« “最悪の事態”はいつまで続くのか/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(32) | トップページ | 東電の賠償スキームをめぐって/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(33) »

2011年5月19日 (木)

核エネルギー利用と最終兵器/『ゴジラ』の問いかけるもの(3)

本屋を覗いていたら、武田徹『私たちはこうして「原発大国」を選んだ - 増補版「核」論 (中公新書ラクレ)』(1105)が目にとまった。
何気なく手にとってみると、「ゴジラ」について触れている。

日本は原発大国か?
Photo
http://memorva.jp/ranking/world/iaea_nuclear_power_reactor_2010.php
出力の大きさも基数も、世界3位であるから、れっきとした大国であることは間違いない。
ヒロシマ、ナガサキで被爆してから65年の間に、核エネルギーは我々の生活に不可欠の存在になっていた。

もちろん、自然発生的にそうなったのではないし、他国に強いられてそうなったのでもない。
日本人の意思としての選択の結果そうなったのである。
そうなる過程のほとんどが自民党政権の下にあった。国民の多数派が自民党を選択した結果だから、国民の選択と言ってもいいだろう。
上掲書は、その「選択」の節目となるいくつかのトピックを取り上げて、戦後史を原発の側面から辿ったものである。

その一番最初に置かれているのが、「一九五四年論 水爆映画としてのゴジラ-中曽根康弘と原子力の黎明期」である。
著者の武田さんは、昭和33(1958)年生まれである。
彼が物心ついて接したゴジラ作品は、『南海の大決闘』(66年公開)か『ゴジラの息子』と推測されるが、彼自身は具体的な記憶はないという。
子供だまし的な作品の作り方が、子供ながらに許容できなかったからである。もちろん、彼のような受容の仕方が一般的ではない、と彼自身が断っている。

わが国は、1951年9月8日調印、1952年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約によって、国際社会に復帰することになった。
この講和条約は、いわゆる東側諸国は調印していないことに加え、同日に日米安保条約が締結されたことから明らかなように、日本がアメリカの傘の下に入ったことを意味していた。つまり東側諸国が対象になっていなかったという意味で単独講和であり、全面講和をすべしとする人たちとの間で意見の対立があった。
単独講和に踏み切るについては、1950年6月25日に勃発した朝鮮戦争が大きく影響したと見るべきであろう。

それはともかく、サンフランシスコ講和によって、日本の原子力研究も動き出した。
1952年に学術会議副会長の茅誠司が原子力委員会設置を提言し、若手物理学者がこれに反対する運動を起こした、
そして1953年、国連総会でアイゼンハウアーが『原子力の平和利用」について演説すると、中曽根康弘代議士が「原子炉築造予算2億35百万円」を国会に提出し、可決された。
学術会議の側は寝耳に水の出来事だったが、急ぎ議論を取りまとめ、「民主、自主、公開」を原子力研究の三原則とした。

1954年3月1日、第五福竜丸がマーシャル諸島近海で操業中に、アメリカがビキニ環礁で行っていた水爆実験により被爆するという事件が起きた。
3度目の被爆である。
日米政府の不誠実な対応に反発した杉並の主婦グループの原水爆反対運動は、またたく間に全国に拡大した。
しかしこの時既に原子力予算は国会を通過し、アメリカの影響下で核開発に進むことが既成事実になっていた。

このような背景の中で、映画『ゴジラ』は製作されたのである。
南海の水爆実験によって怪獣が生まれるというストーリーは、第五福竜丸の被爆という事実を踏まえたものである。
ゴジラは、ヒロシマ、ナガサキの被爆に次ぐ災厄として位置づけられている。

武田さんは、『ゴジラ』のストーリーは、核の問題を鋭く抉るものになっているとする。
古生物学者・山根博士(映画では志村喬が演じている)は、放射線を浴びても死なないゴジラを研究するべきだとする。被爆しても死なないゴジラは、核戦争がいつ起きるか分からない状況において重要な研究対象ではないか。
しかし、ゴジラが現実に人々の暮らしを破壊する現実の前に、ゴジラを撃退すべしという意見が圧倒的になる。

芹沢博士の開発したオキシジェン・デストロイヤーは、酸素を破壊することで生物の身体を分解してしまう強力な兵器になり得る可能性を持っている。
芹沢は「技術は一度誰かがつかえば、必ず悪用される」といい、使用を拒むが、自分の命を絶つことによって悪用の可能性を封じる。
⇒2011年5月10日 (火):技術の功罪と苦悩する化(科)学者/『ゴジラ』の問いかけるもの(2)

武田さんは、芹沢の行動は、核の力を封印できなかった戦後世界を逆照射するという。
特に、被爆の事実を曖昧にしてアメリカの傘の中に入る選択をした日本に一石を投じるものだとする。
ゴジラ映画がエンターテイメントにシフトするのに同期するように、核エネルギーを厳しく管理しようという志が弛緩していく国際情勢とそれに流される日本。
ゴジラ映画は、政治の問題を回避し、空想的な絵空事と化していく。
フクシマでレベル7の事故を起こしてしまった今度こそ、『ゴジラ』の初心に帰ることが必要ではないか。

|

« “最悪の事態”はいつまで続くのか/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(32) | トップページ | 東電の賠償スキームをめぐって/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(33) »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 核エネルギー利用と最終兵器/『ゴジラ』の問いかけるもの(3):

« “最悪の事態”はいつまで続くのか/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(32) | トップページ | 東電の賠償スキームをめぐって/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(33) »