歴史としての「二・二六」
昨日、おぼろげな記憶で「歴史は繰り返す」と書いた。
確認すると、以下のような使われ方だった。
ヘーゲルはどこかで述べている、すべての世界史的な大事件や大人物はいわば二度あらわれるものだ、と。一度目は悲劇として、二度目は茶番(farce)として、と。かれはつけくわえるのをわすれなかったのだ。ダントンのかわりにコーシディエ-ル、ロベスピエールのかわりにルイ・ブラン、1793 年から1795 年のまでの山岳党のかわりに 1848 年から 1851 年までの山岳党、叔父のかわりに甥。そして「ブリュメール 18 日」の再版が出される情勢のもとで、これと同じ漫画が!
マルクス(伊藤・北条訳)『ルイ・ボナパルトのブリュメール 18 日』岩波文庫
http://www.qmss.jp/strategy/condition/brumaire.htm
この場合、「二度あらわれる」とは、「フランス大革命(1789-1794)と同二月革命(1848)」を指している。
田中角栄と小沢一郎に共通点が多いのは大方の認めるところであろう。
同時に、クリーンをセールスポイントにしていたバルカン政治家と呼ばれた三木武夫と逃げ菅・バル菅と呼ばれ、変わり身の早い菅首相も似ているのではないか。
さて今日、2月26日も歴史的な日である。
今からは75年前の1936年(昭和11年)、二・二六事件と呼ばれることになる事件が起きた。
私がもの心ついた時には、既に遠い過去の出来事という印象があった。しかし考えてみれば実際はそんなに古い出来事ではない。
私のリハビリを担当してくれているOT科の主任が北海道に行くという話から、ハイジャックのことが話題になった。
赤軍派による「よど号」事件が起きたのは1970年3月31日のことである。
私が社会人1年生の時だったが、OT科の主任は、「僕の生まれる9年前のことです」と言った。
彼にとっては、連合赤軍事件なども、私にとっての「二・二六事件」と似たような時間の感覚なのだろう。
そう言えば、『あしたのジョー』が映画化されたばかりだが、よど号のハイジャッカーの声明文に、「われわれはあしたのジョーである」という文章があった。
二・二六事件の概要は以下の通りである。
Wikipedia110213最終更新
大日本帝国陸軍内の派閥の一つである皇道派の影響を受けた一部青年将校ら(20歳代の隊付の大尉から少尉が中心)は、かねてから「昭和維新・尊皇討奸」をスローガンに、武力を以て元老重臣を殺害すれば、天皇親政が実現し、彼らが政治腐敗と考える政財界の様々な現象や、農村の困窮が収束すると考えていた。彼らは、この考えの下1936年(昭和11年)2月26日未明に決起し、近衛歩兵第3連隊、歩兵第1連隊、歩兵第3連隊、野戦重砲兵第7連隊らの部隊を指揮して
岡田啓介(内閣総理大臣)
鈴木貫太郎(侍従長)
斎藤實(内大臣)
高橋是清(大蔵大臣)
渡辺錠太郎(陸軍教育総監)
牧野伸顕(前内大臣)
の殺害を図り、斎藤内大臣、高橋蔵相、及び渡辺教育総監を殺害。また岡田総理も殺害と発表された(但し誤認)。
その上で、彼らは軍首脳を経由して昭和天皇に昭和維新を訴えた。しかし軍と政府は、彼らを「叛乱軍」として武力鎮圧を決意し、包囲して投降を呼びかけた。反乱将校たちは下士官・兵を原隊に復帰させ、一部は自決したが、大半の将校は投降して法廷闘争を図った。
奇しくも、この事件を起こした青年将校らが死刑執行まで収容された刑務所の看守に宛てた遺書が新たに見つかった、と今日のニュースで報じられている。
http://www.asahi.com/culture/update/0226/TKY201102260165.html
遺書は「古(いにしえ)も今も天地に變(かわ)りなき/誠の心一筋の道」(坂井直中尉)など、至誠の念が色濃い。対馬勝雄中尉は「後世史家ニ俟(ま)ツハ維新ニアラス現代人ノ恥辱ナリ」と記述。昭和天皇を批判する手記を残した磯部浅一・元一等主計は横書きで「正気」と力強く書いた。
・・・・・・
事件に詳しい評論家の松本健一さんは「長年、複雑な思いで保管してきた貴重で大切な資料だ。地方出身の看守にとって、将校は自分たちの貧苦や不平等を救おうとした者と映り、心を通じ合わせたのだろう。事件は昭和の日本人に刺さり、今も抜けないトゲといえる」と話している。(米原範彦)
この事件が、昭和史の大きなエポックであったことは間違いない。
「昭和維新」が唱えられたが、今また維新の声があちこちで挙がっている。
社会の閉塞感という意味では、今の状況も似ているのかも知れない。
歴史の縁であろうか、地元の信用金庫の創立100周年記念コンサートのチケットを知人に譲ってもらったので、久しぶりに生オーケストラを聴くことができた。
ヨハネス・クトロヴァッツ(指揮)、エドワード・クトロヴィッツ(ピアノ)、東京フィルハーモニー交響楽団による「モーツァルト・ピアノ協奏曲第21番KV467」ほかのプログラムである。
私のお気に入りの曲であり、トクをした思いである。
100年の間地道に活動を続け、着実に発展を遂げたというのは称賛に値する。
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