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2011年1月 3日 (月)

今年の予測と対応について

2011年はどんな年になるのだろうか?
酒を飲まない正月というのも、大人になってから初めてである。
初詣や年始の挨拶を済ませ、親戚の集まりに顔を出すのは例年通りだが、こちらが飲まないのを知っているから、心なし自分たちも控えているかのように見える。
TVは歌番組やお笑いが多く、駅伝を眺めて過ごすことになる。

箱根駅伝は、早稲田が大会新記録で18年ぶりの総合優勝を果たした。
かつての花形ランナー・渡辺康幸駅伝監督の、「本当にここまで長かった。選手の時より監督での優勝は数倍うれしい。最後の400メートルを切るまで分からなかったが、どこにも負けない練習量が支えてくれた。東洋さんも素晴らしく、箱根で勝つ難しさを痛感した」の言葉に年輪を感じた。
シード権争い(10位まで)を繰り広げる国学院大学のアンカーが、ゴールを目の前にしてコースを間違えるハプニングがあったりして、ハラハラするシーンもあったが、2秒差で駆け込んでシード権を確保した。

箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)は、関東学生陸上競技連盟(関東学連)が主催する地方大会であるが、知名度は圧倒的だろう。
西日本の有望な高校生も、箱根を走れない関西の大学には魅力を感じないらしい。
ところで今年は、野球にしろラグビーにしろ、早稲田大学が強い。

例外が、アメリカンフットボールで、学生日本一を決める甲子園ボウルで、立命館が早稲田を破った。
しかし、今日行われた日本選手権・ライスボウルでは、社会人代表のオービックに完敗した。

スポーツはともかく、今年の年明けは、私が酒を飲まないからそう感じるということでなく、余り明るいムードが感じられないようだ。
各紙の元日の社説をみてもそういう感じである。冒頭部分を引用してみよう。

<朝日新聞>
なんとも気の重い年明けである。
民主党が歴史的な政権交代を成し遂げてから、わずか1年4カ月。政治がこんな混迷に陥るとは、いったいだれが想像しただろうか。
長い経済不振のなかで、少子高齢化と財政危機が進む。先進国の苦境を尻目に新興国は成長軌道へ戻り、日本周辺の安全保障環境が変化しだした。政治はこれらの難問に真剣に取り組むどころか、党利党略に堕している。そんなやりきれなさが社会を覆っている。
http://www.asahi.com/paper/editorial20110101.html
<読売新聞>
四海の波は高く、今にも嵐が襲来する恐れがあるというのに、ニッポン丸の舵取りは甚だ心もとない。このままでは漂流どころか、沈没の危険すらある。いったい、我々はどこへ行くのか。
菅首相率いる民主党主導の日本の政治には、こんな不安がつきまとう。
新しい年に希望をふくらませ、日本人であることに自信と誇りを持てるニッポンをどう築くのか。この問いに答える、強靱な政治指導力が求められている。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20101231-OYT1T00503.htm
<日経新聞>
めでたいとは言い難い年明けだ。
日本経済はリーマン・ショックを何とか克服したものの、本格的な回復への手掛かりをつかめないままに年を越した。この20年の名目経済成長率は年平均でわずか約0.5%。公的な借金残高は3.3倍に増え、先進国で最悪だ。経済の地位低下が安全保障も脅かす悪夢を、日本人は尖閣諸島問題などでみた。
この停滞は放っておいて自然に解消するものではない。
http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE0E2EBE2E2E0E4E2E2E3E2E3E0E2E3E38297EAE2E2E2;n=96948D819A938D96E38D8D8D8

いずれも祝賀ムードとはほど遠い。
私は、<毎日新聞>に注目したい。

写楽や歌麿なかりせば、浮世絵は世界的な広がりをもつ強力な日本ブランドになっていただろうか。
2011年、卯年の新年である。元気をなくしているといわれる日本の底力について考えてみよう。
謎の絵師といわれる東洲斎写楽が鮮烈なデビューを果たしたのは1794(寛政6)年だった。歌舞伎の夏興行に合わせ役者絵28枚が一挙発売されるという破格の扱い。役者の表情を強烈に描いた「大首絵」に江戸っ子は仰天したらしい。大首絵は2年前から喜多川歌麿が美人画で採用し大人気を博していたものだ。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110101k0000m070070000c.html

蔦屋重三郎の展覧会については私も触れた。
⇒2010年12月19日 (日):江戸の仕掛け人-蔦屋重三郎
毎日新聞の社説は蔦屋の業績を称揚する。

その2人の絵師の登場を仕掛けたのが蔦屋(つたや)重三郎(じゅうざぶろう)(1750~1797)、蔦重(つたじゅう)と呼ばれた版元だった。江戸の遊郭・吉原の貸本屋から身を起こし24歳で書店を構える。33歳で出版業の中心、日本橋に出店。大田南畝(なんぽ)、山東京伝(さんとうきょうでん)、曲亭馬琴、葛飾北斎ら名だたる狂歌師、戯作者(げさくしゃ)、絵師を起用して大当たりする。今でいうポップ(大衆)カルチャー、クール(かっこいい)ジャパンの元祖である。研究者は蔦重を名プロデューサー、伯楽というだけでなく希代の商売人、起業家とみる。
だが、寛政の改革下の出版統制でとがめを受け、財産の半分を没収されてしまう。蔦重の面白いのはその翌年に歌麿の美人画で再起の勝負をかけたことだ。それが大成功したことが写楽の登場につながる。
蔦重の不屈の起業家精神がなかったら、日本の浮世絵は随分寂しいものになっていただろう。ゴッホはじめ印象派の画家たちがあれほど影響を受けたかどうかも分からない。
昨年、東京・六本木のサントリー美術館で「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」と題した展覧会が開かれた。裏方のはずの版元を主人公にした展覧会は前代未聞といえる。
日本が相対的に存在感を失いつつあるといわれるが、ソフトパワーで盛り返したいものだ。

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