菅政権における政治主導の失敗学/やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ(38)
政府は、東京電力福島第1原子力発電所に関する事故調査・検証委員会の委員長に、「失敗学」に詳しい畑村洋太郎東大名誉教授を起用した。
つまり、フクシマの事態は「失敗」のケースと認めたということであろう。
畑村さんによれば、失敗とは次のように定義される。
人間が関わって行うひとつの行為が、はじめに定めた目的を達成できないこと
言い換えれば、フクシマは人災であった。
事故に至った経緯、事故が起きてしまってからの対応の全過程を失敗学の対象として、徹底的な検証を期待する。
⇒2011年4月 9日 (土):福島原発事故の失敗学
上記でも引用した『決定版 失敗学の法則 (文春文庫) 』(0506)の言葉である。
このとき動燃がすべきだったのは、まず、事故をおこした時点で、危険度はどのくらいなのか、今後、同様の事故が起こる可能性はあるのか否かなど事故の情報を正確に伝えることでした。それよって、事故を起こしたという失敗に対しては、厳しく責めを受けるかも知れませんが、事故に対して不確かなことを言ったり、あるものを「ない」とウソをついて、国民の信用を決定的に失うという失敗をすることはなかったはずなのです。
失敗から目を背け、隠そうとしたり、なかったことにしようとしているうちは、同じ失敗を繰り返します。そして新たにまた別の失敗を生んでしまう。
私は、情報公開こそが原点だと考える。
記者クラブから締め出された自由報道協会の上杉隆氏は、講演で次のように語っている。
つまり、政府、電事連、記者クラブの情報と違うこと言う人間は全部消せと。自分が当事者でありながら、映画の世界にいるんじゃないかという不思議な感覚になるんですが、実際起こっていることです。これが日本のいまの状態です。情報公開をしないことによって、70年前のいわゆる大本営発表とまったく同じことが起こっているのです。当時は、政府、軍部、新聞で、大本営発表の報道が行われました。ミッドウェーで完全に破れ、現場の軍人も政府も新聞も、負けると知っているのに、挺身と言って「日本はチャンスだ。これからだ」とやった。ガダルカナルで玉砕しても「勝った、勝った」とやって、結果どうなったか、皆さんご存知のように、240万人の命が失われたわけです。
70年後、まったく同じことやっています。政府、枝野官房長官含めて、東電にだまされた情報を喜々として毎日発表して、それを東電の嘘――これは軍部です――自分たちの原発政策、あるいは立場を守るために、ずっと嘘をつき続けました。これはもう表に出ているから、フリーランスの記者に限らず、一般の記者も気づいていると思います。「安心です。安全です。放射能は大丈夫です。プルトニウムは食べても大丈夫です。海洋漏れについてはただちに問題ありません」。当たり前です。ただちには問題ありません。さらには、汚染水の出元を発見するために入浴剤を撒いた。当然、拡散されて見つかるわけないんですが。そういうことも普通に発表するわけです。そして、通常の環境基準の1000倍近いものを低濃度だから安心です、安全です、と言い続けたわけです。それを無批判に報道し続けたのが民法テレビです。要するにまったく批判せずに、そのまま報じた。つまり戦前の新聞がやったことを、民放、それから広告に釣られた新聞がやっている。日本人だけが本当のことを知らずに。「安心です。放射能は大丈夫。日本人は海藻をいっぱい食べているからヨウ素には強い」。これが本当に報じられているということです。
http://www.webdice.jp/dice/detail/3044/
引用部分はごく一部なので、是非上記URLで全体に目を通していただきたい。
いくらなんでも戦前・戦中とは違う条件もあるはずだ。
事故調査・検証委員会への期待は大きいが、政府の一機関として設置されたことについては問題なしとはいえない。
日本共産党の穀田恵二国対委員長は次のように語っている。
「政府の一機関にすぎず、政府が委員の人選も任命もする。これではとても第三者機関とはいえない」と指摘。さらに、「聴取に応じない場合の罰則もなく、強制力のある調査権限もない」として、事故原因の徹底的な調査と検証のためには、独立性と法的権限をもつ調査機関が必要だと強調しました。
また、菅直人首相がサミットに出発する直前に設置を発表したことについては、「事故調査までサミットでアピールするための政治的パフォーマンスにするという首相の政治姿勢が問題だ」と述べました。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-05-26/2011052602_01_1.html
田中秀征氏(元経済企画庁長官)も次のように言う。
この調査・検証委員会の権限も気になるところだ。内閣官房に置くということだが、それでは1つのプロジェクト・チームのようになる恐れもある。
菅直人首相は、以前から「独立性や公開性の高い検証委員会をつくる」と豪語してきたが、また約束違反をしたようだ。
・・・・・・
仙谷由人官房副長官の記者会見で次の2点が気になった。
1つは、わざわざ菅首相や閣僚も調査の対象となると言ったこと。次に「調査を求められれば、正当な理由がない限り資料提出や事情聴取を拒むことはできない」と言ったこと。これでは疑問や異論をあらかじめ封じ込める意図があるような感じを与える。
この「事故調査・検証委員会」の果たす役割の重要性は測り知れないものがある。
このままでは、とても内外から期待される成果を挙げることはできないのではないか。中途半端な検証だと、政権の信用というより国の信用が落ちる。
http://diamond.jp/articles/print/12441
経験豊富な田中氏の心配が現実化する前に、政府から独立性を保ち、権限を有する事故調査・検証委員会とすべきだろう。
この政権は、政治主導を強調したいが故か、理解に苦しむ対応が多かった。
⇒2010年11月15日 (月):尖閣ビデオ問題の失敗学
せっかく失敗学で分析をしても、そこから学ばないのでは意味は小さい。
小池百合子総務会長が、「失敗の本質は明らか。わざわざそんな権威を引っ張ってくるまでもなく、菅(直人首相)さんが失敗の本質そのものだ」と言うのは、正鵠を得てはいるが、負け犬の遠吠えのように聞こえる。
民主党の衆議院議員が、「菅不信任」をどう判断するかが問われているのである。
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コメント
我が国が核攻撃を受けたらどのような事態が発生するか。
我が国の原発が大事故を起こしたらどうなるか。
疾走する弾丸列車が貨物列車に激突したらどのようになるか。
悪夢は見たくない。いつまでも能天気でいたい。
天下泰平の気分を壊したくない。
自分に都合の良いことだけを考えていたい。
それ以外の内容は、想定外になる。
ただ「間違ってはいけない」とだけ注意を与える。
「人は、誤りを避けられない」とは教えない。
「お互いに注意を喚起し合って、正しい道を歩まなくてはならない」とは、考えていない。
もしも自分にとって都合の悪いことが起こったら、びっくりする以外にない。
そして、「私は、相手を信じていた」と言い訳するしかない。だから、罪がないことになる。
危機管理は大の苦手。
だが、ナウな感じのする犯人捜し・捕り物帳なら大好きである。毎日テレビで見ている。
日本語には時制がないので、未来時制もない。
未来の内容を鮮明に正確に脳裏に描きだすことは難しい。
一億一心のようではあるが、内容がないので建設的なことは起こらない。
お互いに、相手の手を抑えあった形である。すべては安全のためか。不信のためか。
問題を解決する能力はないが、事態を台無しにする力を持っている。
親分の腹芸か、政党の内紛のようなもの。
今回の事件はわが国の国民性を色濃くにじませている。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
投稿: noga | 2011年5月31日 (火) 10時34分