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2011年4月 5日 (火)

「北国の春」はいつ来るのだろうか?

子供たちがまだ小さい頃である。
大声を張り上げて、無心に歌っていたのを思い出す。

♪白樺 青空 南風
  こぶし咲くあの丘 北国の
  ああ 北国の春
  季節が都会ではわからないだろうと
  届いたおふくろの小さな包み
  あの故郷へ帰ろかな 帰ろかな

1977年4月5日に発売された千昌夫のヒット曲「北国の春」である。
おそらく歌詞の意味など理解していなかったであろう。歌い易いメロディが子供たちを惹きつけたのに違いない。
作詞: いではく、作曲: 遠藤実、編曲: 京建輔。

「北国」がどこであるかは特定されていない。作詞のいではくは、故郷の信州南牧村をイメージしていたという。
しかし、歌手の千昌夫の印象が強いためか、多くの人が東北地方を連想するのではないか。
千昌夫は陸前高田市の出身。菅首相が視察に赴いた大変な被害を受けたところである。

歌詞の中にある「こぶし」。
早春に他の木々に先駆けて白い花を咲かせる。漢字では、辛夷と書き、別名を、田打桜という。
この花の開花時期から農作業のタイミングを判断したり、花の向きから豊作になるか否かを占ったりしたという。

産経抄を長いこと担当していた石井英夫氏は、大変なコブシ好きで、ほぼ毎年コラムで取り上げたことで知られる。
こぶしの花は清冽である上に、桜などに先駆けて咲くからよく目立つ。
私も「こぶし」の花が好きだ。
三好達治の有名な詩がある。

山なみ遠に春はきて
こぶしの花は天上に
雲はかなたにかへれども
かへるべしらに越ゆる路

抜けるような青空に、コブシの花の純白がコントラストをなしている情景が浮かぶ。
日本の原風景ともいうべき里山の春だろう。
しかし、なぜか孤独感が切実である。

この詩を効果的に使っているのが、立原正秋の『辻が花』だろう。
『立原正秋全集第七巻』の武田勝彦の「解題」には、次のようにある。

この短篇小説は大人向きのメルヘンである。三十三歳の夕子を一途に憧れる二十五歳の純粋な青年四郎の設定が浮世離れした世界を展開する。この雰囲気にふさわしく幻の花辻が花を夕子の帯に描き込んで、詩的イメージを盛り上げた工夫が、この作品の心象風景を一際あざやかにしている。

夕子と四郎は4日間の旅に出る。
辻が花が日本染織史から消えてしまったように、夕子は四郎の前から消えて再婚する覚悟だった。

四郎が夕子といっしょに長野県の飯田市を訪れたのは、春も深くなりかけた三月の末であった。
豊橋で飯田線に乗りかえ、佐久間ダムをすぎて天竜川沿いに遡り、飯田についたのは暮方だった。
鎌倉ではすでに辛夷の花が散り、紫木蓮や木瓜が開きかけていたが、木曽山脈と赤石山脈に細長く囲まれたここ伊那盆地では、いま辛夷の花が盛りだった。

そして四郎は終わった旅を思いかえす。

雲はかなたにかへれども
かへるべしらに越ゆる路

とうたった詩人がいたが、いまの彼にはその詩が痛いほど理解できた。

読んだのは大学の時だから、四郎よりもさらに若かった。夕子のような女性に惹かれる気持ちはよく理解できた。

年年歳歳花相似。
東北の被災地にも白い辛夷の花が咲き、春を告げるだろう。
春は再生の季節。辛夷の花はそのシンボルのように感じられる。
しかし、震災で失われた人が再び戻ってくることはもうない。
せめて、辛夷の花が農作業を促す合図になる時が来れば、と思う。

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