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2011年2月 7日 (月)

永田洋子とあの時代/追悼(10)

永田洋子の死が報じられている。
昭和20年2月の生まれということだから、私と同学年である。
もちろん、直接彼女の人生に交錯する機会はなかったが、同じ時代の空気を吸って生きてきたのだと思うと、いささかの感懐はある。
Wikipedia110207最終更新等を参照して、略歴を辿ってみよう。

1945年2月8日、東京都文京区本郷に生まれる。1963年に共立薬科大学(現・慶應義塾大学薬学部)に入学。
1964年5月に社学同ML派に加盟する。1967年の卒業後は慶應義塾大学病院の研究生となり、同病院の薬局で無給の医局員を務めた後、東京都品川区の三水会病院や済生会病院に勤務。
その後、日本共産党革命左派神奈川県委員会立ち上げ時よりのメンバーとなり、1970年9月には指導部の投票により最高指導者となり、上赤塚交番襲撃事件や真岡銃砲店襲撃事件に関与。印旛沼事件では元同志2人の殺害を指示した。1971年より共産主義者同盟赤軍派との連携を指導し、12月には赤軍派と「新党」を結成し、副委員長に就任した。1972年2月17日、山狩り中の警官隊に発見され、激しく抵抗をした末、逮捕された。
脳腫瘍を患いながらの裁判の末、1993年2月19日に最高裁判所で死刑が確定。2001年に再審請求していたが、東京地裁は2006年11月28日に請求を棄却する決定をした。2011年2月5日に東京拘置所で脳萎縮、誤嚥性肺炎のため65歳で死去した。

若いときに重大な錯誤を犯し、その錯誤から脱け出せないままに一生を過ごしたことになる。
誰にでも過ちはあるが、彼女の場合は取り返しのつくようなものではなかった。
死刑は死刑制度がある以上当然であろうが、どういう思考経路によってあのような行為に至ったのか、彼女自身は納得し得たのだろうか。

背景はまったく異なるが、私は連合赤軍からオウム真理教を、あるいはオウム真理教から連合赤軍を連想する。
共に現実離れした観念が自己運動的に肥大化し、さらに現実から遠ざかっていく。
結果として、変革しようとした社会の現実と、まったく相わたることができない。
しかも、同じ志を持って活動していた仲間を殺めてしまう。

それにしても、「あの時代」とは何だったのだろうか?
私は1969年に社会人になった。
翌1970年は慌ただしい年だった。
3月31日、羽田発福岡行日航旅客機「よど号」が赤軍派学生ら9人によって乗っ取られた。日本でのハイジャック第1号である。
3月14日~9月13日の会期で、大阪府吹田市千里丘陵を会場に、「人類の進歩と調和」をテーマにして、日本万国博覧会が開催された。
11月25日午前11時ころ、作家の三島由紀夫と「楯の会」会員4人が東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で総監を監禁し、バルコニーで自衛隊員にクーデターを呼びかけた。賛同者がいないことを知ると、三島は総監室で割腹自殺した。

1971年には、成田空港反対闘争が先鋭化した。1972年5月開港をめざす新東京国際空港公団・千葉県と、これに反対する地元農民・支援学生らが激しく対立。2月に第1次代行執行。7月に千葉地裁強制執行。9月に第2次代行執行。16日には警官3人が死亡。160人が重軽傷、逮捕者230人余り。
そういう時代背景のなかで、最過激派を目指して連合赤軍は結成されたのである。

1972年には、沖縄返還と日中国交正常化が実現したが、連合赤軍が日本中を震撼させた。
2月19日、長野県軽井沢で銃を持った連合赤軍の5人が河合楽器浅間山荘に押し入り、管理人の妻を人質にして篭城した。28日午前10時に警察隊が攻撃開始、クレーン車に吊り下げた大鉄球で山荘の破壊作業を行い突入、午後6時15分に人質を救出し、犯人を逮捕した。各放送局は終日中継放送した。 2人の警察官が死亡し、犯人の一人の父親が自殺した。
3月7日、浅間山荘事件の犯人の自供により、群馬県でリンチで殺された男性の遺体が発見された。さらに10日に3人、11日から13日までに8人の遺体が発見された。22日に千葉県で2遺体が発見され、計14人になった。最高幹部の森と永田が「総括」の対象者を決めていた。

いまから考えると、動乱の時代のようにも思えるが、時代が大きく転換していたのだ。
連合赤軍の一方の赤軍派(共産主義者同盟赤軍派)の革命理論は、日本における革命により、世界革命の司令部としての党と軍隊を形成し、世界革命の最高司令部である革命日本と、革命の敵の総本山である帝国アメリカとの間で、「環太平洋革命戦争」を遂行するというものである。
滑稽なほど大げさのように感じるが、石原莞爾の「世界最終戦論」の影響があるとされる。
革命に先行する武装蜂起と一時的な政権掌握という「前段階武装蜂起」の理論に基づく大菩薩峠方面での軍事訓練を警察に察知され、予定されていた「第三中隊」「第七中隊」その他の決起部隊が一網打尽となった。

大真面目とうらはらの間抜けぶりである。逮捕劇の舞台となった「福ちゃん荘」には、大菩薩峠にハイキングに行ったときに泊まったことがある。
後に皇太子も利用するほどの立地であり、基地として不適であったと言うしかない。

そして、三島由紀夫の実質的な遺書とされる『果たし得ていない約束』という文章の、「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう」という時代になった。
しかしいまや経済的大国としても覚束なくなりつつあるようである。

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コメント

こんにちは。
コメントありがとうございます。

結局、閉ざされた空間にいると、自分たちは大真面目なのに、滑稽感がつきまとうようになりますね。
浅間山荘の機動隊突入のテレビ放映は、今後も破られることのない記録的な視聴率になるかもしれませんが、そこで「観客」としてみていた人たちも、その後しばらくしての死体の発見映像では、言葉を失うしかありませんでしたね。

投稿: kimion20002000 | 2011年2月11日 (金) 01時52分

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