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2011年1月

2011年1月31日 (月)

フェイスブックは日本でも大きなシェアを占めるか?/知的生産の方法(9)

いまフェイスブックがホットである、といっていいだろう。
代表的な経済誌が揃って特集を組んで取り上げている。
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「ダイヤモンド」誌の特集は、以下の3部構成になっている。
・facebookって何
・今日から始めるfacebook
・facebook個人・企業はこう使え
2誌共に内容的には大差がないようにみえる。
また、「日経ビジネスオンライン」2011年1月31日号にもフェイスブックの記事が載っている。
海部美知『フェイスブックはバブルか、それともホンモノか?/決勝リーグに突入した「ソーシャル」ビジネス』は、冒頭で次のように書いている。

同社の創業経緯をもとにした映画「ソーシャル・ネットワーク」が日本でも封切られ、世はすっかり「ソーシャル・ブーム」だ。
・・・・・・
同社は世界中で既に5億人以上の会員を持ち、ネット業界の覇者グーグルを脅かす存在とも言われる。未上場ながら、昨年末から1月14日にかけて、ゴールドマン・サックスとロシアのファンドから合計15億ドル(約1245億円)の資金を調達。フェイスブックの時価総額は500億ドル(約4兆1500億円)に達すると見積もられている。

フェイスブックはいわゆるSNS(Social Network Service)の一種であるが、注目を集めている理由の第一は下図に見るような利用者の急増によるだろう。
全世界で5億人を超える人が利用しているという。
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インターネットサイトの利用者数でみても、Google、Yahooのガリバーにせまる勢いである。
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図は、いずれも「エコノミスト110201」号

webコミュニケーションのスダンの中では、フェイスブックは次のように位置づけられている。
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http://www.ikedahayato.com/?p=2504http://www.ikedahayato.com/?p=2504
ここに比較されているツィッター等を同じ座標軸で比べるのが 適正であるか疑問もあるが、大よそのポジショニングとしては参考になるだろう。
ツィッターは鳩山前首相が得意げに使っていることを吹聴していたし、先ごろは大桃美代子さんの痴話ゲンカめいた「つぶやき」が話題になったりしたが、私自身はあまり好奇心を喚起されない。
140字ほどでは、思考のツールにはなり得ないだろう。

SNSについて、日本では現時点ではmixiが圧倒的に優勢である。
私はある人の紹介でmixiに加入したことがあるが、有効性がよく分からないまま試験的に使っただけの経験しかない。
フェイスブックは実名主義をとっているところが匿名のmixiとの大きな違いだという。
実名がいいか匿名がいいかは用途による。

私はSNSを使うとすれば実社会の付き合いを補完するメディアとしてだろうと思うので、実名の方が便利だろうという気がする。
しかし概して実社会での交友範囲にいる人は、こういうメディアに興味を持っていないので(例えば、メールは見るけど自分から発信することはない)、使うかどうか思案中だ。

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2011年1月30日 (日)

馴質異化と異質馴化/「同じ」と「違う」(27)

馴質異化と異質馴化は、共に創造性の技法ではあるが、反対の概念であるといっていいだろう。
⇒2011年1月18日 (火):馴質異化-地図の上下/知的生産の方法(7)
⇒2011年1月29日 (土):異質馴化-斎藤美奈子さん江/知的生産の方法(8)

「異質馴化」とは、自分にはまったく未知なもののことをヒントに自分の問題解決を着想する考え方であり、「馴質異化」とは、すでに知っているものを新しい視点からみることで新しい着想を得る考え方である。
http://tyuko.blog97.fc2.com/blog-entry-123.html

英語で言えば、馴質異化はmaking the familiar strange、異質馴化はmaking the strange familiarである。
新しいカテゴリーの創出とは、今まで類似性がないと考えられていたものを1つのグループとして取り上げるわけだから、異質馴化そのものである」と書いたが、ふとこの両者は同じことではないかという気がしてきた。
考えてみれば、それは「分類」ということの本質に係ることである。
分類については、次のように説明されている(Wikipedia090724最終更新)

事物は多様である。それを扱う場合、ある特徴でもって共通であるものをまとめることで極めて多様である事象を多少とも簡略化することが出来る。これが分類である。

未知としてくくるか、既知としてくくるか。
それが両者の分水嶺であるが、未知のものの中に既知の匂い・香りを嗅ぎ分け、既知のものの中に未知の色合い・形状を見つけることが、これらのキモである。
とすれば、未知と既知とは相対的である。
それは「モノの見方・考え方次第ということになる。

市川亀久彌氏の等価変換という考え方を参照しよう(以下「創造的思考の方法論- 主に等価変換理論について」http://www.osaka-gu.ac.jp/php/nakagawa/TRIZ/jpapers/Ichikawa010918/IchikawaET010918.html)。

まず、創造過程には次の3つの素過程があると考える。
(1) 創造的直観による問題の提起 (問題の発見)
(2) 問題解決のためのアイデアの獲得 (定性的) 
(3) 確立したアイデアによる問題の実際的解決 (定量的)
市川氏は上記の(2)および(3)の素過程を科学的に究明しようとする。

筆者(市川氏)が1955年に提唱した <等価変換理論> なるものは, 上記にみたような, アナロジーという用語にまつわる創造理論としての論理的矛盾や, 思考技術上のあいまいさから脱出を計るため, 創造的発想過程における前述の第 2素過程と第 3素過程とを, 改めて純技術論的に検討して, 一つの体系にまとめあげたものである。あとから分かったことであるが, その論理構造は, 湯川秀樹博士が1965年に提唱された認識論としての, いわゆる 「同定理論」 なるものの, 方法論的なスペシャル・ケースとみなされるものである。

等価変換的思考のエッセンスは下図で表わされる。
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この式はいささか難解であるが、最近はやりの「謎かけ」を例にすると分かり易い。

落語家の林家三平さんの婚約発表記者会見の様子である。

三平さん 婚約と掛けまして、時刻表と解く。その心はダイヤに思いを込めました。
 --国分佐智子さん(婚約者)と掛けまして……。
三平さん 染物屋さんの手先と解きます。(その心は)いつでも藍(愛)で染まっています

http://journal.mycom.co.jp/news/2011/01/24/010/index.html

つまり無関係と思われる2つのモノ・コトを、ある視点(心)でみると共通する。
市川氏は次のような例で解説している。

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つまり、関係のないと思われる障子と鶯という2つのモノに共通性を見出すわけである。
このような「謎かけ」は、典型的な異質馴化と考えらるが、既に知っているものを新しい視点で捉えなおすのだkら、馴質異化ともいえる。
重要なことは、「心」にあたるものの発見である。

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2011年1月29日 (土)

異質馴化-斎藤美奈子さん江/知的生産の方法(8)

異質馴化は馴質異化の対語である。

「異質馴化」とは、自分にはまったく未知なもののことをヒントに自分の問題解決を着想する考え方であり、「馴質異化」とは、すでに知っているものを新しい視点からみることで新しい着想を得る考え方である。
http://tyuko.blog97.fc2.com/blog-entry-123.html

馴質異化について触れ時に、異質馴化についても、いい例がないものかと思っていた。
⇒2011年1月18日 (火):
馴質異化-地図の上下/知的生産の方法(7)

斎藤美奈子さんという評論家がいる。
私は長らく名前を目にしながら、著書を手にすることがなかった。『
妊娠小説 (ちくま文庫) 』というデビュー作のタイトルを見れば、普通の感覚の男だったら、まあしり込みするのが当たり前ではないだろうか?
それが、ふと『文壇アイドル論 (文春文庫) 』を読み、続けて『文章読本さん江 (ちくま文庫) 』を読む機会があり、一気に斎藤ワールドに魅惑されてしまっている。
斎藤さんの魅力は、今まで無関係あるいは異質と思われてきたものごとを、新しい視点で捉えて、関係性や類似性を提示してみせることだとおもう。

例えば、『読者は踊る (文春文庫)』の冒頭で唐沢寿明『ふたり (幻冬舎文庫)』と石原慎太郎『弟 (幻冬舎文庫) 』という二著をとりあげ、その類似性を検証していることなどが分かり易い。
まあ、類型的な見方では、前者は人気俳優のタレント本、後者は著名作家(あるいは現職都知事)の最初で最後の「私小説」である。読者層も多分、重ならないだろう。
しかし、斎藤さんの慧眼は、『ふたり』が持っている私小説性を見事に見抜く。
それだけではない。『弟』から、マチズモ(マッチョ)というキーワードを引き出し、それを『ふたり』にも嗅ぎ取る。
そして、太宰治や坂口安吾などの「無頼派」を屈折した「マチズモ」の一バージョンだと喝破し、今や純文学業界では、「マチズモ」や「無頼」はストレートに通用せず、それをタレント本が担っているのだ、と分析してみせる。
さらには、政界と芸能界は、「マチズモが健全な社会」「無頼が価値をもつ世界」だと、社会批評にまで視野を広
げてくれるのだ。

異質馴化の見事な例証と言えないだろうか。
考えてみれば、デビュー作の『妊娠小説』にしてからが、新しいカテゴリーの発見であった。
あまたある文学作品を「妊娠」というワードで括りなおす。
新しいカテゴリーの創出とは、今まで類似性がないと考えられていたものを1つのグループとして取り上げるわけだから、異質馴化そのものである。

森鴎外の「舞姫」と島崎藤村の「新生」をそれぞれ妊娠文学の父、母とするところから始まり、1950年代の「太陽の季節」と「美徳のよろめき」、1980年代のW村上による「風の歌を聴け」と「テニスボーイの憂鬱」の対比など、妊娠小説の分類からして冴えを見せる。
http://www.yamdas.org/bmm/books/ninshin.html

ところで、「書く」ことと「考える」ことの関連性については既に触れた。
⇒2011年1月 8日 (土):
「書く」ことと「考える」こと/知的生産の方法(5)
マッキンゼーでロジカル・チェックという職務を担当していたバーバラ・ミントさんの『考える技術・書く技術―問題解決力を伸ばすピラミッド原則』を代表例として、この2つのを相関させて説いて(解いて)いる本は数多い。
職場の文章というのは、普通は業務の報告書だとか、テクニカル・ドキュメンテーションの類だから、ことさら修辞上のテクニックを必要とするものではない。
しかし、自分の体験からすれば、こういう範疇の文章にしても、理解しにくいものが多いというのが実態である。
そして、それは修辞というよりも、思考の訓練が欠けているからではないかと思う。

斎藤さんの『文章読本さん江』は、谷崎潤一郎以来、多くの名文家がモノにしてきた『文章読本』を見事に腑分けしてみせている。
現実問題として、作家の書いた『文章読本』が職場の文章改善に役立たないことは実感していたし、まあ文章のジャンルが違うのだから、当然だということでもあろう。
しかし、斎藤さんは、「伝達の文章」と「表現の文章」とに明確に大別し、その違いの構造を明確にしている。
余りの明解さに、目の鱗がいくつあっても足りないくらいである。

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2011年1月28日 (金)

菅首相の国債発言に唖然。だが閣僚は……

このところ菅首相および民主党に対する批判的なことに集中してきたきらいがある。
そろそろ他の話題に移りたいと思っていたが、さすがに昨日の国債に対する応答をTVで視聴して、黙ってはいられないと思った。
首相の「言葉の軽さ」を問うたばかりである。

菅直人首相は27日夜、米格付け会社「スタンダード・アンド・プアーズ」が日本国債の長期格付けを「AA」から「AAマイナス」に引き下げたことについて「初めて聞いた。本会議から出てきたばかり。そういうことには疎いので、改めてにしてください」と回答を避けた。
首相官邸で記者団の質問に答えた。

http://sankei.jp.msn.com/politics/print/110127/plc11012719420161-c.htm

「そういうこと」とは、文脈的にみて「国債の格付け」以外に解釈の余地がない。
「疎い」とは、辞書をひくと以下のように出ている。

うと・い【疎い】
その人(事)に関係のうすい状態をあらわす語。
(その人と)親しくない。(その事に)関係が深くない。疎遠だ。
うちとけがたい。しんから親しめない。
関心がうすい。無関心だ。そっけない。
よく知らない。不案内だ。
頭の働きが鈍い。愚かである。
目・耳などの機能が十分に働かない。
広辞苑第六版より引用

常識的に考えれば、菅首相は、④(もしくは③)の意味で使ったと考えられる。
(まさか、⑤とか⑥ではあるまい)
菅首相が経済学に明るくないのは、乗数効果について説明に窮したことで分かっていた。
「よく知らないこと」は必ずしも恥ずべきことではない。
しかし、今回は「素人だから」と大目に見るわけにもいかないだろう。
日本の財政はギリシャと同じで大変な事態になっている、という認識を説明されてきている。
(だから、消費税増税は不可避なのだ、という論理)

施政方針演説において示した「国づくりの三つの理念」の原点もそこにあると言っていいだろう。
特に、社会保障制度の問題は、税制の改革(すなわち増税)と一体的でなければならない、ということではなかったか。

国債については次のような説明がある。

国債は他の債券同様に発行された後でも市場で売買できるため、価格は常に変動している。国債:価格とその裏返しとしての国債金利(長期金利)は世界情勢や、国債を発行している国の社会動向、経済状態を反映するため、政治的にも非常に重要な要素である。
Wikipedia110127

「政治的にも非常に重要な要素」について、首相が「疎い」と言っていたのでは洒落にならない。
日本経済新聞(110128)によれば、S&P社は、「民主党政権には政府の債務問題に対する一貫した戦略が欠けている」と政府の財政健全化に向けた姿勢を疑問視した、ということである。
ちなみに、同社の各国国債の格付けは下表の通りである。
Photo


さすがに自分の発言をマズイと思ったのだろう、菅首相は以下のように釈明したと報じられている。

菅直人首相は28日午前の参院本会議で、日本国債の格付け引き下げをめぐる27日の自身の「疎い」発言について、「(衆院)本会議場を出た直後で聞いていなかった、情報が入っていなかったことを申し上げた」と釈明した。その上で、「財務相時代にギリシャ危機に当たって、財政、国債がいかに重要かは、嫌というほど認識させられた。大切なのは財政規律、市場の信認を維持することだ」と強調した。公明党の山口那津男代表が「危機感に乏しく、それを乗り越える決意も浅い」と発言を批判したのに答えた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110128-00000053-jij-pol

だがしかし、またしても得意の(?)強弁というべきであろう。
上記の辞書の説明からも、「情報が入っていない」という意味で使うのは不適切である。

このような釈明は真摯さの欠如の証明以外の何ものでもないだろう。
さすがに野党は下記のように、強い反発の姿勢を示した。

首相の答弁を受け、山口氏は記者団に「本会議中であっても、情報が届いていなかったこと自体が問題だ」と指摘した。
・・・・・・
自民党も首相の発言を厳しく追及していく方針だ。同党の石原伸晃幹事長は、党本部で記者団に「問題の重要性に気付いていない。国民がこの首相を仰いでいる限り、最大不幸社会だ」と厳しく批判した。

ところが閣僚はこぞって擁護発言をしている。

与謝野馨経済財政担当相は「国会が終わって(記者対応までに)そんなに時間があったわけではないので、その瞬間は疎かったというのは理解できる」とし、「レーティング(格付け)会社のレーティングについて首相がコメントするのは聞いたことがないので(コメントを避けたのは)あれはあれで良かった」と述べた。
江田五月法相は「しっかりした説明を聞いていないことを疎いと表現したのだから、問題になることではない」と指摘。北沢俊美防衛相は「格下げの意義を知らなかったように(報道機関が)書くのはフェアでない」と語った。
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2011012800366

私も身びいきの心情は分かる。
バッシングを受けたらガードに回ろうとする気持ちは理解できる。
しかし、与謝野氏の「その瞬間は疎かった」という「瞬間」とは何だろうか? よく分からない擁護である。
また、私には、首相が与謝野氏の言うような意味で、意識的に「コメントを避けた」ようには見えなかった。
江田氏の、「疎い」が「しっかりした説明を聞いていないこと」の表現という説明は、首相と同様のムリな解釈だと思うし、北沢氏の言い分も状況からして通用しないことは、映像を見た人ならば明らかである。

「不条理」な擁護論はかえって信頼を損なう。
良識の人だと思っていた江田氏までもがこういう発言をするとは幻滅である。
菅首相の言葉を借りれば、「気持ちが萎える」のは国民の方だと言いたい。

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2011年1月27日 (木)

言葉の軽さが裏付ける首相の真摯さの欠如

民主党の総理大臣というのは、どうしてこうも言葉が軽いのであろうか。
谷垣自民党総裁の代表質問にたいする菅総理の答弁を聴いていてそう思わざるを得なかった。
自民党の総理はどうだったか? 
今や朧である。が、鳩山-菅両氏の印象は強烈過ぎると思う。

