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2011年1月12日 (水)

出口の見えない菅政権と民主党解党という選択肢

タイガーマスク・伊達直人に対する共感の輪が全国に拡がっている。
ランドセルの贈り物が何かを象徴していたのだろう。
閉塞感に包まれていたところに、風穴が開いて、爽やかな風が吹き込んできたような感じがする。

それにひきかえ、同じ直人でも菅首相の方は苦戦続きのようだ。
今日、民主党の両院議員総会が開催され、明日は年に一度の定期党大会である。
党の活動方針等が決定される重要な大会だという。
企業で言えば、定時株主総会に相当するものなのだろう。

両院議員総会の様子は、TVで垣間見たところでは、執行部批判 が相次いだらしい。

12日午後の民主党両院議員総会で、出席議員から「国民は党の内紛を求めていない」、「マニフェストを見直すなら国民に信を問え」、「消費増税は国民をばかにしている」など菅直人首相や執行部を批判する意見が相次いだ。
岡田克也幹事長は、最大の焦点である小沢一郎元代表の国会招致に関し「(小沢氏が)衆院政治倫理審査会で説明すれば区切りになる。疑惑を持たれたら説明するという考え方で議論した結果に基づいてやってきたもので、党内でもめているということではない」と説明した。
〔日経QUICKニュース〕

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381949EE3E0E2E5958DE3E0E2E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

この中で、「マニフェストを見直すなら国民に信を問え」というのは、岡田幹事長が「2009年の衆院選で掲げたマニフェスト(政権公約)を見直す意向を表明した」ことに対してである。
政権交代をした選挙のマニフェストを見直そうというのなら、「信を問え」というのは至極真っ当な意見であると思う。
しかし、追い詰められて解散ということはあり得ても、いま菅首相が、「マニフェストを見直したいから」という名目で解散総選挙をやる可能性はほとんどないだろう。

それにしても、じりじりと支持を失ってきた菅内閣に出口はあるのだろうか?
もももと、「国のために、何かを成し遂げたい」ということではないようなので、出口戦略など考えもしないということだろう。
今となっては、戦後史を飾る悪役(?)岸信介氏の「安保条約改定」と心中した気概が懐かしいような気がする。

菅首相は、1日の年頭所感でも、4日の記者会見でも、「今年を平成の開国元年にする」と高らかに抱負を語った。
しかし、その後に具体的に語ったことは多くの国民が失望を感じたようである。
参院議長の西岡武夫氏の感想は、そういう空気を代表しているように思う。

「(年頭会見で)小沢さんのことをいろいろ言われるのは不自然な感じ、違和感を覚えました。まことにおかしい」
記者会見で、こう語気を強めたのは民主党の重鎮で立法府の長でもある西岡武夫参院議長だ。菅直人首相が4日の年頭会見で、小沢氏が強制起訴された場合について自発的な議員辞職を促したことを痛烈に批判したのだ。
「もっとおかしいと思ったのは…」。西岡氏はなお言葉をつなげ、首相が年頭会見で国会質問を24時間前に通告するよう求めたことをこき下ろした。
「これは国対委員長間での話ではないか。びっくりいたしました。首相からはどういうふうに日本をもっていこうとしているのかをぜひ聞きたかった」
西岡氏は、参院で問責決議された仙谷由人官房長官の交代を公然と求めた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110112-00000090-san-pol

菅首相をはじめ、政治家は明治維新期の人物に自分をなぞらえるのが好きのようだ。
菅内閣発足時の「奇兵隊内閣」というネーミングにもそれは表れている。
しかし、実際には、江戸末期になぞらえる方がぴったりくる。
産経新聞の「東京特派員」湯浅博氏の、『第2の江戸の「栄花物語」』という記事は見事に的を射ぬいていた。

菅政権下の日本は「第2の江戸時代」を迎えているのだそうだ。学生の留学離れは言われて久しく、ビジネスマンは海外赴任を拒否し、政界はもっぱら内輪もめに終始している。江戸期はペリー提督率いる黒船で目覚めたが、第2の江戸期は中国が尖閣諸島にちょっかいを出しても、官房長官が「冷静に」などと事なかれをいって引きこもる。
・・・・・・
振り返ってみれば、鎖国政策下の江戸期は内向きの政治しかなかった。悪徳政治家の代名詞だった老中の田沼意次などは、豪商と結びついたワイロ政治の権化であった。いまでいうと「政治とカネ」に絡んだ疑惑政治家である。
・・・・・・
変節は世の常だからご当人の勝手である。だが、善左衛門のような世渡りは人の道にもとる。上司が羽振りのよい時ははやし立て、落ち目になると道義をかざしてこき下ろす。田沼没落後の大合唱はいかにもあさましい。いまでいうと、菅直人首相が民主党の小沢一郎元代表に振り回す正義に、善左衛門のそれと同じにおいを感じてしまう。
菅首相はたしか昨年の元日に、小沢邸で開かれた新年会に姿を見せたのではなかったか。会場の真ん中に陣取って、拍手だか万歳三唱を連呼した。小沢意次の剛腕に菅善左衛門は己の出世を託したのではないか。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110111/plc1101110313001-c.htm

菅首相は、仙谷官房長官を更迭しても、小沢氏を離党させても、八方ふさがりの状況に出口はないだろう。
民主党の代表選に際しての危惧が現実のものになった。
⇒2010年9月11日 (土):菅首相続投で、本当にいいのだろうか?
⇒2010年9月21日 (火):再び問う、「菅首相続投で、本当にいいのだろうか?」
⇒2010年10月17日 (日):危うい菅内閣
⇒2010年11月23日 (火):菅内閣における失敗の連鎖

もはや、明日の民主党の定期党大会で「解党」を決議し、解散総選挙を行うことくらいしか打つ手はないのではないか。

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