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2011年1月 7日 (金)

初詣と神道と天皇制

去年は病棟で迎えた新年だったが、今年は自宅で初日の出を拝んだ後、近くの三嶋大社に初詣をした。
初日を拝んだり、神社に詣でることは、宗教的な行為か?
私にとって、特定の宗教、例えば神道、をことさら意識した行為ではない。
しかし、そこに宗教的な意識が全くないかといえば、それも違うだろう。
少なくとも、私が現在有る(存在する)ことは、連綿と続いてきたご先祖があったればこそであるし、そのことは言葉の真の意味において(?)有り難い、すなわち確率的にいって限りなくゼロに近い希少なことであるに違いない。
昨日や昨年と変わった太陽ではないが(少なくとも五感的には)、やはり初日には特別の輝きがあるような気持ちになるし、神社の雑踏に身を委ねていると、ある種の安心感を覚えるような気になる。
何故だろう?

そんな気持ちでいたところに、産経新聞の「正論」欄の、平川祐弘東京大学名誉教授『日本の命はまた、あらたまる』が目に入った。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/110107/trd1101070245000-c.htm
理解できる部分もあるものの、正直に言ってより大きい違和感があった。

平川氏は内藤鳴雪の句を引用するところから説き始める。

初日の出に柏手(かしわで)を打つ。遠くの富士山が美しい。有難(ありがた)い。

元日や一系の天子不二の山

これは内藤鳴雪の句だが、日本に生を享(う)け八十の歳(とし)を迎える私の正月気分でもある。外国女性に向け、「これが日本人の神道的気分だ」と説明する。

遠くの富士山が美しいという感覚(⇒2011年1月 1日 (土):明けましておめでとうございます)や、「有難い」という気持ちは、上記したように、私も共有するものだ。
しかし、それが「日本人の神道的気分だ」と説明されると、違和感がある。

元日を迎えるときのあらたまった気持ち、「年の始めの例(ためし)とて、終なき世のめでたさを、松竹たてて、門(かど)ごとに祝ふ今日こそ楽しけれ」と小学生のころに歌った。終り無き世を象徴するのが万世一系の天皇である。

確かに、元日に「あらたまる」気持ちがするのは事実であるが、「終り無き世を象徴するのが万世一系の天皇である。」というのは、論理的に飛躍があるのではなかろうか?
私は若い頃は、天皇制というものに疑問を抱いていた。何ら合理的な根拠を持たない制度のように思えたのである。

現在はどうか?
日本国憲法の第一章は「天皇」である。

第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

多くの国民、つまり同胞が、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」として認めている。
改憲論はあるにしても、この部分を変えようという意見は、ごく少数のようである。
その「地位」が「主権の存する日本国民の総意に基く」というのは、現状では欺瞞的なようにも思うが、近似的に「日本国民の総意」としてもあながち間違いとは言えないのではないか。
だから、天皇制は現実に有効に機能していると考える。
しかし、それがすなわち平川氏の説くように、「連綿と続く天皇に民族の永遠を感じる気持ちは多くの日本人が無自覚裏にわかちもつ」ものと言えるか。

「万世一系」だから、天皇は尊いのか?
皇統の証を、神武以来のY染色体に求める論理(たとえば、八木秀次『Y染色体説のどこがトンデモ説なのか』(「別冊正論14」(1101))は、やはりトンデモと言わざるを得ないだろう。
仮に神武天皇の実在を認め、以来「連綿と続く」万世一系が事実としても、Y染色体というような非人格的なものに根拠を求めるのは納得しがたい。

神武天皇以前はどうなのか?
そもそも、伊勢神宮が祀っている天照大御神と豊受大御神は共に神武以前であるし、女性神であるからY染色体の価値とは無関係であろう。

伊勢神宮には、太陽を神格化した天照大御神を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮が存在し、一般に皇大神宮を内宮(ないくう)、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。
Wikipedia110107最終更新