鳩山前総理の、「最低でも県外……」や、「学べば学ぶにつけ……」といったフレーズは少々のことでは忘れることがないだろう。
「首相の経験者は辞めた後まで影響力を保持すべきではない」とも言って、引退を表明したこともすっかり洗い流してしまったつもりのようである。
「存在の耐えられない軽さ」を地で行っているような気がした。
妙に丁重な物言いが、マッチしているような、していないような感じで、宇宙人と呼ばれる所以でもあろう。

後任の菅現総理はどうだろうか。
与野党協議を呼びかける姿勢は、ちょっと見は低姿勢のようだが、実質は「熟議」に向かおうとする真摯がないことは改めて指摘するまでもないだろう。
ドラッカーのいうように、真摯さはリーダーの持つべき不可欠の条件であると思う。
⇒2011年1月21日 (金):政府・民主党における真摯さの欠如
真摯さの欠如しているリーダーはレッドカードである。

今朝の各紙に報じられている自民党の谷垣総裁とのやりとりは以下のごとくである。

谷垣氏が代表質問で訴えたのは、衆院解散・総選挙の一点に尽きる。首相が呼びかけている消費増税などの与野党協議について「国民の信を問うことをもって首相の覚悟と受け止め、税制抜本改革の与野党協議に真摯(しんし)かつ積極的に参加したい」と明言。解散前には協議に応じられないとの姿勢を鮮明にした。
・・・・・・
一方、菅首相の谷垣氏への答弁は、低姿勢を示しながら、政権への理解と与野党協議を求めるものだった。
「案作成の段階から超党派協議の進め方を含めて野党のご意見をうかがいたい」。6月に政府案を示すとした消費増税と社会保障の一体改革に向け、この日も早期の協議入りを要請。答弁の最後も「ぜひとも超党派の協議にご参加いただきますよう重ねてお願い申し上げます」と結んだ。

http://www.asahi.com/politics/update/0127/TKY201101260629.html

菅総理は、議員の資格にさえ疑問符をつけられている与謝野馨氏を一本釣りして、最重要閣僚として遇した。
いくら「ぜひとも超党派の協議に参加を」と呼びかけ、「協議に応じないならば歴史に対する反逆行為だ」と凄んでみても、当の相手の神経を逆撫でする布陣である。
履行できないマニフェストについては、「従来の政権ができなかった政策を転換したもの……」と言い、履行できないことについて深刻に捉えているふうではない。

朝日新聞は社説でも以下のように論評し、政権を追認する姿勢である。

民主党政権が思うように財源を捻出できず、マニフェスト(政権公約)をそのまま実現できていないのは事実である。率直に認め、謝るべきだろう。
だからといって、それがただちに「政権選択」をやり直さなければならない理由になるかどうかは疑わしい。前回の総選挙から1年半にもならず、衆院議員の任期半ばに満たない。

http://www.asahi.com/paper/editorial20110127.html?ref=any

毎日、読売の社説も大同小異である。
見出しだけ示そう。

毎日
「解散」とはまだ早すぎる
読売
対決だけの政治は機能しない

大新聞には批判的精神が失われてしまっているのだろう。
産経の阿比留記者は、「政論」欄で」「首相に信はあるのか」と題し、「「天に唾する」与謝野氏起用」と以下のように首相の言葉の軽さを的確に撃っている。

谷垣氏「首相は6月までに成案を得ることに『政治生命を懸ける』と明言した。なし得なかった場合は辞職する、もしくは信を問うため解散するのか」
首相「政治生命を懸けるというのは改革に向け最大限努力していきたいという覚悟を申し上げた」
随分軽い「政治生命」があったものだ。これでは首相が何を約束しようと「単に覚悟を示しただけだ」と逃げられることになる。菅内閣は「有言実行内閣」だったはずではないのか。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110126-00000626-san-pol

また以下のような巷の言葉遊びに込められた嫌菅感(?)を紹介している。

「虎のマスクで顔を隠すのが伊達直人 虎の威を借るのが菅直人」「贈与するのが伊達直人 増税するのが菅直人」

産経新聞は、正直に言って、今まで反面教師として閲読することが多かった。
3紙が批判的精神を喪失してしまったように見える現在、オピニオンの名に値する数少ない新聞のように感じる。
私はかねてから書いてきたように、民主党政権は詐欺により成立した(国民の過誤を意識的にマニフェスト等で導いた)ものだから、前回の総選挙は無効であり、一刻も早く解散総選挙をすべきだと考える。

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2011年1月26日 (水)

TPPとタノカンサア(田の神さま)

昨日の日本経済新聞の文化欄に、吉村安弘さん(農業)の、「田の神さまごゆっくり-奥能登の「あえのこと」、食事や風呂でもてなす神事」と題する文が掲載されていた。
「あえ」はもてなし、「こと」は祭事の意味である。
毎年12月5日から2月9日まで、田んぼの神さまが各戸に滞在するとみなす行事をいう。

この記事を目にして、もう何年も前のことになるが、鹿児島で仕事をする機会があった時、地元出身の社員が、突然「タノカンサアがいる」と声を上げたのを思い出した。
私の生まれ育った地域は典型的な農村であったが、家は農家ではなかったので実際の農業の様子は詳しくは知らなかった。
私の故郷でも同様のことが行われていたのだろうか?
記憶を辿ってみても田の神さまをもてなすような神事、風習はなかったように思う。

鹿児島の「タノカンサア」が何を意味するのか、もちろん分からなかった。
鹿児島弁は、私の育った東海地方とも、学生時代を過ごした関西とも異なり、独特の響きを持っている。
アクセントも違うが、語彙そのものが異なっている。
例えば、「てげてげ」。
解説をみると、「テゲテゲ…いい加減、手抜きをするの鹿児島弁」とある。
私のライフスタイルにぴったりだったので、お気に入りの一語となった。

「タノカンサア」は、「田の神さま」のことだと教えられた。言われてみれば理解できる。
例えば下の写真である。

Photo
鹿児島の田圃のあぜみちなどを歩いていると、タノカンサア等とよばれる石像をよく見かけます。
田の神は全国どこでも抽象的には信仰されているが、それが石像として、田圃の畔などにあるのは、鹿児島を中心とした旧島津藩領の薩摩地方・南九州の一部だけです。県内に2000体はあるようです。
18世紀ごろから建立されて、燈篭(つろ)と同じように郷村制度が影響しているようです。
根本は五穀豊穣を願い、収穫感謝や庶民のレクレーションも兼ねていたようです。
廃仏毀釈や、タノカンオットイ(追っ取い)で欠けたのか首無し手無し鼻無しも多くあります。
古老に田の神の場所を聞いても、目の前にあっても知らぬと言われた事も何度もあります。
よその集落の田の神をかっぱらってくる風習もありました。勿論大事にして返すのですけれど。
地蔵・武士・旅僧・踊り・仏像などの色んな型があります。代表的には茶碗を持ち、反対側は飯げを持ったのが多いようです。

http://www3.ocn.ne.jp/~nansatu/tanokan.html

日本の稲作がどのようなルートで伝播し、いつ頃から行われているのかは定かではない。
かつては弥生時代だと考えられていたが、縄文時代にも行われていたらしいし、弥生時代の始まりも遡るようだ。
いずれにせよ、日本人の生活・風土に密着したものであることは間違いない。
私自身はずっと工業もしくは情報産業に身を置いてきたものであるが、TPPの問題にしても、農と工を対立的な図式のままに「開国」すると、禍根を残すことなるのではないかと心配している。

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2011年1月25日 (火)

民主党政権と詐欺師/「同じ」と「違う」(26)

菅首相が施政方針演説を行った。
持論(?)の、三つの「国づくりの理念」、すなわち「平成の開国」「最小不幸社会の実現」そして「不条理をただす政治」である。
具体的に言い換えると、それぞれ「TPPへの参加」「消費税増税」「小沢排除」ということになる。

TPPは先の臨時国会で首相が交渉参加に意欲を示したのに、党内外の反発であえなくトーンダウンしてしまった。「省益」に固執する省庁だけでなく、担当閣僚の足並みさえ乱れたお粗末さは記憶に新しい。
社会保障と一体で論議すると言う消費税の問題は、昨夏の参院選で「10%へ引き上げ」を打ち上げたかと思えば、大敗を喫して「唐突な提案だった」と自ら一時封印してしまった。
小沢一郎元代表をめぐる政治とカネの問題は、政権交代に対する有権者の幻滅を招いた主因の一つである。
鳩山由紀夫前首相の退陣を受けた党代表選から参院選、小沢氏との一騎打ちとなった再度の党代表選を通じ、首相が小沢氏に説明責任を果たすよう求めてきたにもかかわらず、衆院政治倫理審査会出席すら実現できていない。

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/222974

どうやら勢い込んで再び大風呂敷を広げてみたものの、結び方はおぼつかないようである。
首相には、かつて社民党の重野安正幹事長が、「説得力がない。『大風呂敷を広げた』といわれないだけの実績を残せるかどうかだ」と批判したのに対し、「(所信表明は)率直に申しあげて大風呂敷を広げたんですよ」と開き直った実績(?)がある。
繰り返しになるが、マニフェストの基幹部分もしくは精神(魂)を実行し得えないとしたら、国民に謝罪して下野すべきではなかろうか?

マニフェストについての認識はどうか?

菅直人首相は24日行った施政方針演説で、09年衆院選で掲げた民主党マニフェスト(政権公約)に関し「実現したものもあるが、公表から2年を区切りに、国民の声を聞き検証する」と述べ、今夏に見直すと明言した。首相は演説で、税と社会保障の一体改革や貿易自由化などの実現に意欲を示したが、高速道路無料化や東アジア共同体など公約で掲げた目玉政策は抜け落ちたりした。野党は公約を撤回するよう強く求めており、首相が求める与野党協議入りの条件として公約見直しが焦点になりそうだ。
・・・・・・
しかし、政権交代の原動力となった年金記録問題は実績に触れず「解消に全力を尽くす」と述べるにとどめ、天下りあっせんも「温床の独立行政法人や公益法人改革に取り組む」と述べる程度。鳩山由紀夫前首相は昨年の施政方針で「(年金記録に)国家プロジェクトとして取り組む」「無駄遣いの最大の要因の天下りあっせんを根絶する」と意気込んだが、トーンダウンした形だ。鳩山氏は記者団に「(東アジア共同体の)メッセージが消えてしまった」と指摘した。
・・・・・・
マニフェストの影が薄くなった首相の演説に、共産、みんな、改革の各党は「自民党政権と変わらない」と酷評。自民党の谷垣禎一総裁も「マニフェストとずいぶん違ってきた。あれだけ言った『国民との契約』がうまくいかないならリセットすべきだ」と求め、公明党の山口那津男代表は「財源論も破綻しており、欺まんを国民におわびすべきだ」と批判した。共産党の志位和夫委員長は「国民の願いを反映した要素が完全になくなった」とし、首相が連携相手と期待する社民党の福島瑞穂党首でさえ「マニフェストから思えばはるか遠くに来たもんだ」と皮肉った。【田中成之】

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110125ddm001010038000c.html

私は首相の施政方針演説から、詐欺師の手口を連想した。
かつて詐欺と虚業の違いについて、次のように書いたことがある。

詐欺は、「人を欺いて」ということが基本的な要件である。
相手からの騙しとろうとする意図が最初からあり、当初から違法性がある。
これに対し、虚業は、当初から違法性を含んで行うとは限らない。
商取引上の駆け引きや、自社商品の強調・誇張を社会通念上の許容範囲を超えて行った結果、虚業となったという場合が少なくない。
⇒2009年5月 4日 (月):詐欺の第一段階としての錯覚誘導

比喩的にいえば、小沢氏をめぐる「政治とカネ」の問題は虚業の問題であり、鳩山-菅政権の実績は、詐欺の問題ではなかろうか。
政治が虚業化するのも困るが、詐欺は言語道断であろう。

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2011年1月24日 (月)

菅政権は雇用の増大に本気で取り組んでいるのか

菅首相の「これから本格的に取り組む……」という決意表明は、オオカミ少年のようである。
首相になった時も、参院選の時も、代表選の時も同じようなセリフを聞いた記憶がある。
さらには今までは仮免許だったが……、と言い出す始末である。
誰も仮免許の人に国家を託そうとは思わないだろう。

「一に雇用、二に雇用、三に雇用……」と言っていたが、具体的にどういう対策を講じているのか?
消費税増税の布石なのかも知れないが、「一に雇用……」ということからすれば、雇用対策の原資にすることを意図したものとも思える。
2011年度税制改正大綱に、法人実効税率の5%引き下げを盛り込んだ。

これにより、雇用の増大は図れるか?
どうもそういうわけにはいかないようである

平成20年秋のリーマン・ショックの痛手から回復してきた日本企業が、国内の新卒者採用になお慎重な姿勢を崩していない実態が大学生の就職内定率から浮き彫りとなった。政府は法人税の税率を引き下げて企業の税負担を軽減し、採用拡大につなげたい考えだが、企業の採用に対する優先順位は高くなく、改善の道は依然、視界ゼロだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110119-00000088-san-bus_all 

日銀調査によると、企業の手元資金を示す「現金・預金」(昨年9月末時点)は、前年同期に比べ5・0%増え205兆9722億円になり、過去最高を更新したほどだ。リーマン・ショックで打撃を受けた企業が、雇用調整や設備投資の抑制で、現金などの資金を増やしている姿が浮かぶ。
それでも採用拡大に踏み切らない理由を、アナリストは「デフレが止まらず、人材に投資するリスクをとれない」とい
う。人件費が膨れ収益を圧迫することを恐れているためだ。一方で消費が拡大する新興国では家電業界や衣料品メーカーが現地採用を積極化している。採用枠が海外勢に占められれば日本人枠は狭まる恐れがある。

国内では生産力を持てあましている。内閣府推計によると、日本経済全体の需要と供給の差を示す需給ギャップは22年7~9月期には年換算で約15兆円だ。それだけ需要が足りないことを示す。20年7~9月期から9四半期連続で需要不足なうえ、18年10~12月期まで9年半もマイナス続きで、ほぼ慢性化している。雇用過剰感も解消されていない

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110119-00000088-san-bus_all 

雇用を控えているのは、経済団体の代表的な立場にある大企業・製造業には、採用ニーズそのものが期待できるほどないということである。
いくら減税しても雇用を増やすことはないと考えるべきだろう。
その結果として、就職が超氷河期だという。

今春卒業を予定している大学生の昨年12月1日時点の就職内定率が68.8%と、調査が始まった1996年以降で最低となったことが18日、文部科学省と厚生労働省の調査で分かった。初めて7割を下回り、景気が低迷するなかで00年前後より厳しい「超就職氷河期」に入っていることが改めて示された。
http://www.asahi.com/national/update/0118/TKY201101180091.htm

しかし、雇用需要は全くないのだろうか?
例えば身体障碍者に関連する職種として、介護福祉士がある。
介護の現場は人手不足である。
しかし、介護福祉士の希望者は少ない。
国家資格であるにもかかわらず、3Kの職業という認識がひろく社会に定着しているため、資格を取得しようという希望者が少ない。
ちなみに3Kは職種によってバリエーションがあるが、介護織については次のようにに言われている。 

介護の職についている人たちの間で囁かれている不満で、「きつい」、「給与が安い」、「結婚できない」という意味。バブル時代の1980年代後半に建築業者や工事現場などで「きつい」、「きたない」、「危険」な職場ということから「3K」ということばが生まれたが、それの介護職版である。「きつい」は高齢者をお風呂に入れたりするときに抱えて入れるなど肉体を酷使しなければならないことがある。24時間の交代勤務で時間的拘束もある。「給与が安い」は初任給は他産業とそれほど変わらないが、30歳を過ぎてもほとんど昇給せずキャリアアップも望めないことにある。そして、24時間の交代勤務で自分の時間をちゃんともてないこともあって、他の産業で働いている友達のように恋人や結婚相手を見つけることも難しい。こうしたことから、本人が介護職を希望しても、高校の先生や親が反対するケースが増えているという。
http://dic.yahoo.co.jp/newword?index=2008000504&ref=1 

さしあたって介護職における雇用の増大を図るためには、この3Kを改善することが必要である。
そのために何が可能か?
「きつい」は仕事の性格上、ある程度は仕方がないであろう。
しかし、「給与が安い」、「結婚できない」は対応のが可能であると思う。
一言でいえば、労働条件の改善である。
介護施設等の経営は余力がなく、待遇改善を自力で行うことは難しい。

だからこそ、政策的に対応すべきだろう。
 

介護福祉士に対する施策は以下のように報じられている。 

厚生労働省は20日、2015年度の介護福祉士国家試験から実務経験者の受験資格として600時間の教育課程受講を義務付けることについて、時間を450時間に短縮して条件を緩和することを決めた。
介護人材養成の在り方を検討している厚労省の有識者検討会が同日、これらの方針を盛り込んだ報告をまとめた。介護職員が負担増で受験の意欲を失い、人材不足が解消されない恐れが指摘されたことを受け、負担軽減を図るのが狙い。
介護福祉士試験は現在、介護職員として3年以上の実務を積めば受験できる。だが07年の法改正で、質の向上を図るため専門学校などで教育課程を受けることが新たに義務付けられた。
http://www.47news.jp/CN/201101/CN2011012001000611.html 

