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2011年8月

2011年8月31日 (水)

仮免だったのは、菅(前)首相か民主党政権か

野田佳彦氏が、第95代の総理大臣に指名された。

早々と出馬を表明したが、小沢氏が支持する海江田氏、同じ主流派で支持層が近い前原氏の出馬の陰に隠れ、本命ではなかった。だが、「号泣」「外国人献金問題」で伸び悩む2人を横目に、1回目の投票で海江田氏に41票差の2位に入り、前原氏を退け決選投票に。その決選投票では、党内最大勢力の小沢氏に支持された海江田氏に対抗するため、前原陣営などの「反小沢」勢力を結集。決選前には鹿野陣営が野田氏支持を決めるなど、「反小沢」感情も味方につけ、海江田氏を38票差でひっくり返した。
「反小沢」はもうやめましょう 就任直後のあいさつで「ノーサイドにしましょう、もう」と小沢氏をめぐる党内抗争に終止符を打つことを呼び掛けた野田氏。

「どじょう演説」で鮮やかに逆転!野田佳彦氏が新首相へ…民主代表選

まあ、消去法で野田氏が残ったということであろうか?
しかし、「ノーサイドにしましょう、もう」と言っても、そうはいくまい。ノーサイドというのは、同じ夢をみて争った人の間で成り立つことである。
ノーサイドの証として(?)、幹事長に小沢氏に近いとされる輿石東氏を起用した。
清新とは言い難いが、野田氏も考え抜いて決めたのだろう。
党内情勢を踏まえると、輿石氏も慎重にならざるをえないようだ。

民主党幹事長に内定した輿石東参院議員会長は30日午後、小沢一郎元代表の党員資格停止処分について、記者団に「(処分を撤回すべきだとの)私の考えは変わらない」としながらも、「いろんな考えが(党内に)あるからそれを踏まえ、民主主義のルールと時機をみて考えたい」と述べ、処分見直しには慎重に対応する意向を示した。 
党運営に関しては「新首相が『ノーサイド、全員野球』と言うから、その態勢をつくれるかどうかに全てがかかっている。党内融和に全力を尽くす。その一点だ」と指摘。参院議員会長職を兼務する考えも示した。
小沢氏処分問題、慎重に対応=輿石氏

私は、綱領すら決め切れていない民主党のノーサイドは基本的にあり得ないのではないかと思う。
民主党は、畢竟、同床異夢の集団だろう。政権交代を果たした後は、エンジンも羅針盤もなく、漂流するばかりである。
⇒2011年8月24日 (水):綱領なくして漂流する民主党の出口戦略を問う

思えば菅前首相が、就任後半年経った段階で「今までは仮免だった」と発言したエピソードが思い起こされる。
⇒2011年6月17日 (金):その場しのぎと問題解決/「同じ」と違う」(27)
⇒2011年2月 3日 (木):菅首相は、どういう局面で、いつ投了するのか?
⇒2011年4月26日 (火):朝・毎両紙の社説検証/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(17)
結局、仮免の域を出ないところで重大な事故に遭遇したのだと考えれば、菅氏自身がパニックに陥ったのも頷ける。

“alert”という語がある。
一般用語であるが、特にIT分野では比較的よく使われるようである。

ITの分野では、システムなどが利用者に注意や警戒を促すために表示・通知するメッセージなどのことを意味する場合が多い。
また、予め指定しておいた条件が満たされたときに自動的に利用者に発信される通知のことをアラートという。

IT用語時点

alert
―【
形容詞
(
油断なく)注意を払っている; 機敏な.
―【
名詞
警戒態勢; 警報
―【動詞
警報を出す; 警告する.
研究社 英和コンピューター用語辞典

東日本大震災は、改めて“alert”の重要性を認識させるものであった。
仮免意識のまま就任した菅氏には、まったく“alert”が欠如していた。
さすがに自衛隊は、“alert”の重要性を認識していた。

これは、近い将来高い確率での発生が予想されている宮城県沖地震への対処能力向上を目的に、東北方面隊全部隊はもとより、他方面隊等、施設学校、海・空自衛隊並びに岩手県宮古市から宮城県岩沼市までの太平洋に面した24自治体(宮城県、岩手県含む)、防災関係35機関並びに一般市民を含めた約1万8千名が参加するとともに、被害が予想される現地において訓練するなど、今までにない規模・内容となった。
みちのくALERT2008|東北方面隊Web

対照的に、菅氏は浜岡を対象に、10年10月に実施した「原子力総合防災訓練」をすっかり失念していたようなのだ。
2011年5月12日 (木):地震の発生確率の意味/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(26)

しかし、考えてみれば、仮免状態は菅氏だけのものではなく、民主党全体の問題ではないか。
代表を迎えるにあたって、『あーあ、民主党 こんな奴らが総理かよ』という週刊誌のタイトルに同意したのは私だけではないだろう。
⇒2011年8月24日 (水):綱領なくして漂流する民主党の出口戦略を問う
実際に代表選の結果は、国民不在、被災者不在の空虚なものだった。
⇒2011年8月26日 (金):民主党代表選の虚しき狂騒

民主党の執行部も、菅内閣の閣僚だった者も、同じ穴の狢である。
仮免から脱して正式の免許を得るためには、総選挙の洗礼が不可欠であろう。

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2011年8月30日 (火)

菅首相の無神経な最後の指示

民主党の新代表(新首相)の野田佳彦氏には、鳩山・菅の民主党歴代首相の轍を踏まぬよう心から願う。
野田氏は演説の中で、「思惑ではなく思いで、下心ではなく真心で、論破でなく説得で」野党との協力関係を構築したいと言った。
「思惑、下心、論破」は、いわば菅氏の際立った特徴だったから、それを意識して否定してみせたのだろう。しかし、安易に野党との協力を求めると、野合になりかねない。

政策の軸を明確にすることと同時に、可能な限り早期に解散総選挙を行うべきだろう。
政権公約(マニフェスト)を履行できないならば、選びなおすのは主権者の当然の権利ではないか。
代表選の候補者がこぞって主張していた「理念は重要だ」というのは、絵に描いたモチだけど旨そうに見えるでしょう、というのに等しい。

それにしても、菅首相は、再生可能エネルギー特別措置法が最後の置き土産かと思いきや、全く無神経な指示を出していたことが報じられている。

菅直人首相は29日午前、首相官邸で高木義明文部科学相と会談し、昨年11月の北朝鮮による韓国砲撃を受けて中断している朝鮮学校授業料無償化手続きについて、「無償化手続きが止まっている状況なので、再開してほしい」と指示した。これを受け、文科省は審査再開手続きに入った。
菅首相、朝鮮学校の無償化再開指示 退陣直前に唐突に

自分の献金疑惑については何の説明も無しに、だ。
これで、菅氏が拉致実行犯容疑者森順子や彼女とよど号ハイジャックの主役・田宮高麿との間の子供森大志らが深い関係を持つ「市民の党」などへの献金が、確信に基づくものであることがはっきりしたと言えるだろう。
⇒2011年8月21日 (日):疑惑にフタをしたまま菅首相は退任で幕引きを図るのか
それにしても、後継決定の当日に指示を出すなど姑息としか言いようがない。

「私たちが訴えていることを分かっていながら、菅首相はそういうことをする方なんだと感じました」
首相の審査再開指示について横田めぐみさん=拉致当時(13)=の母、早紀江さん(75)はこう言って落胆した。
朝鮮学校では、教科書で拉致問題への取り組みを「反朝鮮人騒動」などと教えており、拉致被害者の家族会は、朝鮮学校に無償化を適用すれば、「拉致問題について誤ったメッセージを送ることになる」と教育内容を問わないままの適用に反対してきた。
首相はこうした家族の懸念に全く答えず、むしろ無視したといえる。

「拉致解決する気全くなかった」 朝鮮学校無償化の審査再開、家族会落胆

菅という人は、結局人の心というものを理解しえない人なのだろうか?
私は、朝鮮学校の生徒を敢えて差別しろというつもりはないが、拉致問題に取り組むことは決して「反朝鮮人騒動」などではないと考える。
民主党政権になって、拉致問題が一向に進展していない状況での指示には大きな疑問を持たざるを得ない。
日本国の首相であれば、まず不当に拉致された人々の帰還が優先課題ではないのか?
家族会の悲痛な声にも聞く耳を持たないのだろうか?

「首相は自ら決着をつけるつもりだったのだろう」(高木義明文部科学相)というが、むしろ立つ鳥が跡を濁した形で、本心では拉致問題を軽視している証左でもある。
「北朝鮮は砲撃事件前の状態に戻った」
首相は高木氏に手続き再開を指示した際、こう語ったという。枝野幸男官房長官も29日午後の記者会見で「国際状況を分析してきた結果、このタイミングにおいて一定の結論を得た」と指摘した。
だが、これは後任首相となる野田佳彦財務相の判断を待たずに勝手に結論だけを押しつけ、責任を取らずに逃げたようなものだ。
菅首相、最後も思いつき 朝鮮学校無償化を「唐突」指示 党の親北体質、疑惑上塗り

砲撃事件以前の状態に戻ったか否かは基準ではない。
拉致問題について、あの国の指導者が真摯に反省し、拉致被害者に相応の償いをしたか否かで判断すべきだと考える。

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2011年8月29日 (月)

再生可能エネルギー特別措置法をどう評価するか

26日の参院本会議で、「再生エネルギー特別措置法」が可決した。
菅首相が自分の退陣条件の1つとしてこの法案の成立を挙げていたので、法案の評価よりも、退陣させることの方が優先されたような気がする。
菅退陣には賛成だが、本来エネルギー問題は、首相の退陣とは切り離して考えるべきものであろう。

同法の実効性については、これから定められる具体的な制度設計に依存する要素が多いが、現段階でどのように考えられるだろうか?
一般に同法への期待は大きいようだ。

同法はエネルギー政策を転換し、脱原発を進める手段にもなり得る。法を運用しながら、より実効あるものに育て上げ再生可能エネルギー普及を目指したい。
再生エネ法による発電は家庭、企業が主役だ。太陽光、風力、地熱、バイオマスなどで発電した電力を発電者から買い取ることを電力会社に義務付けている。
その価格を決めるのが第三者機関「調達価格等算定委員会」だ。価格の透明性を担保するために資源エネルギー庁に置かれる。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-180986-storytopic-11.html

福島原発事故は、未だにその骨格部分で具体的な事実関係が明らかにされていない。また、その影響範囲と程度についても、進行中の事態である。
しかしながら、少なくとも現在の情報量だけでも、将来的に再生可能な自然エネルギーへの依存度を高めるべきだということについては、大方のコンセンサスは出来上がっているであろう。
つまり、同法の立法の意図についてはほとんどの人が賛成するのではなかろうか。

しかし、実際的にどういうことになるのかという議論は十分といえるのだろうか。
田舎芝居のような民主党代表選にに目くらましされているのではないか。
民主党の代表は、日本国の総理大臣になるわけだから、重要案件であることに間違いはない。
野田氏が決選投票で海江田氏を破って新代表になった。自公との提携(あわよくば大連立)・大増税路線といわれる。
「何のための政権交代だったのか?」と言いたくなるような内閣が誕生するのであろうか。
野田氏は、明確に早期の解散を否定した。詐欺的政権交代を続けるつもりのようである。

ごくシンプルに考えてみよう。
ここでは、「エネルギーが本当に再生できるのか? エントロピーの概念は考えなくてもいいのか?」というような問題はとりあえず触れない。
太陽光等の導入が今まで期待以上に進まなかったのは、突き詰めれば経済合理性がなかったからだろう。
原発のコストに比べればずっと高いとされてきた。

それが福島原発事故によって、原発のコストが巷間言われているようなレベルではないことに気づかされた。
もちろん、気づかないことが悪いと言われればそれまでであるが、専門家が言っていることを信じざるを得ないのではないか。
原発事故に付随するコストを全部織り込めば、原発のコストはどうなるのか?
現在の状況では「禁止的なコスト」とでも言うしかない。つまり原発からは脱却せざるを得ないのだ。

つまり、エネルギーコストは高くならざるを得ない。
それをどう負担するのか?

(1)太陽光発電業者は、作りだした電力はコストに見合う金額で必ず買ってくれるのだから、絶対に損をしない。仮に買い取り金額を低く抑えても、事業者が赤字になるのでは普及しないから、必ず税金か何かで補填することになる。
(2)電力会社は、買い取った電力を買い値に見合う値上げでカバーしてもよいという法律があるから、絶対に損をしない。
原子力発電の20倍も高い電力を作り出して、「当事者である業者も電力会社も損をしない」となると、電気を使う国民と企業が損をするのは明らかじゃないですか。その総額は200兆円! 仮にコストダウンして設置費用が半分になっても100兆円! さらに原発の半分だけをまかなうことにしても50兆円! そんな「破綻の将来」に向かって後戻りできないようにする法律ではないかと思うのですが。
http://www.mentsu-dan.com/index.html#diary

私は市場主義者ではない。
しかし、市場の論理をまったく無視したような法律が成立してしまったことを深く憂慮する。
菅氏は、イタチの最後っ屁のような法律によって、退陣後までも最大不幸をもたらす気なのだろうか。

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2011年8月28日 (日)

レオナール・フジタ展@ポーラ美術館

箱根のポーラ美術館に、レオナール・フジタ(藤田嗣治)展を見に行った。
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ポーラ美術館は、ハードウェアが静かな箱根の自然環境にマッチした素晴らしい建築作品である。
2003年第16回村野藤吾賞、2004年日本建築学会賞など、数々の受賞歴を誇る。

建物は、地上部分の高さを8mに抑えて木々の間に隠れるよう配慮しました。それはゆるやかな傾斜地に直径74mの巨大な円形壕を掘り、そこに免震ゴムを設置して建物を載せるという手法で実現しました。円形壕は地下の水脈を守り、また土の圧力に対する安全性を確保します。完全免震構造によって建築を円形壕から浮かせることで、人と美術品を地震や高湿度から守り、また将来にわたって建物のすべての部位にアクセスすることが可能な永久メンテナンス建築を目指しました。
http://www.polamuseum.or.jp/building/01.html

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また、展示内容も、常設展示はモネやルノワールなどの比較的馴染みやすい印象派を中心とする西洋絵画や日本画など満腹感のある展示を行っている。
今回の企画展は、レオナール・フジタ(藤田嗣治、1886-1968)の多彩な創作活動の一端を、美術館のコレクションを中心に展示している。

フジタの技法に、東京藝術大学の研究室などと協同で、各種の光学調査等によりアプローチしているのが興味深かった。
フジタの絵の特徴とされる「乳白色の肌」が解き明かされ、唯一製作時の撮影を許された土門拳の写真と併せて、材料の秘密が明らかになった。

戦時中日本に戻っていたフジタは、陸軍報道部から戦争記録画を描くように要請された。
国民を鼓舞するために大きなキャンバスに写実的な絵を、と求められたのである。
戦後になり、日本美術会の書記長内田巌(同時期に日本共産党に入党)などにより、戦争協力の罪を非難された。

公式的な批判だけでは芸術作品の評価はできない。
私は、学生時代に読んだ吉本隆明の『前世代の詩人たち』等の戦争責任論を思い出した。
「3・11」によって戦後が終わった、あるいは終わらせるべきだと言われるが、戦争責任の問題は決着していないのではないか。

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2011年8月27日 (土)

菅首相の退陣演説&記者会見の欺瞞と空虚

菅首相の民主党両院議員総会での退陣演説は、絵に描いたような自画自賛というものだろう。

菅氏は「やるべきことはやった」と胸を張り、3カ月間の政治空白を生んだことへの反省の弁はなかった。「国民が聞く耳を持たなくなった」ことを退陣理由に挙げた鳩山由紀夫前首相と同様に、責任を明確にしないままの不自然な幕引きだ。
「大震災、そして原発事故に遭遇したときの内閣総理大臣、このことは歴史の中で消えることはない」
「歴史の評価」にこだわり続けた菅氏らしく、総会では震災と原発事故の対応にも自負をにじませた。

退陣表明 独自スタイル、孤立 震災復興へ、道半ば

「大震災や原発事故に遭遇したこと」自体は、決して手柄ではない。本来ならば、遭遇以前に退陣すべきだったのだ。
誇るならば、対応の仕方であるはずだ。「歴史の評価」はいずれ明らかになるだろうが、対応のマズサは歴史を待つまでもない。
一番重要な初動において、自身がパニックに陥っていたことは、松本健一氏等が明らかにしつつある。
⇒2011年8月20日 (土):菅批判を始めた松本健一内閣官房参与
歴史などと大上段に振りかぶる必要はない。

その後の記者会見も同様である。

退陣にあたっての率直な感想は、与えられた厳しい環境のもとでやるべき事はやったという思いだ。東日本大震災からの復旧・復興、東京電力福島第1原子力発電所事故の収束、社会保障と税の一体改革など、内閣の仕事は確実に前進している。内閣としては一定の達成感を感じている。
・・・・・・
私の在任期間中の活動を歴史がどう評価するかは後世の人々の判断に委ねたい。思いが国民にうまく伝えられず、ねじれ国会の制約の中で円滑に物事を進められなかった点は大変申し訳なく思う。

菅首相、最後の記者会見 発言要旨

「与えられた厳しい環境のもとで」というのが、衆参のねじれ状態をいうのであれば、参院選の大敗にもかかわらず責任を負おうとしなかった自分の作った環境であることを棚に上げて言うのはまことにノーテンキなものだとせざるを得ない。
東日本大震災や福島原発事故のことを指すのであれば、震災の直接的な原因は自然現象であるにしても、国民の多くは、人災としての側面があると思っている。
“菅災”という言葉が使われているのをご存知ないのだろうか?

