同級生の死(2)/追悼(9)
まだ松の内の5日、小中学校の9年間を共に過ごした友人が亡くなった。
中学生の頃、文字通り遊び呆けていた時代、割合親しくしていた中の1人である。
高校時代以後はお互いの人生に交錯する部分が無くなってしまい、無縁のまま過ぎた。
ほぼ毎年開かれている同窓会にも、あるいは折に触れて行われている飲み会にも彼は殆ど参加したことはなかった。
10年以上経つのだろうが、同窓会に珍しく顔を出したことがあった。
記憶している限り、一度だけだった。
7日の通夜だけ出席した。
通夜の際にも、その時のことが話題になったので、皆にもその印象が強かったようだ。
昨日の告別式は、自分の体調のこともあって、欠礼した。
通夜には14,5人の同期生が顔を見せていたが、告別式の方は3,4人だったらしい。
最近は、通夜の方が参会者が多いようだ。
もともと1学年が110人余の小規模な学校だった。
20人ほどが既に亡くなっているので、現存するのは90人ほどである。
遠隔地に居住する人もいるので、かなりの率で参加したと言えるのではないだろうか。
連絡網が整備されているのと、労を厭わない同窓会の万年幹事をしてくれる人の存在による。
同期生の訃報には特に他人事ではないという感慨を持つ。
母集団はもう決して増えることはないのだ。
小学校に入学したのが昭和26年。
既に60年という歳月が流れた。
⇒2009年4月 4日 (土):同級生の死
7日には、ダークダックスのテノール、パクさんこと高見沢宏さんが亡くなった。
ダークダックスが結成されたのは、今朝の産経抄によれば昭和26(1951)年のことだった。
上記のように、私たちの小学校入学の年であり、彼らの歌った曲の幾つかはわれわれの世代の共通の愛唱歌となっている。
そんなこともあって、一つの時代が終わった感じがする。
つまり、平均して3人位は毎年亡くなっていく計算になる。
私も、脳梗塞の発症のとき、連絡が遅れれば、生命すら覚束なかった。
1時間遅れたら、おそらく廃人同様の身になっていたことだろう。
そう思うと、いまあることに、改めて感謝したいと思う。
涙をこらえながら、型を崩すことなく、立派に役割を果たした。
白髪の遺影と見比べていると、謝辞に立つ彼とありし日の故人の姿がオーバーラップして見えた。
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