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2011年2月 6日 (日)

八百長糾弾と「 もとの濁りの田沼恋しき?」

角界が大揺れである。
存亡の危機とまで言われている。
かねてから言われていた八百長疑惑を裏付ける物証が見つかった。
野球賭博の捜査のために押収されていた携帯電話に、生々しいメールが見つかったのだ。
削除されていたメールを復元したのだという。

まさに、「天網恢恢疎にして漏らさず」というところであろう。

《「老子」73章から》天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば必ず捕らえられ、天罰をこうむるということ。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch/0/0na/15691612947600/

マスコミは連日大騒ぎである。
日本相撲協会は春場所の中止を余儀なくされた。
大相撲はともかく、財団法人日本相撲協会は存亡の危機といえよう。

特例民法法人
1896年
(明治29年)の公益法人制度以来の公益法人(社団法人・財団法人)であったものは、2008年(平成20年)年12月1日の新公益法人制度施行から移行期間末日である2013年(平成25年)11月30日までの5年間継続して存在することを暫定的に認められている。これを特例社団法人、特例財団法人といい、総称して特例民法法人という。
これら特例民法法人は、2013年11月30日までの移行期間の間に、その定款を一般社団・財団法人法に合致するものに変更決議した上で(移行登記を停止条件とするもので可)、公益法人認定法の要件を満たして新公益法人に移行する認定を受けるか、公益認定を受けない一般社団法人・一般財団法人へ移行する認可を受け、移行登記をしなければ、移行期間終了と同時に自動解散となる。ただし2013年11月30日までに申請を終え、その後認定または認可されれば移行できる。移行期間中は従前どおり「社団法人」や「財団法人」とも名乗ることができる。

Wikipedia「公益法人」110205最終更新

相撲協会も新公益法人化を図ろうとしているところだという。

通常、法人の収益事業にかかる税率は30%だが、現在、特例民法法人である相撲協会は22%と減免されている。公益法人に移行できれば、「公益目的」と認められた事業については非課税となる。こうして生まれる財政的余裕により、本場所の入場料を安く抑えたり、普及活動に資金を回すことなどが可能となる。
しかし、移行のハードルは低くはない。認定を審査する内閣府の公益認定等委員会が受け付けた公益法人への移行申請は今年1月末で682件。そのうち認定272件、不認定1件。しかし、途中で認定は困難と判断して、取り下げた例が60件あるという。

http://news.goo.ne.jp/article/sankei/life/education/snk20110206086.html

もちろん、公益法人は優遇措置に見合うだけのルールは守るべきだろう。
しかし、現在の騒ぎを見ていると少し違和感がある。
興業としての大相撲に、八百長はあると言われていたし、あっても不思議ではないと思うからだ。
建前の上で「ない」とするのは当然である。
八百長といわないで、「星の貸し借り」さらに言えば、「談合」とか「馴れ合い」といえば、まったく無縁の業界がどれだけあるだろうか。
「感情の貸し借り」といえば、「人知れずこそ」である。
以下は、スポーツライターの玉木正之さんのサイトの一節である。

「そんなことはありません。先ほども言いましたが、相撲は、スポーツ、興業、神事の三本柱によって美しく成り立ってきたわけで、時代によってはスポーツの要素が強くなったり、興業の要素が強くなったり、神事の要素が強くなったりして2千年の歴史を重ねてきました。スポーツの要素が強くなったときは、怪我をする力士が大勢出て問題になりましたな……」
・・・・・・
「無粋なことですな。馬鹿なことになったもんです。相撲界には八百長という言葉が存在しない。そもそも八百長という言葉が存在しないのに、どうして八百長が存在するといえるのか。日本の伝統文化は、日本人の心は……」

http://www.tamakimasayuki.com/sport_bn_93.htm

いろいろあるだろうが、私は完全に疑惑をなくすような努力は野暮というものであろうと思う。
いかがわしい部分が残るのが「恐竜の脳」の智慧というものではないか。
⇒2010年4月25日 (日):「恐竜の脳」の話(1)最近の政局をめぐって