「日本」という国号と日本列島の歴史をどう区別するのか?
例えば、縄文時代のことは、どう考えるのか?
私には、「民族の永遠」的なものは、神武以前にまで遡る方が自然のように感じられる。

菅直人首相と自民党の谷垣禎一総裁が4日、伊勢市の伊勢神宮に参拝した。菅首相は政権運営への意欲をにじませ、谷垣総裁は衆議院の解散・総選挙に追い込むことを目標に挙げた。
http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000001101050002

このお二人は、伊勢神宮にどういう思いで参拝したのか?
伊勢神宮の位置づけについてはいろいろ議論があるだろうが、淵源はせいぜい天武・持統朝の頃のようだ。
伊勢神宮への参拝が一般化したのは、「お蔭参り」とも呼ばれた江戸時代以降のようである。
「おかげ」の由来は、「日本人に生まれたおかげ、生かさせていただく有り難さを伊勢神宮に感謝する“おかげ”のお参り」の意だという。

与野党の二大政党の代表者が共に伊勢神宮に詣でるのは、どういう意図からだろうか?
単なる慣習や伝統行事的に類する程度のことなのか?
平川氏は次のように書く。

民主党の閣僚は日本の国土を護(まも)るために死んだ人を祀(まつ)る神社に参拝しない。彼らは戦後の教育情報空間の中で育った優等生で、いってみれば左翼系大新聞の模範解答どおりに行動している。朝日を拝まず朝日新聞を拝んでいる。だからこそ失政が続くのである。

「日本の国土を護るために死んだ人を祀る神社」とは靖国神社のことであろう。
平川氏は「民主党の閣僚」と書いているが、自民党の谷垣総裁とて大同小異のように見える。
伊勢神宮と靖国神社の差異は何か?

平川氏は、「宗教はどの国でも戦争中は国に仕える。米大統領もGod Bless Youと米兵を祝福してイラクの戦地に送り出す。」と書く。
宗教が戦争を後押しすることがあるのはある程度普遍的なことだろう。
戦争はしばしば、観念的なものが原因である。
だからこそ、東亜・太平洋戦争において、「神道や天皇制」の果たした役割を「無かったかのように」考えることには同意し難い。

また、現代の戦争にも「宗教戦争」の色合いが多分にある。
平川氏の例にあげた「イラクの戦地」は、キリスト教とイスラム教の争い的な性格があったと考える。
だから、「God Bless You」というのにも、価値観のバイアスがかかっているのではないか。

かつて軍部のしたことに多々遺憾な点があったことは承知している。しかし私は死者の霊は区別せずに弔いたい。

私も「死者の霊」を、あえて区別せよ、などとは言うつもりはない。
しかし、戦争において、指導者と被指導者の責任は異なると思うし、区別して考えたいと思うものだ。

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コメント

新年の節目を自宅にいて過ごす、非常な安堵感を得ることが出来たかと思います。おめでとう御座います。

終わりなき世のめでたさ、と歌には歌っていても、私は、時々、日本は‘終わり’を何度か通過している、と思うことがあります。

日本書紀では、越前の国から継体天皇がやってくる前に、皇統が途絶えそうになった、と記述されています。

皇統が途切れることではなくても、そもそも、‘始め、大地は混沌として、’と、記紀が書き出しているように、この世の始めは、‘終わり’の状態からおこった、という解釈も出来ると思います。

そして、原爆も、勿論、終わりを示している筈です。

投稿: 五節句 | 2011年1月12日 (水) 18時04分

五節句様

コメント有難うございます。
やはり病棟と自宅では、QOLが違います。
初めての経験でしたが、ずい分多くの人々が病棟で新年を迎えたはずです。退院したからには、後悔しないように生きようと思っていますが……

それにしても孫たちの世代が成人する頃、この日本という国がどうなっているのだろうか、と考えてしまうことが多いですね。

投稿: 夢幻亭 | 2011年1月12日 (水) 22時47分

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投稿: GALLAGHERCarey29 | 2012年2月12日 (日) 18時14分

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