安野光雅さんの描くふるさとの風景/京都彼方此方(1)
安野光雅さんの「洛中洛外」シリーズの連載が産経新聞で始まった。
第1回は、嵐山法輪寺である。
春の嵐山はさわやかだった。狭い住宅街を抜けて車が桂川左岸へと出たとたん、青い山並みと桜、銀色の川面が目の前に広がっていた。
「ここから描こう」と椅子をとりだしたのは、有名な渡月橋からずいぶん下流の変哲もない土手の上である。
目の前に、嵐山中腹に建つ法輪(ほうりん)寺の屋根が見えた。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110501/art11050107300002-n1.htm
私は青春の6年間を京都で過ごしたが、桂川べりは余り馴染がない。
それでも渡月橋付近は何回か出かけたことがあるが、この絵の場所に立ち止まって景色を眺めた記憶はない。
安野光雅さんの描く現代の「洛中洛外図」には、今後どこがどのような視角で描かれるのであろうか。
私の馴染のある情景も含まれるに違いない。
安野さんの風景画は人を安らがせる。
過日、伊勢丹で開催されていた「安野光雅が描く「日本のふるさと情景」展」を見る機会があった。
Wikipedia(最終更新110402)による安野さんの紹介は以下のようである。
子供の頃より、画家への夢を抱いてきた安野光雅は、美術のみならず、科学・数学・文学などにも造詣が深く、豊かな知識と想像力を駆使して独創性あふれる作品を発表してきた。原色や派手な色をほとんど使わない淡い色調の水彩画で、細部まで書き込まれながらも落ち着いた雰囲気の絵を描く。
安野さんのふるさとは津和野である。安野さんは、ふるさと・津和野の情景の1コマを左の絵のように描いている。
津和野は山陰の小京都と呼ばれることがある。
全国に「〇〇の小京都」は多い。それらの地域が集まる団体として「全国京都会議」がある。
私の友人にも津和野出身者がいるが、森鴎外、西周等の出身地であることはよく知られている。
何故かは知らないが、知を愛する独特の風土があるのだろう。
安野さんの描くふるさとの絵は、私にも懐かしさを覚えさせるものである。いわゆる原風景というものだろう。
東北の復興プランが策定されようとしている。
どのようなプランになるかは想像の埒外であるが、私はプランの根底に安野さんの絵を置いてみたいと夢想する。
津和野と東北は遠く隔たっているが、心象の風景として共通するものがあるのではないだろうか
| 固定リンク
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 藤井太洋『東京の子』/私撰アンソロジー(56)(2019.04.07)
- 暫時お休みします(2019.03.24)
- ココログの障害とその説明(2019.03.21)
- スキャンダラスな東京五輪/安部政権の命運(94)(2019.03.17)
- 野党は小異を捨てて大同団結すべし/安部政権の命運(84)(2019.03.05)
「京都彼方此方」カテゴリの記事
- 大文字の送り火/京都彼方此方(11)(2016.08.16)
- 足利義政と銀閣寺/京都彼方此方(12)(2016.11.28)
- 長州藩が朝敵となった戦い・蛤御門(禁門)/京都彼方此方(9)(2015.05.08)
- 紅葉の永観堂/京都彼方此方(10)(2015.11.27)
- 水神を祀る貴船神社/京都彼方此方(9)(2014.09.22)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント