梅棹忠夫は生きている
「人が完全に死ぬのは、皆がその人のことを忘れ去った時だ」というような意味の言葉を聞いたことがある。
梅棹忠夫は、物理的には、去年の7月3日に亡くなった。
⇒2010年7月 7日 (水):梅棹忠夫さんを悼む
しかし冒頭のような意味では、ますます「生き生きと、生きている」といっていいだろう。
3月11日の天変地異とそれによってもたらされた未曾有の大災害を前にして、「梅棹さんならば、どう言うだろうか?」と思った人は多いはずだ。
「中央公論」11年8月号に、佐倉統氏が『梅棹忠夫と3.11』という巻頭論文を書いている。
佐倉氏は、進化生物学者、東京大学 情報学環・学際情報学府教授である。
松岡正剛さんの「千夜千冊」のサイトの第三百五十八夜(010816)に、『現代思想としての環境問題 脳と遺伝子の共生』が取り上げられている。
その他にも、河出書房新社の「文藝別冊」で「梅棹忠夫-地球時代の知の巨人」(1104)があり、季刊「考える人」の11年夏号で「追悼特集梅棹忠夫-「文明」を探検したひと」という大特集がある。
死して1年を閲して、その存在感が否応なく高まっている。
佐倉氏の論文は、梅棹の死の直前の昨年6月19日に、国立民族学博物館で開催された日本展示学会の回想シーンから始まる。
この梅棹さんが中心になって設立され、初代会長を務めた学会に参加した帰りに、佐倉氏は、「薄暮の中の太陽の塔」に見下ろされ、挑発されているように感じた。
佐倉氏は、梅棹の足跡を、論壇で着目された論文等によってレビューする。
広く論壇で注目を集めたのは、1957年の「文明の生態史観」によってであった。
日本と西欧の並行進化を説いたこの論文は、論壇を覆っていたマルクス主義の軛に風穴を開けたとされる。
1959年には「妻無用論」を発表して、家事労働の将来像を展望し、家事専従者は不要になって、女性が社会で働く世の中が来るとした。
50年後の今日、梅棹の予測は、ほぼ的中しているといってよい。
1963年には、「情報産業論」を発表した。
私の個人史の中で、「情報産業論」は特別に大きな意味を持っている。
発表された1963年は、大学に入った年である。
しかし、重要な意味をもって迫って来たのは、最初の就職に疑問を持ち、転職を考え始めたときだと思う。
⇒2010年7月18日 (日):「情報産業論」の時代/梅棹忠夫さんを悼む(6)
化学系の学科を修了して、化学系の会社に就職した。
この就職についても、人並みにあれこれ考えた。私の父親は早く亡くなっていたので、身内で相談する人もいなくて、就職担当教授に相談をしてみた。
「最近できたばかりの野村総合研究所というシンクタンクが理系の卒業生にも門戸を開いているんですが……」
教授の反応は、「工学部の学生は、実業をやりなさい」だった。
バブル期には、理工系の卒業生が、金融・証券等の業界に殺到して問題視された。
特に東大工学部の機械工学系の卒業生の就職先の動向が注目されることがある。
それは、彼らが、全業種で受け入れられるので、その時々の就職人気産業を示すからであるが、長期的にみると、「企業の寿命は30年」などといわれる中で、30年先の構造不況業種を示唆するとも考えられるからだ。
私の就活はバブルよりずっと前のことであり、まさに工業社会の絶頂期であったが、新しく勃興しつつあった情報産業に魅力を感じたのだった。
就職担当教授の指導に従い、石油化学の会社に就職して日常業務に従事しながら、「自分はこれでいいのか?」という疑問が次第に大きくなっていった。
いわゆる情報化社会論や未来学の書籍も結構溢れていたが、直接的な後押しをしたのは、藤原肇『石油危機と日本の運命―地球史的・人類史的展望』サイマル出版会(1973)であった。
当時、34歳くらいだった藤原さんは、ほとんど無名に近い存在だった。どうして手にしたのか記憶にないが、この書が、私の工業から情報産業への転機となったことは間違いない。
1969年には、『知的生産の技術』が発刊される。
現在のパソコンを使ってデータ整理や文章執筆と同様の内容を、40年以上前に梅棹は具体化していた。
1987年には、「メディアとしての博物館」というコンセプトを提唱している。
今日、博物館をメディアといってもさしたる違和感がないが、当時にあっては相当に先進的な理念であった。
1988年に両目の視力を失うが、その後も驚くべき生産性を発揮している。
佐倉氏は、老人の生きがい論、介護論の注目すべき事例だとするが、同感である。
⇒2010年7月17日 (土):ハンディキャップとどう向き合うか?/梅棹忠夫さんを悼む(5)
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