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2011年7月24日 (日)

様々なる引き際-魁皇、湛山、菅総理

不祥事で2場所休みだった大相撲が再開した。
昨日の白鳳-日馬富士戦は、さすがに力のこもった一番だったように思えた。
日馬富士が白鳳の連覇新記録を阻止して優勝を決めたが、見ごたえがあった。

この場所は、大関魁皇が現役を引退した場所としても記憶されるだろう。
初土俵以来23年以上の長きに渡る現役生活だった。今場所は、千代大海と並ぶ史上1位タイの大関在位数65場所目だった。
初日から3連敗し苦戦を強いられたものの、4日目で千代の富士の持つ通算1045勝に並び、5日目に2勝目をあげて、通算勝星史上単独1位となる通算1046勝の記録更新となった。
10日目を終えた時点で3勝7敗と負け越しがほぼ確定的となり、取組後の記者懇談で「気力が出なくなった」と漏らし、宿舎に戻り師匠と話し合った末、現役を引退することを決めた。
本人の言う通り、悔いの残らない現役生活だっただろう。

それに引き換え、いつまでも地位にしがみついて見苦しいのは菅総理である。
私は子供の頃、石橋湛山が総理大臣を辞めた時のことをぼんやりとではあるが憶えている。
Wikipedia 110711最終更新によれば、その経緯は以下のようであった。

内閣発足直後に石橋は全国10ヵ所を9日間でまわるという遊説行脚を敢行、自らの信念を語るとともに有権者の意見を積極的に聞いてまわった。しかし帰京した直後に自宅の風呂場で倒れる。軽い脳梗塞だったが、報道には「遊説中にひいた風邪をこじらせて肺炎を起こした上に、脳梗塞の兆候もある」と発表した。副総理格の外相として閣内に迎えられていた岸信介がただちに総理臨時代理となったが、2ヵ月の絶対安静が必要との医師の診断を受けると、石橋は「私の政治的良心に従う」と潔く退陣した。1957年(昭和32年)度予算審議という重大案件の中で行政府最高責任者である首相が病気療養を理由に自ら国会に出席して答弁できない状況の中での辞任表明には、野党でさえも好意的であり、岸の代読による石橋の退陣表明を聞いた日本社会党浅沼稲次郎書記長は石橋の潔さに感銘を受け、「政治家はかくありたいもの」と述べたと言う。石橋の首相在任期間は65日で、東久邇宮稔彦王羽田孜に次ぐ歴代で3番目の短さである。日本国憲法下において、国会で一度も演説や答弁をしないまま退任した唯一の首相となった。後任の首相には岸が任命された。

当時は中選挙区制であり、湛山の選挙区は、東・中・西と三分される静岡県の伊豆半島を含む東部(静岡2区)であった。
この頃の当選者は以下のようであった。
Ws000001

遠藤三郎は建設大臣、勝間田清一は日本社会党の委員長を務めた。久保田豊は、鴨緑江の水豊ダムで有名な日本工営の創業社長。山田弥一は熱海の旅館大月ホテルの創業者であり、同じく熱海のつるやの創業者畠山鶴吉と激しく争う仲だった。
大月ホテルもつるやも、廃業したり経営破綻して再建中であり、熱海の老舗旅館も苦難の時代で、往時の勢いはない。
もちろん私は選挙権がなかったが、結構多士済々の選挙区だったと言えよう。

石橋湛山は、保守合同後の初代自民党総裁であるが、岸信介、石井光次郎と争った総裁選は、1位の岸を2・3位連合で逆転するという劇的なものとして語り継がれている。
戦前は東洋経済新報に拠り、日本の植民地政策を批判して加工貿易立国論を唱えた。
一流の言論人であり、今の政治家と比べると……、と思うのは私が馬齢を加えたということか。

石橋が首相を退陣した時の潔さは高く評価されることが多い。
しかし、弁護士の正木ひろしは、、私的な感情で「公務(首相の地位)を放棄した」と厳しく批判した。
正木が生きていれば、「私的な感情で首相の地位にしがみつく」菅総理をどう評価したであろうか。

世に引き際は多様である。
小林秀雄風に言えば「様々なる引き際」ということになろうか。
よく知られているように、小林秀雄の文壇デビューは、雑誌「改造」の懸賞に、『様々なる意匠』を以て応募したことによる。
小林は2位に留まったが、1位は宮本顕治の『敗北の文学』であった。現在の時点でみると、まことにレベルの高い懸賞で、総額がいくらだったかは知らないが、十分に元はとっているといえよう。
それにしても、マスコミでは当たり前のように、「退陣三条件」などと言っているが、自分の退陣を重要な政策課題と絡めること自体がおこがましいのではないかと思う。

訂正
上記で「石橋湛山は、保守合同後の初代自民党総裁である」としているのは、第2代総裁の間違い。
「保守合同後初の総裁選で総裁に選ばれた」とすべきであった。
7月27日

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