震災復興会議の提言と「霞ヶ関文学」/花づな列島復興のためのメモ(2)
発災から今日で4ヶ月である。
福島県南相馬市の肉牛の餌にする藁から、基準値を越える放射能が検出された。
この餌で育った食肉の一部がすでに市場に出回り、消費されているものもあるという。
生産者にとっても、消費者にとっても悲劇というべきだろう。
悲劇はその他にもある。
例えば、仮設住宅に住んでいる被災者の孤独死が相当数いる。
慣れぬ住宅と人間関係から、ストレスも増進することは容易に想像できる。
このように、自宅を離れて避難生活を余儀なくされている人が、まだ11万人以上いる。
一方で、退陣表明(?)した首相は、1月以上経っても、依然として続投に強い意欲を示している。
ほとんどの人が退陣表明と受け止めた演説は、実は無期限続投したいという意思表示だったのである。
復興担当大臣は就任後間もなく辞任せざるを得なかったし、原発の運転の可否に関する新基準についても、必ずしも好意的に受け止められていない。
なんとなくチグハグ、というよりも、やはり政権の体をなしていないというべきであろう。
世論調査でも内閣支持率は、首相交代以来最低の水準である。
東日本大震災からの復興の指針となるべきものとして、復興構想会議から「復興への提言~悲惨のなかの希望~」が6月25日に政府に提出された。
いよいよ、復興へ向けて本格的な政策が実施されていくことになるだろう、と期待したい。
菅政権は、復興会議の提言を待つという形で、敢えて言えば、モラトリアム状態のことが多かったからだ。
もちろん、復旧と復興は「違う」という観点からすれば、緊急の復旧の遅れの隠れ蓑として使うこと自体間違いと言うべきなのだが。
「復興への提言~悲惨のなかの希望~」は、次のような構成になっている。
復興構想7原則
Ⅰ.前文
Ⅱ.本論
Ⅲ.結び
もちろん、中心は「Ⅱ.本論」である。
これは、次の4章から成る。
第1章 新しい地域のかたち
第2章 くらしとしごとの再生
第3章 原子力災害からの復興に向けて
第4章 開かれた復興
目次を見た限りでは、必要なことには目配りしている、という印象である。
しかし、あくまで一般論というか抽象論・「考え方」のレベルであって、こういうものならばもっと早く出せるのではないだろうか。
本論に入る前に、先ず目に入るのが「前文」部分である。
破壊は前ぶれもなくやってきた。平成23年(2011年)3月11日午後2時46分のこと。大地はゆれ、海はうねり、人々は逃げまどった。地震と津波との二段階にわたる波状攻撃の前に、この国の形状と景観は大きくゆがんだ。そして続けて第三の崩落がこの国を襲う。言うまでもない、原発事故だ。一瞬の恐怖が去った後に、収束の機をもたぬ恐怖が訪れる。かつてない事態の発生だ。かくてこの国の「戦後」をずっと支えていた“何か”が、音をたてて崩れ落ちた。
・・・・・・
かくて「共生」への思いが強まってこそ、無念の思いをもって亡くなった人々の「共死」への理解が進むのだ。そしてさらに、一度に大量に失われた「いのち」への追悼と鎮魂を通じて、今ある「いのち」をかけがえのないものとして慈しむこととなる。そうしてこそ、破壊の後に、「希望」に満ちた復興への足どりを、確固としたものとして仕上げることができると信ずる。
名文である。美文と言ってもいいだろう。
しかし、発災後4ヶ月経ってもまだ現在進行中という状況に対しては、美文過ぎるような気もする。
この国の「戦後」をずっと支えていた“何か”とは何か?
文脈的には、後ででてくる「現代文明(の脆弱性)」ということになろうが、余りに抽象的であるように思う。
大震災によって文明のあり方が問われていることは、発災直後の多くの人が感じたことだろう。
⇒2011年3月22日 (火):津々浦々の復興に立ち向かう文明史的な構想力を
「本論」の評価は、成果との関連でなされるべきであると考える。
この提言が、今後の復興をダイナミックに牽引していく力を発揮するか否か。
しかし、「提言」が「霞ヶ関文学」ではないのかと危惧する人がいる。
「霞ヶ関文学」に通暁している岸博幸・慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授である。
「霞ヶ関文学」とは何か?
