『家族の歌』と歌人の宿命/追悼(11)
『家族の歌 河野裕子の死を見つめた344日 』産経新聞出版(1102)を読んだ。
著者は、河野裕子・永田和宏・その家族である。
その家族とは、永田淳、永田紅、植田裕子のことで、植田が淳の妻である。
つまり、永田和宏・河野裕子夫妻の子供2人とその連れ合いであるが、5人共に歌人というところがちょっと変わっているところだろう。
永田さんと河野さん夫妻は有名な「おしどり夫婦」の歌人だった。
いつも一緒で仲むつまじい夫婦のことを「おしどり夫婦」という。おしどりの夫婦がいつでも寄り添っている様子から出来た言葉である。難しく鴛鴦の契り(えんおうのちぎり)とも言い、生涯助け合い大切にするということ。
http://www.union-net.or.jp/cu-cap/osidorifuufu.htm
http://blog2.yuyu-photo.com/?eid=780889
2人共に私でも名前を知っているくらいの著名歌人である。
歌人といっても歌だけで生計を立てるなどということは、今の世の中ではあり得ない。
永田さんは、京都大学理学部教授を経て、京都産業大学に新設された総合生命科学部の学部長に就任した科学者である。
専門は、細胞生物学。
つまり文武両道ならぬ文理両道において一流ということになる。
京都大学在学中に短歌を始め、高安国世に師事した。初期の歌風は前衛短歌の影響を色濃く受け、時に口語も生かした青春歌や科学者的な世界把握を持ち味とした。
Wikipedia110302最終更新
私は永田さんの初期の瑞々しい歌のファンであった。
第一歌集の『メビウスの地平』茱萸叢書(7512)は、古書店で入手した私のお気に入り(My favorite)の蔵書である。
あなた・海・くちづけ・海ね うつくしきことばに逢えり夜の踊り場
あの胸が岬のように遠かった。畜生! いつまでおれの少年
あんず・すもも・りんごその他咲きつぎて還らぬ季ぞ・花スペクトル
断ちがたき執着ひとつ ああ奴をなめるように陽がおちていく
ひとひらのレモンをきみは とおい昼の花火のようにまわしていたが
いかにも青春の情感の溢れる歌群である。
永田さんが伴侶となる河野裕子さんと出会ったのは、京大理学部の学生の時で、爾来二人して歌の道を歩んだ。
そして生まれた子供も、歌人になる。子供の結婚相手も、永田家のその環境に感化され歌を詠むようになる。
幸せを絵に描いたような家族像といえよう。
しかし、その家族の中核である河野さんが乳がんに罹患し、闘病の末、2010年8月12日に死去する。
本書は、その病床にある河野さんの最後の記録であり、<短歌+リレーエッセイ>の形で産経新聞の夕刊(大阪本社版)に連載されたものを編集したものである。
5人家族が、全員歌を詠み、エッセイを書く、という特異な家族にして初めて可能な貴重な書といえる。
9月4日掲載分に、永田和宏さんは、亡くなる前日の河野さんの様子を、次のように書いている。
八月十一日。いよいよ裕子の状態が悪い。昨日から吐き気が強く、持続的に皮膚から染み込ませていたモルヒネのパッチをはずした。
その影響だろうか、朝から苦しさに胸を掻きむしる。
・・・・・・
紅が突然アメリカでの生活のことを話し始めた。そうか、と、はっと思いあたり、すぐに私もそれに応じる。
・・・・・・
「裕子さん、覚えてる?」と言葉を挟みつつ、二人で必死にアメリカ時代の思い出を次から次へと話す。話題は河野の苦しそうな顔を越えてゆっくりと展開し、やがてモルヒネのフラッシュが利き始め、眠りに入っていった。
・・・・・・
一時間ほども眠ったあと、ベッドの両側から見つめている私たちに気付いたようだ。
不思議そうに眺めて、呟くようにゆっくり、かろうじて聞き取れるほどの小さな声で話し始めた。
「あなたらの気持ちがこんなに…」
あっ、と思う。
「ちょっと待って」と、すぐに原稿用紙を開く。歌なのである。
あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言ひ残すことの何ぞ少なき
一首ができると、言葉が次々に芋づるのように口にのぼってくるようだ。
十分ほどの間に、数首ができた。
最後の一首は、
手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が
こんな風にして河野裕子は死の前日まで歌を作った。
生まれながらの歌人だったのだと思う。
翌十二日。やはり苦しさの発作の直後に、「われは忘れず」と呟いた。
「それから?」と促すと、
「うん、もうこれでいい」と言った。
それが歌人河野裕子の歌との別れであった。
写しているだけで、涙が溢れてくる。
私が発症以来とみに感情の振れ幅が大きくなったことは自覚しているところだが、それでも格別である。
永田家は、歌を共通のメディアとして、見事な意識と感情の交感が成り立っている。
しかしこの家族は、それを三十一文字の定型として表現し、社会に提示する責務があるかのようである。
大変な宿命を負ってしまっているのだな、と思わざるを得ない。
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