現場では、600時間はおろか450時間でもムリと言われる。
時間が取れないのである。
介護福祉士は、質の向上と量の増大の両方を図らなければならない。
社会保障と税の一体改革というからには、思い付き的な税制改革ではなく、しっかりとした構想力に裏打ちされた全体像を提示していただきたい。 

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2011年1月23日 (日)

纏向遺跡は邪馬台国なのだろうか?/やまとの謎(26)

邪馬台国はどこにあったのか?
果てしない議論が続いているが、邪馬台国の有力な比定地とされる纏向遺跡がマスコミを賑わしている。
今日のNHKスペシャルも、「“邪馬台国”を掘る!」と題して纏向遺跡の発掘成果を報じていた。

邪馬台国の最有力候補地とされ「女王卑弥呼の宮殿」とも指摘される奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、昨年9月に大量のモモの種が見つかった人工の穴(土坑(どこう))の中に、多彩な海産物や栽培植物も埋められていたことが分かり、桜井市教委が21日、発表した。卑弥呼の時代の、大量のモモと山海の幸を集めた祭祀(さいし)の状況も浮かび、市教委は「バリエーションに富んだ供物が並んだ祭祀が鮮明になってきた」としている。
http://sankei.jp.msn.com/life/print/110121/art11012117300064-c.htm

昨年9月のモモの種の発見の際には、以下のように報道された。

古代中国の道教の神仙思想では、桃は不老不死や魔よけの呪力があるとされた。3世紀末の中国の史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」は卑弥呼が倭国(わこく)を鬼道(きどう)(呪術)で支配したと記し、鬼道を道教とみる説もある。辰巳和弘・同志社大教授(古代学)は「卑弥呼が竹ざるに桃を積み上げて祭事を行ったのではないか」と話す。
http://www.asahi.com/culture/update/0917/OSK201009170081.html

2つの記事を併せて読むと、「邪馬台国=纏向」がほぼ固まったかのようである。
NHKの放送内容は、邪馬台国探究はまだまだ続くとしながらも、纏向遺跡の発掘についてがほとんどで、九州説については、吉野ケ里にちょっと触れていた程度である。

しかし果たして「邪馬台国=纏向」で決着しそうなのだろうか。
「邪馬台国=纏向」の論拠は以下のように説明されている。

邪馬台国畿内説の候補地
■ 弥生時代末期から古墳時代前期にかけてであり、『魏志』倭人伝に記された邪馬台国の時期と重なる。
■ 当時としては広大な面積を持つ最大級の集落跡であり、一種の都市遺跡である。
■ 遺跡内に箸墓古墳があり、倭迹迹日百襲姫命の墓との伝承をもつが、これは墳丘長280メートルにおよぶ巨大前方後円墳である。それに先駆けて築造された墳丘長90メートル前後の「纒向型前方後円墳」も3世紀では列島最大の墳丘規模を持ちヤマト王権最初の大王墓であり各地にも纒向型前方後円墳が築造され、政治的関係で結ばれていたとも考えられている。
■ 倭迹迹日百襲姫命はまた、邪馬台国の女王・卑弥呼とする説がある。
・・・・・・
■ 3世紀を通じて搬入土器の量・範囲ともに他に例がないほどで、出土土器全体の15パーセントが駿河・尾張・伊勢・近江・北陸・山陰・吉備などで生産された搬入土器で占められ、製作地域は南関東から九州北部までの広域に拡がっており、西日本の中心的位置を占める遺跡であったことは否定できない。また、祭祀関連遺構ではその割合は30パーセントに達し、人々の交流センター的な役割を果たしていたことがうかがえる。このことは当時の王権(首長連合、邪馬台国連合)の本拠地が、この纒向地域にあったと考えられる。

Wikipdeiaの纏向遺跡の項(110121最終更新)

纏向遺跡での相次ぐ考古資料の発見は、「邪馬台国=纏向」を強化ないしは決定づけるものであろうか?
上記のように、「候補地」の論拠とされるものはいずれも状況証拠というべきものである。
今回もその域に留まるものとしていいだろう。
纏向に高度な集積があったことは疑えないが、それが直ちに邪馬台国に結びつくものではない。
九州説あるいは他説も同様であると思われる。
だからこそ「果てしない」論争になっている。
決定的な物証(書証でもいいが卑弥呼の時代に直接的なものは期待しがたいと思う)が発見されるまで、邪馬台国比定地論争は論理ゲームに留まるのではないか。

先日も年末を沖縄で過ごしてきた友人が、木村政昭『邪馬台国は沖縄だった!―卑弥呼と海底遺跡の謎を解く 』第三文明社(1006)という本をプレゼントしてくれた。
沖縄滞在中に入手したものを、私が邪馬台国論争に興味を抱いているのを思いだして送ってくれたのだ。
著者は地質学者として実績のある学者であり、よくある郷土史家の身びいき的なお国自慢に傾いた説とは一線を画すものである。
いずれゆっくりと味読したいと考えている。
沖縄説も含め、まだまだ邪馬台国論争は終結しないのではないか。

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2011年1月22日 (土)

民主党の政治主導とは何だったのか?

菅内閣は、マニフェストに掲げた「政治主導」の旗を降ろすことにしたらしい。
「政権交代」と銘打った2009年総選挙用のマニフェストには、その最初に「5原則」を挙げている。その1~3は以下の通りである。
Ws000001
これらの原則を政治主導といったのではないのか。

念のためマニフェストの意味は以下のようである。

日本では、選挙においては政党の選挙公約の声明(書)において英語のマニフェストがよく使われたことからこの意味に限定されていることが多く、有権者に政策本位の判断を促すことを目的として、政党または首長・議員等の候補者が当選後に実行する政策を予め確約(公約)し、それを明確に知らせるための声明(書)との意味になる。この場合のマニフェストは「政策綱領」「政権公約」「政策宣言」「(政治的)基本方針」などと訳すことが多い。しか
し、この用法は「選挙ごとに、政治の基本政策・基本理念が変わる」ことを意味する結果となることから、「選挙公約」、「(政治的)基本方針」とすることが適当であるとの論点もある。

Wikipedia110112最終更新

要するに、「こうするから政権交代を」 と約束したのである。
わたしとて、杓子定規に一言一句違えずに実行せよ、などと言っているわけではない。
実際の状況に応じて柔軟に対応すればいいと考えている。
しかし、その場合にも国民が納得できるような説明をしてもらいたいとは思う。

尖閣諸島での中国漁船衝突事件に一定の区切りがついた。

沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突を巡るビデオ映像流出事件で、東京地検は21日、国家公務員法(守秘義務)違反容疑で書類送検された第5管区海上保安本部の一色正春・元海上保安官(44)=退職=を不起訴処分(起訴猶予)とした。また那覇地検は同日、公務執行妨害容疑で逮捕、送検後に釈放された中国漁船の〓其雄(せんきゆう)船長(41)を同様に起訴猶予とした。これにより一連の事件の捜査は終結した。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110122ddm001040085000c.html

捜査は終結したとしても、私たちが知りたいことは残されたままだ。
第一に、中国人船長釈放の判断、政府はどう係ったのか?

菅直人首相は21日夜、中国漁船衝突事件とビデオ映像流出事件で、中国人船長と元海上保安官がそれぞれ不起訴処分(起訴猶予)となったことについて「検察当局が判断したものと理解している」と述べるにとどめた。官邸で記者団に語った。菅首相は21日、記者団に3回見解を問われたが、「検察当局の判断」と繰り返した。【宮城征彦】
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20110122ddm001040168000c.html

この案件を主導しないで、何を政治主導しようと言うのだろか?
菅内閣は、この件に関しては一貫して無責任だった。

今回の件に対して、筆者は、「政治介入」の有無を問題視する立場を取らない。むしろ逆だ。多くの外交専門家が指摘するように、政府がこの問題に一切介入せず、官僚任せにしてしまったことに危険性を感じている。
極端にいえば、指揮権を発動してでも、政治は介入すべきだったと考える。そもそも民主党は、官僚任せの政治から脱却して、「政治主導」を党のテーゼにしているのではなかったか。

http://diamond.jp/articles/print/9560

ジャーナリスト上杉隆氏の言であるが、大多数の国民の声ではないだろうか。
第二に、衝突ビデオはなぜ公開されないのか?
噂の中には、海保職員に中国人が直接的kに暴力をふるう様子が映っており、公開すればビデオ流出犯(?)支持の世論が高まることを避けるため、というようなものもある。
そんなことはあるまいと思うが、噂が立つこと自体問題ではないか。
菅首相はタイミングを合わせたかのように、次のような発言をしている。

菅直人首相は21日午前、内閣改造を受け各省事務次官らを首相官邸に集めて訓示し、民主党が掲げる政治主導について「現実の政治運営の中で反省なり、行き過ぎなり、不十分なり、いろいろな問題があった」「いい形の協力関係をお願いしたい」と述べた。
http://www.asahi.com/politics/update/0121/TKY201101210126.html

官僚に白旗を掲げたということか。
であるならば、国民に自らの誤りを謝罪し、下野すべきであろう。
それとも、マニフェストは鳩山内閣のものであって、自分は関係ないというつもりなのだろうか。

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2011年1月21日 (金)

政府・民主党における真摯さの欠如

先の内閣改造で注目を集めた(批判を浴びた)のは、与謝野馨氏の入閣であろう。
もちろん、このことに賛否両論あるだろうが、私は強く「否」と言いたい。
それは次のような理由による。

第一に、与謝野氏の議員としての資格との関係においてである。
周知のように、与謝野氏は、政権交代がなされた総選挙において、東京1区で自民党公認候補として落選し、比例区で復活当選した。
その後、自民党を離党し、たちあがれ日本を結成して共同代表の座に就いた。
今度は、たちあがれ日本を離党し、民主党政権入りすると共に、民主党の会派にも加わったのである。

このような行動は、主権者である国民の意思に反することは明らかであろう。
先ず、与謝野氏を落選させた選挙区の有権者の意思に反する。
与謝野馨という個人は落選し、自由民主党のという限定付きの与謝野馨が当選した。
与謝野氏が国会議員であるのは、自民党員もしくは自民党会派の人としてであると考えられる。
したがって、比例区の投票において自民党と書いた有権者の意思にも反していることになる。

第二に、与謝野氏の政策との関係においてである。
与謝野氏は、自公連立の最後の麻生太郎内閣において、経済財政政策担当相に再任されると共に、中川昭一氏の辞任に伴い、中川氏の担当していた財務大臣並びに金融担当大臣の後任を務めていた。
与謝野氏は、1人で経済関連3閣僚を兼任していたのである。

そして、自公連立政権は国民から強い「NO」を突き付けられることになったわけである。
言ってみれば、菅首相が喫緊の課題として掲げた社会保障と税に関しては、与謝野氏はNGとされたと考えていいだろう。
それとも、麻生内閣で、自分だけは別だと考えているのであろうか。
いくら自分に残された時間がないと考えて、確信的な行為であることを配慮するとしても、いささか驕った考えだとせざるを得ない。
海江田万里氏ならずとも、不条理なことと考える。

また、併せて藤井裕久氏の官房副長官補就任にも注目すべきであろう。
藤井氏といえば、長く小沢一郎氏の盟友として活動してきたが、いまは袂を分かって反小沢の立場である。
その理由は詳らかに知るところではないし、小沢か反小沢かという区分けにはいささか食傷気味でもある。
ここでは、藤井氏が、「旧大蔵官僚で、細川内閣において大蔵大臣も経験した78歳の重鎮」(高橋洋『菅改造内閣、カギは「藤井官房副長官」』日経ビジネスオンライン110118)であることを確認しておきたい。
一説によると、仙谷氏の後任の官房長官への要請を高齢を理由に断ったが、それなら副長官で、という菅首相の要望を断りきれなかったのだという。

藤井氏には、与謝野氏のような「変節」の印象はない。むしろ、硬骨漢というイメージである。
しかし、本人が言うように、さすがに高齢ではあると思う。
政治家は概して一般人に比べ、老化は遅いようである。にしても78歳というのは普通ならば現役を退いて悠々自適の境遇を楽しむ歳であろう。
まあ生き方は人それぞれであるから、藤井氏の人事に対しても異を唱えるべきではないだろう。
ただ、民主党の人材不足ぶりを印象付けられたことは否めない。

与謝野氏と藤井氏の配置をみれば、消費税増税、財務省よりの布陣であることは明らかである。
露骨過ぎると言ってもいい。
菅首相が、財務大臣在任当時、子ども手当の乗数効果を尋ねられて立往生し、爾来財務官僚の手の内にある、というのはもっぱらの評判である。
⇒2010年9月18日 (土):改造菅政権のスタート

私には結論ありきの人事のように思える。
しかし、菅首相自身は、これから議論を始めようというところだ、などと言っている。
煙幕を張っているつもりかも知れないが、どうみても真摯な態度とは言えないであろう。
「もしドラ」で一挙に読者層を広げたドラッカーは、リーダーの条件として、真摯さを必須のものとしている。
Photo

真摯さを定義することは難しい。しかし真摯さの欠如は、マネジメントの地位にあることを不適とするほどに重大である。
・・・・・・
真摯さよりも頭のよさを重視する者をマネジメントの地位につけてはならない。有能な部下に脅威を感じる者もマネジメントの地位につけてはならない。そして、自らの仕事に高い基準を設定しない者をマネジメントの地位につけてはならない。
『マネジメント-課題・責任・実践』
http://muchasuerte.blog78.fc2.com/blog-entry-100.html

菅、仙谷、蓮舫などの諸氏を代表とする政府・民主党に(そして、多くの自民党政治家にも)感じるのは、この真摯さの欠如ということではないだろうか。

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2011年1月20日 (木)

平城京モデルと白村江の戦い/やまとの謎(25)

松岡正剛氏の「『平城京モデル』に学べ」(日経新聞・経済教室110114)に、『平城京レポート』の以下の5つの柱が載っている。
Photo
日本の進路を東アジアとの関係においてどう捉えるかということは、きわめて今日的な課題といえる。

平城京への遷都の約50年前に、日本(倭国)は国際的な軍事行動において惨敗ともいえる大敗北を喫した。
「白村江の戦い」である。
この敗戦の日本史的意義についてはいろいろな側面が考えられるだろう。

私にはそれを包括的に整理する力量がないので、すこしずつメモとして書き留めたい。
先ず、平城京の建都に与えた影響については、以下のような理解が一般的かと思われる。

663年唐に攻撃された百済の要請を請けて2万7千の大軍を朝鮮に派遣した日本は唐・新羅連合軍に大敗し(白村江の戦い)、百済は滅亡した。唐・新羅連合軍の来襲を恐れた大和朝廷は都を大和盆地から大津京へさげ、大宰府に山城・水城を築き、瀬戸内海沿いに狼煙の連絡網を設け防衛体制を固めると共に、大宝律令を制定(701)し、貨幣和同開珎を鋳造(708)し、平城京を建設して遷都(710)し、先進国・唐に倣った近代化を急速に推進したのである。このように、平城京は白村江の敗戦による外圧・危機感から建設されたという側面を持ち、そのことは明治維新や先の敗戦による近代化と同じように、この国が外圧によってしか変革されない(逆に言えば、何かのきっかけがあれば、前向きの物凄いエネルギーが発揮される)という特徴を、早くも裏付けるものであるといえる。
http://www.geocities.jp/mryuumin/10event/nara.html

つまり舵取りを間違えれば、国の存亡に係る事態であった。
確かに歴史的に、外圧の存在によって日本史は大きな影響を受けてきた。
島国であることから、ポテンシャルがある臨界点に達しないと顕在化しない(言い換えると顕在化したときにはプラスにもマイナスにも大きなものとなる)というようなメカニズムがあるだろう。

白村江の敗戦により倭国に移入してきた大量の百済人の影響はどの程度だったか。
⇒2008年4月15日 (火):藤井游惟氏からのコメント
⇒2008年4月17日 (木):言語学から見た白村江敗戦の影響
⇒2008年4月18日 (金):言語学から見た白村江敗戦の影響②
⇒2008年4月24日 (木):白村江帰化人

以下のサイトでは、同じ問題を私より遥かに該博な知見をもとに論じておられる。
⇒「『記紀万葉』を書いたのは白村江敗戦後の亡命百済人?」
http://www.bell.jp/pancho/kasihara_diary/index.htm

白村江の敗戦に関しては、古田武彦氏の倭国(九州王朝)・大和朝廷権力交代説とその影響下にある以下のような説が魅力的であると思う。
⇒2008年1月15日 (火):砂川史学…①大海人皇子(1)
⇒2008年2月15日 (金):天武天皇の出自…大芝英雄説
⇒2009年8月28日 (金):「同じ」と「違う」(4)さまざまな「戦後」
特に室伏志畔氏は、『白村江の戦いと大東亜戦争―比較・敗戦後論 』同時代社(0107)において、70年前に日本が始めた戦争(東アジアと欧米の双方を相手としたという意味で、私は「東亜・太平洋戦争」と呼ぶのがいいのではないかと考えている)と対比させて捉えることも試みられている。

これらは興味深いテーマではあるが、次のような所説はいまだ私の理解を越えている。

白村江戦で唐・新羅に敗れ捕われたのは、九州王朝「倭国」の薩夜麻(=白鳳王)である。薩夜麻の父の甘木王(=常色・白雉王)は「常色の改革」を断行する。その甘木王の弟が難波副都常駐・天下立評を甘木王に命じられた伊勢王である。
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/waikoku/view/20101216/1292497393

大阪の前期難波宮は、九州王朝が、すでに建設していた
首都:太宰府に対し
副都として建設したものではないか。
http://nnagoya.blog64.fc2.com/blog-entry-385.html

電子的な力、サイバー的な影響力が増大しているとはいえ、争いの端緒は依然として物理的である場合が多いだろう。
尖閣諸島における中国漁船の体当たりの様子は、素朴でありながら物理的な衝突という意味でリアリティを感じさせるものであった。
菅内閣は、衝突映像の全容を未だに開示しないが、仙谷氏の交代(更迭というよりも栄転のような印象である)により、ウヤムヤのうちに幕が引かれるのだろうか?