今の日本で、「ある意味」レトリックに最も長けているのは、霞ヶ関の官僚であろう。
それは、彼らの作成する文書が一国の政策を規定するのであるから、当然のことでもある。
しかし、彼らのレトリックは、必ずしも文意を明晰にするために用いられるものではない。というよりも、むしろ逆の方向に使われることが多いようだ。
官僚のレトリックを、「霞ヶ関文学」というらしい。
霞ヶ関文学とは、法案や公文書作成における官僚特有の作文技術のことで、文章表現を微妙に書き換えることで別の意味に解釈できる余地を残したり、中身を骨抜きにするなど、近代統治の基本とも言うべき「言葉」を通じて政治をコントロールする霞ヶ関官僚の伝統芸と言われるもののことだ。
霞ヶ関文学では、たとえば特殊な用語の挿入や、「てにをは」一つ、句読点の打ち方一つで法律の意味をガラリと変えてしまうことも可能になる。また、特定の用語や表現について世間一般の常識とは全く異なる解釈がなされていても、霞ヶ関ではそれが「常識」であったりする。若手官僚は入省後約10年かけて徹底的にこのノウハウを叩き込まれるというが、明確なマニュアルは存在しない。ペーパーの作成経験を通じて自然と身につけるものだといわれるが、あまりに独特なものであるため、政治家はもちろん、政策に通じた学者でも見抜けないものが多いとも言われる。
元通産官僚が明かす「霞ヶ関文学」という名の官僚支配の奥義
どういうことであろうか。
実例を見てみよう。
道路公団や郵政改革でよく耳にする民営化という言葉があるが、「完全民営化」と「完全に民営化」とが、霞ヶ関文学では全く別の物を意味すると言う。「完全民営化」は株式と経営がともに民間企業に譲渡される、文字通りの民営化を指すが、「完全に民営化」になると、法律上3パターンほどあり得る民営化のどれか一つを「完全」に実現すればいいという意味になるというのだ。つまり、「完全に民営化」では、一定の政府の関与が残る民間法人化や特殊法人化でも良いことになるという。しかも驚いたことに、霞ヶ関ではそれが曲解やこじつけではなく、ごくごく当たり前の常識だと言うのだ。
同上
確かに、一般人では見分けることができないだろう。
民主党が、政治主導の旗を高く掲げて政権交代を果たしたものの、さっぱり期待した効果を上げ得ないのも霞ヶ関文学に通暁した政治家が少ないからではないか。
今まで野党だったのだから、官僚を使いこなす経験が足りないのは止むを得ない。
早く自分たちの経験不足に気づいて、官僚を味方にすることに意を注ぐべきなのだが、首相みずから、自分で何に対してもイニシアティブを持っているような印象を与えることを第一に考える。
政治は、結果が問われるのであって、どう見えるかが問題なのではないにもかかわらず、である。
⇒2011年1月22日 (土):民主党の政治主導とは何だったのか?
⇒2011年5月29日 (日):菅政権における政治主導の失敗学/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(38)
霞ヶ関文学の解説者の岸博幸教授は、次のように言う。
菅政権は、政策面では基本的に官僚依存の政権なのですが、それがもっとも如実に現れているのが、復興構想会議の提言だと思います。
この報告書は、最初の前文は同会議の委員が書いたであろう文学的な表現になっていますが、本論は霞ヶ関文学の羅列になっているからです。
・・・・・・
このように客観的に提言の中身を見ると、議長や首相がいくら強弁しようとも、この提言は基本的には官僚主導で作られたと考えざるを得ません。被災地の復旧・復興のために必要なのは前例に囚われない改革的な政策のはずなのに、抽象論ばかりが並び、具体策まで書いてあるのは基本的に官僚がやりたいことだけというは、はっきり言って松本前復興相の発言以上に被災地の方々に対して失礼だと思います。
「霞ヶ関文学」の羅列になった復興構想会議の提言で見えた菅政権の引き際
松本復興相の辞任劇で水を差された復興への動きであるが、その後も菅政権の取り組みにはダイナミズムが感じられない。
未曾有の大災害から復興は、別の政権によるしかないと思われる。
⇒2011年3月18日 (金):菅首相の器のサイズと事態の深刻さのミスマッチ
長谷川櫂氏の一首が見事に表現しているのではないか。
⇒2011年7月 3日 (日):長谷川櫂『震災歌集』/私撰アンソロジー(3)
かかるときかかる首相をいただきてかかる目に遭ふ日本の不幸
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