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2011年3月 3日 (木)

民主党政権への伏流/民主党とは何だったのか(4)

鰻は三島に限る。白焼きをつまみに地酒の「大湧水」を傾けるたびに私はその確信をふかめ、所用にかこつけては三島を訪れて二〇年近くになる。三島は養殖鰻の産地ではない。天然ものが釣れるわけでもない。だが三島には良質な養殖もの天然ものが全国から集まり、老舗鰻屋が味を競う。それは富士山の伏流水が豊富に湧きだす地だからだ。三島女郎衆さながらに富士の真清水で養生した鰻だからこそ天下逸品なのである。しかし、多くの人々は富士の伏流水などに想いをいたすこともなく、ひたすら三島の鰻に舌鼓をうつ。

上記は、三島のガイドブックの一節ではない。
戦後の政治過程の中間的な総括ともいえる前田和男『民主党政権への伏流 』ポット出版(1009)の冒頭部分である。
もっとも、ご当地グルメが何かと評判になる昨今、A級グルメとしての三島の鰻の紹介文章としても、適切なものだろう。
「桜屋」という江戸時代以来の老舗など、他所からの観光客で待ち行列の絶えることがない。

それはともかく、上記部分に続けて次のようにある。

政治の世界でもようやく鰻の養生がおわり料理が仕上がった。これも戦後日本政治の歴史的再編へ向けて流れる伏流水のおかげだと私は思っているのだが、多くの人々はそのことに思いをいたす気配すらなく、供されるのが蒲焼か白焼きかもっぱらその品定めに熱心のようだ。

まったくその通りであろう。
菅か反菅かが話題にならないほど、首相の存在感は薄いが、小沢か反小沢はウンザリするほど連日賑わっている。

著者の前田氏は、奥付をみると1947年生まれとあるから、団塊の世代の1人である。
東大農学部農業経済学科を卒業後、日本読書新聞編集部を経て、翻訳家、ノンフィクション作家、編集者として活動と同時に、各地の国政や首長選などの現場に係わってきた。

上掲書は、総頁数644という大著である。
詳細はおいおい見ていくことにして、執筆の契機や動機について「あとがき」には次のように書いてある。

つねに歴史は勝ち残ったものたちの歴史である。しかし、近々訪れるであろう「政治的大変」の未来を歪めず豊かにするためには、伏流の中にこそ声を聞かなければならない。(中略)本連載では、来るべき「政治的大変」を準備してきた伏流水のなかに「わだつみの声」を聞き集めながらら、「政治的大変」がどこからきてどこへいこうとしているのかをしかと見定めたい。

「この連載」というのは、2008年6月開始の図書新聞の「政権交代へのオデッセイ」である。
「オデッセイ」はギリシャのホメーロスの叙事詩であるが、西欧諸語では原義から転じてしばしば「長い航海」の意味でも使われる(例:『2001年宇宙の旅』の原題 2001: A Space Odyssey)。(Wikipedia101218最終更新)
「政治的大変」は政権交代、「わだつみの声」は戦没学生の遺稿集である。本のタイトルとしては、『きけ わだつみのこえ
』が正しい。「わだつみ」は海神のことである。
要するに、2009年8月に現実化した政権交代に至る過程で、表舞台での華々しい活動は目立たないが、目に見えないところで実質的な仕事をしてきた人たちの生の声を記録しておこうという意味だと理解した。

とは言っても、著者は決して局外者ではない。れっきとした当事者でもある。
かの仙谷由人氏と同じ元東大全共闘として、さまざまな活動に係ってきた。というよりも、全共闘運動の意味を問い続けてきた1人と言っていい。
このボリュームの著書を書き上げるエネルギーは、おそらく政権交代が確実視できるような状況がやってきたことによる一種の高揚感だと思われるが、その高揚感は今まさに裏切られつつあるように思う。
ともあれ、読み応えのある労作であることは間違いない。

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