識者と言われる人たちの評価もなべて厳しい。

「点数を付けるならマイナス100点」と切り捨てるのは政治評論家の森田実氏。「内閣不信任案を否決させるため(首相を)辞めるとうそをついた」と指摘し、その後の2カ月余りを「内政も外交も全部止まり、ガタガタになった」と話す。
元内閣安全保障室長の佐々淳行氏も「(菅政権は)原発が手の付けられない状態になってから住民を避難させた。最悪の事態に備えるのが危機管理の基本なのに、原発事故の対応は犯罪に近い不作為」と厳しい。 一方、原発問題に取り組む市民団体からは「『脱原発依存』を打ち出したのは特筆すべきだ」との意見も聞かれた。

マイナス100点と酷評も 原発事故対応は犯罪に近い

まあ、森田氏は佐々氏のような玄人スジとは相性が悪いようであるから、酷評は織り込み済みであろう。
問題は、私のようなアマチュアの期待を、まったく裏切ったことである。
市民活動家というものに、私は好意的であった。
ラジカルであるかどうかは別として、運動をするにしても、セクトよりはノンセクト、という感じである。
最大の集団は無党派層らしいが、サイレントマジョリティとも言い換えられよう。

菅氏に期待したのは、ある種のアマチュアリズムである。
私は、政治を、プロつまり職業政治家の手に委ねるのはいかがなものか、と思うようになってきた。
もちろん、スジがね入りのプロの力量は恐るべきものであろう。
だからプロを評価しないということではないが、現在の国会議員等の出自をみれば、二世、官僚、労組出身者のいかに多いことか。
「商売としての政治」のような気がするのだ。

松下政経塾のようなインキュベーター機関にも、一種の危うさがつきまとう。
大本命とされる前原氏は、メール問題の教訓を生かしていないのではないか。元(?)大本命の野田氏も、その後の経緯をみれば、器ではないことが滲んでくる。

去年行われた長野県知事選が、プロVSアマの1つの図式であったように思う。
結果はプロの側の勝利であるが、安曇野にあるいわさきちひろ美術館の元館長・松本猛氏が挑んだ選挙だった。
松本氏の母はいわさきちひろさんで、父は元日本共産党衆議院議員の松本善明氏であるが、政治志向は窺えない。
⇒2010年8月 9日 (月):長野県知事選をめぐる感想

この選挙にアマチュアリズムの可能性を感じた。
⇒2010年8月10日 (火):政治におけるアマチュアの可能性
それは、佐倉統氏が評価する梅棹忠夫のひとつの側面でもある。
⇒2011年7月31日 (日):アマチュアリズム/梅棹忠夫は生きている(4)

菅氏は、このようなアマチュアリズムを期待しらのだが、それはまったくの幻想であった。
それどころか、拉致実行犯容疑者と親密な関係にある団体との間に重大な疑惑が発覚している。
思うに、「市民派」には、無党派・ノンセクトの市民派と、党派・セクトとしての市民派があるのだろう。
菅氏の大罪の1つに、無党派的市民派を偽装した党派的活動を挙げるべきだろう。
⇒2011年8月14日 (日):退陣菅内閣の「7つの大罪」論と後継内閣の責務

もっとも、偽装は退陣表明に見られるように、菅氏のお家芸ともいえる。
内閣不信任決議案の可決をタイジン偽装で切り抜けたころから、開き直ったのではないだろうか。
不信任案を可決する度胸のなかった民主党の代議士は、菅氏の居座り幇助だということを自覚すべきだ。

それにしても、6月2日の意向表明から3カ月近く、次々に新たな政策をぶち上げ、外交を含む政治空白を作った。
「この3カ月間は実りの多い政策実行の期間だった」という自賛も空しく聞こえるだけである。

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2011年8月26日 (金)

民主党代表選の虚しき狂騒

国会の会期末を迎えて、次の総理大臣を決めることになる民主党代表選のニュースが賑やかだ。
しかし、報道されていることのほとんどは、ウンザリするようなことである。
先ずは、ダイアモンドオンライン誌の『小学校の学級委員選挙以下/国民へのアピールの場を自ら封じる民主党・代表選挙の愚』という記事である。
http://diamond.jp/articles/print/13751

民主党の代表選は、小学校の学級委員の選挙以下と言っては言い過ぎだろうか。当然ながら、与党・民主党の代表選挙は、この国の総理を選ぶ選挙とほぼイコールである。それが27日告示、29日選挙では、まともな論戦を戦わせる時間もない。これまで震災対応では、菅総理の不信任案騒動などで、散々、時間を浪費しておきながら、最も重要な後継者選びに、1週間の時間も割けないというのでは、拙速のそしりを免れない。

まったくその通りであろう。
とにかく、ドサクサ紛れに代表選をしてしまおうとしているとしか見えない。
国民が聞きたいのは小沢氏の支持がどうなるかではなく、どういう国を目指すかの所信であろう。

まず、国のかたちとして、市場中心で結果の不平等はある程度是認する小さな政府でいくのか、ある程度市場を規制し、結果の平等を重視する大きな政府でいくのか、北欧のように市場は重視しながら再配分ではより平等を重視する第3の道でいくのかを、明らかにしなくてはならない。
その大枠を前提に、世界経済が再び危機に見舞われようとしているなかで、我が国は財政再建と経済再建・デフレ対策のどちらに重きを置くのか、社会保障制度の改革と増大する費用を賄う財源をどうするのか、新たなエネルギー政策をいかに立案するのか、そして震災からの復興を具体的にどう進めていくのか、について政策をぶつけ合って欲しい。大きなものだけでも、4つの課題に直面しており、いずれも日本の将来に関わる。日本はいま、岐路に立っていることを肝に銘じるべきである。

しかし、国のかたちの大枠は、政党の性格としてあるはずのものではないだろうか。
混乱の根っ子には、綱領等で合意し切れていないという事情がある。
TVでは、小沢氏が海江田氏支持を決めた、と報じている。

党員資格停止中の小沢氏の意向(威光?)で、総理大臣が決まる?
国会の審議中に号泣しちゃった海江田氏が総理大臣?
私には、できの悪い冗談にしか思えない。

渡部恒三元衆院副議長は、水戸黄門に擬せられる民主党の長老である。
その渡部氏が、『「公約守れ」派は個利個略』と題して、産経新聞の「国益が第一」というコラムに書いている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110825/stt11082503290000-n1.htm
黄門さまのように、大所高所からの識見が開陳されるだろうと期待した。

言うまでもなく、国民から選ばれた代表が政治家だ。政治家は国民の声を聴いて方針を決める。それを国民のために誠実に実行するのが官僚、役人だ。役人は法律、制度の専門知識を持つ行政のプロでもある。その能力を使わない手はないのに、政治と行政がまるでケンカしているかのように切り分けてしまった。それが東日本大震災や福島第1原発事故の初動で後れをとった原因だ。

要は、政治家が頭で官僚は手足ということか?
しかし、民主党政権を2年間体験してみて、政治家に思考能力が欠けていることを国民は痛感しているのではないか。
「東日本大震災や福島第1原発事故の初動」の失敗はもちろんであるが、問題は初動だけではない。
「国民がパニックに陥るから」と、大事な情報を的確適時に開示しないで隠蔽してきたことが、問題を拡大させ、こじらせていることに反省がないのである。

経済の動向や国際情勢は毎日大きく変化している。公約は国民のために訴えた政策だ。今、状況が変化して国民生活のためにならないとわかったり、優先すべき政策が他にあるとわかったなら、凍結や見直しは当然だ。まして千年に一度の大震災の後でもある。一昨年に約束したことを何が何でも今年実現することが無理なことくらい、だれでもわかることだ。

「状況が変化して国民生活のためにならないとわかったり、優先すべき政策が他にあるとわかった」から、マニフェストを放棄するのか?
こんな無原則的なことでは、「国民との約束」という言葉は「鴻毛よりも軽い」のだろう。

「マニフェストを100%死守せよ」と、「公約守れ」派だって言っているわけではないだろう。
状況に応じた対応が必要なことは当然である。
しかし、根幹・骨格・精神……を弊履の如く脱ぎ捨てるのは、ちょっと事情が違う。少なくとも守ろうとする姿勢は必要ではないか。
もちろん、諸般の事情で実行できないこともあるだろう。そのとき為すべきことは誠実に事情を説明することではないか。

予算執行の裏付けになる特例公債法案が年度半ばの8月になって、成立するような異例な事態に陥ることを回避する手立てをとることだ。

異例な事態は、菅首相がポストに執着していたのが根本要因である。
衆参のねじれ現象は、去年の参院選の結果が判明した時点で明らかだった。その敗北の主因も菅首相にあるのである。
渡部氏は、「国難にあたっては与党も野党もなく、知恵と力を出し合うという意識に立つかどうかではないか」という。
その通りであるが、そういう状況を作り出すのは、先ずは与党の責任であるはずだ。

静岡新聞の「論壇」というコラムでは、政治評論家の今井久夫氏が『理念と政策抜きの代表選』と題した一文を寄せている。

(首班指名が)国会最終日の31日の前日の30日に行われる。〆切りギリギリにようやく間に合った感じだ。
これもせんじつめれば菅首相の往生際のわるさのせいといえる。もっと早い機会にさっさと辞めていれば、こんなムダな時間との競争はしなくても済んだはずだ。

その通りなのであるが、辞めさせなかった者も同罪である。不信任決議を否決したのだから、「さっさと辞めていれば」と繰り言をいってもしかたがない。
菅ペースに乗った方が拙劣だったのである。

このような時間に追われた杜撰な両院総会で選出される次期代表はロクな期待が持てない。そんなわるい予感さえする。

そうに違いない。
だから、次の内閣は選挙管理内閣として自らを律するべきだ。
政権交代を争った選挙の政権公約(マニフェスト)が砂上の楼閣であったことを、自分で認めているのだから、選挙のやり直しは当然の理である。

日本経済新聞の「春秋」欄は以下のようである。

菅内閣の発足時に首相の口から「奇兵隊内閣と名付けて」という言葉が飛び出した際には正直、戸惑った。「果断に行動する内閣だ」という説明を聞いてもピンとこない。幕末の志士、高杉晋作と菅首相の姿がどうにも重ならなかった。▼いま思うと、首相は確かに高杉の信奉者だったのだろう。高杉の名言に「人間、窮地に陥るのはよい。意外な方角に活路が見いだせるからだ」というものがある。6月初めに辞任表明して以降、首相は活路を探し続けていたに違いない。それが「脱原発依存」発言だったのだろうが、起死回生策にはならなかった。▼いかんせん、菅首相の言葉は軽かった。海外と経済協定を結んで市場を開く「平成の開国」はあっさりと先送りしたし、「熟議の国会」は空振りして与野党の対立が続いた。税と社会保障の一体改革もあいまいな結果になった。どの発言もその場の思いつきという印象がぬぐえないから、国民の心に響かなかった。▼きょう、菅首相が正式に退陣を表明する。民主党内では代表選に向けた駆け引きが続くが、国民の目は冷ややかだ。「おもしろきこともなき世をおもしろく」と辞世を残した高杉。「すみなすものは心なりけり」という下の句もある。国民の心の持ちようを変えるために骨太な政策論争が欠かせないと思うのだが。

奇兵隊は、所詮哀れな末路を迎えるのである。
⇒2011年6月 2日 (木):哀しき奇兵隊内閣の末路

国民ももはや「骨太な政策論争」など期待していないのではないか。
震災対応と原発事故対応に力を注ぎ、なるべく早く、解散総選挙を実施すべきである。

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2011年8月25日 (木)

“ども”と“たち”の言語感覚

何気なく使っている日本語が、ふと気になることがある。
この間、知り合いの会社で、弊社と当社の使い分けが話題になった。
使い分けているかどうかを聞かれて、私は余り明確に意識していなかったが、あえていえば、オフィシャルな文書では当社、営業的な場合には弊社を使う、という感じかな、と答えた。

厳密なルールはないようであるが、一例として以下のような説明があった。

当社と弊社の使い分け

当社と弊社という場合についてですが、どちらかといえば、当社よりも弊社という表現の方がよりへりくだった言葉であると考えられています。身内同士(同じ会社同士)ではへりくだる必要が無いので「当社」と呼び、他の組織や会社の人に自分の会社を説明する場合は「弊社」という表現を使うと良いでしょう。ただし、相手に抗議をする場合など、強硬な立場で臨む際は「当社」と表現すべきでしょう。
弊社というのは文語だから、口語ではないという方もいますが、厳密には弊社という言葉は文語で登録されているわけではありませんので、口語で読んでも問題ありません。

http://www.bpb-jp.com/manner/2009/02/post_79.html

石井美千子さんの「昭和のこどもたち」という作品展を見た。
⇒2011年8月15日 (月):石井美千子人形展「昭和のこどもたち」

タイトルの「こどもたち」というのは、日常的によく使われる言葉である。
この、“ども”も“たち”も共に複数形を示す表現である。
広辞苑第六版では、以下のように説明している。

ども【共】:接尾
複数化の接尾語。体言に添えて、その語の表す物事が多くある意を表す。謙譲、あるいは見下した意が加わることが多い。古事記[上]「荒ぶる国つ神―」。古事記[中]「七ゆくをとめ―」。古今和歌集[恋]「おこせたりける文―をとりあつめて」。「荒くれ―」
一人称の語に付き、へりくだった気持を表す。単数にも用いる。狂言、鹿狩「身―は急ぎの者でござるによつて」。「私―では」

たち【達】:接尾
名詞・代名詞に接続して複数形を作り、または多くをまとめていうのに用いる。古くは主に神または貴人だけに用いた。万葉集[17]「玉ほこの道の神―まひはせむ吾あが思ふ君をなつかしみせよ」。伊勢物語「せうと―の守らせ給ひけるとぞ」。源氏物語[夕顔]「親―はやううせさせ給ひき」。土佐日記「をとこ―の心なぐさめに」。「私―」「子供―」
複数の意が薄れ、軽い敬意を表す。源氏物語[花宴]「をかしかりつる人のさまかな。女御の御おとうと―にこそはあらめ」

要するに、“ども”は、相手を見下した感じであり、“たち”は相手を敬う感じ、ということであろう。
“こども”は、一人前でないから見下した感じであるのは理解できる。
それでは“こどもたち”の“たち”はなぜ付けられるか?

立命館大学の加地伸行教授が次のように解説していた。

「ども」も「たち」も共に複数を表すものの、「ども」は相手を低く見る感じだ。「野郎ども、馬鹿(ばか)ども」と。「たち」は相手を高く見ている感じ。「先生たち」、古くは「公達(きんだち)(貴族グループ)」と。
すると、子が一人前でないと下に見て「子ども」となるが、もし「子たち」と言うと、子に対して大事にしているという感じ以外、その言いかた自体が上品な感じを与える。
だから「子どもたち」と言うと、なんだか子を下げたり上げたりの感じを否めない。あるいは「子ども」で「子」を指し、「たち」をつけて複数の意味としているのかもしれない。もっとも「たち」の元来の意味を離れ、子自体を指して「子どもたち」と使われるようにもなったらしい、と諸説ある。
それなら響きのいい「子たち」を使ってはどうか。私は反省して最近は「子たち」と言っている。ただし「子どもっぽい・子どもの使い・子どもだまし…」は変えないが。
さて、「子ども・子たち・子どもたち」、どれを使おうと大した差はないと言えばそれまでのこと。
いやそういうことではない。ことばを正しく使わなければ、議論の筋道が崩れてしまうのである。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110817/stt11081702480002-n1.htm

敬語というのは、難しくかつ便利でもある。

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2011年8月24日 (水)

綱領なくして漂流する民主党の出口戦略を問う

菅首相の退陣が決まって、民主党の執行部は肩の荷を降ろしたかのようである。
まことに奇妙な情景であると言わざるを得ない。
⇒2011年8月 5日 (金):与党が首相退陣の条件を整えるためにマニフェストを放棄する不可解

それにしても、代表選への動きを見ると、「何だかなあ」というのが正直な感想である。
『あーあ、民主党 こんな奴らが総理かよ』という週刊誌のタイトルに妙に納得してしまう。
「週刊文春」110825は、グラビアで悪乗りして、「菅総理後継レースの候補者を並べてみたら……」と、次のように並べている。

えはら誠司
るとこ伸二
淵澄夫
鹿野道彦
だ佳彦
いえだ万里
ざわ鋭仁

こんな風にコケにされても、それでも現在の「しくみ」では、民主党の代表が総理ということになるから、どうでもいいというわけにはいかない。
私は次期内閣は選挙管理内閣(であるべき)だと考えているので、余り野心のない人の方が好ましいだろうと思う。
それより、民主党の出口戦略を掲げる候補者はいないのだろうか?

