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2011年3月17日 (木)

「想定を超えた事態」ならば免責されるのか?

地震の、というより津波のと言うべきかも知れないが、被害の実態が日を追うに従い明らかになっている。
もちろん、現在進行中の事態でもあり、全容はまだほとんど認識できていないが。
その中で、今回の地震は「想定を超えたものだった」という声をよく目にする。
代表的なものは、地震の規模に関するものと原発の事態に関するものである。

「想定外」なのだから、今回の被害はやむを得ないものだった、と言えるかどうか?
そして、だとすれば関係者は免責されるのか?
さしあたって、次のような点が気になるところである。

1.地震の規模は「想定外」なのか?
先ず、地震そのものについてである。

東日本巨大地震は、宮城県から茨城県沖で予想されていた4つの大地震の想定震源域が連動して動いて巨大地震につながった。国の地震調査委員会の阿部勝征委員長(東京大学名誉教授)は12日未明、同委員会の終了後に記者会見を開き、「4つの想定域が連動するとは想定できなかった。地震研究の限界だ」と述べた。想定を超える地震の発生が大きな被害をもたらした。
http://newtou.info/entry/4809/

個別の大地震は予想されたが、それらの「連動」が想定できなかったということである。
それは何故か?

連動を予測できなかった理由について、阿部委員長は「過去の地震活動にはっきりとした事例がみられなかったため」と話した。ただ、今回の会合の開催は過去にない巨大地震であることから発生から、震源域の確定もままならないなど分析に必要な情報量は不十分だったという。
同上

確かに過去に例のない「未曾有」の事態は想定しにくいことだろう。
しかし「4つの想定域が連動するとは想定できなかった。地震研究の限界だ」ろうか?
「4つの想定域」が「連動する」ことは、「研究の限界」を越えたことなのか?
だとしたら、「地震国」日本の菅首相の得意の「国のかたち」は、どういう枠組みで検討するのか?

複数のプレートに囲まれる日本周辺では連動型地震が発生するとの指摘はあった。静岡県沖を震源とする「東海地震」と、中部地方の沖合を震源とする「東南海地震」、四国沖の「南海地震」の3つが連動する可能性があるとみられていた。これらが連動して発生すると、M8を超える巨大地震になるといわれている。
同上

つまり、他地域については想定していた、ということであろう。
該地域については想定しなかったということであって、「考えられないこと」ではないのではないか。
「想定外」というのは、不意打ちだったことの意味だと理解する。

2.地震の規模は正確か?
地震の規模として「震度」と「マグニチュード」が使われる。震度はある地点の「現象」であり、マグニチュードはその原因となるエネルギーの大きさである。
詳しいことは分からないが、マグニチュードは実際に起きた現象から推計した数値である。マグニチュードそのものを測定できるものではないだろう。

2011年3月11日14時46分頃、北緯38.0度、東経142.9度の三陸沖、牡鹿半島東南東130km付近、震源深さ24kmで、マグニチュード9.0の巨大地震が発生した。マグニチュードが当初8.4→次に8.8→最後に9.0に修正されてきたことが、疑わしい。原発事故が進んだために、「史上最大の地震」にしなければならない人間たちが数値を引き上げたのだと思う。これは四川大地震の時に中国政府のとった態度と同じである。
http://diamond.jp/articles/-/11514

『原子炉時限爆弾~大地震におびえる日本列島』ダイヤモンド社(1008)の著者・広瀬隆氏の言葉である。
まさか、とは思うが、あり得ないことではないだろうな、という気がする。
そういうことも「想定」しなければならないのだろうか?

3.原発の安全性基準は適切だったか?
「想定」は何かのために行うはずである。例えば、津波の避難計画とか原発施設の設計指針とかである。
この場合の「想定」は、計画の与件とか設計基準等の言葉で言い換えられよう。
福島第1原発の場合、1号~6号機のすべてが事故(異常事象)を起こしている。
当然、安全基準に問題はなかったか、という疑問が湧く。

耐震設計審査指針(指針)によって安全性が十分保障されるように設計されている。したがって原発の地震に対する備えは万全である。これが通産省の見解だ。しかし石橋克彦・神戸大学教授は現在の地震学の知見に照らすと、日本中のどの原発も「想定外」の大地震に見舞われる可能性があると指摘する。
http://stsnj.org/nj/essay99/nomura1.html

上記は通産省という言葉からも分かるように、1999年の資料である。
その後指針の改訂がなされたかどうか分からないが、現実に「想定外」の大地震に襲われたのだ。
結果として、石橋克彦・神戸大学教授の指摘が正しかったことになる。

4.「想定外の事態」への対処は想定できないか?
上記のような、与件とか設計基準の想定は、経済性等の条件を加味したものである。
この場合、「想定外」の事態が起こることは「想定内」であろう。

自然現象が「想定外」だったとしても、防災上想定できることはないのか?
小松左京『日本沈没』光文社文庫(9504)の森下一仁氏の「解説」に次のようにある。

繰り返し説かれるのは、災害に対する最大の想像力であり、正しいイメージの持ち方である。

日本沈没』が上梓されたのは1973年のことであり、既に40年近く前になる。
SFで描かれていることだから、奇想天外と言っていいのか?
計画の与件や設計基等の「想定」を越えた事態は起こり得るのであるから、その場合にどうするかを想定して策を考えておかなければならないのではないか?
ムダになることを承知で、と言うよりもムダになったら幸いと考えて(保険とはそういうものだろう)、「想定外」の事態が起きたときの準備をしておくべきだと思う。

総じて、安易に「想定外」を使い過ぎているのではないか。
「想定外」が起こったというのは、多くの場合イマジネーションの貧困ということに他ならない。
免罪符のように使うのは間違いだと考える。

しかし、それでも想定外の事態が起こることはあり得る。
というよりも、想定通りに事態が推移することはむしろ例外というのが体験からする実感である。
菅首相は国民に向けて「冷静に行動を」とメッセージを発した。至極当然である。
あえて言えば、「冷静に」判断をするべきなのは、政府・官邸ではないか。
数多くの「対策本部」の設置が報じられているが、指揮命令系統がかえって混乱していて、必ずしも有効に機能していないように見受けられる。

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