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2011年3月21日 (月)

ヒーローを讃えよ。しかし、英雄待望論に陥るなかれ

福島原発事故の現場で、献身的な作業に従事している人たちを心からリスペクトする。
特に、東京消防庁のハイパーレスキュー隊の活動は目覚ましい。
海外からの称賛の声も多いようだ。
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http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2011&d=0318&f=national_0318_113.shtml
Fukushima(フクシマ)は、今後原発事故の事例として名を遺すだろうが、それと共に、ハイパーレスキュー隊や自衛隊や関連する人たちの行為も末永く語り継がれることになるだろう。

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冨岡隊長は「大変だったことは」と問われると、「隊員です」と言って10秒ほど沈黙。涙を浮かべ、声を震わせながら、「隊員は非常に士気が高く、みんな一生懸命やってくれた。残された家族ですね。本当に申し訳ない。この場を借りておわびとお礼を申し上げたい」と言った。
高山隊長は18日、職場から直接現地に向かった。妻に「安心して待っていて」とメールで伝えると、「信じて待っています」と返信があったという。
佐藤総隊長も妻にメールで出動を伝えた。「日本の救世主になってください」が返事だった。
http://www.asahi.com/special/10005/TKY201103190460.html

久しぶりに、ヒロイズムの発露をみた。
公のために私を犠牲にする精神。
場違いかも知れないが、私は「特攻」で散って行った人たちのことを連想した。
私の高校時代に読んで感銘を受けた書に、阿川弘之さんの『雲の墓標』がある。
⇒2008年5月27日 (火):偶然か? それとも……③『雲の墓標』
自分たちが巻き込まれた戦争の「不条理」を知りつつ、祖国のために、愛する人たちのために、飛びだって行った若者たち。
私と主人公たちとは20年くらいの世代差があるが、重ね合わせて考えることは十分に可能だった。

長野県上田市にある無言館を訪ねた時の印象も強い。
戦没画学生の遺品や遺作の展示の前で、押し黙る以外になくなる。
無言館とは、絶妙なネーミングである。
⇒2007年12月 8日 (土):血脈…②水上勉-窪島誠一郎

これらの学生層以外にも、大勢の有為の人たちが亡くなった。
戦争の経緯を見通す想像力も構想力もなく、緒戦さえ頑張れば、あとは何とか講和に持ち込めるだろうと夢想していたらしい戦争指導者たち。
もちろん、いろいろな考えが交錯していたであろうが、結果は知る通りである。

私には、当時の指導者と現在の指導者がオーバーラップしてくる。
大局よりもディテールにこだわり、ホンネよりも建前にこだわり、実質よりも見栄えにこだわり、クリエイティブよりルールにこだわる。
現場で指揮する佐藤さん、高山さん、富岡さん等々の「爪の垢を煎じて……」とは私の言うべきセリフではなかった。
私が危惧するのは、こういう時に乗じて、英雄待望論が広がることである。
それはファシズムを生み育てる土壌になりがちになることを自戒しよう。

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コメント

今回の震災の、それぞれの地において身を粉にして、多くの犠牲をものともせずに働き続けていらっしゃる方にはほんとうに頭の下がる思いがします。被災者につながる私としては感謝の言葉も見あたらないほどのものなのですが・・・

おっしゃるように私も・・・一種の危惧を抱きつつあることは確かです。それは、身を捨てて他者のために尽力をしている尊い思いの価値を否定するものでは決してありません。

が・・・このような種の献身は本来ない方が社会としては全うなのではないかとの思いが・・・・

かつて九州の特攻隊の基地に出かけ、いたく感動して帰ってきた首相がいました。亡くなっていった方々の思いは確かに美しいのでしょうが、為政者が簡単にその思いに感動してしまっていいのか・・・誰がまだそうも生きてはいない若者にそんな思いを抱かせたのか・・・と憤りを覚えたおそれがあります。

今回の震災は・・・避けることが出来なかったものとはいえ、ヒーローが現れるてくるのは、その団体、組織にとって危機的な状態にあるわけですから、一種の不安を抱かずにはいられません。

もちろん、私自身の彼らに対する頭の下がる思いを否定するものではないと思うのですが・・・・

投稿: 三友亭主人 | 2011年3月22日 (火) 05時55分

三友亭主人様

お知り合いの方を亡くされて、また故郷の状況を見て、心中には私などの推し量れないような感情が渦巻いておられることと思います。
仰るように、
> ヒーローが現れるてくるのは、その団体、組織にとって危機的な状態にあるわけですから
そういう状況がいいわけはありません。
報道されているところでは、政府関係者から「献身」を強要するかのような発言もあったとか・・・
唖然とする思いです。

投稿: 夢幻亭 | 2011年3月22日 (火) 13時41分

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