大仁神社と大仁梅林
陽射しが心なしか明るくなってきたような気がする。
リハビリを兼ねて梅を見に行こうということになった。
大仁神社の裏手にある梅林が見ごろだという。
先週、大仁梅林と大仁神社境内を舞台にした梅まつりが行われた。
甘酒のサービスや野点、芸能発表などがあって賑わいを見せたと思われるが、今日は人影も疎らだった。
大仁神社の境内の駐車場で車を降りると、かすかに梅の香りが漂っている。
梅林の入り口にある枝垂れが満開でとてもきれいだった。
梅林はさほど大きくはないが、斜面にあるので結構きつい。しかし、歩道が整備されているので、私でも歩くことができる。
退院時に比べれば、ずい分足が上がるようになったものだと思う。
大仁神社は、大仁ホテルに登っていく道の途中にある。
大仁ホテルは、現役時代の長嶋茂雄さんが自主トレの常宿にしていたことで有名だ。
西武鉄道グループで、プリンスホテルと同じように高級ホテルだった。
西武の経営破たんによって今は伊東園グループの1つとして大衆的なリゾートホテルとなっている。
今日もお茶でも飲もうかと思ったが、全館貸切ということで、ロビーも営業していなかった。
未だ日が高いので、韮山の反射炉に寄った。
反射炉とは金属を精錬するための炉であり、熱を発生させる燃焼室と精錬を行う炉床が別室になっているのが特徴である。
現在残るのは、幕末期の代官江川英龍(坦庵)が手がけ、後を継いだその子英敏が完成させたものである。
嘉永6(1853)年のペリー来航により、日本は外国の脅威にさらされることになった。
江戸湾海防の実務責任者となった江川英龍に対して、幕府は江戸内湾への台場築造と平行して、反射炉の建造を許可した。
英龍はオランダの技術書を参考に取り組んだが、反射炉の竣工を見ることなく病死する。
後を継いだ英敏は、佐賀藩に応援を求め、技師の派遣等を得て安政4年(1857)11月ようやく完成した。
反射炉では、数多くの鉄製砲が鋳造され、品川台場に配備された。
平成19年に経済産業省から近代化産業遺産に認定された。
近代化産業遺産とは
今日の「モノづくり大国・日本」の礎となった産業近代化の過程を物語る貴重な建造物、機械、文書など。これらは、古さや希少さという価値だけでなく、国や地域の発展において果たしてきた役割、産業近代化に関わった先人たちの努力など、非常に豊かな無形の価値を物語るものであり、地域活性化の有益な「種」となり得るものである。
その第1番目のストーリー、「『近代技術導入事始め』海防を目的とした近代黎明期の技術導入の歩みを物語る近代化産業遺産群」に属している遺産群のある自治体やその時代(幕末の海防)に関連する自治体が一同に会し、平成21年11月1日にサミットを開いた。![]()
http://www.city.izunokuni.shizuoka.jp/kikaku/samitto/kindaikasamitto.jsp
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