アマチュアリズム/梅棹忠夫は生きている(4)
佐倉統氏は、受け継ぐべき梅棹の思想として、リビング・サイエンスと共に、アマチュアリズムを挙げる。
→「中央公論」11年8月号の『梅棹忠夫と3.11』
梅棹の初期の文章に、『アマチュア思想家宣言』がある。
「思想の科学」の創刊号(5404)に載せたものである。
1963年に「思想の科学」の『思想の科学の主題』という特集で採録された(『著作集12巻』)。
初出の時の1954年の世相を覗いてみよう。
・3月1日、太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行い、第五福竜丸が被曝した。
・6月2日、近江絹糸で「人権ストライキ」。世論は組合を支持。9月に妥結。
・7月1日に防衛2法が施行され、3自衛隊を統括する防衛庁が総理府の外局として設置された。
・7月に、東通工(現=ソニー)が東京のデパートでトランジスタの「展示即売会」を開催。
・9月26日、青函連絡船「洞爺丸」が暴風のため航行不能となり、高波を受けて沈没した。
1954年[ザ・20世紀]
ほんの一端であるが、戦後復興から高度成長へ移行しようとしてした時期であることが窺えよう。
翌1955年には保守合同と社会党統一がなされ、「55年体制」が成立した。
私としては、映画「ゴジラ」が公開されたのが1954年であったことに注意を喚起しておきたい。
⇒2011年5月 9日 (月):誕生の経緯と香山滋/『ゴジラ』の問いかけるもの(1)
⇒2011年5月10日 (火):技術の功罪と苦悩する化(科)学者/『ゴジラ』の問いかけるもの(2)
⇒2011年5月19日 (木):核エネルギー利用と最終兵器//『ゴジラ』の問いかけるもの(3)
ゴジラ[東宝](11月3日封切)
<度重なる水爆実験により安住の地を破壊されたゴジラが放射能をまとい東京に上陸する。「ゴジラ」はゴリラとクジラの合成語で、社員のあだ名から名付けられた。制作費は破格の6300万円>
[監督]本多猪四郎、[特技監督]円谷英二、[出演]宝田明、河内桃子、志村喬
1954年[ザ・20世紀]
年譜によれば、梅棹は、1952年に肺結核の診断をうけ、2年間の自宅療養生活送る、とあるから療養中の作品であろうか?
梅棹は、『アマチュア思想家宣言』で何を宣言したのか?
当時は世相から窺えるように、論壇の主流は、講壇マルクス主義者によって占められていた。
梅棹はカメラを引き合いにして、思想を論じる。
梅棹がカメラのことを知りたいと思い、入門書をみると、むつかしそうなことがたくさん書いてある。
たとえば各種レンズの球面収差について書いてあるが、球面収差とはなにか、ということは書いてない。
読んでわかるのは、読む前から分かっている人だけだ。
つまりカメラのプロである。
思想も同じようである。
思想について論じられているが、分かるのはプロ思想家だけではないか。
思想の本は、一般人の役に立たない。
役に立たないのは思想の本や雑誌であって、思想そのものは役に立つ。カメラの本が役に立たなくてもカメラは役に立つのと同じように。
梅棹は、思想に対する接し方に次の2通りがあるという。
1.思想を論ずる。
2.思想をつかう。
思想を論ずるのは思想家の仕事であり、思想をつかうのは、民衆の仕事である。
思想は論じられるものである、という考えが圧倒的であった思想界に、梅棹はアンチテーゼを立てる。
思想はつかうべきものである、と。
思想は西洋かぶれのプロ思想家の独占物ではないのであって、アマチュアたる土民のだれかれの自由な使用にゆだねるべきである。プロにはまかせておけない。アマチュア思想道を確立するべきである。
佐倉氏も言うように、思想を科学技術に、思想家を科学者・技術者に置き換えれば、リビング・サイエンスと同じことである。
「思想の科学」は、いわゆる思想雑誌の一種だろうが、創刊号から梅棹のような、自称アマチュアに誌面を開放しているのは英断で、毎号アマチュアに勝手にしゃべらせろ、と梅棹は提案して(アジって?)いる。
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もう1つは、大岡信さんのキーワードの1つである「うたげと孤心=詞華集の編纂、歌合、連歌といった古典詩歌の創造の場としての「うたげ」、それに対峙する「孤心」の営為」についてである。
















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