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2011年3月28日 (月)

政権交代への伏流の概観/民主党とは何だったのか(7)

菅政権がまさに絶対絶命のピンチの時に、タイミングを見計らったかのように、国内観測史上最大の地震が発生した。
政権交代後、未だ政権運営に習熟していないことが混乱を増幅した。
私は政権交代を願ったものの1人であるが、政権交代後の現実は余りにも期待したものとは異なっていた。鳩山前首相の迷走はいまや遠い昔の出来事のような気がする。
替わった菅首相もまったく期待にそぐわないことは、すぐにはっきりした。
⇒2010年7月12日 (月):日本の政治はどうなるのだろうか?
⇒2010年8月 4日 (水):迫力欠く菅首相の国会論戦

菅首相の政権運営をみて、菅首相がそのまま続投することに不安を抱いた。
⇒2010年9月11日 (土):菅首相続投で、本当にいいのだろうか?
不幸にして、その不安は現実のものになった。
今日の政権の様相は、菅氏に依存する部分と民主党に依存する部分とがあるだろう。
民主党の性格をその歴史から考えてみようと思っていたところに、想像を絶する震災が発生してしまい、いまさら「民主党とは?」を問うてみても空しい気がするが、「2011年3月 8日 (火):「啓蟄」とポスト菅の行方/民主党とは何だったのか(6)」の続きである。

民主党が政権を獲得するに至るまでの経緯を、前田和男『民主党政権への伏流 』ポット出版(1009)によりながら眺めてみよう。
戦後政治は、長く保守2/3、革新/3のバランスの中で行われてきたが、政権交代への伏流は、そのバランスの揺らぎによって、保革の両側に生まれた。

源流の1つとして位置づけられるのが、日本新党である。
日本新党は、1992年に、元熊本県知事の細川護煕氏が『文藝春秋』誌上で提唱した「自由社会連合」を母体に結成し、1994年に新進党の結成に伴い解散した。
1993年6月、都議選では22人の公認候補者を擁立し、20人の当選を果たした。推薦を含めて27人と都議会の第3勢力に躍り出た。
1993年7月、第40回衆院選に際し、追加公認を含めて57人を擁立、35人の当選を果たした。
選挙後、新党さきがけと衆院統一会派「さきがけ日本新党」を組み、52人の第5勢力となった。
同年8月、日本新党代表の細川護煕氏は7党8会派連立内閣首班となり、内閣総理大臣に就任した。
1994年4月、細川氏が内閣総理大臣を辞職し、新党さきがけは日本新党との統一会派を解消した。これは細川政権内の小沢一郎氏と武村正義氏の政治路線に関する対立によるものだった。
その後、前原誠司、枝野幸男、荒井聡、小沢鋭仁氏ら親さきがけの日本新党議員は離党し、1994年10月、小選挙区制導入にともなう二大政党政治の実現に向けて、羽田孜氏の率いる新生党などと合流するため、党大会において解党を決定して、同年12月、日本新党は解党した。

もう1つの源流は、新党さきがけである。
同党は、前田氏によれば、保守生まれには稀な理念型の政治集団である。
新党さきがけは、1993年に、衆議院議員の武村正義、田中秀征氏らユートピア政治研究会を結成していた自民党の若手議員が離党して結成、2002年に、みどりの会議に改称した。
保守政党ではあるが、行財政改革の推進や環境重視の姿勢を全面に打ち出して、皇室や憲法第9条を尊重する「尊憲」を掲げ、ゆるやかなリベラルな色彩を有していた。

第3の源流は、平成維新の会である。
平成維新の会は、1992年(平成4年)11月25に、マッキンゼー・アンド・カンパニー・ジャパン会長を務める経営コンサルタントの大前研一氏を代表として設立された政策提言集団である。
いわゆる無党派と呼ばれる大都市圏サラリーマン層を中心的な支持層として、「生活者主権の国」を掲げ、道州制・規制緩和などの新自由主義的政策に賛同する国会議員を党派を超えて推薦・支持をした。議員格付け効果を導入し、議員立法を強制させることによる“平成維新”実現を目指した。

第4の源流は、小沢一郎氏の新進党である。
新進党は、1994年12月10日、かつての羽田政権に参加した、新生党、公明党の一部、民社党、日本新党、自由改革連合などの非自民・非共産勢力が自社さ連立政権に対峙するため合流し、結成したものである。
自民党と並ぶ二大政党のひとつに成長することを目指したが、1996年の第41回衆議院議員総選挙で敗北し、以後党内抗争が激化し、1998年(平成10年)に両院議員総会で分党を決定して解散した。

革新の側の伏流としては、以下が挙げられる。
1つは社会党の本流に胚胎していた高木郁郎氏らの流れである。
次いで、社会党の若手による「ニューウェーブの会」による党改革運動であった。
社会党を超えた動きとして、労働組合や首長などとの連携を探る動きもあった。

その他に、イタリアにおける中道と左派の連合による「オリーブの木」の日本版。
各地に誕生していた地域政党(ローカルパーティ)。
そして、1995年に横路孝弘現衆議院議長が、海江田万里、仙石由人、五島正規、鳩山由紀夫、菅直人、高見裕一氏等に呼びかけて立ち上げた「リベラルフォーラム」。

これらの、今は忘れされつつある伏流が、民主党への政権交代を準備してきた。
2009年まで、1989年の参院選のマドンナ旋風から20年、1993年の細川非自民連立政権からでも15年余の時間を要したが、伏流が大勢として逆流することはないだろう。

伏流は表流となったが、それは多くの人の「想定外」の結果をもたらした、といえよう。

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