平城京モデル/やまとの謎(24)
「環日本海諸国図」のことの触れたのは、松岡正剛氏の「『平城京モデル』に学べ」という日経新聞・経済教室の文章を紹介しようと思ったからであった。
どこかでこの地図を見た記憶があるという気がしたが、昨日書いたように、網野善彦『日本とは何か 日本の歴史〈00〉』講談社(0010)の口絵でだった。
松岡氏は平城遷都1300年記念事業に一環として、国に対して「平城京レポート」という調査報告書を提出している。
「日本と東アジアの未来を考える委員会」(川勝平太委員長代行・松岡正剛幹事長)の約2年にわたる作業の成果物であり、“NARASIA”(ならじあ)というコンセプトを打ち出している。
古代から日本の歴史は東アジアと密接な関係の下に展開してきた。
近現代においてもますます関係が深くなっている。
明治期の征韓論から始まり、日清・日露戦争、日露戦争後の満蒙問題や韓国併合、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての満州事変等々、どちらかといえばマイナス的な評価をせざるを得ないことが多いのだろうが、現在も、尖閣諸島や竹島とう喫緊の課題となっている。
「平城京モデル」とは、1300年前に平城京に東アジアの社会文化が集約されたこと、今日の課題に生かそうと発想である。
「グランドフォーラム-NARASIA 2010」と題する平城遷都1300年記念事業のファイナルイベントでは、下記のような盛りだくさんのセッションが実行された。
http://www.miroku-nara.jp/files/narasia_forum_ura.pdf
平城京が東アジアの集約点であることは、シルクロードや正倉院の文物等により知られている。
わが国が日本として出発したとき、政治経済社会は、東アジアの特色を凝縮した性格を持っていたのである。
日本は、その後東アジアの共通性からの離脱や自立を図ることによって、自らのアイデンティティを確立しようとしてきた。
その最終的な帰結が、東亜・太平洋戦争である。
松岡氏は、平城京モデルの今日的意味は次の諸点にあるとする。
1.多神多物の共存の許容-一神教世界との対比
2.漢字文化圏や仏教文化圏の多重の組み合わせ-和・漢・洋の併存
3.技術移転と組み替え、活性化
4.QCや軽薄短小等に代表される開発力
5.法令順守にもとづく監視型の組織と伝統的な柔組織の自在な組み合わせ
6.貿易の枠組みにおける日本のイニシアティブ
現状は、東アジアと日本をつなぐ価値観、制度感、コミュニケーション力はさびついている。
「平成の開国は、平城京に学べ」ということであろう。
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