パックス・アメリカーナの終焉が明らかになりつつある現在、東アジア情勢は、白村江当時と似ているようにも思う。
大陸-半島-海洋-島国という地政学的条件は変わりようがない。
中国が、帝国的な大国となって隣接しているわけである。

中国と日本(と朝鮮半島)は、文字通り一衣帯水なのだ。
朝鮮半島の一部勢力と連携して中国と対峙した古代の敗戦も、無謀にも大陸に派兵した近代の敗戦も、共に歩みたくはない道である。
情報の秘匿には限界がある。
政府は、平成の開国をいうならば、先ず国民との間の信頼感を築く努力をすべきではないだろうか?

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2011年1月19日 (水)

平城京モデル/やまとの謎(24)

「環日本海諸国図」のことの触れたのは、松岡正剛氏の「『平城京モデル』に学べ」という日経新聞・経済教室の文章を紹介しようと思ったからであった。
どこかでこの地図を見た記憶があるという気がしたが、昨日書いたように、網野善彦『日本とは何か 日本の歴史〈00〉』講談社(0010)の口絵でだった。
松岡氏は平城遷都1300年記念事業に一環として、国に対して「平城京レポート」という調査報告書を提出している。
「日本と東アジアの未来を考える委員会」(川勝平太委員長代行・松岡正剛幹事長)の約2年にわたる作業の成果物であり、“NARASIA”(ならじあ)というコンセプトを打ち出している。

古代から日本の歴史は東アジアと密接な関係の下に展開してきた。
近現代においてもますます関係が深くなっている。
明治期の征韓論から始まり、日清・日露戦争、日露戦争後の満蒙問題や韓国併合、第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけての満州事変等々、どちらかといえばマイナス的な評価をせざるを得ないことが多いのだろうが、現在も、尖閣諸島や竹島とう喫緊の課題となっている。
「平城京モデル」とは、1300年前に平城京に東アジアの社会文化が集約されたこと、今日の課題に生かそうと発想である。

「グランドフォーラム-NARASIA 2010」と題する平城遷都1300年記念事業のファイナルイベントでは、下記のような盛りだくさんのセッションが実行された。
Ws000015
http://www.miroku-nara.jp/files/narasia_forum_ura.pdf

平城京が東アジアの集約点であることは、シルクロードや正倉院の文物等により知られている。
わが国が日本として出発したとき、政治経済社会は、東アジアの特色を凝縮した性格を持っていたのである。
日本は、その後東アジアの共通性からの離脱や自立を図ることによって、自らのアイデンティティを確立しようとしてきた。
その最終的な帰結が、東亜・太平洋戦争である。

松岡氏は、平城京モデルの今日的意味は次の諸点にあるとする。
1.多神多物の共存の許容-一神教世界との対比
2.漢字文化圏や仏教文化圏の多重の組み合わせ-和・漢・洋の併存
3.技術移転と組み替え、活性化
4.QCや軽薄短小等に代表される開発力
5.法令順守にもとづく監視型の組織と伝統的な柔組織の自在な組み合わせ
6.貿易の枠組みにおける日本のイニシアティブ

現状は、東アジアと日本をつなぐ価値観、制度感、コミュニケーション力はさびついている。
「平成の開国は、平城京に学べ」ということであろう。

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2011年1月18日 (火)

馴質異化-地図の上下/知的生産の方法(7)

「馴質異化」という言葉がある。

馴質異化とは,既知のものを,新しい視点から見ることで新しい着想をえること。
http://www.d1.dion.ne.jp/~ppnet/prod0821.htm

発想法、創造性開発の基本的な手法と言ってよい。
異質馴化とセットであるが、言うは易く、実際に行うのが難しいことの1つだろう。

私がこの言葉を実感したのは、オーストラリアで南北が逆転した世界地図を見たときだった。
もちろん、地球はほぼ完全な球であり、上下がないことは理解していた。
しかし、普段見る地図は、すべて北が上で南が下である。
見慣れない地図に、新鮮な驚きだった。
Photo_4 
http://d.hatena.ne.jp/futaro1968/20070604/p1

同様に、日本地図も逆転してみるとずい分印象が違う。
特に、日本海を中心に朝鮮半島や中国沿岸部までいれた「環日本海諸国図」は、尖閣諸島や竹島などの問題を考える際には必携ともいえる。
網野善彦『日本とは何か 日本の歴史〈00〉』講談社(0010)の口絵に「「日本海」は大きな「内海」だった」と説明され、広く知られるようになった。

下図の右側が「環日本海諸国図」であるが、この地図には著作権があり、権利者の富山県は、「本県が進めている環日本海交流拠点作りを国内にPRするとともに、中国、ロシア等の対岸諸国に対し日本の重心が富山県沖の日本海にあることを強調するため、平成6年に、従来の視点を変えて北と南を逆さにし、大陸から日本を見た地図を作成しました」と説明している。
まさに、馴質異化の事例と言えよう。
また、「『環日本海諸国図』を書籍、ホームページ等に掲載される場合は、別途掲載許可申請が必要です」とのことだが、他のサイトから引用する場合はどうなんだろう。

Photo_9
http://landship.sub.jp/stocktaking/archives/000584.html

私は、自分がマンネリに陥ることへの戒めとして、自分の部屋に普通の地図を逆さまにして貼ってある。
もっとも、今度はそれに馴れてしまって、まったく戒めとしての用をなさないが。

日本の場合、逆さにしてみると、私の住んでいる地域は富山県に相当する。
伊豆半島≒能登半島、駿河湾≒富山湾である。
沼津・三島の辺りは、富山・高岡といった具合である。
海の幸、山の幸に恵まれているところは似ているが、気候がまるで違う。

国土地理院によると、日本の重心点は富山湾と佐渡島の間にある。
Photo_10 
http://www.gsi.go.jp/WNEW/LATEST/special00-01-Nnaka.htm

富山県は日本海の重要性を戦略的訴求しているが、石川県は重心点を観光的に利用している。
「重心点にもっとも近い陸地は能登半島先端の禄剛崎(ろっこうざき)です!」として、禄剛崎には「日本列島ここがまんなか」の碑が建っている。
Photo_11
http://puchitabi.jp/shimauma/2008/06/post-17.html
日頃見慣れた地図にも、いろいろな見方がある。

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2011年1月17日 (月)

民主党における菅・蓮舫的な胡散臭さ

横浜事件という有名かつ重要な思想弾圧事件があった。
市民運動家だったはずの菅首相や、弁護士の仙谷前官房長官や枝野現官房長菅は、もちろんよくご存知のはずである。

横浜事件(よこはまじけん)とは、第二次世界大戦中の1942-1945年におきた言論弾圧事件のことである。
1942年、雑誌『改造』に掲載された細川嘉六の論文が問題になり、細川が治安維持法違反で検挙された。これを発端に編集者、新聞記者ら約60人が神奈川県警察特別高等警察課によって逮捕された。横浜地裁は敗戦から治安維持法廃止までの期間に約30人に有罪判決を下し、4人の獄死者を出した。
戦後、無実を訴える元被告人やその家族・支援者らが再審請求を繰り返し、2005年に再審が開始されることになったが、最終的に罪の有無を判断せず裁判を打ち切る免訴が確定した。
・・・・・・
1942年、総合雑誌『改造』(8-9月号)に掲載された細川嘉六の論文「世界史の動向と日本」が共産主義的でソ連を賛美し「政府のアジア政策を批判するもの」などとして問題となり、『改造』は発売頒布禁止処分にされた。そして9月14日に細川が新聞紙法違反の容疑で逮捕された。
捜査中に、同著者と『改造』や『中央公論』の編集者などが同席した集合写真が同著者の郷里・富山県泊町(現・下新川郡朝日町沼保)の料亭旅館「紋左」(もんざ)で見つかり、日本共産党再結成の謀議をおこなっていたとされた(「泊事件」)。実際は細川が1942年7月5日、出版記念で宴会を催した際の写真であったとされている。
Wikipedia100825最終更新

幸いにして治安維持法そのものが無くなった。
しかし、治安維持法下でも冤罪だったのではないかといわれる。
上記のように、そもそもの容疑は「世界史の動向と日本」と題する細川嘉六の論文であった。
言いたいのは当該論文の中身ではない。

世界史の動向をふまえ、日本をどう考えるか、という問題意識である。
「解」ではなく、「イシュー」が重要なのである。
⇒2010年12月25日 (土):イシュードリブン/知的生産の方法(1)
⇒2010年12月27日 (月):脱「犬の道」/知的生産の方法(2)
いま、現政権や与党執行部のしているといったら、「脱小沢」を最大のイシューとし、「解」はといえば不条理ともいえる内閣改造ではないか。

再改造内閣において女性閣僚は蓮舫氏だけである。
文字通り、紅一点である。
蓮舫氏についての感想は以下に記した。
⇒2010年10月 3日 (日):尖閣問題に対する蓮舫大臣の強弁
⇒2010年10月11日 (月):蓮舫氏の大臣適格性を問う
⇒2010年11月13日 (土):菅内閣の無責任性と強弁・詭弁・独善的なレトリック

現在、蓮舫氏は、「親菅・反小沢」の急先鋒のようである。
紅一点の留任をみても、間違った解釈とは言えないだろう。
しかし、1年前はどうだったか?

小沢氏の功罪はいろいろ評価が分かれるところだろうが、彼がいなければ民主党による政権交代が大幅に遅れたであろうことは大方の認めるところであろう。
別に古証文を持ち出すわけではないが、昨年の小沢邸での新年会の写真がある。
当の小沢氏を挟んで座っているのが菅氏と蓮舫氏である。
2010
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110113/plc1101130131003-c.htm

おそらくこの時点では、政権交代における小沢氏の役割を評価していたはずである。
「昨日の友は今日の敵」ということか、あるいは1年前は諸般の事情で「呉越同舟」せざるを得なかったのか?
あるいは小沢氏が権力の中心にいたからだろうか?
この無原則的な変わり身の早さ、良く言えば柔軟性をどう見るか?
私は、民主党における一つの傾向、反権力的な表面の裏に隠れた権力志向、権力にすり寄る者の発する胡散臭さを感じてしまうのだ。
ついでに言えば小池百合子氏も同じ匂いの持ち主だ。
蓮舫氏は、東京都知事選への出馬が取り沙汰されている。
蓮舫行政刷新担当相(参院東京選挙区)が4月の東京都知事選出馬に意欲ともとれる発言をし始めた。これまで、出馬の可能性についてきっぱりと否定してきたが、11日の講演で「都政」に強い関心を示したのだ。内閣改造で留任し、支持率低迷の菅直人内閣という「泥舟」に乗り続けるのか、都知事選に立候補することで、地方選連敗で窮地に陥っている民主党の救世主となるのか。「仕分けの女王」の心は千々に乱れている。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110111/plc1101112206020-c.htm
「泥舟」に乗り続ける覚悟を決めたと常識的には思うところだが、何でもアリ、すなわち「不条理」(=道理に反すること)なのが政治の世界らしいから、直前まで分からないというべきだろう。
それにしても、政治的リーダーからは、余りに目先のことばかりでなく、歴史観、世界観言い換えれば、「世界史の動向と日本」をどう認識しているかを聞きたいものだと思う。

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2011年1月16日 (日)

民主党は、統一地方選でどんな旗を掲げるのか?

今朝の「産経抄」が「不条理」を取り上げている。
海江田万里氏の発言を、「政治家としては如何なものか」ということであるが、海江田氏の発言はいわば菅首相の本歌取り、もしくは首相に対する精一杯の皮肉であって、それに触れないのはどうかなあ、という気がする。
それはともかくとして、菅首相が「不条理」ともいえる形で与謝野氏を散り込んでまで内閣改造を行った意図は何か?

低迷する支持率を何とか反転させようという思いがあることは間違いないだろう。
その狙いは成功したか?
最新の世論調査結果は以下の通りであった。

14日発足した第2次菅改造内閣が、なんと発足直後から退陣水域入りの支持率となっている。インターネットサイト「Yahoo! みんなの政治」が集計中の世論調査によると、改造内閣を「支持する」はわずか16%で、逆に「支持しない」が78%にも達しているのだ(15日午前9時現在の集計)。昨年6月、菅直人首相が就任した際の内閣支持率は同調査でも50%を超えていただけに、世論が強い拒否反応を示している実態が浮き彫りになった。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110115/plt1101151519001-n1.htm

ネット調査は批判に傾くといわれる。
新聞社の調査ではどうか?

菅直人首相が「最強の態勢に」と意気込んだ内閣改造は政権浮揚効果に乏しく、毎日新聞が14、15日に実施した緊急世論調査の内閣支持率は29%にとどまった。社会保障と税の一体改革を担う与謝野馨経済財政担当相の起用は「評価しない」が過半数を占め、枝野幸男官房長官の評価も二分。24日召集の通常国会へ向け、自民党は「与謝野氏問責」もちらつかせて攻勢をかける構えで、11年度予算案審議の行方はさらに混とんとしている。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110116k0000e010002000c.html
改造直前はどうだったか?
Photo_2

時事通信社が7~10日に実施した1月の世論調査によると、菅内閣の支持率は前月比0.3ポイント増の21.3%で、4カ月ぶりにわずかに上昇した。不支持率は同1.2ポイント減の59.2%。支持率下げ止まりの背景には、菅直人首相が年頭記者会見で、小沢一郎民主党元代表に対し、強制起訴された場合は議員辞職を含めて進退を判断するよう求め、「脱小沢」路線を一層鮮明にしたことがあるとみられる。首相が内閣改造の方針を打ち出したことも影響したようだ。
調査は、全国の成年男女2000人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は68.0%だった。
内閣を支持する理由は、「他に適当な人がいない」9.4%が最も多く、「だれでも同じ」5.0%、「首相を信頼する」3.8%などと続いた。不支持の理由は「期待が持てない」36.0%、「リーダーシップがない」34.5%、「政策が駄目」22.0%などの順。

http://www.jiji.com/jc/v?p=ve_pol_cabinet-support-cgraph

「小沢切り」の旗幟を鮮明にしたことによって(?)、支持率は下げ止まったようにも見えるし、拒否反応が強まったようにも見える。
少なくとも、菅首相が期待したようなV字回復の雰囲気は感じられない。
20%近くというのはもはや来るところまで来ているのであって、下げ止まっただけではほとんど意味がない。
むしろ、与謝野氏取り込みによって、野党の反発はより強まると思われる。
内閣改造によって、「小沢切りカード」を使い果たした感があるので、これからの浮揚をどう図っていくのか?