出口戦略とは、ビジネス用語としては、市場から撤退する際などに使われる。
そもそもは、ベトナム戦争のとき、アメリカ国防総省内で、人命や物資の損失を最小限にして軍を撤退させる検討や実施に対して用いられた。
敗勢濃厚な状況下でいかに損害少なく収束させるかは、一般に非常に難しい問題である。
撤退戦においては、最も有能な部隊がしんがりを務める。

私は、1月の段階で、菅内閣にどのような出口があり得るのかと考えたことがある。
⇒2011年1月12日 (水):出口の見えない菅政権と民主党解党という選択肢
何が何でも解党という解党主義というわけではないが、綱領すら決め切れなかった民主党は政党としての資格を欠いていた。
市民活動家だったことをウリにして首相になった人の、献金先との関係を説明できないなどということが許されようか。
ポスト菅は、綱領なき民主党の存立そのものが問われることになろう。
⇒2011年1月 5日 (水):綱領なき民主党の菅VS小沢の不毛な争い
⇒2011年3月 8日 (火):「啓蟄」とポスト菅の行方/民主党とは何だったのか(6)

加地伸行・立命館大教授が、民主党政権について次のような指摘をしている。

政権担当能力のない民主党がなぜ政権を維持しているのかと言えば、2年前の衆院選で国民に支持され、多数派を占めたからだと彼らは言っている。
それは筋道が通らない。自民党時代の予算から16兆円もの財源が出てくると原口一博・前総務相は言っていた。この種の大嘘をはじめ、することなすことのほとんどが選挙公約違反。それでは国民の支持に反するではないか。当然、衆院を解散して国民に信を問うべきだ。
するとこう言う。東日本大震災の被災地3県は選挙人名簿も作れず、投票できる状態にない。地方選挙も9月に延期したぐらいだと。
それは通らない。総選挙は国政問題であり、地方政治と異なる。あえて言おう、国政を立て直さなければ被災地3県の復興はできない、と。
ところが、民主党はもちろん、野党の自民党までが同3県における総選挙に腰が引けている。選挙人名簿の確定困難だの被災者感情への配慮だのと言い、総選挙どころではないとしている。
愚かな話である。ならば同3県に限り、比例代表制選出にすればすむことだ。党への票を比例配分して、議員を決めれば、同3県における多数の意志を反映できるではないか。たとい完璧な選挙人名簿がなくとも。
だいたいが投票率100%などありえないのだ。60%で十分。この特例は国会で臨時措置として決めればできるはずだ。
民主党は自民・公明との連立などと恥も外聞もないことを言いだしている。延命を図っているのは、首相でなくて、実は民主党そのものではないのか。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110817/stt11081702480002-n1.htm

衆議院で圧倒的な多数をもつ民主党が、舵取りができなくて漂流しているのだ。
国難の時ではあるが、民主党自身が出口戦略を真剣に問い直すべきではないか。
次のリーダーは、せめてそれくらいの真摯さを見せたらどうか。

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2011年8月23日 (火)

白馬村の美術館と安曇野の自然

ジャンプ会場へは写真のような階段を上って行く。
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まさに現場でのリハビリだ。

白馬村内にはいくつかの美術館が点在している。
先ずは白馬美術館に行ってみた。シャガールの版画を中心とした美術館である。
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シャガールの解説映像を上映していて、作品の背景等を知ることができた。

次いで、白馬・安曇野の風景画を中心とする白馬三枝美術館を尋ねた。
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分かりやすい風景画は、ホッとした気分になる。

もう一軒、アートカフェ「森と人と」というところへ寄ってみた。
「赤松純子テーブルウェア展」というのを開催中だった。
テーブルウェア自体にさしたる興味はないが、森の中の好立地だ。
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白馬だけでなく、安曇野の方に行ってみようか、ということになった。
とはいえ、安曇野は広い。とりあえず、電車に乗って穂高まで行くことにした。
NHKの朝の連続ドラマ『おひさま』の舞台ということで脚光を浴びているらしいが、私は臼井吉見の『安曇野』を長い間読もうと思いながら読めずにいたままである。

白馬と穂高は目と鼻の先のような気がしていたが、大糸線で1時間以上かかる。
遠くの場所の2点間の距離の感覚というのはあてにならない。むかし、札幌と函館の間の距離について思い違いをしていて、道産子の友人に笑われたのを思い出す。
穂高の駅に着いてみると、これまた意外にこじんまりとしていて、駅周辺も閑散としている。
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とりあえず、駅の近くの碌山美術館に行ってみた。
昔行ったことがあるが、記憶が薄れている。
ちょうど、『近代日本彫刻の究極-荻原守衛の絶作《女》の全貌』展という特別企画展をやっていた。

Photo_2腕を後ろ手に組み、身体を右に回しながら天空を仰ぎ見る《女》のポーズは、複雑に構成されたものでありながら、足下から額へと静謐に貫き流れる螺旋状の上昇感を漂わせています。西洋的な動感と東洋的な静感をあわせもつこの作品は、芸術と切実に向い合った荻原の到達した高みであるとともに、近代日本彫刻を象徴する傑作です。それと相まって、《女》のたたえる浪漫性、そして荻原が悩み苦しんでいた相馬良(黒光)への思慕という物語とが多くの人々の心を魅了し続けています。
昨年、当館では荻原没後100年を記念し、《女》の魅力について複眼的に考察する シンポジウムを開催いたしました。制作の動機や構想、造型、石膏原型調査報告な どのシンポジウムの成果をふまえた本企画で、《女》の造型をご鑑賞いただくのは もちろん、荻原個人の思いが込められたこの作品が普遍性を獲得するまで昇華されていることをご覧いただきながら、荻原が開いた地平の極限へと思いを馳せていただければ幸いです。

http://www.rokuzan.jp/

この作品が碌山の代表作だという認識はあったが、相馬黒光との関係が詳しく説明されていて、「なるほどなあ」と得心した。
新宿中村屋を夫・愛蔵と創業した黒光。
『女』の像は、黒光にそっくりだという。
亡命したインド独立運動の志士ボースやロシアの亡
命詩人エロシェンコらをかくまっていたことで知られる。
並みの起業家ではなかった。

夫の愛蔵も、何かの名言集で読んだ言葉が、一時期、私の座右の銘だった。

機会というものは、いつも初めは、一つの危機として来るか、あるいは一つの負担として現われた。

その頃、危機や負担は常態的にあった。それを機会にし得たのかどうか。

碌山美術館を出て、等々力家から道祖神、早春賦の歌碑の辺りを歩いた。
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子供のころ、「春は名のみの……」という歌詞を、意味も分からず「春は菜の実の……」という感じで覚えていた。
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碑のところにソーラーで作動するオルゴールがあり、鳴らしてみた。

自転車で周遊している人が多い。安曇野に自転車はよく似合うのだが、残念ながら自転車にもまだ乗れない。
しかし、徒歩だと、路傍の花の美しさをゆっくりと鑑賞できるというメリットもある。
安曇野も花の種類が豊かだ。
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2011年8月22日 (月)

白馬バスツアーで実践的リハビリ

某旅行社の企画する格安のバスツアーを見つけて、白馬までやってきた。
かつては自分でクルマを運転してきたのだが、免許失効中(リハビリの成果如何では更新の可能性もある)であるので、パッケージツアーが便利だ。

泊まりがけで出かけても大丈夫だろうという判断だ。
ツアーの発着地は東京。バスで途中昼食休憩等を挟んで5時間半ほどの行程である。
白馬の大自然の中を歩きまわり、実践的なリハビリにチャレンジしてみようという目論見だ。
妻と2人で出かけるのは何年ぶりのことだろう。

ホテルは「山のホテル」という名前だ。こじんまりとしたホテルだが、アットホームな雰囲気で好感できる。
Ws000000
http://www.hakuba-yamanohotel.com/index.html

オーナーは、明治大学相撲部OBとかで、私と同世代だ。貴ノ花と親交が篤いらしい。
白馬ロ-タリークラブの元会長というこの地方の名士の1人だ。
まだ現場に出ているが、徐々に息子に引き継がれつつあるようだ。
息子はスキーの選手だとか。JICAの活動で、ルーマニア(ハンガリーの血も混じっている)人の若奥さんと知り合ったというのが、日本語を流暢に話す若奥さんの話。
4歳になるお嬢ちゃんが、人懐こくて実に可愛い。私のケータイのストラップについている阿修羅像の写真をみつけて、「お地蔵さん?」などと訊いてくる。

目の前に長野オリンピックのジャンプ会場がある。
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レストランから競技の様子が見える。

それにしても便利な世の中になったものだ。
身体障害者がリュックに入れて持ち運べるパソコンで、こうしてブログの更新ができるのだ。
昔の言葉でいえば、C&C(Computer & communication)、すなわちICTの発展恐るべしである。

ICTとは、情報通信関連する技術一般の総称である。従来ひんぱんに用いられてきた「IT」とほぼ同様の意味で用いられるもので、「IT」に替わる表現として日本でも定着しつつある。
ICT
Information and Communication Technology)は、多くの場合「情報通信技術」と和訳される。ITInformation Technology)の「
情報」に加えて「コミュニケーション」(共同)性が具体的に表現されている点に特徴がある。ICTとは、ネットワーク通信による情報・知識の共有が念頭に置かれた表現であるといえる。情報の共有化という点において、ICTITに比べても一層ユビキタス社会に合致した表現であるといえる。日本でも、2000年頃に盛んに提唱された「e-Japan構想」では「IT」が盛んに用いられたが、2005年を始点とする「u-Japan構想」ではもっぱら「ICT」が用いられている。総務省の「IT政策大綱」も、2005年までにはすでに「ICT政策大綱」に改称されている。
http://www.sophia-it.com/content/ICT

必要な資料はevernoteで用意しておけばいいので、その気になればパソコンだけで仕事だってできるだろう。
今は仕事というほどのことをしていないし、第一、白馬の自然環境の中ではその気にもならないが。

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2011年8月21日 (日)

疑惑にフタをしたまま菅首相は退任で幕引きを図るのか

菅首相の北朝鮮親密団体への献金疑惑について、首相は説明をする気はないようである。
一体、闇の中の真相はどうなっているのか?
⇒2011年7月18日 (月):市民には快挙の感動が湧き、市民運動家には疑惑が明らかに
⇒2011年7月22日 (金):拉致問題への菅首相の係わり
⇒2011年8月 1日 (月):次第に明らかにされていく菅首相の献金疑惑の闇
⇒2011年8月 3日 (水):形式的な法令遵守(コンプライアンス)だけでは問題を見逃す
⇒2011年8月14日 (日):退陣菅内閣の「7つの大罪」論と後継内閣の責務

TVでは、「たかじんのそこまで言って委員会」など、ごく限られた番組の中でしか取り上げられていないようである。
Photo
http://johokosa.blog98.fc2.com/blog-category-58.html

菅首相の説明といえば、「政治資金規正法にのっとって寄付をし、収支報告にきちんと記載しており、法令に沿っている」とか「ローカルパーティー(地域政党)との連携・支援のため」と、木で鼻をくくったようなものだけである。
このような形式論で済まそうとしていること自体が、疑わしさを増幅していることを考えるべきだ。
退陣を決意したのも、この問題を追及されるのを恐れてだったのだろうか?
しかし、退陣によって事実が消え去るわけではない。

産経新聞の報道によれば、この献金の構図にはきわめて不自然なところがある。

菅首相の資金管理団体「草志会」は平成19~21年、めざす会に計6250万円を献金。特に19年は4月15日~12月28日に計8回に分け、規正法で定められた上限額の5千万円を献金している。
この19年の献金をめぐり、矛盾が浮かび上がる。収支を日付順に並び替えてみると、草志会が5月8日にめざす会へ500万円を支出した段階で、草志会の資金残高がマイナスになることが判明したのだ。その後、5月25日に民主党本部から3千万円を受領するまでは現金が足りない状態が続く。借入金などの記載はない。
元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士は「帳簿上の金額が不足した状態での献金は不可解。不透明な借入金の存在なども考えられ、首相には説明責任が求められる」と話す。
・・・・・・
自民党の「菅首相拉致関係献金疑惑追及プロジェクトチーム」の古屋圭司座長は、地方議員からの献金が最終的に市民の党に流れており、一団体に対する個人献金の年間上限額の150万円を超える形になるのではないかと指摘。「(民主党の団体を使った)迂回献金に当たるのではないか」との見解を示している。
一連の疑惑について若狭弁護士は「水面下で何らかの動きがあったと疑わざるを得ないが、違法性を問うことは容易ではない。刑事事件として徹底的に捜査を進めることでしか、疑惑を明らかにすることは困難だろう」としている。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110820/crm11082001300001-n1.htm

小沢一郎氏の「政治とカネ」の問題については司法的な決着がつけられようとしている。
予断ではあるが、仄聞するところでは、強制起訴自体がムリ筋だったようである。
政治家の場合は若干事情が違うとは思うが、推定無罪の原則は遍く適用されるべきであろう。小沢氏に「党員資格停止」という判決を下した執行部の判断の是非が問われることになろう。

元外交官の佐藤優氏は、菅首相が説明できないのは政治思想の欠如に原因があるとし、次のように言う。

「やりたいことがあるのではなく、ただ首相になりたいだけ」。政治的な目標や信念を達成したいという思いではなく、権力の座に就きたいという欲求しかない。むしろ、よど号犯や左翼集団に共鳴している方が政治家としてまだ正常だといえる。
権力を手中に収めるために、利用できるものは何でも利用するという節操のなさ。菅首相の存在は国家観や信念を欠いた現在の日本社会を象徴する姿であり、言いようのない不気味さを感じる。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110820/crm11082001300002-n1.htm

奇しくも、松本内閣官房参与と同様の人物評である。
菅氏も、刑事事件として捜査される前に自ら説明責任を果たすことが総理の座にあったものの最低限の務めではないか。

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2011年8月20日 (土)

菅批判を始めた松本健一内閣官房参与

まさに菅政権の末路というべきときである。
松本健一内閣官房参与の菅批判が目につく。
松本氏といえば、20代で『若き北一輝』を書いて注目を浴びた人だ。右翼のエース格を左翼の視点で捉えたと言えようか。
彼の北一輝研究の集大成は、『評伝 北一輝』として、岩波書店から全5巻で刊行された。

その松本氏が、なんで菅内閣の官房参与に、と思っていたら、当時(10年10月)の官房長官・仙谷由人氏と東大の同級生とのことである。
松本氏の菅批判の1つは産経新聞の「復興ビジョン、首相に握りつぶされた」と題するインタビュー記事である。

松本健一内閣官房参与は18日までに産経新聞社のインタビューに応じ、仙谷由人官房副長官が中心となり東日本大震災の「復興ビジョン私案」を3月中に作成したが、菅直人首相はいったん了解しながら最終的に握りつぶしたことを明らかにした。 首相はその後肝いりで「復興構想会議」(議長・五百旗頭真防衛大学校長)を発足させ、会議は6月25日に提言をまとめたが、松本氏は「提言に私たちの案を超える内容は一つもなかった」と打ち明けた。
首相は「仙谷氏が脚光を浴びるのは面白くない」と考え私案を握りつぶしたようだが、これにより復興施策は大幅に遅れた公算が大きい。松本氏は「首相は自分が脚光を浴びつつ『よくやった』と喝采されたいところがある。国民の方を基本的に向いてこなかった」と指摘した。

松本私案の内容がどんなものだったのか分からないが、仙谷氏の態度から推察するに、事実であった可能性が高いと考えられる。
余りにレベルの低い話ではないだろうか。
松本氏は続ける。

東日本大震災発生から5カ月間、首相官邸は空転し続けた。首相は「人間の配置」「法律化のための手順」「お金」の3つをすぐに考えられないといけないんだけど、菅直人首相はそれができない。
「原発を止めろ」というのは思いつきなんだけど、その先の電力の手当てをどうするか。人を使うならその人に任せて「オレが責任をとる」と言わなければならないのに、すべて「自分が自分が」となってしまうんだな…。

しかし、今頃になって批判してもなあ、と思ってしまう。
震災後一刻も早く退陣していれば、少しは状況が変わっていたのではないかと思う。
松本氏は、「週刊文春」110825でも、『菅官邸被災地を見殺しにした「戦慄の内幕」』という“怒りの独占告白”を載せている。

松本氏が首相との会談内容をオープンにして問題になったことがある。
福島第1原発の半径30キロ圏の避難・屋内退避区域について、少なくとも10年間は居住が困難との認識を示したと言ったのに、首相が「私が言ったのではない」としたのだ。
⇒2011年4月14日 (木):本当に精神異常?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(6)
改めて報道記事を引用しておこう。

松本氏は首相との会談後、記者団に首相の発言内容を説明し「原発周辺に当面住めない。10年、20年住めないとなると、住むのが不可能になる」と首相が語ったとした。しかし、この発言が報道されると、首相が松本氏に電話し「私はそういうことは言っていない」と抗議。松本氏は改めて記者団を集め釈明する一幕があった。
http://mainichi.jp/life/housing/news/20110414k0000m010090000c.html

このときの会談には以下のような背景があったことを松本氏が明かしている。

四月十二日に原発事故の評価が史上最悪のレベル7に引き上げられました。十三日には現地で調査活動をしていた京大原子炉実験所の今中哲二助教が、福島県飯舘村の土壌から一平米当たり二千二百キロベクレルのセシウム137を検出し、「人が住むのに適したレベルではない」と発表していました。
・・・・・・
実は文科省も同様のデータを持っていたのですが、「パニックになる」という理由でずっと隠していたのです。

やっぱり「そうだったのか!」と言いたい気持である。
確かにパニックは回避された野かも知れない。
⇒2011年5月27日 (金):情報の秘匿によりパニックは回避されたのか?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(37)
しかし、その代償に、「人が住むのに適したレベルではない」場所に住んでいたのである。

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2011年8月19日 (金)

人心を失っても即退陣しない強大な首相の権力

菅首相が退陣することになった、と言って今回は間違いなさそうである。
6月2日の民主党代議士会で退陣表明したと思わせてから3カ月近く、まさに粘り腰というべきであろう。
この間、菅氏の必死の努力にもかかわらず、内閣支持率は浮上することはなかった。

Photo
時事通信が5~8日に実施した世論調査によると、菅直人首相が訴えた「脱原発依存」社会を目指す考えについて「納得できない」が47.7%で、「納得できる」の40.2%を上回った。また菅内閣の8月の支持率は前月比0.8ポイント増の13.3%でほぼ横ばい。不支持率は前月と同じ71.2%だった。
・・・・・・
一方、次期衆院選の時期について、「できるだけ早く」が33.6%、「年末までに」が21.3%。「来年」の16.4%も合わせると、来年までの衆院解散・総選挙を望む回答が7割に上り、「再来年夏の任期満了まで行う必要がない」の19.8%を大きく引き離した。
http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_cabinet-support-cgraph

私は異端好きというか、概して異端だから、という理由で排除はしないし、してこなかったつもりである。
だから、支持率が低いから退陣すべきだとは思わない。
しかし、菅氏自身の「1%になっても辞めない」という発言には、やはり「No!」と言わざるを得なかった。
⇒2010年11月28日 (日):菅首相の「支持率1%になっても辞めない」発言の真意は?

