« 国難の時に政府が機能不全という最大不幸 | トップページ | 根岸英一博士の研究哲学/知的生産の方法(14) »

2011年7月 3日 (日)

長谷川櫂『震災歌集』/私撰アンソロジー(3)

長谷川櫂といえば、現在の俳人の中でも最もアクティブな人だろう。
その長谷川さんが、3月11日から12日間で1冊の歌集になる短歌を詠んだ。
震災歌集』中央公論新社(1104)である。
近くの本屋で見かけ、そのうちにと思っていたら、売り切れてしまった。Amazonに注文しておいたのが、今日届いた。
Photo_2

なぜ俳人が、短歌か?
誰もがそう思うだろう。
「はじめに」に次のようにある。

その夜からである。荒々しいリズムで短歌が次々に湧きあがってきたのは。私は俳人だが、なぜ俳句ではなく短歌だったのか、理由はまだよくわからない。「やむにやまれぬ思い」というしかない。

本人が「まだよくわからない」と言っているのだから、他人がどうこう言っても始まらないが、そこには短歌と俳句の差異の本質が潜んでいるような気がする。
「まだ」ということは、長谷川さん自身がこれから考察を深めていこうということだろうから、楽しみに待つことにしよう。
素人的には、「五・七・五・<七・七>」と<七・七>だけ、感情移入の余地が広いような気がする。

実際に試みてみると、俳句の方がずっと難しい、というか「らしさ」を出すのが難しい、と思う。
短歌の方は何となくそれらしくまとめることができるが、俳句を俳句らしく作るのは大変である。
字数が少ないkら簡単だろうと錯覚しがちであるが。
日本人には短歌の形式が、大脳の旧皮質に浸みついているのではなかろうか。
⇒2010年4月25日 (日):「恐竜の脳」の話(1)最近の政局をめぐって

それにしても、記憶を定着させる作用は、口誦の良さにあり、それは「五・七・五・七・七」という定型にあることを、改めて感じさせられた。
引用した4首目は昨日(+一連)の、6首目は3月18日等の文章を、ワーディングや気分まで含めて三十一文字に集約してくれているような気がする。
⇒2011年7月 2日 (土):国難の時に政府が機能不全という最大不幸
⇒2011年3月18日 (金):菅首相の器のサイズと事態の深刻さのミスマッチ
⇒2011年4月16日 (土):節電の優先順位をつけられない蓮舫節電啓蒙大臣/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(8)
⇒2011年6月28日 (火):蓮舫大臣とは何だったのか

なお、「本書の印税は、東日本大震災で被災された方々への義援金として寄附されます」とのことである。

|

« 国難の時に政府が機能不全という最大不幸 | トップページ | 根岸英一博士の研究哲学/知的生産の方法(14) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

書籍・雑誌」カテゴリの記事

私撰アンソロジー」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/395349/40647384

この記事へのトラックバック一覧です: 長谷川櫂『震災歌集』/私撰アンソロジー(3):

« 国難の時に政府が機能不全という最大不幸 | トップページ | 根岸英一博士の研究哲学/知的生産の方法(14) »