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2011年6月 3日 (金)

金子詔一さんの『ランドセルの歌』

『今日の日はさようなら』という永く歌い継がれる名曲を作詞作曲した金子詔一さんが、新しく開設したオープンハウス「一人静か」で、東日本大震災義援のためのチャリティ・イベントを開催したことは既に紹介した。
⇒2011年4月13日 (水):左手のピアニスト・智内威雄さんの演奏を目の前で聴く
その時のビデオ映像が届いた。

オープンハウス周辺には桜吹雪が美しく舞って、季節が確実に移り変わっていることを実感できた。
桜花を愛でることは、日本列島に生きる幸せの一つだろう。
しかし、被災地ではようやく復旧の歩みが始まろうかという現実があった。

子供たちがポニーと遊ぶ溌剌とした姿や、音楽家たちの奏でる美しいハーモニーに、萎えそうになりがちな傾向に、改めて「喝」を入れられた思いがする。
金子さんの活動等については、下記サイト等を参照されたい。
http://www.fia2400.com/fiaj/index_j.html

金子さんには『今日の日はさようなら』以外にも、心に響く歌を作られている。
例えば『ランドセルの歌』である。
カセットテープで聞いたことがあったが、ムリなお願いをしたところ、CD版を送って頂いた。
以下の詞は、聞き書きの上、金子さんのチェックを受けていない。だから著作権的な問題もあるかも知れない。

ランドセル 歌ってた 僕たちの 背中で
一年生の 背中には 大きすぎた ランドセル
ラララ ランドセル 覚えてる あの頃の 僕たちを
思い出 包んでる 包んでる
先生に 叱られた 学校の 帰り道
ランドセル 泣いていた 悲しそうに カタコトと
だけど 先生に ほめられた こともある
背中が 温かい 温かい

ランドセル 開けてみる 教室の 匂いです
友達の 笑い声 先生の 声がする
ラララ ランドセル 覚えてる 僕たちの 六年間
思い出 包んでる 包んでる
小さくなった ランドセル 僕たちの 背中で
今別れの 時がきた 有難う ランドセル
だけど ランドセル 歌ってる いつまでも いつまでも
僕らの 背中で 歌ってる

ラララ ランドセル 歌ってる いつまでも いつまでも
僕らの 背中で 歌ってる
ラララ ランドセル 歌ってる いつまでも いつまでも
僕らの 背中で 歌ってる
(繰り返し)

子育ての経験がある人ならば、良く理解できるのではないだろうか。
妻の話では、金子さんのご子息が小学校を卒業する時の作品だそうだ。
そして今や私たち夫婦は、孫のRクンがランドセルを背にする姿が待ち遠しい歳になった。

ランドセルというのは不思議なモノだ。
明らかに単なる小学生用のバッグという以上のモノである。
一種の記号として、象徴的な意味を担っている。

ランドセルだったからこそ、いわゆるタイガーマスク運動があのような共感の輪を喚起したのだろう。
⇒2011年1月12日 (水):出口の見えない菅政権と民主党解党という選択肢
タイガーマスク運動はいまさら説明するまでもない。Wikipedia(110414最終更新)の解説を見よう。

2010年12月25日、「伊達直人」を名乗る正体不明の人物から、群馬県中央児童相談所へランドセル10個が送られたことを皮切りに、2011年1月1日には神奈川県小田原児童相談所にも同人物名義で寄付が行われるなど、全国各地の児童養護施設へ複数存在すると思われる「伊達直人」からの寄付行為が相次いだ。これらの寄付行為は、寄付者の名義である「伊達直人」が、漫画「タイガーマスク」の主人公で、自らが育った孤児院へ素性を隠して寄付をする人物と同名であることから、「タイガーマスク運動」と呼ばれるようになった。またこの寄付行為を全国で相次いでいる現象と見て「タイガーマスク現象」と呼ぶこともある。

大震災の前から、日本社会は物質的な豊かさ(≒GDP)に替わる価値観を求め始めていたのだと思う。
それは『ランドセルの歌』が呼び起こす感情と通底するものであろう。

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