中で、敗戦国日本は戦勝国アメリカに依存しながら独立した。アメリカの核の傘に守られる「唯一の被爆国」の矛盾の現実があった。
戦後日本は矛盾を矛盾として意識せずに済ますことができた。原発が象徴する科学技術によって、高度経済成長が可能になったからである。近代以降の歴史において、日本社会は初めて格差縮小へ向かう。国民は「一億総中流」意識を持つようになった。
経済発展を重視する国家再建路線は、日米安保条約における軍事負担の対等性の回避を志向する。基地貸与と駐留米軍の経費負担以上の関与はしない。アメリカに向かってそう言うとき、憲法9条は有用性があった。
アメリカの核の傘に守られる「唯一の被爆国」日本の矛盾とは、憲法9条と日米安保条約を同時に受容することの矛盾でもある。戦後日本はこのような矛盾のなかで、経済成長と平和を追求し続けることができた。
東日本大震災によって、図らずも日本はこれらの矛盾を露呈する結果となった。
「3・11」はわが国の「戦後」のあり方を改めて問うものであった。
佐倉統氏は、それを「大阪万博パラダイム=梅棹忠夫の時代」と言っている。
⇒2011年7月27日 (水):大阪万博パラダイム/梅棹忠夫は生きている(2)
私は、大阪万博パラダイムは「戦後」の一側面であるし、梅棹忠夫の思考の射程は「戦後」を超えていると思う。
「3・11」は、井上氏の言うように、「戦後の日本が抱えていた矛盾」をあぶりだした。
「戦後」はほとんど私の人生にオーバーラップしている。
「3・11」によって引き起こされた諸問題から目を逸らすことなく、残りの人生を生きなければならない。
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