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2011年7月30日 (土)

地震・津波による原発災害を予見していた高木仁三郎と市民科学者育成のための「高木学校」

東日本大震災について、「未曾有」とか「想定外」という言葉がよく使われる。
確かに、地震や津波の大きさは「未曾有」のものであった。
⇒2011年3月12日 (土):想像を絶する激甚災害へ対応するための体制を
⇒2011年3月13日 (日):歴史的な規模の巨大地震と震災
しかし、「未曾有」=「想定外」と直ちに結び付けられるものではないだろう。
⇒2011年3月17日 (木):「想定を超えた事態」ならば免責されるのか?
「未曾有」の事態を如何に想定の中に入れておくか?
一般大衆の想像の域外のことを論理的に指摘して、可能な限り計画の想定の視野に入れておくのが専門家の責任ではないか。

原発のような巨大システムにはとりわけ専門家は大衆に開かれた姿勢を持つべきであろう。
メディアはそれを分かりやすく伝える努力をして欲しい。
しかし残念ながら、わが国では、まったく逆の事態が大勢であった。

専門家の大半は、原子力ムラという閉ざされたエリアで活動する人であった。
メディアも多くは大勢の専門家の言い分を伝えた。
結果として、「安全神話」がと常識となった。
原発が事故を起こす確率は、ネグリジブルである。ゆえに、事故が起きたときの対応は考える必要がない。

しかし、現実に事故は起きた。
準備していたSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測システム)を、国民がパニックを起こすという理由で公開しなかった。、
⇒2011年7月 5日 (火):官邸は誰の責任で情報を隠蔽したか?/原発事故の真相(4)

九州電力の「やらせメール」が問題になったが、今度は安全性を保全する側が、原発賛成を促すよう働きかけていたという驚がく的(というか、やっぱりなあという感じの方が強いが)事実が明らかになった。

7月29日、中部電力は名古屋証券取引所で第1四半期の決算説明、および定例記者会見を開催した。浜岡原発停止の影響により、通期営業利益は1700億円の営業赤字になる見通しだと発表。1951年の会社設立以来初の営業赤字転落だ。
会見では、同じ浜岡原発関連で、2007年8月に静岡県御前崎市で開かれた国主催の「プルサーマルシンポジウム」についての質問も相次いだ。九電で発生した「やらせ発言依頼問題」を受け、経済産業省は国が主催したシンポジウム等で特定の意見表明を要請した事実があるかどうか社内調査を行うように電力会社に指示。その回答期限が29日だった。
中電は、午前中に調査結果を発表し、社員や関係会社社員に対し出席を促す依頼をしていた事実があったものの、原子力安全・保安院から「地元住民に賛成か中立の立場での質問を要請するように」との働きかけは断った、という調査結果を公表したばかり。 
依頼を断った理由について、水野明久社長は「02年以来、当社はコンプライアンスの強化を推進してきた。そうしたこともあり、意見表明まで要請するのは明らかに行き過ぎだ、との判断が担当者レベルでも働いた」と説明した。

http://www.toyokeizai.net/business/strategy/detail/AC/cac1ff1d4737e3301476552d71dc5cdc/

われわれは、絶望すべきか? 
中電が辛うじてコンプライアンスに軸足をおいた判断をしたことは、ホッとした感じがする。
それも、フクシマと同じように、浜岡の現場の所長の判断によるらしい。
現場は正常な判断力を持っているのだ。
政治家は、こういう現場の声を大切にすべきだ。

菅首相が現場主義を標榜して発災の翌日、ヘリコプターで視察に赴いた。
現場を大事にするようで、似て非なる行為である。
単なるパフォーマンスに過ぎなかったことは、その後の経緯が示している。

ところで、原発のリスクについてのリビング・サイエンティストはいなかったのだろうか?
たまたま沼津朝日というコミュニティペーパーの「言いたいほうだい」という投稿欄に昨日、『高木学校』という投稿があった。高月フミコという元沼津市議のひとである。
高木学校というのは、市民の立場から問題に取り組む市民科学者を育成するために、98年に創設されたという。

高木というのは、1995年に、原発が地震と津波に襲われたときの危険性に警鐘をならしていた高木仁三郎のことである。
Wikipedia110704最終更新では、次のように記されている。

政府の原子力政策について自由な見地からの分析・提言を行う為、原子力業界から独立したシンクタンク原子力資料情報室を設立、代表を務めた。原子力発電の持続不可能性、プルトニウムの危険性などについて、専門家の立場から警告を発し続けた。
特に、
地震の際の原発の危険性を予見し地震時の対策の必要性を訴えたほか、脱原発を唱え、脱原子力運動を象徴する人物でもあった。原子力発電に対する不安、関心が高まった1980年代末には、新聞、テレビ等での発言も多かった。

残念ながら、高木さんの予想は最悪の形で現実化してしまった。
しかし、高木さんの遺志は高月さんらにより受け継がれている。
リビング・サイエンスティストの育つ土壌は広がっていると考えたい。

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