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2011年3月31日 (木)

政府が風評被害の発生源になっていないか?

振り返ってみればノーテンキなものだった。
3月12日、福島第一原発1号機が水素爆発を起こして煙の上がったのを、なんらかの「爆発的事象」があった、と枝野官房長官が記者会見で説明した時のことである。
水素爆発だと聞いて、「爆発的事象」などと言わずに、率直に爆発と言えばいいのになあ、と思うと共に、水素爆発ならば放射能の漏れ出す心配はないだろう、と考えていた。

現在TV画面に映し出されるような、原発施設が無惨に崩壊した姿,、廃墟のようなイメージの映像がTV 画面に流れるようになったのは、何日からだったのか、定かに思い出せない。
しかし、少なくとも水素爆発があった頃にはこんな有り様を見ようとは思ってもいなかった。
危機的状況は、東京消防庁のハイパーレスキュー隊等の放水活動によって、間もなく収束を迎えることになるだろうと考えていた。
⇒2011年3月21日 (月):ヒーローを讃えよ。しかし、英雄待望論に陥るなかれ

やがて、それが空しい期待に過ぎなかったことを知る。
次々と新しい事態が生起していることが報道され、不安がだんだんと膨れ上がってきている。
果たして原子炉は安全に封じ込めることができるのか?
そのスケジュール感はどう考えられているのか?
数週間なのか? 数カ月なのか? 数年なのか? あるいはそれ以上の長期に及ぶ覚悟を決めなければならないのか?

福島の農家の人が自殺をしたという。

福島県須賀川市で24日朝、野菜農家の男性(64)が自宅の敷地内で首をつり、自ら命を絶った。福島第一原発の事故の影響で、政府が一部の福島県産野菜について「摂取制限」の指示を出した翌日だった。震災の被害に落胆しながらも、育てたキャベツの出荷に意欲をみせていたという男性。遺族は「原発に殺された」と悔しさを募らせる。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103280468.html

自殺に追い込んだ直接の原因は、菅首相が、出荷制限から一歩踏み込んだ「摂取制限」を指示したことだろう。
⇒2011年3月24日 (木):安全基準の信憑性について

福島第一原発の放射能漏れ事故で、菅首相は23日、原子力災害対策特別措置法に基づき、福島県の葉物野菜と、ブロッコリーなど花蕾(からい)類について、出荷制限と食べることを控える摂取制限を指示、さらに、同県のカブ、茨城県の牛乳とパセリについて出荷制限を指示した。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=38475

枝野官房長官は、自殺者が出た事態を踏まえて、出荷制限等の措置について、次のように説明した。

枝野官房長官は26日の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所事故の影響により食品衛生法の暫定規制値を上回る放射性物質が検出される農作物が増えていることについて、国民に冷静な対応を呼びかけた。 枝野氏は「(暫定)規制値は、これを超えた物を飲食しても、健康被害が将来にわたっても生じる可能性のない余裕を持った数値だ。長期にわたって摂取されないよう、非常に安全性を考慮して出荷規制等の措置を取っている」と改めて説明した。

素朴に考えて、「健康被害が将来にわたっても生じる可能性のない」レベルであるならば、あるいは「長期にわたって摂取されない」ためならば、なぜ今、「摂取制限」をしなければならないのか?
その論理的繋がりが分からない。
「将来にわたって」というのは、ずっといつまでも、ということなのか。
今摂取したものの影響なのか、摂取し続けることの影響なのか?
「長期にわたって」というのは、数週間なのか? 数カ月なのか? 数年なのか? あるいはそれ以上の長期のことか?

私たちは時間を生きている。
時間軸について、おおよその説明がないことには手の打ちようがない。

「風評被害」という。

風評被害(ふうひょうひがい)とは、災害、事故及び不適切又は虚偽の報道などの結果、生産物の品質やサービスの低下を懸念して消費が減退し、本来は直接関係のないほかの業者・従事者までが損害を受けること。
Wikipedia110327最終更新

特に、インターネットの普遍化により、流通する情報の量が格段に増大し、それと共に風評被害の規模や頻度も増えている。
情報の質をどう判別するか?

意図的に流す風評は論外であるが、政府の出す情報が風評の源になるようなことは絶対にあってはならないことだろう。
尖閣ビデオ以来、政権が情報を意図的にあるいは恣意的に操作しているのではないかと疑いを持っている人は少なくない。
福島の農家の人も、今後の見通しに展望が持てるような状況ならば、自殺を踏み止まっただろう。
人が生きる気力を失うのは、今の悲惨な状況によるのではなく、未来において良いことが起きる見通しを持ち得なくなった時であると思うからだ。

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