また、伸子夫人が、「支持率は、マイナスになることはないでしょう……」と言ったと報じられたが、それは傲慢であるというより誤った認識であると考える。
マイナスか否かは、支持率の数字ではなく、「支持-不支持」の正味の支持率で捉えるべきだと思うからだ。
⇒2011年3月 5日 (土):与謝野馨氏は疫病神か?

それにしても、首相の粘りによって、与党の執行部(幹事長)が8月の旧盆前、と想定した時期よりずれ込んだことは間違いない。

政府・民主幹部が26日、菅直人首相の早期退陣で足並みをそろえた。想定する具体的な退陣のタイミングは8月のお盆前。首相交代のバトンリレーの期間をこの時期に設定した背景には、首相による「脱原発」解散を封じる狙いがある。
・・・・・・
なぜ、「お盆前」か。
東日本大震災の発生によって、被災地の首長選や地方議会選が9月22日まで延期されている。これに伴って、常識的には9月22日まで国政選挙を実施するのは困難だとみられている。
ただ、憲法の規定によると衆院選は解散後40日以内に行うとされており、8月中旬以降の解散なら、大震災の影響を考慮せずに選挙を実施できる。逆に言えば、8月上旬までに首相にバトンを手放してもらわないと、「脱原発」解散の可能性が出てくる。
解散回避のために、お盆前までに首相を辞めさせなければならない。

【民主漂流】お盆前退陣目指す執行部 岡田氏「非常にくだらない選挙」の悪夢を懸念

与党の幹事長といえば、権力の中枢である。

二大政党制下では、野党であっても党執行部に権限が集中していくと考える。民主党では、政権交代前からが小沢一郎氏が党代表として、強力な権限を行使していた。特に、新人候補を大量公認した反面、岩國哲人元副代表ら現職候補や当時落選中だった海江田万里氏を「選挙区での活動量が少ない」として党の一次公認から外すなど、「公認権」「資金配分権」を存分に用いて党内権力を掌握した。
http://diamond.jp/articles/print/13585

だからこそ、菅氏は、「脱小沢」に執着した。

解散権は首相の手にある。
そのことが、与党執行部を敵に回しても延命が可能な首相の権力の源泉である。
⇒2011年8月 5日 (金):与党が首相退陣の条件を整えるためにマニフェストを放棄する不可解
小選挙区制では必然的に二大政党化が進む。同時に、二大政党の候補者でさえ落選のリスクが大きくなり、すべての政治家が総選挙を恐れるようになって、「解散権」の伝家の宝刀としての有効性が高まったのだ。
結果として、日本の首相は強力な権限を持っているのである。
次の首相には、そのことをわきまえた人になっていただきたい。

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2011年8月18日 (木)

グーグルがモトローラ買収

Facebookが日本でも急速に増殖しているようだ。
私も、試行的に使ってみたが、利用のメリットを実感するところまでは至っていない。
と思っていたら、SNSとして新しくリリースされたGoogle+(グーグル・プラス)の勢いがすごいらしい。

公開された6月末からおよそ1ヶ月経った8月初めの時点で、登録ユーザー数は2500万人。フェイスブックの75000万人にはもちろんかなわないが、こちらのほうは7年かかっての数字だ。
しかも、グーグル・プラスは、まだ招待制の試行運転期間中にすぎない。それでも話題性も好感度もかなり高く、このぶんでは年末までにツイッターを超えて、フェイスブックに迫る第2のSNSに躍進する可能性もある。
http://diamond.jp/articles/-/13536

SNSは、リアルの社会関係をネット上での社会関係にどう反映するか(あるいは、しないか)が基本的な性格を決める。
フェイスブックにおけるつながりは「第一階層」、マイスペースやミクシィは「第二階層」が中心である。
2
http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110127/218175/?ST=print
その性格の違いをビジネスモデルとして有効に生かせるかが、多くの事業体においても問われることになろう。
おそらく、スマートフォン等のモバイル端末との連携が決め手になると思われる。

おりしもGoogleがMotorola Mobilityを買収するという発表があったところである。

Googleは2011年8月15日(米国時間)、携帯端末メーカーのMotorola Mobilityを125億米ドルで買収すると発表した。Googleは、Motorola Mobilityの株式を1株当たり40米ドルで取得する。この取得額は、8月12日の終値である24.47米ドルに63%のプレミアムを乗せた金額だ。
Motorola Mobilityは、「Android」の開発を推進するために設立された業界団体である「Open Handset Alliance」のメンバーでもある。Googleは、そのMotorola Mobilityを買収することによって、「Androidのエコシステムを大幅に強化でき、モバイルコンピューティング分野における競争力が向上する」と述べている。

http://eetimes.jp/ee/articles/1108/16/news027.html

私はかつて提携していた韓国の企業が、アジア通貨危機の影響で、自力での事業継続が困難になり、モトローラの傘下に入ってしまうという苦い思い出がある。
Googleの狙いはMotorola Mobilityの所有する特許権にあるといわれる。

Googleは、買収によって取得するMotorola Mobilityの1万7000件の特許を盾として、多くの特許侵害訴訟を抱えるAndroidのエコシステムを守ろうとしている。Androidを搭載したスマートフォンは市場でのシェアを確実に伸ばしているが、同時にGoogleとそのパートナー企業に対する特許侵害訴訟の脅威も増加しているのだ。
・・・・・・
同社の最高法務責任者(CLO:Chief Legal Officer)であるDavid Drummond氏は、
2011年8月3日付けの公式ブログの投稿の中で、「Microsoft、Oracle、Appleをはじめとする企業が、偽の特許を使って、Androidに対する“組織的な攻撃キャンペーン”を行っている」と怒りをあらわにしている。
Googleに対する大規模な一斉攻撃で先陣を切ったのはOracleだ。Oracleは2010年8月、AndroidがJavaプラットフォームに関する複数の特許を侵害しているとして訴訟を起こしている。Drummond氏はブログの中で、Androidを採用するBarnes & Noble、High Tech Computer(HTC)、MotorolaおよびSamsung Electronicsといったメーカーに対して別途起こされた訴訟についても言及した。
Apple、EMC、MicrosoftおよびOracleは、より地道なAndroid対抗策として、コンソーシアム「CPTN Holdings」を設立し、Novellが所有する882件の特許を買い取ろうとしていた。これらの特許は、Linuxなどのオープンソースのソフトウェアを含むさまざまな分野で用いられている。このため、オープンソース推進団体などが懸念を表明、米国司法省が2011年4月に、これら4社に対して、特許購入の取引を見直すよう求めた。
ところが2011年7月、Googleにとって大打撃となる動きが起きる。Apple、Microsoft、Research in Motionなどが参加するコンソーシアムが、Nortelが所有する6000件の特許を45億米ドルで購入したのだ。これらの特許のうちの多くが、無線通信の基礎技術に関するものだという。この動きを受けて、Googleは急きょIBMから1000件の特許を購入したが、これでは十分な対応策とはいえないだろう。

http://eetimes.jp/ee/articles/1108/17/news089.html

まさに、生態系における遷移のごときビジネス勢力図の塗り替えである。
Googleは、ユーザーが多ければそれだけ利便性が高まるという「ネットワーク効果」を最も有効に活用してきた企業である。
SNSやモバイル端末を含め、ビジネスモデルの勝者は誰か?
私のようなビジネスの第一線からは身を退いている高齢者にとっても、まことに興味深いことだが、プレイヤーとして日本企業が登場していないのには、いささか寂しい思いがする。

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2011年8月17日 (水)

サイバーテロのリスクマネジメント

サイバーテロに対する注目が高まっている。
雑誌「WEDGE」の1108号で、『サイバーテロ』の特集をしている。
同記事によれば、「サイバー攻撃代行サイト」なるものがあるという。
依頼を受けて、特定のウェブサイトをダウンさせてサービスを停止に追い込んでくれるという。
代行サイトのほとんどがロシア語か中国語で、たとえばあるロシア語サイトの場合、1時間5~6ドルで請け負うという。攻撃終了後には、レポートの提出までするそうだ。

サイバー攻撃の質が、不特定多数のサイトを面白半分に狙う愉快犯から、特定の個人や組織を狙う「標的型」に変化している。
目的も、情報窃取などである。
不特定多数への攻撃に対しては、ウイルスソフトを入れるレベルでよかったが、「標的型」の場合は、特定のターゲットだけが感染する。

手口としては、社内の誰かのメールアドレスにメールを送りつける。
送信元のアドレスが「go.jp」や「dpj.or.jp」のように政府や民主党などを偽装し、表題や本文も東日本大震災や福島原発事故などの興味を惹きそうなものにしてある。
不正と思わずメールを開いてしまうと、組み込まれた不正プログラムが作動して、管理者権限が奪われて内部情報が送信される。

産経新聞も8月8日の「主張」で取り上げていた。

官庁や大企業などに不正プログラムを仕組んだメールを送り、機密情報を盗み出す「標的型メール」などを通じたサイバーテロの脅威が急速に高まっている。
最近も防衛省や経済産業省が攻撃を受けた。公文書に見せかけたメールを開くと、ウイルスが侵入して安全保障や原発関連などの重要情報が盗まれる仕組みで、厳重な警戒が必要だ。
今年の「警察白書」もサイバーテロについて多くの事例を挙げて特集した。警察庁自身が受けた攻撃もその一つで、昨年9月16~18日にかけて同庁ホームページに大量データが送付され、機能マヒに陥った。長時間閲覧も接続もできない状態が続いたという。
白書によると、中国最大規模のハッカー集団「中国紅客連盟」と称する組織は、尖閣諸島の中国領有権を主張する民間サイトで、日本の政府機関などにサイバー攻撃を行うよう呼びかけていた。
・・・・・・
企業の被害も目立つ。4月、ソニーがハッカー集団の不正侵入を受け、子会社を含めて世界で1億人分超の個人情報が流出した。サービス復旧に2カ月半もかかり、住所、氏名、クレジットカード番号などの流出は利用者に深刻な不安を与えた。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110808/plc11080802460000-n1.htm

何とも物騒な世の中になったものだ。
私は、ハッカーは愉快犯的なものだと思っていたが、特定の相手に狙いを定めた攻撃が可能ということだ。
攻撃を仕掛ける側は、自ら「アノニマス」と名乗ったように、匿名だから正体不明の相手と戦わなければならない。

1億件もの個人情報が流出したというソニーグループでは、この事業に11年度だけで140億円の費用を計上した。
企業イメージの低下など評価不能の損害まで含めれば甚大な被害といえよう。
サイバー攻撃の場合にも、ハインリッヒの法則が成り立つわれる。
Photo社会全体で情報共有することが有効であることは理解されている。
しかし、インシデント情報は風評被害等をおそれて、表面化しづらい。

2011年版防衛白書でも、政府や自衛隊に対するサイバー攻撃が「国家の安全保障に重大な影響を及ぼし得る」として、防御体制を強化する重要性を強調している。
読売新聞の社説(8月3日)は次のように書いている。

昨年までの白書は「国際社会の課題」の章で、サイバー攻撃を、大量破壊兵器の拡散、国際テロに次ぐ課題と位置づけていた。今年は、第一の課題に格上げした。
サイバー攻撃には、コンピューター網への不正アクセスによる情報の改竄、窃取や大量のデータ送信による機能阻害などがある。
米軍では、情報通信網にウイルスが侵入し、情報が外部に流出しかねない事態が発生している。
米国防総省は先月、サイバー攻撃を「戦争行為」とみなし、軍事報復も辞さない新戦略を公表した。サイバー攻撃の多くは中国国内が発信元とも指摘している。
日本のサイバー対策は、十分だろうか。政府は昨年5月、セキュリティー戦略をまとめ、今年3月、初の図上演習を実施した。自衛隊も、ようやくサイバー防護隊の創設に動き始めた段階である。
民間の専門家を登用し、研究部門を充実させて、最新の対策を導入することが重要だ。米国など関係国と連携し、防御能力を向上させることも求められる。

http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110802-OYT1T01132.htm?from=y10

現状は、サイバー攻撃のパンデミックが起きているようなものだという。
基本は各自の対策だろうが、それだけでは充分ではないということだろう。
現代社会が抱え込んだ脅威の1つである。

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2011年8月16日 (火)

科学観と方法論/梅棹忠夫は生きている(5)

佐倉統氏の『梅棹忠夫と3・11』(中央公論1108号)について書いてきた。
サブタイトルは「私たちは科学技術とどう向き合っていくのか」である。
今、もっとも考えなければならないテーマについて、梅棹忠夫というもっとも好奇心をそそられる視点から論じられている。

例によって、勝手気ままに感想を記していたところ、当の佐倉氏からコメントをいただいた。
私のごとき者のブログにまで目を通していただき、恐縮の極みである。もちろん、誤読している可能性は大いにあるが、それも含めて1人の読者の感想として書いておきたいことを書く、というスタイルは維持したいと思う。
⇒2011年7月31日 (日):アマチュアリズム/梅棹忠夫は生きている(4) 

さて、佐倉氏は、「3・11後の科学技術」を考える際に、乗り越えるべき梅棹の思想として、次の2点を挙げる。
①梅棹の科学観
②個体差を無視したシステムにのみ注目する方法論

①の「科学観」については、湯川秀樹との対談『人間にとって科学とはなにか』中公新書(6705)に彼の科学観がよく表れている、とする。
私も、一度触れたことがある。
⇒2010年7月19日 (月):人間にとって科学とはなにか/梅棹忠夫さんを悼む(7)
佐倉氏は、この対談に表れている梅棹忠夫の科学観の特徴を、老荘思想にみる。
そして、梅棹は、基本的にニヒリストで、価値相対主義者の傾向が強い、としている。

これは、まさに梅棹自身が認めているところである。
小山修三氏を聞き手として最後に語った『梅棹忠夫 語る (日経プレミアシリーズ)』日本経済新聞出版社(1009)で次のように言っている。

わたしは基本的に老荘の徒やから、ニヒリズムがある。

佐倉氏は、梅棹のニヒリズムの表れとして、「科学的方法に限界があることを認め、人間を理解するためにはまったく不十分であるという指摘」が、現在ますます有効な示唆である、と評価する。

しかし、一方で、梅棹の科学観の限界を、エリート主義として批判する。
梅棹が、科学には訓練が必要であり、教育しなければ納得できないとして、次のように言っていることに関してである。

科学というものは、非日常的なものを考えるから科学になるのであって、日常体験の中からは科学は出てこないということですね。

佐倉氏は、梅棹のこの言葉は間違いではないが、リビング・サイエンティストならば、非日常の世界で得られた知識や自然観を、もう一度日常生活の中に投げ返す視点が必要ではないか、とする。
生活者の視線とプロのレベルの質の両立である。
佐倉氏は、“ひょっとすると”梅棹が、思想はアマチュア化できても、科学はできないと思っていたかもしれない、としている。

これは、「思想」と「科学」をそれぞれどう定義するかの問題ではなかろうか。
先端的な科学の探求そのものに、アマチュアの介入の余地がないことは当然であろう。
しかし、それが社会に対して持つ意味や評価に関しては、アマチュアが介入する余地があるだろう。場合によっては、アマチュアがイニシアティブを発揮すべき場合もあるのではないか。
それを、思想と言えば言えないこともないのではないか。

②の「個体差を無視したシステムにのみ注目する方法論」については、梅棹の議論は、情報産業論にしろ妻無用論にしろ、すべてシステムの動向であって、個体の行動や活動や生活が反映される余地がない、と批判している。
梅棹は、データを集めるときは徹底した生活者目線で、個人の水準で動き回って集める。そうして集めた膨大なデータを、一気に俯瞰してシステムとして把握する。
佐倉氏は、外部の参照点と対比して俯瞰しシステムの特性を捉えるところに、梅棹の方法論があるとしている。
情報文明論の場合、内部はテレビ業界で外部は学校や宗教活動というように、である。

