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2011年4月23日 (土)

暘谷(フォッサマグナ)論/やまとの謎(30)

フォッサマグナという言葉は、小学生でも知っている。
日本列島を、東北日本と西南日本に二分する境界のゾーンだ。
Photo
Wikipedia110219最終更新

図のピンクの部分で、中央地溝帯とも呼ばれる。
赤線は、中央構造線で、この線の上にパワースポットが集中しているのも興味深いが、今回は「溝」の方についてである。
わが静岡県は、ほとんどこの中に位置しているといっていいだろう。
Photo
http://www.osk.janis.or.jp/~mtl-muse/subindex03.htm

このフォッサマグナは、いつ、どうして出来たのだろうか?
素人が推測するに、地殻のプレートの境目であり、少なくとも100万年のオーダーで数えるくらいの地質学的年代の昔のこと、という辺りではないだろうか?
私は、漠然とそう考えていた。

Wikipedia(110219最終更新)の解説は次の通りである。

この地域は数百万年前までは海であり、地殻が移動したことに伴って海の堆積物が隆起し現在のような陸地になったとされる。
原始の日本列島は、現在よりも南北に直線的に存在して、アジアに近い位置にあったと考えられている。約2,000万年前に、プレートの沈み込みに伴う背弧海盆の形成が始まった。背弧海盆とは、沈み込んだプレートがマグマとなって上昇し、海溝の内側のプレートを押し広げてできるものであるが、これによって日本海が現在のように広がり、日本列島もアジアから離れていった。
ただ、日本近海の海溝は向きが異なる南海トラフと日本海溝の2つだったため、日本列島は中央部が真っ二つに折られる形でアジアから離れた。折れた原始日本列島の間には日本海と太平洋をつなぐ海が広がり、新生代にあたる数百万年間、砂や泥などが堆積していった。そして数百万年前、フィリピン海プレートが伊豆半島を伴って日本列島に接近した時に、真っ二つになっていた列島が圧縮され始めた。この時、間にあった海が徐々に隆起し、新生代の堆積物は現在陸地で見られる地層になったと考えられている。

まあ、数百万年前という漠然とした時間でしか言えないようである。
そして、火山と温泉の名前が列記されている。

フォッサマグナの「面」に属する火山や温泉を挙げると、北(日本海側)から南(太平洋側)へ順に、妙高山、湯田中温泉、浅間山、八ヶ岳、富士山、伊豆長岡温泉、湯ヶ島温泉、稲取温泉の温泉街などが列んでいる。

これらは、確かにこの地域の特徴と言えるのだろう。
そこに住んでいる人間にとっては、当たり前のような気がしていたが。
フォッサマグナ地域は大昔は海だったにしても、それは日本列島の旧石器時代よりも前のことといえよう。
旧石器時代がどれ位遡り得るかは、例の遺跡捏造事件などがあって、はっきりは分からないが、人類の誕生自体100~300万年の間(ヒトの定義によっても変わる)というあたりだろう。

ところが、東日本と西日本が合体したのはわずか4000年前のことであり、それ以前は、フォッサマグナは暘谷(ようこく)と呼ばれる海溝だった、という驚くべき説を唱える人がいる。
米田良三『列島合体から倭国を論ず―地震論から吉野ケ里論へ』新泉社(9808)に「暘谷論」という章があって、論じられている。
Photo_2
暘谷海の復元図

米田さんは、あの「やまと」を代表すると思われる法隆寺が、「大宰府から斑鳩へ」移築された、という説で知られる。
もう数年前のことであるが、私は好奇心に誘われて、「法隆寺移築シンポジウム」なるものを拝聴したことがある。
「再建-非再建」論争とは別に、「移築論争」があって、そのシンポジウムはびっくりする位の熱気が溢れていた。
論争者たちは多かれ少なかれ、古田武彦氏の影響を受けた人々である。会場が、古田氏(師?)を敬うこと尋常ならざる感じがあり、ちょっと違和感があったが、シンポジウム自体は好奇心を十分に満たすものであった。

そんなこともあって、米田氏の著作をウォッチしており、上掲書もその一環で購入したものである。
ただ、フォッサマグナが4000年前までは海溝だったということが信じられず、一種の「トンデモ本」の類と考えたのだった。
それが今回の地震で突然甦ってきた。
今回の事態を多少とも知ろうとすると、地球科学の基礎を知る必要がある。そして、地球科学分野には分からないことがいくらでもあるらしい。

そう思ってみれば、私自身不思議に感じていたことがある。
それは大町線にある海ノ口という駅の名前である。
Photo
http://www.asahi-net.or.jp/~pb3i-itkr/kakueki/uminokuti.htm

北アルプスの麓と言っていいだろう。
なんでこの場所が“海ノ口” ?
山ノ口と呼ぶに相応しいところだ。
Photo_4
私は、この辺りには何回か出かけているが、不思議だと思いつつ深く考えてみることはなかった。
安曇というのが海洋民に関係があると聞いたこともある。また、穂高には住吉神社もある。
住吉神社が海神を祀ることは私でも知っている。大阪の住吉高校は、私が学生の頃、大阪の府立高校の三羽烏と評された進学校だし、佃島の住吉神社の祭りに招待されたこともある。

それもこれも、暘谷海の名残りだとは!
それは、地名に残るくらいには“新しい”出来事であることを意味する。
俄然、米田氏の説が信憑性を増して迫って来るような気になった。

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コメント

暘谷海の名残りだとは  拝見しました。
そういえば、JR小海線 この名称自体に不思議ですが、この線の駅名には次のようなものがあります。小泉 大泉 清里 野辺山 信濃川上 佐久広瀬 佐久海ノ口  海尻  松原湖 小海 馬流 高岩(長野) 八千穂 海瀬 羽黒下 青沼 臼田 龍岡城 
山の中で 海 が どうしてなのか不思議とも思いませんでしたが、大糸線の海と繋がるものでしょうか。
野辺山には旧石器遺跡があり、羽黒下には縄文の大石棒 珍品 があり、龍岡城は五稜郭の城です。

投稿: しろかべ | 2017年6月15日 (木) 08時43分

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