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2011年3月26日 (土)

体験的計画停電考

時間の過ぎるのが早く感じられる。
大地震の発生から2週間経ったのを機に、菅首相が国民にメッセージを発した。
もう、余り期待はしていなかったが、まったく心に響いて来なかった。
情報としては、既に官房長官から伝えられていることばかりだし、格別被災者を鼓舞するようなものでもなかった。
私も批判を抑えてこの国難に中るべきだとは思う。しかし、やはり一刻も早く交代してもらった方が、被害の拡大を防止できるのではないかという気がする。

外出から戻ると、エレベーターのところに、本日と明日の計画停電“回避”の札が掛かっていた。
私の住んでいる静岡県東部地域というのは、東京電力の供給エリアで計画停電対象地域である。
静岡県は、東・中・西に三分されることが多いが、県全体が中部圏に位置づけられたり、関東圏に位置づけられたりする。
例えば、経済産業省では関東経済産業局の管轄下であるが、国土交通省では中部整備局の管轄下になる。電力の場合は、富士川を境にして、以西(県中・西部)は中部電力、以東(県東部)は東京電力が供給する。

したがって、静岡県では東部のみ計画停電対象地域であるが、3月15日の22時30分ごろ、富士宮を震源とするかなり強い地震(震度6強)が発生したことが、混乱を増幅させている。
⇒2011年3月16日 (水):『日本沈没』的事態か? 静岡県東部も震源に
幸いにしてこの地震による被害はさほど大きなものではなかったが、それでも富士市にある知人の菩提寺の墓地では、墓石が倒壊したりしていた。
東海大地震もいつ起きてもおかしくはないという状況が続いており、神経がかなり疲れてくる。

計画停電は、4月中は継続し、いったん平常に戻って、夏場には再び実施する予定だという。
体験上の感想を言えば、現在のようなやり方以外の方策に早急に切り替えるべきだろう。
現在の方式は、ブロック割して輪番的に計画停電を実施していくという方式である。それが最も公平であるということらしい。
停電による諸々のコストを等しく分かち合うといえばその通りかも知れない。
しかし、最終的に停電をできるだけ回避するためだろうが、配電のオペレーション上ギリギリの時点で最終的に決定するため、業種によっては停電回避の場合も操業を断念せざるを得ない。
生鮮品を扱う業種、連続運転を前提とするような業種等である。
これらの業種では、犠牲は、実際の停電時間だけではカウントできない。節電量が同じでも、もっと効率的な方法があり得る。

市民生活も、被災者のことを考えれば受忍の範囲ということになろうが、わが家では立体駐車場とエレベーターが使用不能になるため、身体障害者の立場で言えば、予定時間帯をどこでどう過ごすかということが問題になる。
また、通院している病院も停電すると、スタッフは入院患者の対応で忙殺され、身体障碍者も階段を利用せざるを得ない。
機器類の利用も制約されるので、急患への対応等も懸念される。

計画停電は、大地震の影響で需要を賄うに足る供給力が確保できないということだ。需要ピーク時に需給ギャップが生じ、突発的に停電する恐れがある。
需給ギャップを埋めるには、需要を抑制するか、供給を増大させるか、どちらかしかない。供給を増やすのは短時間にはできないから、現実的には需要抑制しか方策はない。
しかし、需要抑制策にはいろいろバリエーションがあり得るのではないか?

需給バランスをとるごく一般的な方法は、価格メカニズムによるというものだろう。
価格が瞬時に可変的であるならば、この方法で原則的には需給バランスを図ることが可能であろう。
しかし、すべての財・サービスの価格が瞬時に可変であるというのは、非現実的である。
例えば、計画停電で最も混乱を生じている分野の1つである公共交通機関の料金を、需要に応じて、ラッシュ時は高く昼間は安く柔軟に変えることなどできないであろう。

従って、何らかの計画的な利用により需要を抑制することが必要になる。
しかし、その場合も、なるべく価格メカニズムの援用は考えるべきだと思う。
需要には、必需と偶需とがある。
必需は、一般的な生活を営むために必要なものである。基本的には、個別差が余りないと考えられる。
一方、偶需は、それ以外の、個別の選好によるものである。
大雑把にいえば、必需は遍く利用できるような価格に、偶需は需要抑制的に、ということになる。

どこまでが必需であるかには、各種の意見があるだろう。
しかし、かなり極端な逓増型料金制度をとれば十分に需要抑制効果はあり得るだろう。
必需部分を現在の料金レベルとすれば、偶需レベルでは10倍くらいにするとか、である。
それにより、節電型の機器・装置等の開発も進むであろう。

産業用は、よりやり易いのではなかろうか。
電力コストが制約要因になれば、おのずから利用しないということになる。
考えてみれば、原子力が二酸化炭素などの地球温暖化ガス削減に有望だ、という意見は、原子力発電の社会的費用を不当に低く見積もったものと言うべきだろう。
今度のような事故が起きないようにするための費用を内部化して、他の代替エネルギーのコストと比較すべきである。

われわれは否応なしに省エネ社会化を図っていかねばならないのだ。
計画停電を機に、そうしなくても済むような生活様式への転換を図るべきではないだろうか。

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