佐倉氏は、その俯瞰のスキルを見事なものとして評価するが、ひとたび鳥の目を獲得してしまうと、虫の目を放棄してしまう、とする。
システムと要素の相互連関が捨象されてしまうというのだ。
そして、“例外として”初期の生態学の研究を挙げる。
それは、オタマジャクシを材料に、個体間の干渉関係から、集団の分布の特性を数理的に探究した博士論文である。

佐倉氏は、その研究に、最高級の讃辞を贈る。
しかし、「微妙な個体差が社会の構造に影響する可能性を全然考慮しないのは、あまりにも俯瞰的にすぎないか」と疑問を投げかけるのだ。
最近の「個体ベース・モデル」のコンピュータ・シミュレーションでは、微細な個体差が大きな構造の変化の原因になる場合が、決して少なくない。

確かに、いわゆる複雑系においては、ほんのわずかな条件の差異が、予想外の結果をもたらすことが明らかにされている。
いわゆるバタフライ効果ーアマゾンを舞う1匹の蝶の羽ばたきが、遠く離れたシカゴに大雨を降らせる、である。
より一般化した表現では、「初期条件のわずかな差が時間とともに拡大して、結果に大きな違いをもたらす。そしてそれは予測不可能」ということになる。

佐倉氏は、次のようにる。

科学技術と社会の関係を考えるときにも、どこの、誰が、いつ関わっているのかによって、扱いは千差万別だ。

確かに、佐倉氏の指摘しているように、原発の問題について考えれば、「どこの、誰が、いつ関わっているのか」は重要である。
あるいは、公害問題や災害問題、あるいは公共事業に係る諸問題についても同じことだろう。
言い換えれば、これらは代表的な複雑系の問題ではないだろうか。

梅棹がオタマジャクシを対象にして学位論文となる研究をしたとき、今風にいえば、複雑系に対する関心があったのではないのだろうか。
そして、佐倉氏もいっているように、その頃はツールとして手回し計算機しか使えなかった。私も学生時代に使ったことのあるタイガー式というタイプであろう。

それは時代の制約である。
梅棹の限界というよりも、研究段階の問題だと思う。
特許の要件とのアナロジーでいえば、梅棹の研究には、新規性も進歩性もあったが、進歩性は一足飛びには進まないということであろう。
⇒2007年10月23日 (火):選句の基準…③新規性と進歩性

私も、科学技術者自身に、日常生活との関わりを意識して欲しいし、意識すべきだと思う。
梅棹はその点に関しても、抜きん出た問題意識があった。
であればこそ、佐倉氏も讃辞を惜しまないレベルの研究がなされたのではないだろうか。

何よりも、博物館の思想がまさに科学技術と社会との関係を示す象徴ではないだろうか。
梅棹が批判されなければならないとしたら、民博のコンセプトや展示のコンテンツあるいは展示の方法論であるとおもう。
佐倉氏は、そのことについては、直接触れていない。

「どこの、誰が、いつ関わっているのか」は、ひと昔前の言葉でいえば「階級性」の問題でもある。
あるいは、受益者と負担者(あるいはステークホルダー間)の利益均霑の問題と言い換えることもできよう。
佐倉氏の指摘は、ひらたく言えば「専門バカ」になるな、ということではないかと思う。
それは60年代末の大学紛争のとき以来のテーマでもある。

私自身は、専門家の第一義的な責務は、「プロのレベルの質」ではないかと思う。
そして、それをとことん追求すれば、多くの領域において、社会との関わりも果たすことになるのではないだろうか。

企業の場合でいえば、CSR(企業の社会的責任)である。
メセナとかフィランソロピーも結構であるが、先ずは本業において、CSRを果たすべきであろう。
「専門もバカ」な研究者よりも、「専門バカ」の研究者の方が好ましいのではないか。

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2011年8月15日 (月)

石井美千子人形展「昭和のこどもたち」

既に「昭和は遠くなりにけり」という感懐は、多くの人が共有するところではなかろうか。
その昭和は、20年8月15日を境として、大きく変わった。
昭和20年8月15日から、「戦後」が始まった。そして、「3・11」によって、「戦後」は終わり、「災後」へ移行した言われる。
まさに「災中」だともいえるが、それはやはり後遺症と呼ぶべきであろう。

お盆の親戚の集まりのとき、石井美千子さんという人形作家の「昭和のこどもたち」という作品展が話題となり、私も観てきた。
Photo_2

石井美千子さんの名前は今まで目にしたことはなかった。
Wikipedia(110622最終更新)によれば、以下のような略歴である。

1953年 福井県福井市に生まれる。生後間もなく母が亡くなる。
1959年 この年から14歳まで
児童養護施設で育つ。
1971年
学習研究社入社。
1973年
東京デザイン専門学校に入学。
1975年 東京デザイン専門学校を卒業し、デザイン会社に勤務。
1977年
結婚。長男の出産と共に義祖母の介護をする。
1983年 長女を
出産。間もなく義祖母がなくなり、介護生活は終止符をうつが、自身が結核発病し、闘病生活に入る。
1987年 桐塑人形作りの基礎勉強を始める。
1993年
東京都中野区の嫁菜の花美術館にて、初の個展である『昭和のこどもたち』展を開催。
1995年
阪神百貨店主催『昭和のこどもたち』展を開催。この展覧会がきっかけとなって以後、全国各地で展覧会を開催。

「昭和のこどもたち」は、全国で150万人以上を動員しているといい、「昭和30年代ブーム」の1つの要因にもなっているらしい。
確かに、私たちの同世代にとっては、「うん、あった、あった」という情景が多い。
失われた故郷、コミュニティ、時間……。
私も、間違いなく、「昭和のこどもたち」の1人であった。

8月は、鎮魂の月ともいわれる。
敗戦、旧盆、日航ジャンボ機墜落……。
東日本大震災の年、8月にふさわしい展示会であった。

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2011年8月14日 (日)

退陣菅内閣の「7つの大罪」論と後継内閣の責務

やっと、と言うか、とうとう、と言うか、菅首相が退陣表明をした。

民主、自民両党は12日午前、国会対策委員長会談を開き、再生可能エネルギー特別措置法案について、19日に衆院を通過させることで合意した。
同法案は、26日までに成立する見通しで、菅首相(民主党代表)は、成立後直ちに正式に退陣表明する。一方、首相は12日午前の閣僚懇談会で、退陣の意向を明言し、「最後の最後まで全力を挙げて、責任を果たしてほしい」と指示した。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110812-OYT1T00474.htm

11日の参院予算委員会では、自民党の小坂憲次氏が菅首相の「7つの大罪」を挙げていた。
http://ameblo.jp/hinomaru-vibes/entry-10982765652.html

1.実現不可能なマニフェスト
2.思いつきの政策
3.法に基かない行政
4.不適切な組閣人事
5.危機管理能力の欠如
6.政治と金の問題
7.国益を損なう外交

いずれももっともなものだが、自民党政権時代はどうだったのか、とツッコミを入れたくなる。
「1.実現不可能なマニフェスト」は、菅政権というよりも民主党全体の問題だと認識すべきだろう。
民主党衆院議員は、自分の立場に正当性がないことを自覚しなければならない。
菅首相がふりかざした、次の総選挙までの間は独裁が許される、という論理も、マニフェストを誠実に履行する中でこそであろう。
「マニフェストの基本的な方向性は正しい」などということに意味はない。マニフェストは実現されてこそナンボのモノである。
少なくとも実現に向けて努力すべきであることは言うまでもない。
⇒2011年8月 5日 (金):与党が首相退陣の条件を整えるためにマニフェストを放棄する不可解

「6.政治と金の問題」については、是非後継内閣の手で真相を明らかにして欲しい。
菅氏は、田中角栄批判に乗り政界に登場した。そして、自他共に認める角栄の弟子・小沢一郎氏の「政治と金」については、ことのほか熱心に追及しようという姿勢であった。
他人を批判するのなら、自身はどうかということになる。
⇒2011年8月 3日 (水):形式的な法令遵守(コンプライアンス)だけでは問題を見逃す
⇒2011年8月 1日 (月):次第に明らかにされていく菅首相の献金疑惑の闇
⇒2011年7月18日 (月):市民には快挙の感動が湧き、市民運動家には疑惑が明らかに

その他の点についも言っておきたいことはあるが別の機会にしたい。

菅氏が退陣という選択肢を選ばざるを得なくなった背景として、田中秀征氏は、次の3つを挙げている。
菅首相の進退が窮まった「3つの誤算」
(1)首相が示した退陣3条件が一気に整いつつあること。
(2)首相退陣を前提とした民主党代表選が事実上始まってしまったこと。
(3)大手メディアが菅退陣で足並みを揃えたこと。

私にとっては、朝日新聞の論調の変化についての指摘が興味深かった。
ほとんど官邸の御用新聞と化しているかに見えたが、さすがにかばい切れなくなったということだろう。

首相に好意的と思われてきた朝日新聞が、ここに来て論調を大きく変えた印象がある。首相は「朝日よ、お前もか!」の印象だろう。
・・・・・・
これは8月8日発表の朝日の世論調査結果と無関係ではないだろう。
脱原発依存を表明した菅首相の発言を「評価する」 人が61%もあるのに、内閣支持率はさらに低下して14%となったのである。
すなわち、脱原発の是非と菅首相の是非は多くの人たちにとって別個の問題であることが一層はっきりしたのだ。
むしろ、菅首相が脱原発を叫ぶと、せっかくの脱原発の流れを弱めかねない状況となりつつある。

菅氏は、「脱原発」の首相として歴史に名を残したかったのだろうが、世論は菅氏の思惑などお見通しである。
「脱原発」をアピールするならば、原発なき社会への到達プロセスのイメージくらいは出す必要がある。でなければ「基本的な方向性は間違っていない」という無意味な弁解を繰り返すことになる。
後継内閣もその辺りを見間違えてはならないだろう。
復旧・復興に全力を尽くし、なるべく早期に総選挙を実施できるようにすること、つまり選挙管理内閣というのが、後継内閣の基本的な性格の1つであるとせざるを得ない。

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2011年8月13日 (土)

予兆を感知できるか?/闘病記・中間報告(26)

サッカーの元日本代表DF、松田直樹選手の突然死にはビックリした。
同選手は、1996年のアトランタ、2000年のシドニーの代表に選出され、年齢制限のあるサッカーのオリンピック日本代表としては、数少ない2大会連続出場選手だ。

2011年にはJFLの松本山雅FCと契約。背番号はマリノス時代から引き続き3番をつけた。 同年8月2日午前、同チームの練習中に突然倒れ、心肺停止の状態で信州大学医学部附属病院高度救命センターに緊急搬送された。病名は「急性心筋梗塞」と発表された。人工心肺を付け、途中心拍が微弱ながら戻ったが、8月4日午後1時6分頃、同病院で34歳の若さで死去。
Wikipedia110811最終更新

それにしても、去年の木村拓也コーチの場合でも、身体能力が一際優れているはずの人たちが、あっ気ないと思う。
⇒2010年4月11日 (日):中間報告(3)初期微動を捉えられるか
心筋梗塞にしろ、脳卒中にしろ、なんとか予兆を感知することはできないものだろうか?

「週刊現代」110820・27号は、『ああ、あれが病気の始まりだったのに』という記事に、「予兆はあったのに、多くの人が見逃してしまう」というサブタイトルをつけていた。
がん・心筋梗塞・脳梗塞・糖尿病・認知症ほか、とある。
本当に予兆があるのか?
私にも、予兆はあったのか?

突然死の代表格としてもう一つ挙げられるのが脳梗塞。心筋梗塞は心臓への血流が止まるが、脳梗塞は脳の梗塞を起こした部分への血液が止まる。いずれも生死にかかわる大病だ。

書き写しているだけでも恐ろしくなる。
脳梗塞は脳卒中の70%を占める。
心原性脳塞栓症、アテローム血栓性脳梗塞、ラタナ梗塞の3タイプがある。

元NHKアナウンサーの山川静夫さんが罹患したのが、心原性脳塞栓症で、不整脈が予兆として現れることが多い。
山川さんは、「飲んで家に帰ると、心臓が尋常でなくドッキンドッキンと音を立てて大きく打つ。しかも鼓動のリズムが不規則でおかしい」と振り返る。
しかし「そのまま寝てしまって朝になると治っているので、すぐ忘れてしまう」とある。
「尋常でなく」とか「おかしい」というのは、程度の問題であるから、「後で思えば」ということで、前兆として捉え、対処できる人がどれくらいいるだろうか?
私は、健康診断等で、不整脈を指摘されたことはなかった。

ラクナ梗塞の場合は、ほとんど前兆は見られない。
MRIで微細な脳梗塞が発見されることがあり、「無症候性脳梗塞」という、とある。
健常な場合、MRIの検査をするひとがどの程度いるのだろうか?
私は発症後はじめて、MRI検査を受けた。
以前からあったと推測される微細な梗塞も見られるということだが、「無症候性」では、前兆現象とはいえないだろう。

アテロームは、一過性脳虚血性発作(TIA)が出る場合がある。
TIAは軽い脳梗塞、というより重い脳梗塞の前触れである、という。
脳梗塞の症状が、長くて30分、短ければ数分、多くの場合は10~20分程度現れる。
脳梗塞に罹ったことがない人間がTIAと認識するのは、きわめて難しいのではないか。

脳出血もくも膜下出血も、基本的には前兆はない、か捉えにくい。
最大の要因は血圧であり、血圧については、常時ウオッチングしておくことが重要というのが結論のようだ。

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2011年8月12日 (金)

宮沢賢治『無声慟哭』/私撰アンソロジー(5)

人は自分の人生に深く考えようとするとき、ひとり旅に出る。
賢治は、妹の死の翌年、教え子の就職斡旋の名目で樺太を訪問し、その心象を『オホーツク挽歌』という作品として形にした。
⇒2011年8月11日 (木):宮沢賢治『オホーツク挽歌』/私撰アンソロジー(4)

「春と修羅」の挽歌群の中で、「永訣の朝」、「松の針」に続く作品に『無声慟哭』がある。

慟哭:大声をあげてなげき泣くこと(広辞苑第六版) 

ならば、無声慟哭とは?
余りに悲しいと、その感情は言葉にならない。

私も偶々、賢治と同じ26歳の時、3つ下の妹を亡くした。
こんなに悲しいことがあるのだろうか、と思った。
40年経ってなお、幼い頃一緒に遊んで過ごした情景などが思い起こされる。
手を引いている感触まで甦る気がするのだ。

Photo_3

信仰を一つにするたつたひとりのみちづれ。
賢治は、熱心な法華経信者だった。妹もそうだったのだろう。
しかし、実家は浄土宗で、周囲からは冷たい目で見られることもあったに違いない。
そういう状況では、「信仰を一つにするたつたひとりのみちづれ」がどんなに支えになっていたか。
その妹はもういないのだ。

  おまへはじぶんにさだめられたみちを
  ひとりさびしく往かうとするか

妹は独りで死んで行く。
しかし、どうしてやることもできないのだ。

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2011年8月11日 (木)

宮沢賢治『オホーツク挽歌』/私撰アンソロジー(4)

もう5カ月目の11日である。
東北といえば、宮沢賢治の名前を思う人は少なくない。
早稲田大学グリークラブのチャリティ沼津公演においても、『永訣の朝』が歌われた。
⇒2011年5月22日 (日):早稲田大学グリークラブによる宮沢賢治『永訣の朝』

8月6日の産経新聞に、福島敏雄論説委員の『ツイッター詩の可能性』という文章が掲載されていた。
福島在住の和合亮一氏という詩人の、ツイッターに詩作を紹介したものである。 
和合氏の詩は『詩の礫』と『詩ノ黙礼』として既に単行本化され、評判になっている福島氏はそのことに触発された、と書いている。

「あめゆじゆとてちてけんじや」
大正11年11月27日、宮沢賢治は「永訣の朝」と題する詩を書いた。このコトバはそのなかにでてくる畳句(ルフラン)で、「あめゆきをとってきてください」という意味だそうだ。
この日、賢治の2つ年下の妹で、結核におかされたトシ(とし子)は岩手・花巻の自宅で、死の床にあり、熱に苦しんでいた。頼まれた賢治は、みぞれが降る戸外に「まがつたてつぽうだま」のように飛びだし、椀(わん)に雪を盛って、トシに食べさせた。その夜、トシは死んだ、24歳だった。
はじめて読んだとき、意味もわからないこのコトバに、胸をつかれた。いま思えば、日本語というコトバの「豊かさ」に驚いていたのであろう。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110806/trd11080603260001-n1.htm

たしかに、私も意味もよく分からないで読んだ。
しかし、不思議な訴求力をもって迫ってくる。

「一個人」1107月号は、「美しい日本の言葉」という特集を組んでいる。
“日本人を元気にするこころの言葉”とあるから、震災に遭った日本人、ということが趣旨であろう。
その中に、「夭折した二人の天才詩人」と題して、金子みすゞと宮沢賢治が取り上げられている。
金子みすゞは、発災直後のCM自粛期間中に繰り返し放映されたAC(公共広告機構)でおなじみだろう。
宮沢賢治も、たとえば詩誌「ユリイカ」の1107月号で「宮沢賢治-東北、大地と祈り」という特集に見られるように、“祈り”を喚起する言葉から選ばれたのだろう。

