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2011年7月 9日 (土)

「大岡信ことば館」における『私の万葉集とことば』座談会

三島駅の北口に、「大岡信ことば館」がある。
受験産業の雄・Z会の展開している事業の1つである。
2009年10月にオープンしたが、その直後に発症したので、今まで尋ねる機会がなかった。
Photo

三島市出身である大岡信さんの活動をもとに、人間の源泉であることばについて模索していくことは、Z会グループの理念をまさに体現するものです。次代に続いてゆく若い世代、地域に住まう人々とともに、ことばの豊穣を味わい、芸術の素晴らしさを楽しむ。その大きな意義、理念の追求の場として、「大岡信ことば館」を設立いたしました。
設立趣意書

Z会は、私が受験生の頃にはもう通信添削で有名だった。
高度で難解(すなわち良問ということだろう)を丁寧に添削していた。私は世話にはならなかったが、友人でやっている人がいた。
記憶では、月3回の出題があり、その都度成績ランキングがあった。
上位入賞を目指して、全国の秀才たちがしのぎを削っていた。
2010年度実績として、東大合格者数1,339人とある。どこまでの人数をカウントしているのか不明だが、相当数であることは間違いない。

なぜ三島にZ会の拠点があるかといえば、戦前に東京で事業をしていたが、戦災で中断し、戦後にに中伊豆(現伊豆市)で再開したことが、この地との関係の始まりである。
私が受験生の頃には、中伊豆にあったはずだ。
中伊豆から三島に隣接する長泉町に移転し、三島駅北口の整備事業に乗る形で、新しい事業拠点を設けた。

その「大岡信ことば館」で文化的なイベントを行っている。
今日、「私の万葉集とことば」という座談会があった。
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定員意150名とあるが、95%くらいは女性だった。
座談会のメンバーが豪華である。

伊藤一彦氏と栗木京子氏は、私でも名前を知っている代表的な現代歌人である。
辻原登氏は、日本経済新聞に連載されていた『発熱 (文春文庫)』(0503)は、毎日読むのが楽しみだった。ストーリイテラーとして類稀な才能の持ち主だと思う。
俳人の長谷川櫂氏は、触れたばかりの俳人である。
⇒2011年7月 3日 (日):長谷川櫂『震災歌集』/私撰アンソロジー(3)

これで1,000円は廉いが、Z会のCSR活動の一環ということだろう。
期待に違わぬ楽しく為になる座談会であった。
司会進行は長谷川氏が担当し、前半は、辻原、栗木、伊藤の順に、出身地に因んだ万葉歌の紹介や、それぞれの万葉集体験談等が語られた。

印象的だったのは、和歌の読み方の「切れ」に関して、伊藤氏が殊のほか熱弁を振るっていたことである。
俳句の「切れ」はよく問題にされる。
しかし、五・七・五・七・七を、五・七/五・七/七と読むのと(五・七調)、五・七・五/七・七と読むのでは味わいが違う、という。
確かに、五・七調で2回切れを入れ、4句切れにすろと、結句の7音の効果が、大きく違う(場合がある)。

Photo_4もう1つは、大岡信さんのキーワードの1つである「うたげと孤心=詞華集の編纂、歌合、連歌といった古典詩歌の創造の場としての「うたげ」、それに対峙する「孤心」の営為」についてである。
長谷川櫂氏の『震災歌集』中央公論新社(1104)の中の左の一首が事例として引用された。

人麻呂は、言うまでもなく万葉集を代表する歌人であって、座談会でも言及されていた。
興味深いのは、柿本(カキノモト)ではなく、杮本(コケラモト)ではなかったのか、という辻原氏の説である。
当時は、媒体として紙ではなく木が使われていたが(木簡)、木簡の材料が杮(コケラ)だったのではないか、というのである。
今、杮(コケラ)は、杮落しとして使われるくらいであるが、鉋屑(すなわちコケラ)などを落として落成するということから来ている意味だそうだ。

左の長谷川さんが歌集に引いた人麻呂の歌は、四国で詠まれたものと言われる。
東国から来たであろう防人が、異国に仆れている情景と理解される。
防人の故郷である東国は、いま未曾有の大災害に見舞われているのだ。
亡くなった防人よ、鶴でも白鳥でも変身して、はるかな故郷へ還れ、という意味だろう。

人麻呂の歌と呼応して、見事な作品だと思う。
うたげ、すなわち饗応が、時空を超えて成立している。
もうひとつ、西国の人へ、防人で助けてもらった東国に、今度はこの災害への救援を呼びかけているのだ、という解説があった。
なるほど、と思うが、そこまで読むのはなかなか難しい。

私と同じように、「はじめに」の「まだよくわからない」の語について、「その後はどうか」という質問が会場からあった。
⇒2011年7月 3日 (日):長谷川櫂『震災歌集』/私撰アンソロジー(3)
まだ「まだ」らしいが、『震災歌集』ができた後、ばったり歌が浮かんでこないそうだ。
『震災句集』は、苦闘中とのことである。

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