左手のピアニスト・智内威雄さんの演奏を目の前で聴く
静岡県裾野市に千福が丘という高級住宅地がある。
ゴルフファンならばファイブハンドレッド・クラブのあるところといえばお分かりだろうか。
そこへ、金子詔一さんが移り住んで何年になるのだろうか?
金子さんの名前を知らない人でも、「今日の日はさようなら」という歌ならご存知だろう。
1966年に森山良子さんが歌ったヒット曲である。
♪(1)いつまでも 絶えることなく
友達でいよう
明日の日を夢見て
希望の道を
(2)空を飛ぶ 鳥のように
自由に生きる
今日の日はさようなら
またあう日まで
(3)信じあう 喜びを
大切にしよう
今日の日はさようなら
またあう日まで
またあう日まで
この歌を作詞・作曲したのが金子さんである。
私はちょっとしたご縁があっておつきあいをさせて頂いている。
金子さんがミュージシャンであることは間違いない。しかし、本業が何であるかは本人も分からないのではないかと思われるほど、マルチな活躍ぶりなのは、知る人ぞ知るところ。
英語教育の分野で、ジャズのリズム感を取り入れたメソッドを開発し、普及に努めている。
石原慎太郎現知事が初めて立候補して美濃部亮吉氏に惜敗した1975年の東京都知事選に立候補したこともある。
金子さんは、地域の小学校の校歌をいくつか手がけている。
いわゆる校歌のイメージとは異なるアップテンポな曲で、ジャズの匂いがする。
当初、教職員やPTAにはとまどいがあったようだが、小学生は喜んでいた。
また、金子さんが作った曲に、「ランドセルの歌」というのがある。
カセットテープで頂いたことがあるが、手許に見当たらなくなってしまった。私の整理が悪いこともあるが、素人の音源として、テープはもはや役目を終えているといってよい。
1年生の時にはあんなに大きかったランドセルが、いつの間にか小さくなって……
うろ覚えではそんな詩だったように記憶している。
タイガーマスクの「ランドセル」のプレゼントが人々の心に響くのは、金子さんの「ランドセルの歌」のような想いを共有しているからではないかと思う。
⇒2011年1月12日 (水):出口の見えない菅政権と民主党解党という選択肢
⇒2011年4月 6日 (水):やっぱり菅首相は、一刻も早く退陣すべきだ
こういう時代だから、簡単に「ランドセルの歌」をダウンロードできるかと思ったが、そうでもないようだ。
できれば多くの人に聞いていただきたい曲だ。
金子さんが東日本大震災義捐のためのチャリティ・イベントを企画した。
4月1日~10日の期間、金子さんの新しく開設したライブラリー“一人静か”で、次のようなイベントが開催された。
✽ご近所の画家、王昭さんの作品:桜と縄文人。
✽作庭師 河西力さんの作品:縄文水と“坂のある風景”
✽建築家 二又川靖さんの作品:縄文人の隠れ家
考えてみれば、東北復興の視点に「縄文」の視点は欠かせないだろうと思う。
東北復興会議に縄文学とか東北学の人は入っているのだろうか。
9日の日に出かけた。
中国人画家王昭さんは、昔知人に紹介されたことがある。
以下のサイトに、今回のイベントを含め紹介されている。
http://www.facebook.com/wangzhaoart?v=app_4949752878
日中関係が微妙ではあるが、王昭さんは友好関係を体現している人だと思う。
王昭さんに再会できたのは嬉しいことだ。風貌が大人風になり、画風も穏やかになったように思う。
私が聞きたかったのは、左手のピアニスト・智内威雄さんの演奏である。
智内さんの略歴は以下の通り。
1976年生まれ。東京音楽大学ピアノ演奏科コースを卒業。
2000年ドイツ・ハノーファー音楽大学に入学。グリーグ国際コンクール入賞、マルサラ国際コンクール3位入賞。
2001年局所性ジストニアが右手に発症し、大学を休学しリハビリを開始。
2003年より左手のピアニストとしての技術を独学で研究を開始する。
2005年左手のみで行った室内楽の卒業試験で満場一致の最優秀成績を収める。
2006年3月に広島交響楽団とラヴェルの「左手のための協奏曲」を共演し、観衆をはじめ共演指揮者、楽団員から絶賛される。
2006年11月に盛岡で行ったソロコンサートをきっかけにソロ活動を本格的に開始する。
2010年春 左手のためのピアノ音楽の発掘と普及を目的とした任意団体「左手のアーカイブ」プロジェクトを発足させる。
http://tchinai.net/
智内さんが異国で発症したのは25歳のときだ。
どれほど衝撃が大きかったことだろうかと思う。
常人ならば挫けてしまうところだろう。智内さん自身、ピアノを止めようと思った、と語っていた。
局所性ジストニアは不随意で持続的な収縮を引き起こす疾患で、音楽家に多く見られるという。
指を繰り返し動かすことが原因だろうといわれる。
リハビリの成果で日常生活にはほとんど支障がないように見えたが、人に聴かせるというのはまったく別次元らしい。
それにしても、智内さんの演奏を至近距離で聴くことができたのはラッキーだった。
「左手のアーカイブ」プロジェクトへの賛同とささやかな東日本大震災への義捐のために、CDを購入しサインを頂いた。
左手のピアニストについては、館野泉さんを紹介したことがあるが、音楽家にとって指の運動能力は生命線だ。
⇒2010年11月29日 (月):左手のピアニスト
耳で聴いただけでは、とても左手だけで弾いているとは思えない。
智内さんの言によれば、片手の演奏場合、右手よりも左手の方がいいという。
不屈の精神力というとありきたりの表現になってしまうが、後遺症のリハビリ患者には希望の光である。
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