宮沢賢治記念館副館長の牛崎敏哉氏は、産経新聞に次のような文章を寄稿している。

今回の東日本大震災において、「雨ニモマケズ」やいくつかの宮沢賢治作品が、日本のみならず世界各国で、明日への復興に向けた「祈り」や「願い」として受け止められ、紹介されています。
宮沢賢治は、自ら「イーハトーブ」と名付けた岩手県において、その生涯を過ごしました。童話集(大正13年刊)の序文において、「これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです」と述べているように、賢治は自然の中で生き、生かされてきた人でした。ただその大自然は、決して人間に優しいばかりではなかったのです。
賢治は明治29(1896)年8月生まれですが、その2カ月前には死者2万人をこす明治三陸地震津波がおこり、また誕生の数日後には、岩手と秋田の県境に最大震度7と推定される陸羽(りくう)地震が起きています。そして没年の昭和8(1933)年3月には、昭和三陸地震津波により再び大被害を受けましたが、賢治の命日は、それから半年後のことでした。

http://www.sankei.jp.msn.com/life/print/110606/art11060608130001-c.htm

「一個人」の記事の書き出しは、次のようである。

人はなぜ旅に出るのだろうか。旅先で人は何を見出すのだろうか。岩手県立花巻農学校教諭をしていた宮澤賢治が、花巻駅から青森駅に向かったのは一九二三年七月三一日のことである。

一九二三年は大正一二年、すなわちトシ(子)の死の翌年である。さらに翌年に、心象スケッチ『春と修羅』を自費出版している。
その『春と修羅』の中に、「オホーツク挽歌」という章があって、「青森挽歌」「オホーツク挽歌」「樺太鉄道」「鈴谷平原」「噴火湾(ノクターン)」という5篇の詩から成る。
「挽歌」は、妹の死を悼むものだ。
Photo

妹の死を受け止めきれていない賢治だ。
自然は冷酷なものだ。
震災は一挙に、このような悲しみを不条理にも、もたらした。

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2011年8月10日 (水)

「10シーベルトの放射線」の意味するもの/原発事故の真相(6)

今月1日の、東電福島第一原発で、10シーベルト/時以上の放射線を測定した、という発表には驚かされた。

3 事故後に測定された放射線では最高値で、一度に浴びると確実に死に至る量だ。放射線源は不明。発電所周辺のモニタリングポストの計測値は上がっておらず、環境中への放射性物質の漏れは確認されていないという。
東電によると、毎時10シーベルト以上が測定されたのは主排気筒の根元付近。原子炉格納容器の圧力を下げるためのベント(排気)の際に気体が通る「非常用ガス処理系」の配管が主排気筒につながるところで測定された。
1日午後2時半ごろ、がれきの撤去により放射線量がどれくらい下がったかを調べるため、防護服を着た作業員3人がこの部分の配管の表面を外側から測定したところ、器具の測定上限である毎時10シーベルトを示した。実際の線量は10シーベルト以上とみられ、管の内部はさらに高い可能性があるという。

http://www.asahi.com/national/update/0801/TKY201108010451.html

先ず、その強度である。
改めて、3月14日、3号機で水素爆発が起きた時のニュースを振り返ってみよう。

3号機近くにある中央集中制御室には13~15人残り、炉内へ冷却水を注入する作業を継続している。格納容器周辺の放射線量に大きな変動はみられない。午前11時30分現在、残存した原子炉内の燃料棒は、上部約1・8メートルが冷却水から露出し、危険な状態が続いている。発電所正門付近の放射線量は1時間あたり50マイクロ・シーベルトで、同44分には20マイクロ・シーベルトに低下した。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110314-OYT1T00313.htm

50マイクロシーベルトである。
マイクロは100万分の1を意味する。
それだけの強度の放射線が今まで測定されていなかった、というのが驚きの第一である。
私たちは、原発事故の真相について、何ほどのことが分かっているのだろう。

枝野官房長官は、「ただちに健康に影響はない」と言い続けてきたが、「ただちに」でなければ影響がある、という意味だろうか?
もし、そうならば、この言い方は欺瞞であろう。
メルトダウンを認めたのは、2カ月後の5月12日であった。
⇒2011年5月16日 (月):フクシマの現状と見通しは?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(30)

誰の言うことを信じたらいいのか?
⇒2011年5月25日 (水):誰を信じればいいのだろうか?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(35)

枝野氏は上記のような様子だし、細野原発事故担当相は、「パニックになる」という理由で、情報を開示しなかった。
⇒2011年5月26日 (木):情報を隠蔽していた(ウソをついていた)のは誰か?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(36)
⇒2011年5月27日 (金):情報の秘匿によりパニックは回避されたのか?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(37)

やはり、フクシマの危険性を「事前に」警告してきた人の意見を聞きたくなる。
その1人、高木仁三郎氏はもういない。
⇒2011年7月30日 (土):地震・津波による原発災害を予見していた高木仁三郎と市民科学者育成のための「高木学校」

広瀬隆氏も原発の危険性について指摘してきた人である。
広瀬氏は週刊朝日連載の『原発破局を阻止せよ!20』(8月19日号)で次のように言っている。

一体、この異様な放射能の発生源はどこだろうか……東電が言うように主排気筒近くだけであるはずはない。
・・・・・・
この放射線を発しているのは、2号機近くである。仮に最悪の事態を推測するなら……その格納容器は、爆発によって底が抜けて、メルトダウンした灼熱のウラン燃料が地底にめりこんでいるとも言われる。
・・・・・・
(東電の推測の通りだとすれば)事故直後からメルトダウンした燃料のかたまりが格納容器に流れ込み、トンデモナイ量の放射性物質が福島の大気中に放出されたことになる。

中部大学の武田邦彦教授は次のように整理している。

福島原発で10シーベルトが観測されたというのは、その辺の瓦礫や建物、地面などが「300億ベクレル」の放射性物質があるということです。
・・・・・・・・・
この300億ベクレルというのはどういう数字かというと、
1) 福島原発全体の放射性物質量  約6亥ベクレル(土偏と思う)
2) 漏れたと推定される量     100京ベクレル
3) 福島原発の近くに100分の1があるとして、 1京ベクレル
4) 今回の量   300億ベクレル
5) 福島原発付近にあると思われる量に対して、今回の量は、300万分の1
ということです。つまり、福島原発の掃除では問題になりますが、社会には影響のない量です。
http://takedanet.com/2011/08/10_1367.html

それにしても、政府や東電のいうような「順調に収束にむかっている」状況とは思えない。
作業員の労働環境や原子炉の安全性は、本当はどう考えるべきなのか?

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2011年8月 9日 (火)

高田松原の松を大文字の送り火に使用する計画が風評で中止に

陸前高田市の名勝の松並木が津波で流されてしまった。
約7万本あったものが、1本だけ残った。
⇒2011年6月 9日 (木):宮脇昭氏の講演と「ぬまづの森」の試み

この流された松を、京都の大文字の送り火に利用しようというプロジェクトの話を聞いたとき、これぞ鎮魂にふさわしいと思った。
Photo_3
陸前高田の松を大文字送り火にプロジェクト

ところが、このプロジェクトが放射能汚染を心配する声で中止になった。
Photo_4 
「放射能が不安」被災松使った送り火中止へ

東日本大震災で津波になぎ倒された岩手県陸前高田市の景勝地「高田松原」の松で作った薪(まき)を、京都の伝統行事「五山送り火」の大文字で燃やす計画が中止になった。放射能汚染を心配する声が京都市などに寄せられたためという。放射性物質が含まれていないことは検査で確認したものの、主催する地元保存会は「世論をみて難しいと判断した」。400本の薪に書かれた鎮魂の思いは、広がり続ける放射能不安にかき消された。
計画は、高田松原の松が薪になって売られていることを知った大分市の美術家、藤原了児さん(61)が発案。京都の「大文字保存会」に呼びかけて、震災で亡くなった家族や復興への思いを書いた薪を、五山の送り火で燃やそうと準備を進めていた。
だが企画が報道されると、「放射性物質は大丈夫か」「灰が飛んで琵琶湖の水が汚染される」などと不安がる声が、保存会や京都市に電話やメールで数十件寄せられた。
市と保存会は7月下旬、すべての薪を検査し、放射性物質が検出されないことを確かめた。保存会では「これで大丈夫」との意見が出る一方、牛肉などの放射能汚染が問題になる中で、「放射能への不安を完全に取り除くことは、世論をみると難しい」という慎重論が消えず、苦渋の決断をしたという。

http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK201108070083.html

誠に残念である。
大文字をはじめとする五山の送り火は、京都の夏の夜を彩る一大イベントである。
夜空に浮かび上がる絵文字は、日頃はまるっきり思慮の外にある先祖から受け継がれてきたモノを思わせてくれる機会となる。

誰がどういう抗議をして、誰が判断したのだろうか?
「すべての薪を検査し、放射性物質が検出されないことを確かめた」のならば、風評以外の何ものでもない。

放射能については、「正しく恐れよ」といわれる。
科学的な根拠に基づいて判断せよ、ということであろうが、専門家でないわれわれには難しいことである。
であるからこそ、全量検査をしたのであろう。
その結果、「射性物質が検出されない」ならば、過剰防衛と言わざるを得ない。

ひょっとしたら、恐れたのは放射能ではなく、世論とか空気といった圧力だろうか。
それとも、(同和問題についてとかく言われているように)圧力をかけることが利権につながることもあるのだろうか。

結局、用意された薪は地元で燃やされたという。

陸前高田市では8日夜、被災者の思いを綴った使われなかった薪が「迎え火」として燃やされた。参加した女性は「こうやって頂けるだけでよかった」と涙を流す。
スタジオでは、陸前高田市に祭りの取材に行ってきたばかりの赤江珠緒キャスターの表情がこわばっている。
「『五山の送り火』には魂を慰めるためとか、国の安寧という意味合いがあるにもかかわらず、名折れですよ」
五山の送り火では、被災地の人たちのメッセージが別の護摩木に書き写され燃やされるという。そんなことやられれば、かえって被災地の人たちは複雑な心境だろう。高田松原の松だから意味がある。
http://www.j-cast.com/tv/2011/08/09103905.html?p=2

さすがに中止の決定については批判の声が相次いだという。大文字にはまだ間がある。
こういう意思決定を拙速というのではなかろうか。
京都のために残念なことと言わざるをえない。

[付記]
拙速:仕上りはへたでも、やり方が早いこと。「兵は―をとうとぶ」「―を避ける」巧遅(広辞苑第六版)
とあった。この場合については、適切ではないか?

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2011年8月 8日 (月)

「3・11」と日本の「戦後」

このブログの第1回は、2007年の8月8日だった。それから満4年。
途中、発症と入院でやむを得ず中断したが、それ以外は継続している。何事にも飽きっぽい私であるが、連続出場にも価値があるという気持ちで続けてきた。

8月8日というのは私の誕生日であるが、毎年この時期になると考えさせられることがある。
8月6日と9日がわが国にとって特別の意味を持った日だからである。
いうまでもなく6日のヒロシマ、9日のナガサキと人類史上唯一、原爆が投下された日だからである。
しかし、今年は特別である。「3・11」にるフクシマの惨事が起きた年であるからである。

もちろん、原爆と原発を同一平面で論じるべきではないであろう。
核・放射能の脅威という意味では同じであるという意見もあるが、原爆は、意図的な殺傷のための兵器である。原発は平和的利用の形態であり、フクシマは意図せざる事故である。
その違いは分けて考えるべきであろう。

菅首相は6日の広島の平和式典で、「脱原発」を強調した。
日経新聞

菅直人首相は6日午前、広島市での平和記念式典であいさつし、エネルギー政策について「白紙からの見直しを進めている。原発への依存度を引き下げ、原発に依存しない社会を目指していく」と述べ、原発依存からの脱却をめざす姿勢を改めて鮮明にした。同時に「原子力についてはこれまでの安全神話を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じる」と強調した。
首相は退陣表明後、原発依存度を段階的に引き下げる「脱原発依存」の方向を打ち出したが、後に「個人の見解」と修正した。再び言及したのは、脱原発に取り組む首相の意思を内外に示すとともに、政府方針に位置付ける意欲のあらわれだ。
首相は式典で、東京電力福島第1原発事故の現状に触れ「事態は着実に安定してきている」と説明した。同時に「今回の事故を人類の新たな教訓と受け止め、世界の人々や将来の世代に伝えていくことが我々の責務だ」と主張した。
核兵器廃絶に関しては「核兵器のない世界の実現に向け、国際社会の先頭に立って取り組むと強く決意し、実践してきた」と表明。「日本国憲法を順守し、非核三原則を堅持する。核軍縮・不拡散分野の国際的な議論を主導する」と語った。
広島での首相あいさつを巡っては、首相周辺にも「原爆と原発を同列に考えるべきではない」として原発政策に触れることへの慎重論もあったが、首相の姿勢を明らかにする好機ととらえ、改めて訴えることにした。

菅首相が強調するまでもなく、事実上、原発の新規立地が認められる状況ではないであろう。
休止中の炉を再稼働させる見通しもない。
定期点検により休止した炉が再稼働できなければ、近い将来稼働している原発施設はゼロになる。
すなわち原発なき社会は否応なくやってくる可能性が高いだろうと考える。

しかし、菅首相の演説には違和感を感じざるを得ない。
発言に一貫性がないこともさることながら、平和式典を政治利用する姿勢が馴染めない。
学習院大学教授・井上寿一氏は産経新聞の「正論」欄で、『震災下の8・15』で次のように書いている。

戦後の日本は矛盾を抱えて再出発する。科学技術立国の立場から原子力の平和利用(原子力発電)に積極的であると同時に、絶対平和主義の立場から反核運動を展開したからである。
矛盾はもう一つあった。冷戦状況の進展の中で、敗戦国日本は戦勝国アメリカに依存しながら独立した。アメリカの核の傘に守られる「唯一の被爆国」の矛盾の現実があった。
戦後日本は矛盾を矛盾として意識せずに済ますことができた。原発が象徴する科学技術によって、高度経済成長が可能になったからである。近代以降の歴史において、日本社会は初めて格差縮小へ向かう。国民は「一億総中流」意識を持つようになった。
経済発展を重視する国家再建路線は、日米安保条約における軍事負担の対等性の回避を志向する。基地貸与と駐留米軍の経費負担以上の関与はしない。アメリカに向かってそう言うとき、憲法9条は有用性があった。
アメリカの核の傘に守られる「唯一の被爆国」日本の矛盾とは、憲法9条と日米安保条約を同時に受容することの矛盾でもある。戦後日本はこのような矛盾のなかで、経済成長と平和を追求し続けることができた。
東日本大震災によって、図らずも日本はこれらの矛盾を露呈する結果となった。

「3・11」はわが国の「戦後」のあり方を改めて問うものであった。
佐倉統氏は、それを「大阪万博パラダイム=梅棹忠夫の時代」と言っている。
⇒2011年7月27日 (水):大阪万博パラダイム/梅棹忠夫は生きている(2)
私は、大阪万博パラダイムは「戦後」の一側面であるし、梅棹忠夫の思考の射程は「戦後」を超えていると思う。

「3・11」は、井上氏の言うように、「戦後の日本が抱えていた矛盾」をあぶりだした。
「戦後」はほとんど私の人生にオーバーラップしている。
「3・11」によって引き起こされた諸問題から目を逸らすことなく、残りの人生を生きなければならない。

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2011年8月 7日 (日)

「花背」の思い出と往時渺茫たる長期的記憶の秘密/京都彼方此方(2)

昨日、小中学校時代の同窓会があった。
小学校区と中学校区が同一なので、基本的には9年間を共にした仲間である。もともと110人余の集団であったが、既に19人が亡くなっている。まあ、年齢相応の率かも知れないが、やっぱり寂しいものである。

事前の情報では、奈良や松本に居る人も出たいということであったが、それぞれ欠かせぬ用事ができたということで欠席となった。
中には私の発病のことを初めて聞いたと言って、驚いていた人もいるが、多くの人は、昨年退院直後の集まりの時か1月の同級生の通夜以来で、「元気になった」と喜んでくれた。
⇒2011年1月 9日 (日):同級生の死(2)

出欠席通知のハガキの情報では、同級生の1人がやはり脳梗塞に罹り、現在リハビリ入院中だとのことである。
豪快な酒飲みだったから、彼の場合もなるべくしてなった、という気がしなくもない。
私たちの年齢になると、何かしら身体の不調を訴える人は少なくない。
しかし、同窓会に出席できるだけでも可と考えるべきかもしれない。

今朝の産経新聞に、安野光雅さんの「花背」が載っていた。「洛中洛外」の第4回である。
Photo
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110807/art11080702430000-n1.htm

「花背」といえば、安野さんの絵のように、京都市の北部の山里である。
私にとっては、学生時代にスキーを初めて体験した場所であり、山好きの親友と低山徘徊した思い出の地である。
Map_2 改めて地図を見ると、鞍馬よりさらに大分奥に入っている。
これでも左京区であるから、左京区域はずい分広い。

ネットで調べてみると、スキー場はずっと前に閉鎖されてしまったようだ。
私の記憶もすでにほとんど失われていて、スキーも体育の時間に行ったのか、友人と出かけたのかも定かではない。

往時渺茫である。

そういえば、立原正秋の『春の鐘』 に花背に天魚(アマゴ)を食べに行くシーンがあった。
⇒2010年12月26日 (日):「麗し大和」と法隆寺論争/やまとの謎(21)
主人公の鳴海と多恵は京都の八条口からタクシーで鞍馬を抜け、花背峠を越える。

奥山荘についたとき雨は小止みになっていた。車からおりたら、いきなり流れの音がきこえてきた。
「あら、この音、久しぶりだわ」
多恵は流れのそばに歩いて行った。降り続いていたので水は濁っていたが、水量が多かった。流れの向かい側は急斜面の杉林で、頂上の方は靄がかかっていた。雨後の濡れた風景が日本画になっていた。

昨日といい、懐旧的な気持ちが強い。
そう言えば栗本慎一郎『栗本慎一郎の脳梗塞になったらあなたはどうする―予防・闘病・完全復活のガイド』たちばな出版(0005)に、昔の記憶を思い出したら危険信号と思え、というようなことが書いてあった。

右海馬がやられると、長期の言語的記憶というものが強化されるらしい。強化というより、記憶の奥底から浮かび上がって.くるわけである。
長期の言語的記憶というとなにやら難しいが、要するに、昔の友達のだれそれはいい奴だったとか、中学校のあの教室は懐かしいなとかいうものだ。初恋のだれそれもよく出てくる「定番」らしい。
・・・・・・
「男は昔の仲間(や初恋の人)に無性に会いたくなると死ぬ」ということわざをを知っているだろうか。実は脳梗塞にやられた作家の永倉万治が、やはり、倒れる前、昔の仲間に会いたくなって、会いに行ってしまったら倒れたという話が私にも伝わってきていた。

私は発症前にそういう気になっていたかどうか、記憶はない。
なにやら都市伝説の一種かとも思うが、身に覚えのある人は要注意。

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2011年8月 6日 (土)

『北帰行』ノスタルジー

昨日、BookOffに立ち寄ったら、小松健一『啄木・賢治-青春の北帰行』PHP研究所(8707)が、¥105均一のコーナーに並んでいた。
上質の装丁の写真・文集であるが、BookOffの値付けは、コンテンツには無関係に発行年等で行われているので、時折こうした掘り出し物に出会う。

北帰行!