さて、4月には統一地方選が予定されている。
端的にいえば、政権交代をどう評価されるかということである。

選挙は都道府県の首長(知事)と議員、および政令指定都市の首長(市長)と議員を選出するための選挙が4月10日に、続いて基礎自治体の市区町村の首長(市長、区長、町長、村長)と議員を選出するための選挙が4月24日に執行される。2010年(平成22年)11月30日の衆議院本会議で選挙実施に必要な特例法が可決・成立し、日程が決まった。
2009年(平成21年)に国中央の政権交代が実現してから初の統一地方選挙ということもあり、民主党政権に対する事実上の審判の意味合いを持った選挙となる。

Wikipedia110102採取更新

先ごろの茨城県議選の様相を見れば、民主党の退勢は明瞭である。

来春の統一地方選の前哨戦として注目された茨城県議選(定数65)は12日投票が行われ、即日開票の結果、新県議65人が出そろった。民主党は政権交代の勢いを駆って、過去最多の19選挙区に23人の公認候補を擁立したが、獲得したのは改選前と同じ6議席と振るわなかった。
自民党は無投票当選の6人を含めて33議席と、過半数超を維持。公明党は現有維持の4議席、共産は現有1減の1議席と後退、みんなの党は現有1議席増の2議席を獲得した。無所属は19人が当選を決めた。県議選には106人が立候補。無投票の8選挙区を除く28選挙区(定数計57)で98人が争った。
http://gazoo.com/g-blog/ntkd29/268241/Article.aspx
選挙に詳しい森田実氏の見方も厳しいようだ。

菅改造内閣は増税まっしぐら内閣だ。「たちあがれ日本」を離党した増税論者の与謝野馨氏を経済財政担当相に起用し、増税路線を猛進しようというのである。
この陣容で、統一地方選を戦って勝利できると思っているとすれば、菅首相も民主党もどうかしている。玉砕をめざすのだろうか? 気は確かなのか? 菅首相と民主党はどうかしてしまっているのではないか。
デフレ不況下での増税は国民生活を破壊し日本経済を崩壊させてしまうだろう。 増税を止めなくてはならない。

http://www.pluto.dti.ne.jp/mor97512/

統一地方選に際して、民主党は統一的な政策を打ち出せるのだろうか?
政権交代時のマニフェストが画餅だということは認めざるを得ないだろう。
参院選の際も現実を踏まえた修正を試みたが、支持を得られなかった。
Photo
http://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/2010/news1/20100616-OYT1T00068.htm

民主党はいかなるイシューを選択し、それにどう対応していこうとするのか?
小沢切りを最大の政治課題であるかのように思い込み、盲目状態になっている菅内閣の行方は暗い。

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2011年1月15日 (土)

何が不条理なのか?

「不条理」という言葉が流行しそうな雰囲気である。

ふ‐じょうり【不条理】‥デウ‥
道理に反すること。不合理なこと。背理。
(absurde フランス)実存主義の用語で、人生に意義を見出す望みがないことをいい、絶望的な状況、限界状況を指す。特にフランスの作家カミュの不条理の哲学によって知られる。
広辞苑第六版より引用

私くらいの年代だと、上記の解説にあるように、カミュの『異邦人』などが先ず頭に浮かんでくるのではないだろうか?
発端は、菅首相の年頭の記者会見での発言であった。
今年を「平成の開国元年」とすること、最小不幸社会を目指すこと、不条理を正す政治を行うことの3点が目指すべき国の在り方だ、と抱負を表明した。
文言としては別に異論を言うようなことではない。
「不条理を正す政治」というのが、もっぱら小沢一郎氏を追い落とす意味であっても、とやかく言うつもりはない。

しかし、内閣改造という具体的な形が不条理を正すための体制なのかということになると、首を傾げざるを得ない。
関係者からもいろいろな声が聞こえる。
先ずは、与謝野氏と競合する立場の海江田万里氏だ。

海江田万里経済財政担当相は14日、閣議後の記者会見で、衆院東京1区で激しく議席を争ってきた与謝野馨元財務相が、自身の後任の経財相に内定したことに、「人生は不条理だと思う」とぶぜんとした表情で述べ、不快感を示した。
海江田氏は「選挙で戦う際は有権者に選択肢を示すので、当然政策に違いはあった」と述べ、民主党政権との政策の違いを指摘。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/110114/stt1101141106001-c.htm

早くも閣内不一致のムードである。そうまでして与謝野氏を遇する菅首相の意とは何か?
衆目の一致した見方は、増税路線の明確化、財務省シフトであろう。
「研幾堂の日記」というブログでは、「与謝野入閣の尋常ならざる異常性」として、次のように書いている。

与謝野馨代議士には、数年前から、財務省からの強い支持があり、雑誌等には、財務官僚が与謝野を総理にしてみせると発言したなどと書かれていたりもしており、今回の入閣もまた、財務省の強い後押しがあったことが、十分に推測されるからである。
与謝野代議士の入閣が、菅内閣をして、消費税増税に向けて強化するのはもとよりも、官僚の強い意向によって、大臣が押し込まれてくる組閣などというものは、恐らく、近代日本の内閣制度史でも、これが初めてのことではないだろうか。
http://d.hatena.ne.jp/kenkido/20110113

当然のことながら、与謝野氏と菅首相の行動は、各界から批判を受けている。

自民党の谷垣禎一総裁は「与野党の信頼関係を一顧だにしていない。(自民党比例で当選したのだから)議員辞職して民間人として内閣に入るのが通常の道義感」と批判。公明党の山口那津男代表も、“与謝野呼び水理論”を「勝手な思いこみだ」と一刀両断した。
・・・・・・
福島瑞穂党首は「与謝野氏と財務省、首相官邸、三位一体で消費税をきっちり上げるシフトを組んだ。菅さんは何を考えているのか」と批判した。
・・・・・・
渡部恒三最高顧問は、「(他党から)参院議員を3人ぐらい連れてくるなら『菅君はいい人事をした、与謝野君ありがとう』と言うが、衆院は足りている。本当に意味のない人事だった。間違っている」とこきおろした。さらに、与謝野氏自身についても「政権を失った途端に自民党を出て、今度は民主党(政権)で入閣するなんて卑しい」とまで述べたのだ。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20110115/plt1101151521003-n1.htm

自民党の石原幹事長は15日、菅第2次改造内閣で入閣した与謝野経済財政担当相について、2009年の衆議院選挙では自民党の比例代表で復活当選したことを指摘し、「民主党に行くなら議員バッジを外すべき」と議員辞職を求めた。
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00191269.html

自民党の山本一太参院政審会長は15日午前、TBSの番組で、菅再改造内閣で入閣した与謝野経済財政相について、「民主党政権では日本は崩壊するという本を書いたばかり。(通常国会の)最初から問責決議案を出したい閣僚だ」と述べ、参院での問責決議案提出に前向きな姿勢を示した。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110115-OYT1T00360.htm

西岡武夫参院議長は14日夜、与謝野馨氏の入閣について「これはちょっとおかしい。内閣総理大臣が不条理なことをした」と述べ、菅直人首相を批判した。都内で記者団に語った。
西岡氏は、一昨年の総選挙で与謝野氏が自民党から出馬し、海江田万里経済産業相と同じ選挙区で議席を争ったことを踏まえ、「民主党と戦った方が入閣するのは、民主党で当選された海江田さんはたまらないでしょう」とも語った。
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/110114/stt1101142317015-c.htm

それぞれもっともな意見だと思う。
与謝野氏が国会議員の身分を得ているのは、与謝野個人への支持ではなく、自由民主党への支持であると言ってもいい(比例区での復活当選)。
自民党関係者が議席を返せといいたくなるのも当然だし、渡部恒三氏ならずとも「卑しい」と思う。
菅首相は、政党政治を否定する気だろうか?

与謝野氏と共にたちあがれ日本の共同代表である平沼赳夫氏は、首相を務めた平沼騏一郎の養子であるが、平沼騏一郎が、1939年の独ソ相互不可侵条約の締結を受け、「欧洲の天地は複雑怪奇」という声明とともに総辞職したことは有名である。
その故事に倣えば、「民主党の事情は複雑怪奇」とでもいうことになろうか?

「不条理=道理に反すること」をしているのは、菅首相ご本人ではないのかと問いたい。

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2011年1月14日 (金)

再改造菅内閣への違和感

一昨日の議員総会、昨日の党大会という段取りを経て、菅首相が内閣改造を行った。
私には、モデルチェンジに対する期待感がまったく湧いてこない。
産経新聞の阿比留瑠比記者の、「国民の嫌悪感 気付かぬ鈍感 菅首相、あなたは何も分かってない」という記事が私の気持ちをうまく代弁しているように思う。
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/politics/snk20110114095.html

阿比留さんは、Wikipedia(101226最終更新)によれば、「ブログの論調は自民党右派(清和政策研究会)には好意的、自民党左派(宏池会他)には批判的」であるということだ。
私とは、基本的なスタンスが異なると思う。
しかし、この記事には、全面的にI agree.である。

菅直人首相は、国民が政権の何に憤っているのかをまるで理解できていない。13日の民主党大会で眉間にしわを寄せ、党所属議員に「自信を持とう」と訴える首相の言葉と国民意識との乖離(かいり)を思い、改めて寒々とした心境になった。
◆蔑視した姿勢
首相のあいさつは国民感情に鈍感であり、その論理はとんちんかんだった。
「この政権交代からの1カ月半、大きな意味で民主党が進めてきたことは間違っていなかった」
民主党政権の実績をこう総括したが、初っぱなから「1年半」を「1カ月半」と言い間違えた。そもそも「大きな意味で」とぼかすところも自信なさげだ。一事が万事、この調子で焦点が合っていない。
菅政権が失速したのは、昨年9月の沖縄・尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件をめぐる姑息(こそく)な「逃げ」の対応がきっかけだ。ところが、首相は13日も非を認めずにこうごまかした。
「尖閣の問題などで『リーダーシップがない』『ダメじゃないの』と抽象的に批判を受けている」果たして批判は抽象的だったか。首相の外遊中を狙って那覇地検に中国人船長の釈放を発表させ、それを通常の刑事手続きだと強弁して恥じない政権の卑怯(ひきょう)さは隠しようがない。

以上のようなトーンである。
TVで菅氏が高ぶった調子で演説をするのを見ると、興ざめする。まさに「寒々とした心境にな」るのである。
「森裕子参院議員は「選挙区でそれぞれの議員が、民主党への憎しみのようなものを投げつけられている」と語った」とあるが、政権交代への期待が大きかっただけに、裏切られたという気持ちは「憎しみ」に近い。

改造の具体的な内容は次のようである。

菅第2次改造内閣が14日夕、発足する。「たちあがれ日本」を離党し、処遇が注目されていた与謝野馨氏は、経済財政のほか菅政権が重要課題に位置づける税制・社会保障改革担当など重要ポストに就くことが固まった。
菅直人首相は内閣改造で24日召集が予定されている通常国会での2011年度予算・関連法案の早期成立や、税制・社会保障改革に向けた与野党協議の実現をめざす。 
菅直人首相は全閣僚の辞表をとりまとめた午前の閣議で、内閣改造の狙いを「態勢を強化して、重大施策を強力に推進するため」と説明した。菅第2次改造内閣の布陣は、仙谷由人氏の後任の官房長官に枝野幸男幹事長代理を充てるほか、与謝野氏が経済財政、税制・社会保障改革などを担当、海江田万里経済財政担当相が経済産業相に横滑りすることなどが固まった。野田佳彦財務相は続投する。官房副長官には、民主党の「税と社会保障の抜本改革調査会」で会長を務めている藤井裕久元財務相の起用も決まった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110114-00000162-reu-bus_all

この人事にはいくつかの決定的ともいえる違和感を感じる。
その第一は、やはり与謝野氏の起用についてである。
昨日も触れたが、他党の代表者だけを離党させて、「経済財政、社会保障、税一体改革担当相」という要職に起用するのは納得がいかない。
まあ、私如きが納得しようがしまいがどうでもいいことではあるが。
民主党にはよほど人材が不足しているということだろう。
与謝野氏はもう選挙区からは立候補しないという覚悟なのだろうが、同じ選挙区で競合していた海江田万里氏を押しのけるかたちなのも如何かと思う。

第二は、枝野氏の官房長官への起用である。参院選の大敗を受けて、幹事長から副幹事長へ降格したのはこの間のことである。
「ほとぼりが冷めた」と思っているならば大間違いだと思う。
枝野氏について記憶に新しいのは「「与党がこんなに忙しいとは思わなかった。政治主導なんてうかつなことを言ったから大変なことになった。なにより欲しいのは、ゆっくり考える時間と、ゆっくり相談する時間だ」という地元での発言である。
菅内閣は、政治主導の旗を降ろすのだろうか?

かつて民主党の党運営のあり方に対いて疑問を呈したことがある。
⇒2010年8月 1日 (日):民主党におけるマネジメントの不在
この時と同じ感想である。
つまり、改造にあたって、今までの実績に対する総括とフィードバックがなされていないと思わざるを得ない。
要するに、「分かっていない」のだ。

菅直人首相は党大会で、内閣改造や党人事について「日本の改革を推し進める最強の態勢にする」と強調したが、改造菅内閣の発足してから4か月足らずである。
⇒2010年9月18日 (土):改造菅政権のスタート
果たして、今回の改造で、「最強の態勢」になったといえるか?
私には「退勢」を拭えないように感じられる。

民主党の深層底流には、崩壊に向かうベクトルがあると見る。
連立の組み替えを含む再再改造と総選挙とどちらが早いだろうか。

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2011年1月13日 (木)

与謝野氏が政府に入って、いったい日本の何が変わるのか?

菅首相の夫人・伸子氏の著書のタイトルは、『あなたが総理になって、いったい日本の何が変わるの 』(幻冬社新書、1007)である。
まったく同感である。さすがに良く知っている、などと言っている場合ではないだろう。
与謝野馨たちあがれ日本共同代表が、離党して政府入りすることが内定したらしい。
「いったい日本の何が変わるのか」というよりも、何を変えようとするのかさっぱり分らない。

菅直人首相は13日、14日に行う内閣改造で、たちあがれ日本の与謝野馨共同代表を政権の要職に起用する意向を固めた。税制改正と社会保障担当の特命相や首相補佐官、厚生労働相などを検討している。与謝野氏は13日午前、東京都内で同党の平沼赳夫代表に離党届を提出した。また、野田佳彦財務相の留任も固まった。首相は同日午後の民主党大会後に会見し内閣改造と党役員人事の基本方針を示して人事に本格的に着手。24日の通常国会召集を目指す。【中田卓二】
与謝野氏は離党届提出後、国会内で記者会見し、「税制抜本改革、社会保障、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)で、できることは(菅内閣を)お手伝いしたい」と政権入りへの意欲を示した。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110113dde001010081000c.html

民主党とたちあがれ日本との連立=理念なき野合=に乗り気で根回しをしたのが与謝野氏であることは既に報道されていたが、自らが代表を務める等を離党して政権入りするのに、どのような大義があるのだろうか?
⇒2010年12月29日 (水):「たちあがれ日本」との連立という発想に驚く
企業で言えば、社長もしくは会長(普通は代表取締役でもある)が、ライバル会社(結党趣旨に「打倒民主党」を掲げている)の要職に就任するようなものだろう。
個人の自由だといえばそれまでだが、果たして何が背後にあるのだろうか?
昨日の両院議員総会でも、唐突感が指摘されていたが、単なる党内人事とは事情が異なる。
党内人事ならば正式に決定するまでは保秘するのが原則だろう。
しかし、上記のように、事情はまったく異なるのではないか?