大相撲の八百長に怒っている人々をみると、田沼意次のやり方を改めた松平定信の寛政の改革の故事を思い起こす。

松平定信は庶民の着物の柄まで制限するほどの質素倹約な方針だったので、良くも悪くも世俗的な田沼意次の政治を懐かしむ声も見られた。 この時期流行った落首として次の二つがある。定信の就任当初は前者の歌が流行ったが、やがて改革が厳しすぎるとわかると後者の歌に取って代わられた。
  ・
田や沼やよごれた御世を改めて 清くぞすめる白河の水
  ・
白河の清きに魚も住みかねて もとの濁りの田沼恋しき
Wikipedia「田沼意次」101215最終更新

私は、石原慎太郎東京都知事の態度が大人というものだろうと思う。
ちなみに、同氏は若かりし頃、八百長疑惑を指弾した人でもある。

石原氏は八百長問題について顔を紅潮させながら、こう指摘した。「(八百長は)昔から当たり前のこととしてあったんだよ」。力士暴行死事件、朝青龍問題、野球賭博、そして八百長疑惑…。不祥事が止まらない角界を「(相撲を)日本の文化、伝統を踏まえた日本の文化の神髄である国技だというのは、ちゃんちゃらおかしい」とバッサリ切り捨てた。
・・・・・・
結局は協会に謝罪したが、同じ作家で横綱審議委員会の委員長を務めたこともある故・舟橋聖一氏(享年72歳)からは「(相撲には)『物の哀れ』というものがある」と諭された。そのことで、八百長の存在をより一層強く認識したという。「歌舞伎の大見えを堪能して見るみたいに、だまされて見て楽しんでればいいんじゃないか。そういうものだ、相撲ってものは」
http://hochi.yomiuri.co.jp/osaka/sports/article/news/20110205-OHO1T00086.htm

私は、大相撲には、八百長的な勝負もあれば、ガチンコ的な勝負もあったし、現にあると思う。
多くの国民は、それを織り込んで楽しんでいるのではないか。
協会自身が「藪をつついて蛇を出している」感じがする。

公益法人を所管する大臣などが公益法人格の取り消しなどに言及しているが、絶対に公益法人でなければならないというものでもあるまい。
そもそも、大相撲の八百長を指弾する政界や業界において、八百長的な(つまり「馴れ合い」とか「談合」のような)事象は皆無なのか。
大相撲は、社会の縮図でもある。
「古いしきたり」を後進的だと考えている開明的な人々は、「恐竜の脳」の智慧に思いを致すべきだ。

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コメント

全くの同感です。

投稿: 三友亭主人 | 2011年2月 7日 (月) 22時11分

こんにちは。
もうこの八百長報道は、いまどきの「透明性」絶対正義論のきわみで、気もち悪くて仕方がありません。
白鵬が出てきて、横綱の責任から頭を下げているのに、馬鹿なアナウンサーたちが、八百長を聞いたことがありますか?なんて答えられるわけがない質問をしている。
国技館相撲は江戸からかもしれないけれど、相撲の歴史は能よりも貴族文化よりも古い様式(文化)を持っています。
「無気力相撲」?一年六場所で、怪我も多い力士たちが、フルに「ガチンコ」相撲をしていたら、死んじゃいますよ。「武士の情け」もあれば、阿吽の呼吸での土俵際の力の抜き方もあって、その何が悪い?って思います。
で、携帯の通話を再現しちゃうわけだから、携帯も罪作りです。
一億総検察になって、なにが楽しいのでしょうか。
普段は言いっぱなし親父の石原慎太郎が、まともなことを言ってましたね。
「八百長なんていわぬが花」みたいな・・・。

投稿: kimion20002000 | 2011年2月10日 (木) 02時06分

三友亭主人様
kimion20002000様

コメント有難うございます。
建前の正義が跋扈していて、それがあたかも本当の正義のように振舞っている。純化していけば、連合赤軍の「総括」と似たようなものになるような気がします。
白鵬も精一杯の答えだったのでしょう。
コメントをいただき、救われた思いです。

投稿: 夢幻亭 | 2011年2月10日 (木) 14時48分

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