不確かな情報の開示の仕方
事態は恐れていた方向に動いているように見える。
1つは震災による犠牲者数である。
警察庁によると、28日午後9時現在、12都道県警が検視などで確認した死者数は1万1004人、家族らから届け出があった行方不明者は1万7339人で、合わせて2万8343人になった。行方不明者はいったんは減少したが、再び増加に転じている。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110328/dst11032821310068-n1.htm
最終的にどれ位の数になりそうなのか、予測もつかない。
不思議なのは、政府もマスコミも「家族らから届け出があった行方不明者」のみをカウントしているらしいことである。昨年行った国勢調査によりかなり正確に人口は把握できてているはずである。
⇒2010年10月22日 (金):国勢調査と人口減少社会
私は地震発生の翌日、次のような記事を目にし、何かの間違いではないかと思いながら、もし現実ならば、空前の規模になるだろうと思った。
宮城県警によると、同市若林区で溺死と見られる遺体200~300人が発見された。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110311-OYT1T00956.htm
もちろん、住民基本台帳等の基礎データも失われている自治体もあるようだ。しかし、全体の数の概数は分かっているはずだ。
全体から生存が確認された人の数を引けば、行方不明の人の全体像が把握できるはずである。
粗い数値であっても、全体像を押さえることが的確な対策の前提になるのではないか。
あるいは、既にそういう計算はしていて、意図的に開示していないのかも知れない。
余りに衝撃的な数字で、国民に不安を与えてはいけない、という判断で発表を差し控えているのかも知れない。
しかし、当然あるはずの情報が知らされていないことが、風評の源になるし、不安感を増幅する。
原発についての情報も同じことが言える。
菅首相が地震発生の翌12日、福島原発を視察し、「危機的な状況にはならない」と強調したが、現実の事態は全く逆の形で推移している。
私は、3月15日の枝野官房長官の記者会見で、「格納容器に繋がるサプレッションプールと呼ばれる箇所に欠損がみられることが明らかになった」という説明を聞いて、容易ならざる事態ではなかろうか、と危惧した。
⇒2011年3月15日 (火):地震情報と「伝える力」
昨日になって、この危惧が的外れではなかったような発表があった。
東日本大震災で被災した福島第1原発の事故で、東京電力は28日、1~3号機のタービン建屋の地下から海側へ配管などを通しているトンネルに水がたまり、2号機の水の表面で毎時1000ミリシーベルト超の放射線量を計測したと発表した。高濃度の放射性物質を含む水の建屋外漏出が確認されたのは初めて。原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長は「大変な驚きであり憂慮している。事態がいつ収束するか予測できない」と懸念を表明した。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011032990021307.html?ref=rank
不確かな情報が結果的に誤りである場合、次の2つのパターンがある。
1、危険でない場合に「危険だ」とした場合:第一種の過誤
2.危険である場合に「危険ではない」とした場合:第二種の過誤
原発事故のような際に、結果として誤りがあるのを恐れて正確を期そうと開示が遅れることは重大な事態を招く恐れがある。
同時に、第二種の過誤を犯すことも避けなければならないことは当然であろう。
官邸は、起きている事実とその意味を分かり易く伝えると同時に、第二種の過誤をしないようにすべきである。
どうも、行方不明者数といい、圧力抑制室(サプレッションプール)の損傷といい、あるいは水素爆発を当初「爆発的事象」と表現してみたり、悪い情報を小出しにしているような、言い換えれば自己防衛的姿勢であるような印象を受ける。
特に問題なのは、やっぱりこの人である。
菅首相の25日の記者会見である。
今日の福島第一原子力発電所の状況は、まだまだ予断を許す状況には至っていない……
http://www.asahi.com/politics/update/0325/TKY201103250475_02.html
予断を許さないということがどういう状況なのか、具体的なことは何も言わず、精神論に訴えている。
官房長官も良くやっているとは思うが、「直接に、直ちに健康に害を与えるものではありませんが、念のため水道水は飲用を控えること」とか「念のために早い段階から出荷を差し控えていただき、かつ、できるだけ摂取しないようにしていただくことが望ましい」とか、解釈に悩むような表現が多い。
弁護士の職業的性癖かも知れないが、誰に向かって言っているのだろうか。
防衛すべきは、政権ではなく、国民である。
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