与謝野馨氏が、与謝野鉄幹・晶子の血統であることは私でも知っているが、改めて人物像を確認したい(Wikipedia110113最終更新)。

与謝野 馨(よさの かおる、1938年8月22日 - )は、日本の政治家。衆議院議員(10期)。学校法人文化学院院長・理事。
衆議院議院運営委員長(第50代)、文部大臣(第117代)、通商産業大臣(第63代)、自由民主党政務調査会長(第46代)、内閣府特命担当大臣(金融、経済財政政策、規制改革担当)、内閣官房長官(第74代)、財務大臣(第11代)などを歴任した。
・・・・・・
(2010年)4月10日の午前には「反民主・非自民を貫く」と述べ、結成を予定する新党は反民主の党であるとの認識を示し、4月10日午後、平沼赳夫、園田博之らとともに、新党「たちあがれ日本」の結党を正式に発表した。しかし、そんな与謝野の思いとは裏腹に4月27日、自民党党紀委員会は政党票で当選した比例選出議員であることや新党結党首謀者として他の自民党国会議員(園田博之・藤井孝男・中川義雄)に対して新党結党のために自民党離党を促したことを反党行為として、賛成9票・反対3票で与謝野に対して除名処分が下った。
2011年1月13日、平沼代表に離党届を提出たちあがれ日本から離党。その政治理念なき変節ぶりと菅政権への迎合が保守層を中心に厳しく批判される。
・・・・・・
与謝野は「政策通」として高く評価されることもあるが、官僚にも配慮する姿勢から「財務省の言いなり」と批判されることもある。安倍晋三は当初、安倍内閣発足時に与謝野を内閣官房長官に起
用する人事を構想していたが、安倍周辺が与謝野の官僚寄りの姿勢を警戒し、官僚嫌いで知られる塩崎恭久が起用されるという経緯があった(後に与謝野は安倍改造内閣で官房長官として入閣)。

華麗な履歴であり、優等生であったことは分かるが、正直に言って、その政治行動はよく分からない。
ただ、財務省よりであるのは確からしいので、菅首相ともども内閣は財務省の手の内になったとみるべきだろう。
税制改正の行方も読めてこようというものである。

「政治理念なき変節ぶりと菅政権への迎合」は、保守層でなくとも疑問を呈さざるを得ないところだろう。
何のための「たちあがれ日本」を結党したのか?
いずれ「憂国の志」などと言い出すだろうが、そして私も憂国の心を持つものであるが、出処進退には筋を通すべきだと考える。

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2011年1月12日 (水)

出口の見えない菅政権と民主党解党という選択肢

タイガーマスク・伊達直人に対する共感の輪が全国に拡がっている。
ランドセルの贈り物が何かを象徴していたのだろう。
閉塞感に包まれていたところに、風穴が開いて、爽やかな風が吹き込んできたような感じがする。

それにひきかえ、同じ直人でも菅首相の方は苦戦続きのようだ。
今日、民主党の両院議員総会が開催され、明日は年に一度の定期党大会である。
党の活動方針等が決定される重要な大会だという。
企業で言えば、定時株主総会に相当するものなのだろう。

両院議員総会の様子は、TVで垣間見たところでは、執行部批判 が相次いだらしい。

12日午後の民主党両院議員総会で、出席議員から「国民は党の内紛を求めていない」、「マニフェストを見直すなら国民に信を問え」、「消費増税は国民をばかにしている」など菅直人首相や執行部を批判する意見が相次いだ。
岡田克也幹事長は、最大の焦点である小沢一郎元代表の国会招致に関し「(小沢氏が)衆院政治倫理審査会で説明すれば区切りになる。疑惑を持たれたら説明するという考え方で議論した結果に基づいてやってきたもので、党内でもめているということではない」と説明した。
〔日経QUICKニュース〕

http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381949EE3E0E2E5958DE3E0E2E3E0E2E3E3E2E2E2E2E2E2

この中で、「マニフェストを見直すなら国民に信を問え」というのは、岡田幹事長が「2009年の衆院選で掲げたマニフェスト(政権公約)を見直す意向を表明した」ことに対してである。
政権交代をした選挙のマニフェストを見直そうというのなら、「信を問え」というのは至極真っ当な意見であると思う。
しかし、追い詰められて解散ということはあり得ても、いま菅首相が、「マニフェストを見直したいから」という名目で解散総選挙をやる可能性はほとんどないだろう。

それにしても、じりじりと支持を失ってきた菅内閣に出口はあるのだろうか?
もももと、「国のために、何かを成し遂げたい」ということではないようなので、出口戦略など考えもしないということだろう。
今となっては、戦後史を飾る悪役(?)岸信介氏の「安保条約改定」と心中した気概が懐かしいような気がする。

菅首相は、1日の年頭所感でも、4日の記者会見でも、「今年を平成の開国元年にする」と高らかに抱負を語った。
しかし、その後に具体的に語ったことは多くの国民が失望を感じたようである。
参院議長の西岡武夫氏の感想は、そういう空気を代表しているように思う。

「(年頭会見で)小沢さんのことをいろいろ言われるのは不自然な感じ、違和感を覚えました。まことにおかしい」
記者会見で、こう語気を強めたのは民主党の重鎮で立法府の長でもある西岡武夫参院議長だ。菅直人首相が4日の年頭会見で、小沢氏が強制起訴された場合について自発的な議員辞職を促したことを痛烈に批判したのだ。
「もっとおかしいと思ったのは…」。西岡氏はなお言葉をつなげ、首相が年頭会見で国会質問を24時間前に通告するよう求めたことをこき下ろした。
「これは国対委員長間での話ではないか。びっくりいたしました。首相からはどういうふうに日本をもっていこうとしているのかをぜひ聞きたかった」
西岡氏は、参院で問責決議された仙谷由人官房長官の交代を公然と求めた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110112-00000090-san-pol

菅首相をはじめ、政治家は明治維新期の人物に自分をなぞらえるのが好きのようだ。
菅内閣発足時の「奇兵隊内閣」というネーミングにもそれは表れている。
しかし、実際には、江戸末期になぞらえる方がぴったりくる。
産経新聞の「東京特派員」湯浅博氏の、『第2の江戸の「栄花物語」』という記事は見事に的を射ぬいていた。

菅政権下の日本は「第2の江戸時代」を迎えているのだそうだ。学生の留学離れは言われて久しく、ビジネスマンは海外赴任を拒否し、政界はもっぱら内輪もめに終始している。江戸期はペリー提督率いる黒船で目覚めたが、第2の江戸期は中国が尖閣諸島にちょっかいを出しても、官房長官が「冷静に」などと事なかれをいって引きこもる。
・・・・・・
振り返ってみれば、鎖国政策下の江戸期は内向きの政治しかなかった。悪徳政治家の代名詞だった老中の田沼意次などは、豪商と結びついたワイロ政治の権化であった。いまでいうと「政治とカネ」に絡んだ疑惑政治家である。
・・・・・・
変節は世の常だからご当人の勝手である。だが、善左衛門のような世渡りは人の道にもとる。上司が羽振りのよい時ははやし立て、落ち目になると道義をかざしてこき下ろす。田沼没落後の大合唱はいかにもあさましい。いまでいうと、菅直人首相が民主党の小沢一郎元代表に振り回す正義に、善左衛門のそれと同じにおいを感じてしまう。
菅首相はたしか昨年の元日に、小沢邸で開かれた新年会に姿を見せたのではなかったか。会場の真ん中に陣取って、拍手だか万歳三唱を連呼した。小沢意次の剛腕に菅善左衛門は己の出世を託したのではないか。
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/110111/plc1101110313001-c.htm

菅首相は、仙谷官房長官を更迭しても、小沢氏を離党させても、八方ふさがりの状況に出口はないだろう。
民主党の代表選に際しての危惧が現実のものになった。
⇒2010年9月11日 (土):菅首相続投で、本当にいいのだろうか?
⇒2010年9月21日 (火):再び問う、「菅首相続投で、本当にいいのだろうか?」
⇒2010年10月17日 (日):危うい菅内閣
⇒2010年11月23日 (火):菅内閣における失敗の連鎖

もはや、明日の民主党の定期党大会で「解党」を決議し、解散総選挙を行うことくらいしか打つ手はないのではないか。

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2011年1月11日 (火)

起承転結の論理/知的生産の方法(6)

作文の論理として著名なものに、「起承転結」がある。

起承転結(きしょうてんけつ)とは、物事の展開や物語の文章などにおける四段構成を表す概念。元々は4行から成る漢詩の絶句の構成のこと。起承転合とも言う。
一行目から順に起句、承句、転句、結句と呼ぶ。元の意味から転じて、小説や漫画など物語のストーリーや論理的な文章などを大きく4つに分けた時の構成、または各部の呼称としても使われる。起承転結の典型的な例として4コマ漫画の構成などがある。
・・・・・・
起承転結は、作文技法として中等教育以降で取り上げられることもある。単純な創作物語には適用可能だが、構成要素が四つと少ないため、同じ創作物語でもより綿密な構成を要するものや、説明文、実用文書などには向かない。起承転結はもともと「句」や「句切れ」の構成を端的に表す四字熟語であり、説明文、実用文書には段落(パラグラフ)や節を意識した構成が必要となる。さらには、複雑な事柄や、全く新しいことを記述する文書などは章を設ける構成も要る。

Wikipedia100503最終更新

「起承転結」については、有効性を評価する声だけでなく、否定論も少なくない。

文章を書くときに一番悩むのは、全体をどのように構成したらよいかだ。それが決まらないと、書き出すことすらできない。文章全体の構成を決める考え方として頻繁に登場するのが、起承転結である。いくつもの作文本で、文章の構成を決める指針として採用されている。例文を挙げ、起承転結に沿った構成方法を紹介することが多い。
これほど広く認められている起承転結だが、それを使った書き方の説明を読んで、本当に書けるようになる人はどれだけいるのだろうか。残念ながら、起承転結を用いた説明で書けるようになる人は非常に少ない。起承転結と言われても、自分が書きたい内容に対し、どのように適用したらよいのか分かりづらいからだ。

http://www.st.rim.or.jp/~k-kazuma/IE/IE052.html

国語の時間では、起承転結を意識しなさいと教わってきたと思います。
・・・・・・
起承転結でレポートなどのビジネス文章を書いてしまうと、おかしなことになります。なぜかというと、起承転結というのは、論理の構成の話ではないからなのです。起承転結というのは「話の盛り上げ方」であって、論理的に話すための文章構成法ではないのです。

http://allabout.co.jp/gm/gc/295384/2/

上述のように、詩歌や物語に「起承転結」は有効でも、論文の構成には役に立たない、という意見が多い。
しかし、「起承転結」の技法が、詩歌だけではなくて文章構成の技法として、あるいは物語の展開の1つの「型」として活用されてきたことには、相応の理由があると思われる。
私は、「起承転結」は、文章作法というよりも、思考の運動の基本形を表現したものではないかと思う。

思考の運動法則といえば、「弁証法」が有名である。「弁証法」の説明をみよう。

ヘーゲルの弁証法を構成するものは、ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の3つである。全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。
Wikipedia110119最終更新

つまり、「正-反-合」の運動ということになる。
それでは、「起承転結」と「正-反-合」の関係はどうか?

「起」は、イシューの設定と考えられよう。
⇒2010年12月25日 (土):イシュードリブン/知的生産の方法(1)
⇒2010年12月27日 (月):脱「犬の道」/知的生産の方法(2)
つまり、「起」は、対象とする問題を提示あるいは限定する局面である。
その問題について考えるプロセスが「承-転-結」の3段階であって、「正-反-合」に対応する。

「起と結」を、問題の設定と結論と考えれば、思考の運動としては、「承と転」である。
「承」は同じ視点、同じベクトルで考えるということであり、転」は視点を変えて、違うベクトルで考えるということである。
「承」を思考を垂直的に深めるプロセス、「転」を思考を水平的に拡げるプロセスとしてもいいだろう。

さらに言えば、「承」は合文法的すなわちアルゴリズム的思考であり、「転」は脱文法的すなわちレトリック的思考である。
特に、「転」は文章構成の場合において、拡がりとダイナミズムを生み出す重要な役割を果たすとされているが、思考においても「転-反」のフェーズが生産的(目的との適合性、他人への訴求性等)なアウトプットを生み出すキーになると思われる。

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2011年1月10日 (月)

皇統論における「Yの論理」への疑問

私にとって、古代史は趣味の世界である。
したがって、天皇制についてどう考えるか、という問題もその限りでは「どうでもいい」ことである。
せいぜい、天皇という制度がいつ、どのような背景の中で誕生し、皇位をめぐってどのような争いがあって、それがどう決着したか、といったことに関心を持つ程度である。

一方、いま現在を生きている身としては、日本国憲法の第一章に規定されている「天皇」について、無関心でいるわけにはいかないだろうと思っている。
⇒2011年1月 7日 (金):初詣と神道と天皇制
制度に関しては、皇位継承の問題がある。

皇位を決定する法的根拠として、皇室典範がある。
現在は次のように規定されている。

第一章  皇位継承
第一條  皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。

皇室典範の規定では男性皇族にしか皇位継承を認めていないにもかかわらず、若い男性皇族が決定的に不足していることから、敬宮愛子内親王誕生後、皇室典範の改正が議論されるようになった。
Wikipedia101211最終更新

現在ののままでは、この規定に該当する人がいなくなる。
改定しなくてもいいのか、と議論されたのは小泉内閣のときである。
この問題は、秋篠宮に悠仁親王が誕生したことにより解消された。しかし、いずれ何時の日にかは再燃する問題である。
その時論議されたのは、女性天皇さらには女系天皇を認めるかどうかということであった。

その時、男系に限るという論理として持ち出されたのが、Y染色体論である。
一見、生物学的であるかのように思え、それなりの支持者がいるようである。
Y染色体による男系必然論(いわばYの論理)は、例えば以下のように説明される。 

男系によって継承されてきたのが、万世一系を誇るわが国の皇室の伝統である。
これにより、神武天皇のY染色体が現天皇陛下まで連綿と受け継がれている。
これは遺伝学では常識であり、遺伝学上も理にかなっているのである。
・・・・・・
結論から言えば、愛子内親王の性染色体XXは、正田家と小和田家からのもので、天皇家に血縁のある性染色体ではない、と。
・・・・・・
愛子内親王が即位され、他家の男性と婚姻され、生まれたお子様は、男子であろうとも天皇家と縁のある性染色体を受け継ぐことはない。
連綿と受け継がれてきたY染色体が、天皇家から消滅する。
まさにここで万世一系は断絶することになる。

http://jijihyoron.seesaa.net/article/22838985.html

万世一系ありきのようで、なぜ万世一系でなければならないかがよく分からない。
学者はどうだろうか?
代表格が、八木秀次高崎経済大学教授であろう。
八木氏は生物学の専門家ではないが、系統遺伝学の専門家である蔵琢也氏等が陣営に加わっていて、科学的な武装をしているように見える。
その説くところは以下のようである。

Y染色体は父親から男児にそのまま継承されるのである。
・・・・・・
今上天皇や皇太子殿下は、父親をずっとたどっていけば古代の天皇たちにつながり、したがって伝説の神武天皇や日本武尊(ヤマトタケルノミコト)とほぼ同じY染色体をもつのである。

八木秀次『Y染色体説のどこがトンデモ説なのか』(「別冊正論14」(1101))による蔵氏の説明

八木氏はこの部分を蔵氏の著書から引用している。つまり、核心部分と考えているのだろう。
蔵氏はこの説明を、「神武以来代々受け継がれてきたY染色体の刻印」と表現している。
はたして、あなたはこの「Y染色体の刻印」の論理に納得できるだろうか?
私は、「NO」である。
⇒2011年1月 7日 (金):初詣と神道と天皇制

私の立場は、天皇制の合理性については疑問を抱かざるを得ないが、直ちに廃絶しなければならないとは考えない。
まあ、次の意見に近いと言えようか。

天皇制が、たとえ合理的な理由がなく、たんに国民感情にもとづき、伝統に従うのであるとしても、多数の国民がそれを維持しょうと欲するならば、それを維持することが、民主主義の原則である。
http://www7b.biglobe.ne.jp/~senden97/tennousei1.html

当然のことながら、いわゆる民族派においても、染色体をベースにする論理に批判的な言説もある。

最近、とみにDNA論で皇統を語る言説が多くなつてゐる。しかも、男系男子の伝統を擁護する者の中には、神武天皇Y染色体論を持ち出す者も多く、また、女系を容認する者の中には、天照大御神が女性神であるから女系が許されるなどとする天照大御神X染色体論(女性神論)を持ち出す者も出てきてゐる。しかし、男系男子の皇統を護持しなければならないのは当然であつても、このやうに、皇統をDNA論で語ることが皇統を護持することについて如何に有害であるかについての警鐘を鳴らしたい。
http://kokutaigoji.com/reports/rp_h180805.html

なぜか?
皇統のあるべき姿について、より合理的な論理があり得るか?

