国難の時に政府が機能不全という最大不幸
不信任案を否決してから1カ月。
この間、菅首相がいつ辞めるのか、という不毛なイシューに振り回されている。
各紙が号外まで出して伝えた退陣表明。
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/245278
通常の理解力に立てば、不信任案可決という不名誉は避けたいから、自ら辞任するという意思決定をしたのだと思うだろう。
退陣を約束するということは、それほど時間を置かずに退陣すると考えるだろう。
それを一方的な思い込みだとして、自分で「一定のメド」がつくまでは、辞めないのだという。
子供たちの間で、「一定のメドがついたら」という言葉が流行っているそうである。
親:「早く宿題をやりなさい」
子供:「一定のメドがついたらね」
困ったものだ。
誤解が起きないように、いかにして曖昧な表現を避けるか。
ビジネスマンにとっては、もっともベーシックなスキルである。
それを逆手にとって、意識的に曖昧な表現を使う。
「こういう意味のハズだ」とお互いが譲らず、時間を浪費する。
「瑕疵ある意思決定」を故意に誘導したのだから、やはり詐欺の要件は満たしていると言えよう。
一流であるかどうかは別にしても。
⇒⇒2011年6月 8日 (水):菅首相は一流詐欺師(ビッグコンマン)たりえたか?
政権与党の執行部や一部閣僚すら嫌気がさしているらしい。
もはや政府は機能不全状態である。
http://sankei.jp.msn.com/politics/photos/110702/plc11070201110001-p3.htm
一時、 グーグル検索で「菅 有能」と入力すると、検索結果ページで「もしかして『菅 無能』」と出ることが話題になった。
「もしかして」の機能は、間違って入力したと思われる単語に対し、正しいと思われる単語を提示するものだから、「菅 無能」と検索する人が一定数いたことを示している。
http://www.j-cast.com/2011/04/12092887.html
毎日新聞に、「近聞遠見」という岩見隆夫氏のコラムがある。
6月25日は、『菅の「心境」を想像する』というタイトルが付いていた。
30年ほど前は、新聞の政治面に、折に触れ<心境モノ>と呼ばれる囲み記事があった。
政治記者の腕の見せ所であったが、ゴマスリになりがちなこともあって、消えてしまった。
「菅の心境ものを……」と言われたらどう書くか、という話題である。
岩見氏は、「菅は割合理解しやすい人物とみていたが、そうでもないことがわかってきた。複雑人間とも違う。」と書く。
菅にはトータル・イメージがなく、心境を推し量る因子が乏しいというのだ。
市民運動家であったことがウリかと思えば、「市民運動家と言われるのは好きでない」と国会答弁したりする。
場当たり、思いつき、思い込み、が菅批判の常套文句になっているが、<なぜこんなことになったのか>が自分でわからなくなっているようだ、と岩見氏は書く。
普通、その人の言った言葉は、心境理解の重要なキーである。
国会の会期延長を受けて、菅首相は「全力を挙げ、燃え尽きる覚悟で取り組んでいきたい」と最上級で決意表明した。
ところが、菅の言葉は、言葉が大仰なほど、表と中身のちがう浅薄さを感じて、心境理解に役立たないというのだ。
岩見氏は、首相の適格性は、私心をどこまで捨て切れるかに懸っている、という。
保身的心情を極力抑え、公に奉仕することができるか?
それができれば、「一定のめど……」などと退陣に条件をつけるはずがない。
岩見氏は、「実績が乏しい菅は、首相を辞め、一介の議員になることを恐れている。だから少しでも名が残るような仕事をしたい。それが保身、個人的野心である。」と結ぶ。
文脈からして、首相として適格性を欠いているということだろう。
もっとも、そんなことはずっと前から明らかなことではあるが。
この国難の時に、まさに最大不幸社会ではないだろうか?
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