『マイ・バック・ページ』
退院してから、初めて映画を見てきた。
清水港にあるエスパルスドリームプラザという商業施設の中にある「MOVIX清水」というシネコンである。
私が観たいと思った『マイ・バック・ページ』が、県内では、ここと浜松でしか上映していない。しかも、17:30~の1回だけである。
妻は、夜の運転はイヤだというので、電車で出かけることにした。
帰りの運転がないのであれば、妻は自分が観たい『プリンセス トヨトミ』の2本立てでどうか、ということになった。
複数本の映画は、昔は当たり前だったが、ずい分久しぶりである。
エスパルスドリームプラザは、結構な賑わいぶりで、震災の影響は特に感じられなかった。
映画館フロアも人がいっぱいだったが、両作品とも座席には余裕があった。
『マイ・バック・ページ』は、川本三郎さんの同名の作品が原作である。
川本さんは私と同世代の作家であり、馴染のある題材が多い。
「週刊朝日」や「朝日ジャーナル」等の記者を経て、作家になったが、1969~1972年の週刊誌記者時代の体験を基にした作品である。
物語の軸になっているのは、現実に起きた赤衛軍を名乗る自衛隊員刺殺事件である。
1971年8月21日、陸上自衛隊朝霞駐屯地でパトロール中の自衛隊員が刺殺される。現場には「赤衛軍」と書かれた赤ヘルメットと、闘争宣言と題されたビラが残されていた。ビラによれば赤衛軍の目的は武器奪取であったが、奪われたものは隊員の腕章だけであった。
首謀者であった日大生Kはその年の11月に逮捕されるが、彼の供述によって、当時京大経済学部の竹本信宏助手(ペンネーム:滝田修)が赤衛軍の頭目として指名手配され、竹本氏はその後11年に及ぶ潜伏逃亡生活を送ることになる。他にも、朝日ジャーナルの記者であった川本三郎も、Kの証拠隠滅に手を貸したとして逮捕され、退社を余儀なくされている。
この事件は勃発当時から謎に包まれていた。その駐屯地侵入・隊員刺殺という行動があまりにも突発的で、赤衛軍なる組織も全く知られていなかった。そのころの学生運動周辺でウロウロしていた私や友人たちも、皆あれは謀略だと噂していたものだった。
http://med-legend.com/mt/archives/2006/08/post_818.html
私は既に社会人になっていた。この事件は、不自然なことが多く、フレームアップの可能性が大きいのでは、と思った記憶があるが、実態は知る由もなかった。
川本さんは、当事者の1人だったらしい。
上記の日大生Kとあるのは、菊井某といい、映画では片桐という名前が与えられて、松山ケンイチが演じている。
小雪さんと結婚して有名になった俳優である。
赤衛軍は、赤邦軍という名称で、上記の引用がほぼ忠実に映画化されている。
川本さん役は、沢田という名前で、売出し中の妻夫木聡が演じている。
片桐の言葉を疑いながらも、当時の若者に通有の左翼シンパの心情から、結果的に片桐らの犯行に加担してしまう沢田。
実際に、川本さんも、朝日新聞社を懲戒免職になり、懲役10か月、執行猶予2年の判決を受けた。
滝田修のペンネームで活動していた竹本信弘さんも、前園という名前で重要な脇役として登場している。
黒幕とは言っても、30歳を超えたばかりであったことを考えると、皆若かったと改めて思う。
むしろ未熟という方が妥当ではあるのだろうが。
Wikipediaには次のように書かれている。
1968年、若手研究者として将来を嘱望される一方、京大闘争が始まると、助手の立場から参加。この頃から「滝田修」のペンネームで積極的に論文を執筆するようになる。パルチザンを組織して闘争を行うことを主張。その暴力革命論は全国の全共闘系学生に心情的影響を与えた。竹本に影響を受けた学生の中には同大学出身の奥平剛士や安田安之らがおり、2人は1972年にテルアビブ空港乱射事件を起こした。
今は昔の話である。
後に、自ら「滝田修解体宣言」という形で自己批判したらしいが、その影響力を償えるものではないだろう。
終演は20時過ぎ、家に着いたのは22時くらいだったので、さすがに疲れた。
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