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2010年12月 5日 (日)

日本文明について

西暦700年ころ、すなわち藤原京の時代が、日本文明史における大きな画期ではないか、というのは上山春平さんの仮説である。
仮説は検証されなければならないだろうが、このようにマクロな仮説は、私のような者には検証のしようがない。
そもそも日本文明史とは、どのような概念なのであろうか?

中西輝政『国民の文明史』産経新聞社(0312)が解説している。

文明史とは、一言でいえば、千年くらいを一つの単位として歴史を考える営みだ、と私は定義することにしている。

つまり、かなり長いスパンで考えるということである。
といっても、ある国や地域の通史を対象とすることではない。
時代や問題のバリヤを越え、「歴史を動かしているもの」に迫ろうとする試みである。

文明史とは何かを、文明論や比較文明学など他のジャンルで比較すると、

あくまで具体的な歴史の文脈に沿って、歴史上の具体的事象をとりあげ、それらの間に、ある種の飛行的関係や類似したパターンを見出していこうとするものである。

つまり、あくまで歴史であるということだ。
そして、歴史において、くり返される基本的パターン、たとえば周期性、に着目し、歴史における法則性を探求する。

(理想的には)全ての領域に目をやり、「歴史を動かす本当の要因とは名に何なのか」を深く考えてゆこうとするものである。

中西さんは、この「歴史を動かす本当の要因」が文明であるとしている。
文明は「世界を構成する単位」である。
世界史では、その中に複数の単位が存在する。
国よりも大きく、かつ意味をなす最小限の大きさが、文明である。

重要なことは、日本という国は「一つの国で一つの文明」をなしていることである。
つまり、国家の問題と文明の課題が直結している。
文明のあり方が問われている現在、日本史を文明史の視点で捉えてみることは重要であろう。
上山さんのいうように、藤原京の時代は、本当に日本文明の画期と考えていいのだろうか。

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