菅政権への失望感をどう解消するか?/民主党とは何だったのか(2)
菅首相はTV等で見る限り、目は虚ろで、心ここにあらず、という感じである。
しかし解散総選挙をちらつかせることによって、倒閣運動を牽制し、延命を図ろうとしているかにも見受けられる。
予断を許さないが、菅内閣の命運は尽きているとみるべきだろう。
政権交代が実現した2009年の総選挙の時点で、今日の民主党のザマを予見し得た人がどれくらいいたであろうか?
私は、「意外感に乏しかったが、やはり歴史的な選挙だった」という感想を記していた。
⇒2009年8月31日 (月):総選挙の結果
この感想は多くの人が共有したものだろう。そして、いま失望感を味わっていることも。
その前の総選挙は、小泉内閣による「郵政解散総選挙」だった。
郵政民営化の是非をシングル・イシューとしたこの選挙で小泉内閣が圧勝した。
郵政民営化が「改革の本丸」であるとして争われたこの選挙の手口は、錯覚を誘導するという意味で詐欺と同様である。
⇒2009年6月14日 (日):郵政民営化総選挙という“詐欺”
しかし、与党・政府の内部で、公然とマニフェストの見直しが言われている今の状況もまた似たようなものではないだろうか?
⇒2011年1月25日 (火):民主党政権と詐欺師/「同じ」と「違う」(23)
その責任は誰が負うべきか?
究極的には国民もしくは有権者にあると言えよう。
いずれも選挙の結果であり、上記のアナロジーでいえば、詐欺の被害者ではあっても「騙される方が悪い」と言えるからである。
しかし、詐欺の場合、詐欺だと分かったら原状復帰が図られるべきである。
マニフェストには政権を担当しなければ分からないことがあったことは理解できる。
政権交代は初めての体験であるから、当然、予想を超えた事態もあると思われる。
だから、マニフェストを全て守れなどとは、誰も言っていない。
しかし、マニフェスト総崩れともいうべき今の事態は、これとは質的に違うだろう。
TVのコメンテーターの多くは、マニフェスト遵守を主張する反菅勢力を、「そんなことを言っても財源がないことは明らかだから無責任だ」というようなことを言って、批判する。
しかし、菅内閣の行おうとしていることの優先順位が分からない。
財源を生み出すはずだった「事業仕分け」を担当した枝野氏や蓮舫氏は、目標を達成できなかったにもかかわらず、大臣の椅子に安座している。
社会には民主党政権に対する失望感と、にもかかわらずさしあたってどうするかという手段が見当たらないという閉塞感が充満している気配である。
この失望感と閉塞感が限界に達するのは何時か?
そしてそれはどのような手段によれば解消されるのか?
東京マラソンのスターターを務める石原都知事が、スタート前のインタビューで、クーデターが起きれば一兵卒として参加したいと語っていた。
彼一流のレトリックであろうが、危険な発言である。
しかし、その気持ちは分かる。
巧妙なアジテーターが居れば、武器なきクーデター(?)も可能ではないかも知れない。
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