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2011年3月 2日 (水)

菅首相と三木元首相/「同じ」と「違う」(29)

「ロッキード事件」と「陸山会政治資金問題」、言い換えれば田中角栄と小沢一郎、が余りにも類似していることから、「歴史は繰り返すのか?」という問題意識を書いたばかりである。
その時は三木元首相と菅首相が似ているのではないか、と軽くジャブを打ったつもりであった。
⇒2011年2月25日 (金):民主党の小沢処分をどう考えるか?

ところが、三木内閣時代の当事者も、同じような認識を持っているらしい。
中村慶一郎氏の『政党を超えた政権を樹立せよ!』に、次のような記述がある。

三木内閣当時、私は秘書として官邸に仕えたが、あの時の「三木おろし」を彷彿とさせる。首相自身は正しいと信じていることをやっているのだが、党内がまったくついてこない。さらに最後は、その事態に気づいていないのは本人だけ、ということになる。周辺では「もうダメだな」という話が小声ながら交わされていたものだ。

「月刊日本」の11年3月号のインタビュー記事であり、原口一博氏の『菅政権は打倒せねばならない』が掲載されたのと同号である。
中村氏は、読売新聞政治部記者を経て三木武夫首相の報道担当秘書、政務担当秘書官等を務め、現在は政治評論家である。
政局のウラオモテに通暁した人だと思われる。

現在の状況を中村氏はどう見ているか?

結論から言えば、菅内閣は通すべき案件を通した後、即刻退陣すべきである。
・・・・・・
菅総理も総辞職と引き換えに国民生活に直結する予算成立、そして臨時国会からの宿題であり、三党連立与党の約束である郵政改革、派遣法改正を成し遂げなければならない。

菅内閣の誤りについて、中村氏は次のように指摘している。
先ず、予算編成の政策理念についてである。

デフレ脱却、国民経済の恢復であり、「国民の生活が第一」のスローガンの意味だったはずである。
しかし菅内閣はそれに取り組むどころか、官僚主導の予算編成を丸呑みし、自民党の財政再建派の急先鋒だった与謝野馨氏と柳沢伯夫氏を、三顧の礼をもって迎え入れている。
民主党の「国民生活が第一」の政策理念と正反対の立場の人間である。

次いで、小沢氏排除について、拙速であり、党内の小沢・反小沢の亀裂を大きくしたとしている。
そして、民主党政権発足当時の連立の三党合意を、ことごとくと言えるほど反故にしてきた。
連立与党さえ裏切るのだから、野党から信頼されるはずがない。
その不信の連鎖が招いたのが、トリプル選挙の結果だ。

菅・三木対比論では以下のように語っている。
三木首相は、自己認識は真ん中の改革路線のつもりが、他人からは左寄りに見られた。
菅首相は、自分は真ん中より左側のつもりが、他人からは弱肉強食の新自由主義路線のように見られている。

もはや菅首相の命運は尽きたとして、次の政権担当者の条件として、「責任感」「実行力」「廉恥心」の3つを挙げる。
菅首相には、見事に欠落している資質である。

坂本竜馬人気にあやかろうとする政治家が多いが、今必要な人物として、竜馬の師の横井小楠の名を挙げる。
横井小楠とは、以下のような人物である。
Wikipedia110130最終更新

小楠は私塾「四時軒」(しじけん)を開き、多くの門弟を輩出した。また、坂本龍馬や井上毅など、明治維新の立役者やのちの明治新政府の中枢の多くもここを訪問している。元治元年(1864 年)2月に熊本で龍馬は横井小楠を訪ね、横井小楠はのちの龍馬の船中八策の原案となる『国是七条』を説いた。
松平春嶽の政治顧問として招かれ、福井藩の藩政改革、さらには幕府の政事総裁職であった春嶽の助言者として幕政改革にかかわる。
明治元年(1868年)、新政府に参与として出仕するが、翌年参内の帰途、十津川郷士らにより、京都寺町通丸太町下ル東側(現在の京都市中京区)で暗殺される。享年61。

中村氏は、危機にあっては、既存の勢力だけでなく、草莽からも人材登用すべきであり、横井小楠のように、一死を賭しても理念を貫くのが政治家である、としている。
その覚悟のある政治家として、亀井静香氏を挙げている。亀井氏が相応しいかどうかは保留するが、横井小楠のような政治家待望論については同感である。

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