被災地視察のコストとパフォーマンス
2日、菅首相が被災地などを視察した。
菅直人首相は2日、東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県陸前高田市と、東京電力福島第1原発事故の対応拠点となっているサッカーのトレーニングセンター「Jヴィレッジ」(福島県楢葉町、広野町)を視察のため訪れた。
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首相と直接話した漁業佐藤一男さん(45)は「リーダーシップが感じられる言葉を聞けず残念だった。正直、何をしに来たか分からない」と語った。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110403t71026.htm?style
被災者から「何をしに来たか分からない」と言われてしまうのも、この人らしい。はっきり言えば、徳が無いのである。
私はTVや新聞などを通じてしか知ることができないが、行って何を理解しようとし、それをどう役立てようとしたのかまったく伝わってこない。
現場主義というのは、仮説をもって現場に行き、そこでなければ分からない事実を確認するという問題意識があればこそ、である。
福島第1原発の視察の時もそうだったが、ただ現場に行くということは迷惑の方が大きい。
1日の記者会見で語っていた復興プラン。
素晴らしい日本をつくっていく大きな夢を持った復興計画を進めていきたい。山を削って高台に住むところ、海沿いに水産業、バイオマスを使ったエコタウンをつくるなどだ。
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110401/plc11040118300026-n1.htm
中学生の「少年の主張」でも、もう少しマシなことを言うだろう。
いったい何のために出向き、それによって事態はどう好転するのかー。菅直人首相(64)は4月2日、東日本大震災で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市を視察する方向であることを明らかにした。被災住民を励ましつつ、市内を視察する予定というが、なぜに今被災地視察なのか、その意図が私たちにまったく伝わってこない。21日、悪天候を理由に視察を取りやめていた宮城県石巻市ではなく、行き先を岩手県陸前高田市に変更した理由も定かでない。
http://www.sanspo.com/shakai/print/110330/shc1103302358001-c.htm
行くと言いながら、天候を理由に取りやめにした石巻の人の気持ちはどうだろうか?
ラジオでは、被災者の声はより率直である。
女「菅総理にお願いしたんだけど、がんばりますとの答でした。どのくらいがんばってくれるのか、どのくらい期待したらいいんだか」
女「到着することによって、会場をきれいにしてくださいとか、これはちょっと。車を整理してくださいとか、何でここの、いま大変なときにそんな体裁をつくらなきゃならないのかなと思って。ちょっとこれは意外でした」
http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-3803.html
会場の整備等は、首相の指示ではなく、現場の管理者の判断であろう。
しかし、そういうことが行われるであろうことは、容易に想像できるはずである。
首相の視察には、当然秘書やSPが同行する。
マスコミもかなりの数が動く。現地では、警備態勢も必要だろう。
集中捜索が行われているときであるが、自衛隊も万が一の故障を考え複数のヘリを待機させていたという。
どの位のコストが掛かるのだろう。それに見合う成果が得られるのだろうか、と素朴に思う。
事業仕分けで、コスト・パフォーマンスが厳しく査定されたが、首相の現地視察こそ仕分けされるべきではないか。
パフォーマンス【performance】
①実行。実績。成果。
②上演。演奏。演技。また、人目をひくための行為。
③既成芸術の枠からはずれた、身体的動作(演技・舞踏)・音響などによって行う芸術表現。一回的・偶然的手法で、視覚・聴覚・運動感覚などに多面的に働きかけることが多い。ハプニングなども含み、1970年代末から一般化。パフォーマンス‐アート。
④機械などの動作。性能。機能。
広辞苑第六版
事業仕分けは①の意味での予想される結果を査定するものであったが、菅首相のばあいは②の意味が過ぎる。
地震の翌日の原発視察に対する批判も馬耳東風ということであろう。
いま首相に必要なのは、災害全体に対してどのような認識を持ち、それにどう対処しようとしているのかを、明確な言葉で示すことであろう。
説明力とか説明責任と言ってもいい。
震災発生から3週間以上たっての視察。首相に声を掛けられた主婦金野ミエ子さん(63)は「『頑張って』と言われただけ。国としての大きな目標を全員に伝えてほしかった」と厳しい表情で語った。
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110403t33030.htm?style
そういう場合ではないと思い、私も抑えていたし、一般に「菅降ろし」を言いづらい状況である。
それを奇貨として、激甚な災害に遭遇して、仄聞したところでは「これで、あと2年できる」と言ったとか。
もし本当ならば(そして悲しいことに本当である蓋然性が高いと思われるが)、人間として許せないと思う。
既に死に体だったことを忘れてはならないだろう。
⇒2011年2月 3日 (木):菅首相は、どういう局面で、いつ投了するのか?
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