DNA論は紛れもなく「唯物論」であるといふ点である。天皇の血統といふこと自体が唯物論であるが、皇統にとつて最も重要なものは、血統とともに、皇霊(すめらみたま)を継承する霊統なのであり、その核心に宮中祭祀がある。
同上

いずれにしろ、科学的な論理で皇統の必然性を説明するのは困難であるようだ。
天皇制についての議論は、突き詰めれば以下のような議論になる。
なお、以下は、小谷野敦『天皇制批判の常識』洋泉社新書(1002)の書評ブログからの引用であり、著者というのは小谷野氏のことである。

(a) 天皇制の廃止に賛成:天皇皇族には私人になってもらう。純粋にただの一国民となるので、基本的人権も保障される。選挙にも行ければ職業も選べる。ただし国費で養うようなことはせず、宮内庁も解体する(事業仕分け行きだな)。著者の立場はこちらです。私もこっちに賛成。
(b) 天皇制の存続に賛成:近代の人権思想なんて嘘っぱちなので信じてはならないと断言する。人は生まれによって差別されていいし、基本的人権が保障されない人間もこの世にいてよいのだ、と子どもたちに教える。身分制万歳な前近代的立場。著者は「天皇制を支持する人に差別を批判する権利はない」と言うけど、全くその通り。
(c) 天皇皇族は人間ではない。だから、人権という概念は適用されないので、差別にもならない。
http://d.hatena.ne.jp/mickmack/20100516/1274021218

どうしても3択の中から1つ選べと言われれば、(a)だけど、上記のように、私の現在の立場はもう少し曖昧である。
しかし、Y染色体を根拠とする「Yの論理」にはまったく与しがたいとは考える。

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2011年1月 9日 (日)

同級生の死(2)/追悼(9)

まだ松の内の5日、小中学校の9年間を共に過ごした友人が亡くなった。
中学生の頃、文字通り遊び呆けていた時代、割合親しくしていた中の1人である。
高校時代以後はお互いの人生に交錯する部分が無くなってしまい、無縁のまま過ぎた。
ほぼ毎年開かれている同窓会にも、あるいは折に触れて行われている飲み会にも彼は殆ど参加したことはなかった。
10年以上経つのだろうが、同窓会に珍しく顔を出したことがあった。
記憶している限り、一度だけだった。

7日の通夜だけ出席した。
通夜の際にも、その時のことが話題になったので、皆にもその印象が強かったようだ。
昨日の告別式は、自分の体調のこともあって、欠礼した。
通夜には14,5人の同期生が顔を見せていたが、告別式の方は3,4人だったらしい。
最近は、通夜の方が参会者が多いようだ。

もともと1学年が110人余の小規模な学校だった。
20人ほどが既に亡くなっているので、現存するのは90人ほどである。
遠隔地に居住する人もいるので、かなりの率で参加したと言えるのではないだろうか。
連絡網が整備されているのと、労を厭わない同窓会の万年幹事をしてくれる人の存在による。

同期生の訃報には特に他人事ではないという感慨を持つ。
母集団はもう決して増えることはないのだ。
小学校に入学したのが昭和26年。
既に60年という歳月が流れた。
⇒2009年4月 4日 (土):同級生の死

7日には、ダークダックスのテノール、パクさんこと高見沢宏さんが亡くなった。
ダークダックスが結成されたのは、今朝の産経抄によれば昭和26(1951)年のことだった。
上記のように、私たちの小学校入学の年であり、彼らの歌った曲の幾つかはわれわれの世代の共通の愛唱歌となっている。
そんなこともあって、一つの時代が終わった感じがする。

30年後には、同期生のほぼ全員がこの世から姿を消すことになる。
つまり、平均して3人位は毎年亡くなっていく計算になる。
私も、脳梗塞の発症のとき、連絡が遅れれば、生命すら覚束なかった。
1時間遅れたら、おそらく廃人同様の身になっていたことだろう。
そう思うと、いまあることに、改めて感謝したいと思う。
通夜の会を閉めるにあたって、親族を代表して長男が謝辞を述べた。
涙をこらえながら、型を崩すことなく、立派に役割を果たした。
白髪の遺影と見比べていると、謝辞に立つ彼とありし日の故人の姿がオーバーラップして見えた。

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2011年1月 8日 (土)

「書く」ことと「考える」こと/知的生産の方法(5)

「書く」という行為は、知的生産の行為として最も基礎的なことであろう。
しかし、文を作ること、すなわち作文については、多くの人が、小学校の頃作文の時間があったことは覚えているが……、という程度の記憶があるくらいのものではないか。
私は、高校や大学で、作文の訓練を受けた覚えがない。

私が作文について、いくらか意識的になったのは、リサーチャー時代である。
何しろ、商品(?)が、報告書という文章の塊だったから、いかに早く良質の文書を仕上げるかが、評価に直結していた。
もっとも、良質の、というのに明瞭な評価基準があったわけではない。
しかし、少なくとも「名文」が求められていたわけではないことは確かだろう。
あえて言えば「達意」の文章ということになろうか。つまり、言いたいこと(結論=主張あるいは意見)がしっかり伝わるということである。

具体的な訓練として、どのようなことが行われたか?
結論的には「添削」に尽きる。
要するに、他人の目に晒すこと、そして自分のクセを指摘してもらい、それを直すことだ。

人間は、その歴史の中で、環境に対して「ことば」を付与し、それを概念化(シンボル化)してきた。
概念は、実在するモノとの関係において成立しているだけでなく、非実在的なモノについても生み出されてきた。
つまり概念(シンボル)の自己運動である。
人間「だけ」がシンボルを操作する動物かどうかは分からないが、人間がシンボルに非常に敏感な動物であることは間違いないだろう。
人間は、シンボル環境の中で生活し、人間の行動はすべてシンボル的な側面をもっている。

環境の中から、特定の部分を識別して認識する上で大きな役割を果たすのは「ことば」である。
例えば、山を見て山だと認識したり、川を見て川だと認識するのは、客観的にそこに山や川が存在するからであることに間違いはないが、そこでは見ている人が既に「山」や「川」という「ことば」を獲得していて、目に見えるモノとしての「山」や「川」と「山」や「川」という「ことば=概念」が結び付くことによって、あそこに「山」がある、あるいは「川」があると認識するわけである。

幼い子が言葉を獲得していくプロセスは面白い。
最初は、興味のある対象とそうでない対象の区別がつくところから始まる。
例えば、アンパンマンをみてニコニコする等である。

そのうち、アンパンマンを見て、「アンパンマン」と発語する。
しかし、多くの場合、例えば母親だけが聞き分けられるような発音である。
それがやがて母親以外の人間でも分かるようなレベルの明らかさで発音するようになる。
そして、単語だけの発語から、2語で構成される最小単位での文の形で発音できるようになる。
「好きな花は何ですか?」という質問をすれば、「ヒマワリです」と答えるというように。

発達学上、単語だけの発音と、たとえ2語だけであろうと文の形で発音するのとでは大きな違いがあるらしい。
複雑さへの階段を登り始めるか否かということであろう。
あとは、単語の組み合わせ方の問題である。

リサーチャー時代、作文の鍛錬=思考の訓練、ということを次第に理解するようになった。
文を作る場合、文法とレトリックは車の両輪である。
文法は必要条件であり、文法的にオカシナ文章は、それだけで失格である。
日本語の場合、いわゆるテニヲハはとくに重要である。テニヲハの間違っている文章は読んでもらえないと思った方がいい。

文法が正しいうえで、他者との差別化を図るのがレトリックの役割である。
レトリックについては、一筋縄では論じられない。なぜならば、一筋縄では論じられないような工夫を凝らすのがレトリックであるからである。

文章を書く場合、意識していなくてもレトリックの要素は入り込む。
よく言われるように、「見たまま、感じたままを書けばいい」というわけにはいかない。「見たり、感じたり」する行為は、多かれ少なかれ、無意識的に行っているのであり、文章を書くという意識的行為とは全く性質が異なる。
文章にはどうしても意識的な操作が入り込まざるを得ない。レトリックへの第一歩である。

「書く」という作業は、「見たこと、感じたこと」を素材とはするが、そこから取捨選択という意識的な作業として、「あるまとまり(一種のシステム)」を構成していく作業である。
つまり、「見たまま、感じたまま」ではなくて、目的意識的な思考の結果の産物なのである。
思考は、言葉の働きによって推進される。言葉をインプットし、それを処理(論理的に展開したり、連想によって拡げたり、ひらめきによって飛躍したり)して、アウトプットを再び言葉(より一般的には記号)で表現する。

このプロセスは人間の頭の中で行われる(コンピュータでも試行されているが、今のところその自由度において人間にはかなわない)。
しかし、頭の中だけで行うことは、余程の天才でない限り限界がある。モーツアルトは、ペンをとる時には既に頭の中で曲が完成しており、あとはただそれを五線譜に表現するだけだったというが、それはモーツアルトがいかに天才であったかを示す逸話であって、一般人にはとてもそんなことはできないだろう。
一般人は、頭の中で起きたことを一度目に見える形にして、それを対象化することによって思考を進める。
頭の中だけで分かったような気がするのは、多くの場合「分かったつもり」になっているだけである。

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2011年1月 7日 (金)

初詣と神道と天皇制

去年は病棟で迎えた新年だったが、今年は自宅で初日の出を拝んだ後、近くの三嶋大社に初詣をした。
初日を拝んだり、神社に詣でることは、宗教的な行為か?
私にとって、特定の宗教、例えば神道、をことさら意識した行為ではない。
しかし、そこに宗教的な意識が全くないかといえば、それも違うだろう。
少なくとも、私が現在有る(存在する)ことは、連綿と続いてきたご先祖があったればこそであるし、そのことは言葉の真の意味において(?)有り難い、すなわち確率的にいって限りなくゼロに近い希少なことであるに違いない。
昨日や昨年と変わった太陽ではないが(少なくとも五感的には)、やはり初日には特別の輝きがあるような気持ちになるし、神社の雑踏に身を委ねていると、ある種の安心感を覚えるような気になる。
何故だろう?

そんな気持ちでいたところに、産経新聞の「正論」欄の、平川祐弘東京大学名誉教授『日本の命はまた、あらたまる』が目に入った。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/110107/trd1101070245000-c.htm
理解できる部分もあるものの、正直に言ってより大きい違和感があった。

平川氏は内藤鳴雪の句を引用するところから説き始める。

初日の出に柏手(かしわで)を打つ。遠くの富士山が美しい。有難(ありがた)い。

元日や一系の天子不二の山

これは内藤鳴雪の句だが、日本に生を享(う)け八十の歳(とし)を迎える私の正月気分でもある。外国女性に向け、「これが日本人の神道的気分だ」と説明する。

遠くの富士山が美しいという感覚(⇒2011年1月 1日 (土):明けましておめでとうございます)や、「有難い」という気持ちは、上記したように、私も共有するものだ。
しかし、それが「日本人の神道的気分だ」と説明されると、違和感がある。

元日を迎えるときのあらたまった気持ち、「年の始めの例(ためし)とて、終なき世のめでたさを、松竹たてて、門(かど)ごとに祝ふ今日こそ楽しけれ」と小学生のころに歌った。終り無き世を象徴するのが万世一系の天皇である。

確かに、元日に「あらたまる」気持ちがするのは事実であるが、「終り無き世を象徴するのが万世一系の天皇である。」というのは、論理的に飛躍があるのではなかろうか?
私は若い頃は、天皇制というものに疑問を抱いていた。何ら合理的な根拠を持たない制度のように思えたのである。

現在はどうか?
日本国憲法の第一章は「天皇」である。

第一条  天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

多くの国民、つまり同胞が、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」として認めている。
改憲論はあるにしても、この部分を変えようという意見は、ごく少数のようである。
その「地位」が「主権の存する日本国民の総意に基く」というのは、現状では欺瞞的なようにも思うが、近似的に「日本国民の総意」としてもあながち間違いとは言えないのではないか。
だから、天皇制は現実に有効に機能していると考える。
しかし、それがすなわち平川氏の説くように、「連綿と続く天皇に民族の永遠を感じる気持ちは多くの日本人が無自覚裏にわかちもつ」ものと言えるか。

「万世一系」だから、天皇は尊いのか?
皇統の証を、神武以来のY染色体に求める論理(たとえば、八木秀次『Y染色体説のどこがトンデモ説なのか』(「別冊正論14」(1101))は、やはりトンデモと言わざるを得ないだろう。
仮に神武天皇の実在を認め、以来「連綿と続く」万世一系が事実としても、Y染色体というような非人格的なものに根拠を求めるのは納得しがたい。

神武天皇以前はどうなのか?
そもそも、伊勢神宮が祀っている天照大御神と豊受大御神は共に神武以前であるし、女性神であるからY染色体の価値とは無関係であろう。

伊勢神宮には、太陽を神格化した天照大御神を祀る皇大神宮と、衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮が存在し、一般に皇大神宮を内宮(ないくう)、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼ぶ。
Wikipedia110107最終更新

「日本」という国号と日本列島の歴史をどう区別するのか?
例えば、縄文時代のことは、どう考えるのか?
私には、「民族の永遠」的なものは、神武以前にまで遡る方が自然のように感じられる。

菅直人首相と自民党の谷垣禎一総裁が4日、伊勢市の伊勢神宮に参拝した。菅首相は政権運営への意欲をにじませ、谷垣総裁は衆議院の解散・総選挙に追い込むことを目標に挙げた。
http://mytown.asahi.com/mie/news.php?k_id=25000001101050002

このお二人は、伊勢神宮にどういう思いで参拝したのか?
伊勢神宮の位置づけについてはいろいろ議論があるだろうが、淵源はせいぜい天武・持統朝の頃のようだ。
伊勢神宮への参拝が一般化したのは、「お蔭参り」とも呼ばれた江戸時代以降のようである。
「おかげ」の由来は、「日本人に生まれたおかげ、生かさせていただく有り難さを伊勢神宮に感謝する“おかげ”のお参り」の意だという。

与野党の二大政党の代表者が共に伊勢神宮に詣でるのは、どういう意図からだろうか?
単なる慣習や伝統行事的に類する程度のことなのか?
平川氏は次のように書く。

民主党の閣僚は日本の国土を護(まも)るために死んだ人を祀(まつ)る神社に参拝しない。彼らは戦後の教育情報空間の中で育った優等生で、いってみれば左翼系大新聞の模範解答どおりに行動している。朝日を拝まず朝日新聞を拝んでいる。だからこそ失政が続くのである。

「日本の国土を護るために死んだ人を祀る神社」とは靖国神社のことであろう。
平川氏は「民主党の閣僚」と書いているが、自民党の谷垣総裁とて大同小異のように見える。
伊勢神宮と靖国神社の差異は何か?

平川氏は、「宗教はどの国でも戦争中は国に仕える。米大統領もGod Bless Youと米兵を祝福してイラクの戦地に送り出す。」と書く。
宗教が戦争を後押しすることがあるのはある程度普遍的なことだろう。
戦争はしばしば、観念的なものが原因である。
だからこそ、東亜・太平洋戦争において、「神道や天皇制」の果たした役割を「無かったかのように」考えることには同意し難い。

また、現代の戦争にも「宗教戦争」の色合いが多分にある。
平川氏の例にあげた「イラクの戦地」は、キリスト教とイスラム教の争い的な性格があったと考える。
だから、「God Bless You」というのにも、価値観のバイアスがかかっているのではないか。

かつて軍部のしたことに多々遺憾な点があったことは承知している。しかし私は死者の霊は区別せずに弔いたい。

私も「死者の霊」を、あえて区別せよ、などとは言うつもりはない。
しかし、戦争において、指導者と被指導者の責任は異なると思うし、区別して考えたいと思うものだ。

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2011年1月 6日 (木)

持統天皇(ⅴ)/やまとの謎(23)

藤原京の時代を考えるということは、白鳳時代について考えることであった。
⇒2011年1月 2日 (日):藤原京二段階造営論/やまとの謎(22)
しかして、白鳳とは何か?
土地の名前でも大和朝廷の年号でもない。
美術史上で著名な「白鳳」であるが、その由来は必ずしも明瞭ではないようだ。
⇒2008年1月 6日 (日):「白鳳」の由来
⇒2008年1月12日 (土):「白鳳」という時代

白鳳時代は持統天皇と切り離して考えることができない。
近藤精一郎『白鳳の女帝/持統天皇私伝』創芸出版(8706)という著書があることからもそう言えよう。
推古、斉明(皇極)、持統、元明、元正、称徳(孝謙)と並べてみれば、女帝の存在が、古代史の謎を解く鍵になるとも言えるだろう。
中でも持統は、律令国家の、さらに言えば「日本」の成立に深く関わっていると考えられる。

このブログでも、持統天皇について、既に何回か触れたことがある。
⇒2008年1月28日 (月):持統天皇…(ⅰ)関裕二説
⇒2008年1月29日 (火):持統天皇…(ⅱ)関裕二説②
⇒2008年1月31日 (木):持統天皇…(ⅲ)関裕二説③
⇒2008年2月 1日 (金):持統天皇…(ⅳ)砂川史学⑨
⇒2008年2月 4日 (月):持統天皇…(ⅴ)砂川史学⑫
⇒2008年5月19日 (月):持統天皇…林青梧説
⇒2008年8月22日 (金):持統天皇の吉野行幸と弓削皇子の歌
⇒2008年9月26日 (金):持統10年の衆議粉紜…梅原猛説(ⅵ)
⇒2008年10月30日 (木):小林惠子氏の高松塚被葬者論…⑥持統朝について
⇒2010年12月 8日 (水):持統天皇/やまとの謎(13)
⇒2010年12月11日 (土):持統天皇(ⅱ)/やまとの謎(15)
⇒2010年12月12日 (日):持統天皇(ⅲ)/やまとの謎(16)
⇒2010年12月13日 (月):持統天皇(ⅳ)/やまとの謎(17)

「持統天皇とは何か」を明らかにできれば、日本という国のあり方(国体?)を明徴にする一助になるかもしれない。
持統天皇の性格をどう捉えるか?
系譜的には、天智天皇の子であり、天武天皇の妻である。
協力者として、藤原不比等がいる。
天智天皇は、中大兄皇子として大化改新や白村江の戦いの中心人物だし、天武天皇は大海人皇子として壬申の乱を勝ち抜いた。
藤原不比等は、日本史に大きな影響力を持ってきた藤原氏の実質的な家祖と解される。
持統天皇は、日本史の骨格の形成期の複雑な網の目の結節点に位置している。
天智と天武は本当に同父母の兄弟か?
でないとすれば、どういう関係か?
あるいは、藤原不比等との関係をどう考えるか?
興趣の尽きないテーマではなかろうか。

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2011年1月 5日 (水)