何故だか分からないが、私たちは、北方に対するロマンチックな憧れの気持ちがあるようだ。特に青春期にはそうではないだろうか。
私の高校では、伝統的に国公立大学の中でも、東北大学や北海道大学への進学を希望する者が多かった。同級生にも結構いた。
異なる風土に対する想いかもしれない。

旧制旅順高校の寮歌(?)といわれる宇田博作詞作曲の『北帰行』は、私の高校時代からの愛唱歌の1つである。

窓は夜露にぬれて
都すでに遠のく
北へ帰る旅人ひとり
涙流れてやまず
・・・・・・
いまは黙して行かん
何をまた語るべき
さらば祖国わがふるさとよ
あすは異郷の旅路

一般には小林旭の歌によって、人口に膾炙した。「渡り鳥シリーズ」の主題歌であるが、見た記憶がない。
Wikipedia101017最終更新によれば、次のような事情である。

昭和36年(1961年)、この歌は日本コロムビアのプロデューサや小林旭に見い出され、同社からレコード化されて大ヒットした。この際 作者捜しが行われ、当時TBS社員だった宇田の名乗り出、および旅順高校時代の友人が持っていた宇田直筆の歌詞から、作者が確定したという。
歌のヒットにより、小林が主演する映画 『渡り鳥シリーズ』(
日活)の昭和37年(1962年)正月封切り版『北帰行より 渡り鳥北へ帰る』の主題歌となった。小林のバージョンは現在まで最も流布したものであるが、原曲とは相当に変化した部分がある。もっとも作者の宇田自身は、小林の歌を晩年に至るまでいたく気に入っていたという。

日本コロムビアのプロデューサというのが、五木寛之の艶歌三部作・『艶歌・海峡物語』『旅の終りに (文春文庫―平成梁塵秘抄劇シリーズ)』」の主人公・艶歌の竜のモデルになった人物である。
⇒2011年3月22日 (火):津々浦々の復興に立ち向かう文明史的な構想力を

私は、加藤登紀子さんの『日本哀歌集(知床旅情)』がお気に入りの1つで、20代の頃LPを買い、レコードプレーヤーを使わなくなってCDを買いなおした。
昔、文藝賞という文学賞の受賞作品に『北帰行』というのがあった。
出版当時購入して読んで感心した記憶があるが、散逸してしまって書棚に見当たらない。
作者の名前は外岡秀俊。まだ東大在学中の学生だった。Amazonの商品説明には以下のようにある。

『一握の砂』をかかえて、青春は北へ旅立った。苦汁にみちた炭鉱での少年期、そして上京後の挫折を記憶に甦らせながら…。石川啄木の軌跡に現代の青春を重ね、透明な詩情と緊密な思索が交響する青春文学の不滅の名作。

されどわれらが日々― (文春文庫)』の柴田翔よりも文章力がある感じで、どんな作家になるのだろうと期待していたが、朝日新聞社に入社して記者になってしまった。
東京本社の編集局長になって役員も間近、そのうちに「天声人語」の執筆者にという声もあったらしいが、今年3月に早期退職したという。どんな事情があったのか詳らかではないが、朝日としてはエース級の逸材が流出したことは痛手だろう。
いまの朝日新聞社にはそれほど魅力がないということだろうか。

啄木・賢治-青春の北帰行』の冒頭の「旅立ち-若きいのちを求めて」に次のようにある。

若き日に「生きる」ということの意味を、その文学作品を通じて強烈に印象づけてくれた啄木と賢治。
短い生涯を終えるまで生き方のちがいはあっても、自然も生活もきびしい北の地に、生命のあらん限りを燃やし続けて、時代を駆けぬけていった二人。
その生きざま、その愛と苦しみと青春の原風景を、作品をはぐくみ、舞台となった北の風土を、自分の眼で確かめながら歩いてみたいという思いは、日、いちにちと私の心のなかで大きな位置を占めるようになっていった。
重いカメラバッグを肩に、啄木と賢治の文庫本をポケットにつめて、二人の足跡を追う旅へはじめて立ったのは、いまから八年前、北国に遅い春を告げる梅、桜、辛夷などが一斉に野山を彩りはじめる季節だった。
私は、啄木が亡くなった歳と同じ、二十六歳になっていた。

東北では、「遅い春を告げる梅、桜、辛夷などが一斉に野山を彩りはじめる季節」から、廻って夏の祭りの季節になっている。
仙台七夕、青森ねぶた、秋田竿灯さらには山形花笠の祭りがこの時期に集中する。
TVで、七夕の飾り付けの様子を中継していた。

今年は格別であろう。日本、いや世界各地から、復興への願いを込めた七夕飾りが寄せられているとのこと。
復興の道のりは遠いが、祭りが行われることが求心力として働く。
私の知り合いは、現地に行って僅かでも消費することに意味があるのではないか、と言って賢治ゆかりの花巻等を尋ねているらしい。

上記を書き写していて、啄木が亡くなった年齢と賢治が最愛の妹を亡くした年齢が同じであることに気づいた。
⇒2011年5月22日 (日):早稲田大学グリークラブによる宮沢賢治『永訣の朝』

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2011年8月 5日 (金)

与党が首相退陣の条件を整えるためにマニフェストを放棄する不可解

シンプルに考えてみよう。
2年前の09年8月、民主党は総選挙で、歴史的な勝利を果たし、政権交代を実現した。
⇒2009年8月31日 (月):総選挙の結果
民主党に1票を投じた国民の大多数は、選挙で掲げたマニフェストの実現に誠実に取り組んでくれるだろうと考えたはずである。
マニフェストの全部を実現するのは難しいかも知れないが、少なくとも任期の間、基本となる理念や、根幹の政策を放棄したりするようなことはないだろうと思っていたのではないか。

政権交代し、党代表の鳩山氏が首相になった。
ところが、自身の沖縄基地問題でのオーバーコミットメント等によりし、進退に窮し辞任を余儀なくされた。
後継の菅首相は、最初の国政選挙である参院選で、マニフェストにない消費税増税を唐突に打ち出し、大幅に議席を減らしてしまった。
にもかかわらず、党代表として続投する意向をいち早く表明し、民主党の代表選に勝って、首相も続投することになった。
⇒2010年9月11日 (土):菅首相続投で、本当にいいのだろうか?
⇒2010年9月15日 (水):民主党の代表選結果の感想
⇒2010年9月21日 (火):再び問う、「菅首相続投で、本当にいいのだろうか?」

参院では少数与党になったので、国会運営は困難にならざるを得なかった。
しかし、政権が野党に譲歩する姿勢はなく、また尖閣諸島での中国漁船衝突事件への対応等で国民の信を失うことになった。
その上、マニフェスト実現のためには消費税を上げなければならない、という奇妙な論理を持ち出した。
⇒2011年2月12日 (土):マニフェストを履行するための消費税増税?(2)
⇒2011年2月10日 (木):マニフェストを履行するための消費税増税?

さらに、自身の政治資金についても重要な疑惑が持ち上がった。
ちょうどその時未曾有の大災害が発生し、とりあえずはそのままの体制で初期対応をせざるをえなくなった。
⇒2011年3月11日 (金):大規模地震で日本国はどうなるのか?

しかし、緊急時対応においても、なんら力量を示せなかった。
その結果、自公両党から、内閣不信任案を提出されるに至った。不信任案が可決される可能性が高まると、退陣を偽装して不信任案を否決に持ち込んだ。
形式的には大差の否決ではあるが、信任されたわけではないことは、直後からのゴタゴタからして一目瞭然である。
⇒2011年6月 2日 (木):哀しき奇兵隊内閣の末路
⇒2011年6月16日 (木):脱トロイカは「民主党2.0」の必要条件ではあるが十分条件とはいえない
⇒2011年6月29日 (水):東電株主総会と民主党両院議員総会

さらに騙されたに等しい与党からも退陣の要求が高まると、「顔を見たくないなら法案を通せ」と駄々っ子のように、自ら3つの法案を掲げた。
⇒2011年7月25日 (月):菅首相のいわゆる「退陣三条件」なるものについて

もはや政権の正当性すら考える余裕すらなくなり、マニフェストの見直し(放棄)に言及し始めた。
⇒2011年7月23日 (土):マニフェスト見直しをめぐって

そしてついに8月4日、民主党執行部は、国民の支持を失った自党の首相を退陣させるために、自公両党に大きく譲歩せざるをえなくなった。マニフェストの目玉・看板ともいうべき「子ども手当」を廃止し、政権交代前の「児童手当」を復活させることで、自公両党と合意したのだ。
新聞の見出しには、「民主「降伏」 金看板瓦解」の文字が躍った(静岡新聞等)。

まったくもって不可解といわざるを得ない。
菅首相が居座ることにも、民主党が退陣条件を整えるためにマニフェストを放棄することにも、一片の合理性もない。支離滅裂といえよう。
震災が起きなくてもマニフェストは根幹において、破綻していたのである。

民主党に残されている道は、解党くらいしかないのではないか?
⇒2011年1月12日 (水):出口の見えない菅政権と民主党解党という選択肢
⇒2011年2月15日 (火):現実味を帯びてきた民主党解党という選択肢

少し頭を冷やして考えてみたらどうだろうか?

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2011年8月 4日 (木)

海江田経産相の号泣に価値はあったか?

海江田万里経産相が、経産省首脳を更迭し、自らも辞任する意向だという。

海江田万里経済産業相は4日、経産省の松永和夫事務次官、寺坂信昭同省原子力安全・保安院長、細野哲弘同省資源エネルギー庁長官を更迭する意向を固めた。東京電力福島第1原発事故の対応や、原発のシンポジウムで原子力安全・保安院が電力会社に「やらせ」を要請したとされる問題の責任を明確にする。
海江田氏は松永、寺坂、細野の各氏に更迭の意向をすでに伝えており、菅直人首相も了承している。経産省首脳の更迭について、海江田氏は3日夜、記者団に「人事権者は私だ」と述べ、自らの判断で行う意向を強くにじませていた。
海江田氏自身はすでに辞任の意向を表明しており、3日夜には民放番組で「必ずどこかで辞めなければいけない。覚悟は決めている」と重ねて強調した。更迭後、速やかに自らの辞表を首相に提出する考え。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110804/plc11080409180008-n1.htm

一方、今日の日経新聞は次のように報じている。

海江田万里経済産業相は3日、原発賠償支援法が成立したことを受け、記者団から「一定の責任を果たせたと考えるか」と聞かれ「一定ということでは果たせた」と語った。菅直人首相(党代表)の後継を決める代表選への出馬に関しては「考えたこともない」と述べた。
海江田氏は同日夜のTBS番組で「必ずどこかで辞めなければいけない。その覚悟はできている」と強調。経産省所管の再生エネルギー特別措置法案に関しても「責任を持たなければいけない」と話した。辞任時期には触れなかった。

経産相はつい先日(7月29日)の衆院経産委員会で号泣したことが話題になった。
「なでしこジャパン」に見られるように、女性ははつらつとして元気がいいが、男は大臣まで草食系になったのだろうか?
それにしても、大のオトナの代表である大臣が、国会審議の場で泣きだすとは尋常ではない。
号泣するに至った事情は下記の通りである。

自民党の赤沢亮正氏が、海江田氏が辞任を表明しながら辞めないのは「菅直人首相とそっくり」となどと指摘すると、海江田氏は「もう少しこらえてくださいよ」、さらに「政治家としての価値を落とす」と追撃されると「自分の価値はどうでもいいんですよ、本当に」と声を絞り出し、席に戻ると顔を手で覆い涙をぬぐった。ペテン師・菅首相と同類扱いをされて悔しいのはよ~く分かるが、本当に泣きたいのは政治に翻弄される国民だ。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110730/plt1107301406001-n1.htm

まったく国民の1人として泣きたくなるような状況だ。
海江田氏は、辞任のタイミングを間違えたのではないか。

Photo 辞任のタイミングはいくつかあった。最も有力だったのは、首相が全国の原子力発電所のストレステスト(耐性検査)実施を唐突に表明した今月上旬だ。原発の再稼働に消極的な首相と、電力不足を回避するため前向きな海江田氏が盛んに綱引きを演じていた。
・・・・・・
だが、想定外の事態が起きた。海江田氏は臨時会見で「やらせ質問」を認め、この問題を調査する第三者委員会の報告時期を「8月いっぱい」と明言。「忍」の一字で首相の不条理な方針転換に耐える海江田氏には同情も集まっていたが、風向きは変わりつつある。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110730/stt11073011470000-n2.htm

まあ、私も辞任するとしたら、菅首相との意見の相違が明白になった時点だったと思う。
⇒2011年7月 7日 (木):原発迷走で、閣内不一致は明らか。海江田大臣は辞任すべき(かどうか)
閣僚の辞任は菅降ろしの有効なカードになったはずである。
タイミングは重要である。海江田氏は自らそのチャンスを逃した。
結果として、菅夫人からも次のように揶揄される始末である。

菅直人首相の妻、伸子夫人(65)が、国会で号泣した海江田万里経産相を「私だったら涙を流すような人とはさっさと別れる」と揶揄していたことが分かった。四面楚歌の夫に続投意欲を強く吹き込みながら、逆らう者は冷徹に斬り捨てる。その姿は、権力者を狂わせて世を乱した歴史上の“傾国の美女”にどこか似ている。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110802/plt1108021140002-n1.htm

海江田氏の「政治家としての価値」や菅氏の夫婦関係はどうでもいいが、首相の居座りの姿勢がはっきりしてきたのをどうする気か。

国会会期が残り1か月を切ったが、菅直人首相の退陣への道筋は不透明なままだ。「菅首相は退陣すべきだ」と「鈴を鳴らす」議員は多いが、押しつけ合って肝心の「首に鈴をかける」人物が見あたらない。民主党内はまとまっておらず、結局ずるずると菅首相ペースでことが進んでいる。
菅首相は2011年7月末、首相公邸で開いた自身に近い議員らとの会合で、退陣3条件のひとつ、特例公債法案が8月中に成立しなければ、9月以降も続投する考えを示した。今国会の会期は8月末で終わり、再延長はできない。

http://www.j-cast.com/2011/08/02103242.html

3 民主党執行部は、あくまで3条件を整えて、首相退陣としたいようだ。
そのスケジュール感は左図のようである。
しかし、首相の退陣条件というのが当たり前のように考えられているのがそもそもおかしいのではないだろうか。
詐欺師の手口で不信任案を乗り切ったつもりになっている人を、いつまでやりたいようにさせているのか?
⇒2011年6月 8日 (水):菅首相は一流詐欺師(ビッグコンマン)たりえたか?

自分で退陣条件を決めるなどという不合理に唯唯諾諾としている与野党の議員(特に民主党)は何を考えているのか?
⇒2011年7月25日 (月):菅首相のいわゆる「退陣三条件」なるものについて

小沢一郎元代表が、内閣不信任案を提出するという観測もある。一事不再議の原則は、提出者と理由が異なれば該当しないという解釈だ。
しかし、小沢氏が動けば、朝・毎紙などのマスメディアを中心として、批判が湧いてくるだろう。
私は菅応援団化して批判精神を失った朝・毎の論調など気にする必要はないと考えるが、世論に対しては一定の影響力を持っているだろう。
猫の首に鈴をつけるのに手間取っている間に、失われた国益は膨大なものになっている。
こんな体たらくで、この国は、果たしてどうなるのだろうか?

