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2011年6月12日 (日)

黄瀬川クラシックコンサート・ファイナル

静岡県裾野市は、文字通り、富士山の裾野にある。
市のオフィシャルサイトには次のようにある。

裾野市は静岡県の東、富士山のふもとに広がり、東には箱根外輪山、西には愛鷹連山と豊かな自然に囲まれた工業のまちです。
人口は54,531人(平成23年1月1日現在)、面積138.17平方キロメートル。気候は温暖で、交通の便も良く、豊かな自然と産業が調和したまちです。
また、裾野市は『健康文化都市』を宣言し、誰もが健康で、人と自然のふれあいを大切にして、豊かな裾野の文化を作り続けることを目指しています。
そして、わたしたちの一番の自慢は雄大な富士山の眺望です。稜線が最も美しく、優雅で、気品に満ちた四季折々の富士山を、ぜひご覧ください。

Photo_2 その自然環境の中で、美しい音楽を聴き、観光振興にも貢献しようと、20年ほど前に「富士山麓国際音楽祭」が始まった。
指揮者兼フルート奏者に金昌国氏を音楽監督として、国内外の一流の演奏家を集め、グレードの高い音楽会だった。
しかし、企画実行の中心人物だったS氏が体調を崩したことなどにより、数年前に終了となった。

私見を言えば、金氏とS氏の目指した路線が、いささか大衆のレベルから遊離していたように思う。
もう少し馴染のあるいわゆる名曲を増やしても良かったのではないかと思う。
例えば、「ベートーベン交響曲第2番」と聞いてどんな曲であるかピンとくる人は相当マニアックではないだろうか?
大都市ならともかく、人口5万人程度の地方都市で集客するにはちょっと無理があったように感じる。

谷川雁は、かつて工作者の思想として、、「大衆に向かっては断乎たる知識人であり、知識人に対しては鋭い大衆である」存在を唱えたことがあった。
政治家は保守とか革新という枠を超えて、本質的に工作者としての性格を持っている、あるいは持つべきではないか?
だから政治家にとっては未だ味読すべき言葉だとは思うが、大衆と知識人の境界が曖昧になった時代では、とうに忘れ去られてしまっているのだろうか。
ポピュリズムに陥ることなく、なおかつ大衆から遊離することなく、というのは至難の課題である。

Photo_3 「富士山麓国際音楽祭」に連動して、「黄瀬川クラシックコンサート」が開催された。富士山麓が一流のプロの演奏家によるものであるのに対し、こちらは基本的にはプロの卵(?)の演奏家による。
黄瀬川は、裾野市の中心部を縦断し、沼津市で狩野川に合流する。
コンサート会場の裾野市民文化センター(アザレアホール)は、黄瀬川沿いにあるので、相応しい名前だろう。

その「黄瀬川クラシックコンサート」が今年第20回という節目を迎えたのを機に、「ファイナル」となった。
中心となっていたF女史が後進に道を譲りたい、ということである。
草の根的な活動が、国際的な音楽祭を可能にすると思うので、F女史の志を継いでいって欲しいと思う。

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