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2011年5月22日 (日)

早稲田大学グリークラブによる宮沢賢治『永訣の朝』

早稲田大学グリークラブ(ワセグリ)は、学生合唱団でももっとも評価の高い団体である。
ボニージャックス、岡村喬生などの有名OBがいる。
沼津稲門会主催の東日本大震災復興支援のコンサートに行ってきた。
Photo_2
 
「都の西北」に始まり、3部構成のプログラムだった。
期待に違わぬ素晴らしい迫力あるハーモニーだった。
私にとっては、第2ステージの『永訣の朝』が格別の思いを喚起させるものであった。
宮沢賢治の有名な詩を、鈴木憲夫が男声合唱曲として作曲したものである。
指揮とピアノ伴奏は、現役の学生である。

『永訣の朝』は「春と修羅」に収められた賢治の代表作である。
地震の発生した時から、東北の詩人・宮沢賢治のことが気になっていた。

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじゃ)
うすあかるくいっさう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
・・・・・・

「とし子」は賢治の2歳年下の妹だ。
肺結核のため、『永訣の朝』が書かれた日の午後8時半頃死去したと言われる。
賢治の言葉通りに、その日のうちに、あの世に旅立ったのだ。
享年24歳。

最初目にしたとき、(あめゆじゆとてちてけんじゃ)という言葉が分からなかった。
何やら呪文のような……。
「けんじゃ」という語の解釈として、詩人の山本太郎が賢治の愛称とする説を唱え、それが一般的になっているようだ。
宮沢賢治「永訣の朝」の解釈について

「雨と雪(つまり、みぞれ)を取って来て、賢治兄ちゃん」
熱のあった「いもうと」が冷たいものを欲して発した言葉だ。
「」でなく、()が使われているのは、とし子の言葉そのものでなく、賢治の心に残るとし子の言葉と解されている。

「みぞれ」あるいは雨と雪(あめゆじゆ)はこの詩のキーワードである。
パンフレットの「解説」は次のように説明している。

・・・・・・
賢治はこの「みぞれ」に何かを託したのだ。
・・・・・・
しかし、愛する者が亡くなった場合、私たちが彼らに想い描いていた未来はどうなるのか。心の中に存在していた未来はたやすく消えはしない。しかし過去と未来の接点であった現存在がなくなってしまった以上、過去と未来は切り離されてしまう。
そして、本作品における「みぞれ」とはこの死んでしまった人間の過去(思い出)の時空間と、一度思い描いてしまった以上消し去ることのできない死者の未来の時空間を結ぶものとして「みぞれ」を描いたのではないか。賢治は、「みぞれ」の中に、過去と未来を結びそれらの中間にある現存在への思いを託したのだ。つまり現存在という「生」への希求を込めて「みぞれ」を作品に頻出させたのだ。

妹が亡くなった時、賢治は26歳だった。
もう40年にもなるが、私も26歳の時に3歳下の妹を亡くした。
兄らしいことを何一つとしてやれなかったことを悔やんだが、どうしようもない。
私にとっては、以後の自分の生き方・考え方を規定する出来事だった。
手作りの思い出の文集の冒頭に、賢治の「無声慟哭」を引用させてもらった。

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