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2011年6月18日 (土)

菅と鳩山の理念と現実と信義/「同じ」と「違う」(28)

日経新聞の6月16日夕刊に、『「友愛」と「ペテン」の間で』という記事が載っていた。
副題は、「鳩・菅15年、理想と現実」。菅現首相と鳩山前首相の「つき合い」の歴史を振り返ってみたものである。
それを一図にまとめたのが下図である。
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「新党さきがけ」で一緒だった2人は、96年にさきがけを離党し、9月に「旧民主党」を結成し、共同代表となった。
15年前は2人ともフレッシュに見える(た)。

02年9月の代表選で菅を破った鳩山は、中野寛成の幹事長人事でつまづき、小沢一郎率いる自由党との合併で乗り切りを図ったが、党内の反小沢感情に乗じて鳩山批判の急先鋒となったのが菅だった。
鳩山辞任後、後を継いだ菅は、鳩山降ろしの材料として民由合併への反発を利用したにもかかわらず、豹変して民由合併に進んだ。

10年5月に政権運営に行き詰った鳩山は、事実上、菅に禅譲した。
しかし、菅は、代表選で樽床伸二を大差で下したこともあって、禅譲されたという意識はなく、独自路線をとる。
10年7月の参院選では、09年の衆院選で鳩山が掲げたマニフェスト(政権公約)にはない消費税率を持ち出し、惨敗した。
10年9月の代表選で、菅の対立候補に立った小沢一郎は、鳩山を民由合併の同志と持ち上げた。
当時の代表であった菅への当てこすりである。
菅は、鳩山と小沢を敵に回して、代表選に勝って、自信を深めた。

そして、不信任案をめぐるドタバタである。
2人の関係は修復し難いところまで決裂した。

以上が、日経記事のほぼ忠実な要約である。
鳩山はルーピーぶりを遺憾なく発揮し、「ペテン師」と罵られた菅は、次々と延命の細工を仕掛けて退陣時期を明言しない。
菅のあざとさが鮮明になった半月であるが、上記の民由合併のいきさつに見られるように、それが菅の身上なのだ。

菅のことをバルカン政治家と評する人もいる。

20世紀前半の東ヨーロッパで小国が乱立する中を行き抜くイメージである。日本では主に三木武夫を指して言われた。三木は戦前に代議士となり、戦中も翼賛選挙を非推薦で勝ち抜き、戦後は国民協同党とか改進党とか、今では現代史研究者しか覚えていないような小党を渡り歩き、田中角栄失脚後の1974年に「椎名裁定」で政権の座についた。
僕は菅直人は現代の「バルカン政治家」だと思う。

http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/6e6b7884160f729facd8a5553ad8d958

しかし、山内昌之東大教授の次の評言の方が相応しいだろう。

確かに菅氏は、その時々の状況に応じ敵味方を目まぐるしく変える本能に恵まれており、他者との関係を政治力学の変動によって変幻自在に操作できたかもしれない。しかし菅氏の才は、内政とくに民主党内での権力行使に限られる。バルカン半島とは異質な複雑さをはらむ東アジアや東シナ海の国際関係での同盟や友好、ひいては敵対や摩擦に向かいあうことはなく、中国や韓国の首脳に苦汁を呑(の)ませる胆力を発揮したこともない。菅氏を指すバルカン政治家なる呼称は、ひたすら内政の党争次元での個性を表現したものなのだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110614/plc11061403030010-n1.htm

菅も鳩山も、クリーンを売りにしてきた。
しかし、結局自分の「政治とカネ」の問題にも決着をつけることができなかった。
日経新聞では、鳩山を理想主義、菅を現実主義としているが、2人の共通点は、「言葉の軽さ」であろう。
私は政治家の武器は言葉であり、政治家にとって言葉は本質的な要素だと思う。
鳩山が菅を「ペテン師」と評したが、このことが言葉の軽さを表わしている。

私は、社会人として行動する中で、「信義則」の重要性を学んだ。
契約書の類には、大体次のような文言が記載されていた。
「疑義ある時は、双方信義誠実の原則に基づき協議する」
つまり、「信義則」である。

しんぎ‐そく【信義則】

    社会共同生活において、権利の行使や義務の履行は、互いに相手の信頼や期待を裏切らないように誠実に行わなければならないとする法理。信義誠実の原則。http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/113665/m0u/

「信義則」は、たとえ契約書等に明記していなくても、当然守るべき前提であるといわれた。
人は、政治家に「信義則」を求めるのは、八百屋に行って魚を求めるようなものであるというかも知れない。
しかし、これは理想主義とか現実主義という以前の人間としての問題ではないか。
有権者との「契約」と見なすことができる「マニフェスト」を、弊履のように軽く扱うという点において、2人は瓜二つである。

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