綱領なき民主党の菅VS小沢の不毛な争い

菅首相が1日に年頭所感を発表し、また昨日は記者会見をして、今年の抱負を語った。

菅首相が時期を示して掲げた大きな政策目標は二つある。一つは今年を「平成の開国元年」と位置付け、貿易自由化を促す決意を表明したことである。米国などが進める環太平洋連携協定(TPP)に参加するかどうかは、6月ごろをめどに最終的に判断する。それまでに「若者が参加できる農業の再生」に向けて、農業の構造改革や支援策などをまとめるという。
もう一つは、社会保障と消費税を含む税制改革である。超党派の議論を開始し、こちらも6月をめどに方向性を示すとした。
いずれも菅首相が昨年から掲げてきたものだが、論議の足場も築けないままだ。例えば、税制改革をめぐる首相の年頭発言に、野党は一斉に反発している。首相の意欲と現実との落差は大きく、説得力に乏しい。

http://www.shinmai.co.jp/news/20110105/KT110104ETI090008000022.htm

TPPも 税制改革も、俯瞰的な議論がないままである。共に痛みを伴う層が存在するので、「熟議」が必要だろう。
性急な論議には胡散臭さがつきまとう。

上記と対照的に、小沢氏について踏み込んだ意思表示があったのが注目される。

収支報告書の虚偽記入事件で強制起訴された場合には、「政治家としての出処進退を明らかにして、裁判に専念されるのであればそうされるべきだ」と踏み込んだことである。野党の協力を得るめどが立たないなか、「脱小沢」を強調することで世論を味方に付けたい-。そんな狙いがあるのだろうか。
同上

果たしてこの狙いはうまくいくだろうか?
小沢氏は次のように反応したという。

小沢氏が強制起訴された場合に自発的な議員辞職を検討すべきだとの考えを示した菅直人首相の記者会見について「首相は、僕のことなんかどうでもいいんで、国民のために何を一生懸命やるかが問題だ」と批判した。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/480786/

一国のトップの年頭の記者会見としては、「小沢氏のことよりも、国民のために何を一生懸命やるか」を聞きたいとは思うが、当の小沢氏の口から出るとなると・・・・・・。
菅首相は、自分の議員活動の原点がロッキード事件に象徴される金権政治との対決であった、と一貫して反小沢のスタンスをとってきたかのような口ぶりである。
しかし、首相就任当時、幹事長辞任をもってけじめをつけた、という認識を披歴したことは記憶に新しい。
また、小沢邸で行われる新年会にも、自発的に(率先して)参加していたのではなかったか。

菅首相の態度を見ていると、自党の亀裂が修復できないと踏んだのだろうか、野党にすり寄る姿勢が目立つ。
まさかという感じの、「たちあがれ日本」との連立打診にも驚いた。
⇒2010年12月29日 (水):「たちあがれ日本」との連立という発想に驚く
社会保障と消費税を含む税制改革についての超党派の議論を始める、という記者会見にしても、苦し紛れ、という感が拭えない。

こんな様子を見ていると、民主党が1つの政党である必然性があるのか、という疑問に思い至る。
そう言えば、民主党には綱領がなかった。
鳩山前首相と菅首相の共通点は、場当たり的な発言が多いことである。
虚偽記載とは言わないが、誇大広告的であったことは否定できないマニフェストに惑わされて、綱領なき政党に政権を託したのが間違いだったような気がする。

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2011年1月 4日 (火)

ジャンケンができるように-今年の目標/闘病記・中間報告(19)

リハビリにおいても目標をブレークダウンして、具体的な形にすることが重要ではないかと思う。

◆ブレークダウン(breakdown)
〔外来語・カタカナ語2010年 > ハ行 > △フ
ひとつの目標を達成するために下位の小目標に分けていくこと。小分け。内訳。

現代用語の基礎知識2010年版より引用

私は、今年の年末における到達点を、「ジャンケンができること」にしたい。
これは、人生的には小目標だろうが、日々のリハビリにとっては大目標である。
この目標が、高すぎるのか低すぎるのかは分からない。
しかし、手指の制御神経が非常に細やかなものである以上、一朝一夕には到達できないことは確かだ。

ジャンケンというのは、改めて考えてみると良くできている。

じゃんけんは、手だけを使い三種類の指の出し方(グー、チョキ、パー)で三すくみを構成し勝ち負けを決める手段である。日本で拳遊びを基に考案されたが、現代では日本だけでなく世界的にも普及している。
Photo 偶然によって簡便になんらかの物事を決定する必要がある時に使われる。コイントスやくじなどのように道具を必要とせず、短時間で決着が付く。中国では「猜拳」、アメリカ等では"rock, paper, scissors"、イギリス等では"scissors, paper, stone"という呼称がある。日本国内では、「じゃいけん」「いんじゃん」など地域によって様々な呼び方がある。簡便な勝ち負けを決める手段として用いられるほか、じゃんけんを複数回行ない何連勝できるかなどゲームとして用いられることもある。

Wikipedia101215最終更新

どれかが絶対的に優位ということではない力関係であり、まったく偶然のようでありながら、相手の「手」を読むという要素もある。
今は就職氷河期以上に就職が困難だというが、私が学校を終える頃は、高度成長の末期で売り手市場だった。
希望する就職先が友人とバッティングし、ジャンケンで決めたりした記憶がある。
私は、その当時にしては数少ない「就職=就社」という考えは採らなかったので、ジャンケンに負けてもサバサバしていた。
尤も、家族の立場からは「安定した職場=大企業」に勤め続けていて欲しかった、という部分もあるらしい。

私は、幼児が好きで、幼児と遊んでいると飽きない。
もちろん、きれいなお姉さんも大好きなのであるが、滅多に先方が相手をしてくれないのだ。
これに対し、幼児は、大概喜んで相手をしてくれる。
幼児と遊ぶのに、ジャンケンは不可欠である。
来年の正月には、ジャンケンをして遊べるようになりたいものだ。

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2011年1月 3日 (月)

今年の予測と対応について

2011年はどんな年になるのだろうか?
酒を飲まない正月というのも、大人になってから初めてである。
初詣や年始の挨拶を済ませ、親戚の集まりに顔を出すのは例年通りだが、こちらが飲まないのを知っているから、心なし自分たちも控えているかのように見える。
TVは歌番組やお笑いが多く、駅伝を眺めて過ごすことになる。

箱根駅伝は、早稲田が大会新記録で18年ぶりの総合優勝を果たした。
かつての花形ランナー・渡辺康幸駅伝監督の、「本当にここまで長かった。選手の時より監督での優勝は数倍うれしい。最後の400メートルを切るまで分からなかったが、どこにも負けない練習量が支えてくれた。東洋さんも素晴らしく、箱根で勝つ難しさを痛感した」の言葉に年輪を感じた。
シード権争い(10位まで)を繰り広げる国学院大学のアンカーが、ゴールを目の前にしてコースを間違えるハプニングがあったりして、ハラハラするシーンもあったが、2秒差で駆け込んでシード権を確保した。

箱根駅伝(東京箱根間往復大学駅伝競走)は、関東学生陸上競技連盟(関東学連)が主催する地方大会であるが、知名度は圧倒的だろう。
西日本の有望な高校生も、箱根を走れない関西の大学には魅力を感じないらしい。
ところで今年は、野球にしろラグビーにしろ、早稲田大学が強い。

例外が、アメリカンフットボールで、学生日本一を決める甲子園ボウルで、立命館が早稲田を破った。
しかし、今日行われた日本選手権・ライスボウルでは、社会人代表のオービックに完敗した。

スポーツはともかく、今年の年明けは、私が酒を飲まないからそう感じるということでなく、余り明るいムードが感じられないようだ。
各紙の元日の社説をみてもそういう感じである。冒頭部分を引用してみよう。

<朝日新聞>
なんとも気の重い年明けである。
民主党が歴史的な政権交代を成し遂げてから、わずか1年4カ月。政治がこんな混迷に陥るとは、いったいだれが想像しただろうか。
長い経済不振のなかで、少子高齢化と財政危機が進む。先進国の苦境を尻目に新興国は成長軌道へ戻り、日本周辺の安全保障環境が変化しだした。政治はこれらの難問に真剣に取り組むどころか、党利党略に堕している。そんなやりきれなさが社会を覆っている。
http://www.asahi.com/paper/editorial20110101.html
<読売新聞>
四海の波は高く、今にも嵐が襲来する恐れがあるというのに、ニッポン丸の舵取りは甚だ心もとない。このままでは漂流どころか、沈没の危険すらある。いったい、我々はどこへ行くのか。
菅首相率いる民主党主導の日本の政治には、こんな不安がつきまとう。
新しい年に希望をふくらませ、日本人であることに自信と誇りを持てるニッポンをどう築くのか。この問いに答える、強靱な政治指導力が求められている。
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20101231-OYT1T00503.htm
<日経新聞>
めでたいとは言い難い年明けだ。
日本経済はリーマン・ショックを何とか克服したものの、本格的な回復への手掛かりをつかめないままに年を越した。この20年の名目経済成長率は年平均でわずか約0.5%。公的な借金残高は3.3倍に増え、先進国で最悪だ。経済の地位低下が安全保障も脅かす悪夢を、日本人は尖閣諸島問題などでみた。
この停滞は放っておいて自然に解消するものではない。
http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE0E2EBE2E2E0E4E2E2E3E2E3E0E2E3E38297EAE2E2E2;n=96948D819A938D96E38D8D8D8

いずれも祝賀ムードとはほど遠い。
私は、<毎日新聞>に注目したい。

写楽や歌麿なかりせば、浮世絵は世界的な広がりをもつ強力な日本ブランドになっていただろうか。
2011年、卯年の新年である。元気をなくしているといわれる日本の底力について考えてみよう。
謎の絵師といわれる東洲斎写楽が鮮烈なデビューを果たしたのは1794(寛政6)年だった。歌舞伎の夏興行に合わせ役者絵28枚が一挙発売されるという破格の扱い。役者の表情を強烈に描いた「大首絵」に江戸っ子は仰天したらしい。大首絵は2年前から喜多川歌麿が美人画で採用し大人気を博していたものだ。
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110101k0000m070070000c.html

蔦屋重三郎の展覧会については私も触れた。
⇒2010年12月19日 (日):江戸の仕掛け人-蔦屋重三郎
毎日新聞の社説は蔦屋の業績を称揚する。

その2人の絵師の登場を仕掛けたのが蔦屋(つたや)重三郎(じゅうざぶろう)(1750~1797)、蔦重(つたじゅう)と呼ばれた版元だった。江戸の遊郭・吉原の貸本屋から身を起こし24歳で書店を構える。33歳で出版業の中心、日本橋に出店。大田南畝(なんぽ)、山東京伝(さんとうきょうでん)、曲亭馬琴、葛飾北斎ら名だたる狂歌師、戯作者(げさくしゃ)、絵師を起用して大当たりする。今でいうポップ(大衆)カルチャー、クール(かっこいい)ジャパンの元祖である。研究者は蔦重を名プロデューサー、伯楽というだけでなく希代の商売人、起業家とみる。
だが、寛政の改革下の出版統制でとがめを受け、財産の半分を没収されてしまう。蔦重の面白いのはその翌年に歌麿の美人画で再起の勝負をかけたことだ。それが大成功したことが写楽の登場につながる。
蔦重の不屈の起業家精神がなかったら、日本の浮世絵は随分寂しいものになっていただろう。ゴッホはじめ印象派の画家たちがあれほど影響を受けたかどうかも分からない。
昨年、東京・六本木のサントリー美術館で「歌麿・写楽の仕掛け人 その名は蔦屋重三郎」と題した展覧会が開かれた。裏方のはずの版元を主人公にした展覧会は前代未聞といえる。
日本が相対的に存在感を失いつつあるといわれるが、ソフトパワーで盛り返したいものだ。

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2011年1月 2日 (日)

藤原京二段階造営論/やまとの謎(22)

藤原京は、最近の発掘調査等によって、一辺が5.3kmの正方形で、平城京に匹敵する規模を誇ったのではないか、という説が有力になっている。
いわゆる大藤原京説である。
⇒2008年1月 3日 (木):藤原京の規模

東海道新幹線の車内誌「ひととき」の10年12月号に、酒井香代という人が、「古代史紀行/アキツシマの夢」の第14回として、『藤原京-忘れられた理想の王都』を寄せている。

『魏志倭人伝』で「倭」と記録された国が、「日本」として出発したのはいつからなのか。「大王」が「天皇」になったのは? そんな関心で、七世紀後半から八世紀初頭の天武・持統朝を題材にしたほんを手に取ることが多くなった。というのも、「日本」や「天皇」のスタート地点は、この時代という説が主流だからだ。
この時代に造営された「藤原京」は碁盤目状の条坊(大路)を備えた都である。
・・・・・・
藤原京を訪ねれば、日本という国の誕生のいきさつを知ることができるのではないか、そんな思いで西を目指した。

この問題意識は、私も共有するところである。
⇒2010年11月14日 (日):「藤原」とはいかなる意味か?/やまとの謎(7)
⇒2010年11月21日 (日):藤原京はなぜ捨てられたのか?(続)/やまとの謎(8)
⇒2010年12月 4日 (土):日本文明史と藤原京/やまとの謎(12)

藤原京は、694年から710年まで、わずか16年間の都であった。
しかし、それまで支配者の交代ごとに転々としていたのに対し、持統、文武、元明の三代の天皇が君臨したのだから、やはり画期的なことである。

産経新聞で去年1年間にわたって、「麗し大和」が連載された。
⇒2010年12月26日 (日):「麗し大和」と法隆寺論争/やまとの謎(21)
その第1回が「大和三山」だった。
藤原京跡地が遠望されている。

これぞ、大和。市街の大海原にぽっかりと聖なる三山が浮かんでいる。こんな眺め、ほかではちょっとお目にかかれない。
Photo
この地には藤原京が築かれたが、後の平城京や平安京、さかのぼってなんと古代朝鮮の都にも相当する山があったそうだ。

http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/100103/acd1001031503001-n1.htm

「ひととき」に掲載された酒井さんの文章の中に、藤原京の復元模型の写真が載っている。
橿原市藤原京資料室に展示されている模型(1/1000)である。
Photo_3
藤原京は、大和三山が見渡せ、飛鳥からも近い。
「麗し大和、やまとしうるわし」の象徴的な場所だったといえるだろう。
酒井さんは、国立歴史民俗博物館准教授・林部均氏の説を紹介している。

『日本書紀』の記録で藤原京が「新益京」と呼ばれていることからも、飛鳥の都から新たに拡張したのが藤原京で、少なくとも初期は、飛鳥と合わせて都として機能していたのではないかというのが、林部氏の考えだ。
・・・・・・
「都というのは政治体制の具現化でしょう。藤原京は、浄御原令の時代とその後の大宝令の時代の二段階に分けられるのではないか」
大宝令施行の七○一年以降、王宮や王都の機能はすべて藤原京だけに集約されると林部氏は言う。
「浄御原令の国家観で初期の藤原京の造営が進められた。大宝令でその政治体制にさらなる変革がもたらされる。当初は藤原京を改造し、建物を増築し間に合わせようとしたが、無理だとわかった。だから大宝令後たった七年で、平城京への遷都を決めたのではないか」

要するに、藤原京は、過渡期の産物だということであろう。
「なるほど、そうだったのか!」という気がする。
前半が、飛鳥の延長・拡大の段階、後半が平城の準備・未然の段階である。
しかし、飛鳥的なるものと平城的なるものの「同じ」と「違う」が明らかにされなければ答えにはならないともいえる。
そして、それは結局「白鳳」の本質は何かを問うことと同じであるのではないかと思う。

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2011年1月 1日 (土)

明けましておめでとうございます

皆さま、明けましておめでとうございます。

昨年は私の人生にとって特筆すべき年となりました。
LOHASという言葉があります。
Lifestyles Of Health And Sustainability (健康と持続可能性の(あるいはこれを重視する)ライフスタイル)の略です。

私も、概念的には理解していたつもりでした。企画書の中で使った記憶もあります。
しかし発症して初めて、その重要性を体感・実感することになりました。
その反省を、今後の人生に生かすことができれば、と考えております。

21世紀に入ってはや10年が過ぎ去りました。
「10年ひと昔」とかDecadeとかいうように、一つの区切りの期間でしょう。
わが国でも、失われた10年といわれたのも既に「ひと昔」前のことになってしまいました。
それからさらに10年が失われた(?)ことになります。

民主党に期待をかけて、政権交代を選択した多くの国民が、失望感を味わっているのではないでしょうか。
鳩山政権にも、菅政権にも・・・・・・。
かといって、支持が再び自民党に戻るということでもなさそうです。

わが国は、このまま、ずるずると後退していくのでしょうか?
それとも、何かをきっかけとして、立ち直っていくのでしょうか?
あるいは、後退しているという見方がそもそも間違いなのか?
2011年は、その辺りを占う年になりそうな気配もします。

現実政治が理想型を具現化することはありえないだろうと思います。
しかし、「ほどほど満足」という水準は、現実的な目標になり得るのではないでしょうか?
「最大多数のほどほど満足」というのは、結構住みやすい社会だと考えます。

2011年の初日を受ける富士山の画像です。
Rimg03222
清々しい気持ちで新しい年をスタートしました。
今年もよろしくお願い致します。

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