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2011年8月 3日 (水)

形式的な法令遵守(コンプライアンス)だけでは問題を見逃す

東電の株主総会は、例年に比べれば時間を要し、混乱もあったが、安定株主が絶対多数を占めているので、会社の原案が覆されることはなかった。
⇒2011年6月29日 (水):東電株主総会と民主党両院議員総会

また、原子力損害賠償支援機構法が、今日の参院本会議で、民主、自民、公明3党などの賛成多数で可決、成立し、被災者の賠償にあたる東電の資金繰りを支援する仕組みができた。
つまり、東京電力を倒産させないということであろう。
このためかどうか分からないが、東電の株価は一時期の低水準に比べれば大分回復している。
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しかし、事故の全体像は未だに掴めているとは言えない。
原発建屋内で、10シーベルト以上という驚くべき強度の放射線量が新たに測定された。以上、というのは測定器が振り切れているからで、正確な数値は分からないということだ。

福島第1原発事故で、東京電力は2日、屋外の1・2号機主排気筒付近で1日に過去最高の毎時10シーベルト(1万ミリシーベルト)以上の放射線量が測定された場所の写真を公表した。直径3メートルの主排気筒の根元に「非常用ガス処理系」と呼ばれる細い配管が合流している部分に、防護服姿の作業員が長い棒状の測定装置を向けている様子が写っている。
東電によると、同配管には、東日本大震災翌日の3月12日に1号機で原子炉格納容器の圧力を逃がす「ベント」作業を行った際、損傷した燃料から放出された高濃度の放射性物質が流入し、内部に付着。その後、雨や結露の水によってU字形の主排気筒との接続部に放射性物質がたまり、特に濃くなったと考えられる。

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2011080200400

事故の影響範囲も日々拡大している。

肉牛から国の暫定基準値を超える放射性セシウムの検出が相次いでいる問題で、政府は2日、原子力災害対策特別措置法に基づき、栃木県に対し、県内全域からの肉牛の出荷を停止するよう指示した。肉牛の出荷停止は7月19日に福島県に指示して以降、宮城、岩手と続き、栃木が4県目。
http://www.47news.jp/47topics/e/217807.php

賠償のことを考えたら企業価値は大きく毀損されていると考えられる。
厳密に計算しなくても、純資産はマイナスであることは間違いないであろう。

今年3月期の東電決算書について、次のような解説記事がある。
田村賢司『東電決算監査は「適正」か?-ルール遵守だけでは問題を見逃す』 日経ビジネスオンライン110704

売上高5兆3685億3600万円、営業利益3996億2400万円ながら、純損失を1兆2473億4800万円とした巨額損が、原子炉の冷却など安全対策や停止・解体費用と減損によるものであることは知られるところ。
だが、数兆円から10兆円規模にも上る可能性がある損害賠償については全く計上していない。仮にその損失を見積もり、費用として引当金に計上すれば1兆6024億円の純資産を吹き飛ばし、たちまち債務超過に陥る恐れもあるはずだ。

監査を担当する新日本有限責任監査法人は、「適正意見」をつけたが、疑問を呈する声は多い。
同記事によれば、損害賠償に関する引当金を計上するには、3つの条件が揃う必要があるとされる。
(1)損害賠償など債務の原因となる出来事が期末までに発生
(2)損害賠償などの費用や損失が発生する確率が高い
(3)損害賠償額を合理的に見積もることが出来る

東電の決算書類では、(1)と(2)についてはありと認め、(3)については認めていない。

(3)については、補償の範囲や期間などの賠償指針を決める文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会がまだ、指針の全体像を確定していないため、「現時点では損害賠償を合理的に見積もることができない」と明快に否定している。
つまり、損害賠償額の合理的見積もりが不可能だから賠償損は計上していないが、巨額の偶発債務の存在と、それによる“破綻の可能性”を注記することで十分、正しい会計処理をしているという判断が、新日本の適正意見の重要な根拠になったのだろう。
・・・・・・
公認会計士でもある愛知工業大学の岡崎一浩教授は、企業会計審議会が2002年1月に策定した「監査基準の改訂に関する意見書」をめくりながらこう指摘する。
「意見書には『監査人は将来の帰結が予測し得ない事象、状況について、財務諸表に与える影響が複合的、多岐に渡る場合は重要な監査手続きを実施できなかった場合に準じて意見表明ができるかを慎重に判断しなければならない』とされている。ここに抵触しないのか」
加えて「今第1四半期にも損害賠償指針が決定されれば、すぐに兆円単位の損失が予想されるほど誰の目にも巨額損の存在が想定できるのに、それを注記ですませていいのか。適正意見を出せるかどうか疑問があれば、監査意見を表明しないということもできたはず」とも切り込む。
・・・・・・
米国史上最大級の粉飾決算事件となった電力会社、エンロンの不祥事(2001年)は、SPE(特別目的事業体)に投資の損益をつけ回しながら、本体と連結せず、外から損失が見えないようにしたことが発端だった。最後は空前の粉飾決算であることが判明したが、SPEの連結外し自体は当時、会計基準上認められたものだった。
ルールへの適合性で判断することはもちろん大事だが、それだけにとらわれていては、より奥深い問題を見逃しかねない。ケースは異なるが、東電監査を巡る論争は、肯定・否定両派の心にうずくまる、そのもどかしさを示しているようにも見える。

形式が法令に則っていればよしとする思考法では、内在している問題を見逃してしまう可能性がある。
菅首相の資金管理団体・草志会をめぐる政治献金についても、法令に適合した処理をしているから問題なし、とはいかないのだ。
⇒2011年7月18日 (月):市民には快挙の感動が湧き、市民運動家には疑惑が明らかに
⇒2011年7月22日 (金):拉致問題への菅首相の係わり
⇒2011年8月 1日 (月):次第に明らかにされていく菅首相の献金疑惑の闇

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2011年8月 2日 (火)

大和なでしこは絶滅危惧種か?/やまとの謎(37)

「なでしこジャパン」の爽やかな戦いぶりの快い余韻が尾を引いている。
今日、国民栄誉賞が授与されることが正式発表された。
同時に、女子スポーツに対する支援策も増強されるという。

高木義明文部科学相は2日の閣議後会見で、サッカーの女子ワールドカップで初優勝した日本代表チームの国民栄誉賞授与決定に合わせ、代表選手個人に対する助成の充実などの支援策を検討する方針を明らかにした。
支援策は、枝野幸男官房長官が指示し、(1)個人助成の増額(現行月額10万円)(2)ロンドン五輪予選に向けた医科学サポート(3)なでしこリーグへの助成増額(同年間1500万円)--が3本柱。(1)と(3)の助成費は、独立行政法人・日本スポーツ振興センターが、スポーツ振興くじの収益金から支出する。このほか、広く女子スポーツを振興する新たな支援策を検討する。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110802dde035050017000c.html

いささか付け焼刃の感じがする支援策ではあるが、生活に苦労しているという彼女らにとって朗報であろう。
それにしても、蓮舫氏の事業仕分けは何だったのか改めて問われることになりそうである。
⇒2011年7月18日 (月):市民には快挙の感動が湧き、市民運動家には疑惑が明らかに
子ども手当の見直しでももめているようであり、もはや民主党政権に正統性は失われていると言わざるをえない。

ところで、「なでしこジャパン」の愛称はいつから使われているのだろうか?
調べてみると、アテネオリンピックのアジア予選として行われた「AFC女子サッカー予選大会2004」の時のようである。
「大和撫子」という言葉から、「世界に羽ばたき、世界に通用するように」との願いを込めて「なでしこジャパン」とした、とのことである。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1312751533

それでは、そもそも「大和撫子」という言葉は、どう使われてきたのだろうか?
Wikipedia110726最終更新を参照しよう。

やまとなでしこ または ヤマトナデシコ漢字大和撫子 と書き、植物「カワラナデシコ」(河原撫子)の異名や、日本人女性の清楚な様子や美しさを褒め称える比喩として用いられる言葉。

カワラナデシコはどんな花か?

250px2カワラナデシコ(河原撫子、Dianthus superbus var. longicalycinus)とは、ナデシコ科ナデシコ属多年草秋の七草の1つであるナデシコ(撫子)は本(変)種のことを指す。別名(異名)はナデシコ、ヤマトナデシコ。
・・・・・・
自生地の開発や園芸用の採集、動物による食害、
外来種の影響等で減少している地域もある。
・・・・・・
また、カワラナデシコは草原等の開けた環境を好む種であり、そのような環境が
遷移の進行に伴い、日当たりの悪い陰的な環境に変化すると生育に適さなくなる。これは自然現象ではあるが、昔は、草原や山地、河原等の環境は人の手により草刈や枝打ち等され、里山的な利用が行われてきた。これで、日当たりの良い開けた環境が継続してきたという背景がある。近年の人間の生活習慣の変化で、このような「人為的なかく乱」が行われなくなると、カワラナデシコに代表される人間と密接な関係のある普通種が、その自生地や個体数を減少させてしまう結果となりうる。
Wikipedia110723最終更新

全体として、減少傾向にあるが、絶滅を心配する状況ではないようだ。
ところで、つまり日本人女性は写真の花のように、清楚で美しい、か?
現実は、そういう人もいるだろうし、そうでないと言わざるを得ないような人もいるが、大和撫子と呼びたくなるような女性は圧倒的に少数、というのが偽らざる感想である。

なぜ、日本女性を褒め称える比喩となったか。
日本神話に由来するという。

名前は通常、『日本書紀』の記述のように「奇し稲田(くしいなだ)姫」すなわち霊妙な稲田の女神と解釈される。他に串蛇(くしなだ)とする説などもあるが、否定されている。また、原文中ではクシナダヒメ自身が櫛に変身させられるが、の字を宛てることからクシナダヒメは櫛を挿した巫女であると解釈し、ヤマタノオロチを川の神として、元々は川の神に仕える巫女であったとする説もある。もうひとつは、父母がそれぞれ手摩霊・足摩霊と「手足を撫でる」意味を持つ事から「撫でるように大事に育てられた姫」との解釈もあり、倭撫子(やまとなでしこ)の語源とされる。
Wikipedia101003最終更新

人間の方の大和(倭)撫子は絶滅寸前で、レッドブックに登録が必要?

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2011年8月 1日 (月)

次第に明らかにされていく菅首相の献金疑惑の闇

恒例の沼津狩野川花火大会を久しぶりに見た。
友人が、桟敷席があるからどうか、というので出かけることになった。
いつものU子、T重、Nクンと妻の4人で、声をかけてくれた当人は所用で来れないということであった。
隅田川ほどではないが、静岡県東部地域では随一であろう。昭和23年の第1回から数えて64回だという。
今年の開催についてはいろいろ意見があったようだが、実施することになった。
Photo_6

さて、菅首相の政治資金問題も背後に深い闇が存在するようである。
菅首相の政治資金管理団体が、北朝鮮の日本人拉致犯容疑者と深い係わりを持つ団体へ、常識外れの多額の献金をしていたことについては、すでに触れたところだ。
⇒2011年7月18日 (月):市民には快挙の感動が湧き、市民運動家には疑惑が明らかに
⇒2011年7月22日 (金):拉致問題への菅首相の係わり

7月19日の衆院予算委員会で、自民党の古屋氏の質問に、菅首相は「政治資金規正法にのっとって寄付をし、収支報告にきちんと記載しており、法令に沿っている」と強調しているが、法に抵触していなければいい、という問題ではないことは明らかである。
こういう行為を、「法の網をかいくぐって」というのだろうが、「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉もある。

今までマスコミでは、産経新聞以外には目だった扱いをしていなかったようであるが、昨日放映された「たかじんのそこまで言って委員会」で、須田慎一郎氏が背景の一端を明かしていた。
菅首相御用達の銀座の某飲食店(クラブ?)が、マスコミ政治部のお偉方の溜まり場にもなっているのだという。何となく想像できる。
番組では、宇都宮徳馬、安東仁兵衛、田英夫などの懐かしい名前も出ていた。
良識派と思われた彼らも、結局利用されたということか?
大阪のytvによるこの番組は、東京地上波では放送していないとか。是非大勢の人が視聴して欲しい番組である。

マスメディアの論調として、先ず、東京新聞の解説記事を見てみよう。

Photo_3菅直人首相の2つの政治献金問題に対し、自民党など野党側が厳しく追及している。一つは外国人による献金。もう一つは北朝鮮拉致事件容疑者の親族と関係する団体に対して、首相の資金管理団体が多額の献金をしていた問題だ。それぞれの問題点を整理する。
・・・・・・
Q 拉致事件容疑者の親族の関係団体への献金とは。
A 「草志会」は〇七~〇九年に政治団体「政権交代をめざす市民の会」に計六千二百五十万円を寄付している。野党側が問題視しているのは「市民の会」に関連した政治団体「市民の党」に欧州での日本人拉致事件容疑者の長男が所属していることだ。この長男は四月の三鷹市議選に出馬(落選)している。拉致問題に取り組む立場の首相がこうした団体に献金するのは問題だという立場だ。
Q 首相と「市民の党」の関係は?
A 首相は「市民の党」代表と旧知の仲であることを認め、献金は「ローカルパーティーとの連携・支援のため」と説明している。拉致事件容疑者の長男については「全く知らなかった」と言う一方で「そういう(拉致事件との)関係があるとすれば、連携などの活動をしたことは大変申し訳なく思っている」と謝罪した。
Q 今後、どうなる?
A 二つの献金問題は参院予算委員会の集中審議などでさらに追及されることになる。「連携」のためとはいえ、なぜ、多額な献金を行ったかなど首相の説明はあいまいだ。外国人献金問題での領収書の提出も含め、きちんとした説明が求められる。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2011073102000029.html

ようやくという感じではあるが、読売新聞も社説で取り上げた。

二つめの問題は、草志会が07~09年に、政治団体「政権交代をめざす市民の会」に計6250万円を献金していたことである。
首相は献金理由を「連携、支援のため」と言うだけだ。なぜ、これほど巨額の献金の必要があったのか、合理的な説明がない。この間、民主党は、草志会に約1億5000万円もの献金をしていた。党本部から「市民の会」などへ直接献金するのを避けるための“迂回献金”だった可能性も取りざたされている。
そうだとすれば、カネの流れの透明性を高めるという政治資金規正法の趣旨に反する。当時、党代表代行だった首相には、献金の実態を明らかにする責任がある。
「市民の会」は、今春の統一地方選で、北朝鮮による日本人拉致事件の容疑者の長男を擁立した政治団体「市民の党」と関係が深いことも明らかになっている。
首相は「そうした団体と連携したことは大変申し訳ない」と陳謝したが、首相の拉致問題への取り組み姿勢自体が問われよう。
首相はこれまで、カネが絡んだ「古い政治からの脱却」を訴えてきた。
二つの献金問題について国民が納得できる説明が必要だ。疑惑にフタをしたまま延命することは許されない。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20110730-OYT1T00983.htm

(

)

産経新聞はさすがに先行している。
今朝の産経新聞では、一面トップで取り上げていた。

Photo_4 酒井代表は産経新聞の取材に、「10年ほど前に北朝鮮に行き、よど号の人間や娘たちと会った」と発言。「その中には(三鷹市議選に出馬した)長男の姉もいた」とした上で、「そうした縁もあって、長男が(日本に)帰国してきてからつながりがあった」と市議選に擁立した背景を明らかにした。
酒井代表は自身が長男の選挙応援に入ったことも認め、「今の10代、20代が今後、大変な思いをする。若い人に頑張ってほしかった。統一地方選には若い人間をいろいろ出しており、彼はそのうちの一人」と説明。一方、日本人拉致事件については「最低な問題と考えている。解決する一番いい方法は日朝国交正常化だ」と自説を展開した。
・・・・・・
市民の党の酒井剛代表がよど号ハイジャック事件犯との接触を明らかにしたことで、両者の関係性は決定的となった。菅首相が国会で「献金は連携・支援のため」と述べた政治団体の実態は、“革命の熱狂”に取りつかれた極左勢力そのものといえ、首相の政治姿勢や説明責任が改めて問われるのは必至だ。
・・・・・・
拉致被害者支援組織「救う会」会長で東京基督教大学の西岡力教授は、「酒井代表がよど号犯やその子供らと会えたことは、北朝鮮が酒井代表を同志と考えたか、対日工作に利用できると判断して許可を出したことになる。酒井代表や市民の党が北と密接な関係にあったのは明白だ」と強調。その上で、「こうした政治団体と『連携・支援』を図るため巨額献金をした菅首相は極めて軽率といえ、総理の資格が問われる問題だ」と指弾している。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110801/crm11080101150002-n1.htm

草志会へ献金した韓国人男性との関係も気になるが、現時点でより重要と考えられるのは草志会からの資金の流出であろう。
同会には民主党から多額の資金が流れているが、その原資は政党助成金である。
つまりわれわれの血税の一部が、拉致犯らに近い筋に流れたということだ。
「政治資金規正法にのっとって寄付をし、収支報告にきちんと記載しており、法令に沿っている」からOKということでは済まない。きちんと説明責任を果たさなければならないだろう。
朝・毎は、これでも菅続投支持か?
⇒2011年4月25日 (月):それでも朝日、毎日両紙は、菅続投支持か?/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(16)
⇒2011年4月26日 (火):朝・毎両紙の社説検証/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(17)

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