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2010年12月30日 (木)

紙はどこまで減らせるか?/知的生産の方法(4)

知的生産において、紙は不可欠の媒体であった。
シンクタンクと呼ばれる民間組織は、ある意味で知的生産の代表であるといえるだろう。
大学とは異なり、営利目的ではあるが、情報を収集し、分析した結果を報告書としてまとめ上げる。

そのシンクタンクの仕事においては、揶揄ではあるがNHXが必需品といわれた。
NHXとは、ノリとハサミとゼロックスのことである。
情報を加工するのに紙に印刷した素材を切り貼りするのであるが、場合によっては成果物に生煮えの状態で元の素材を使用したりする。
そのようなリサーチャーは早晩淘汰されるが、NHXはその類の仕事の代名詞でもあった。

現在は、NHXもカットand/orコピー・ペーストというように、より容易になった。
文学賞の応募作品が作品が、別の作品に酷似していた、などとケースもしばしば耳にする。
人文・社会系では、学者の研究論文にも類似性が問題になることもある。
手軽にコピー&ぺ-ストできることもその引き金になるのではないだろうか。

現在でも、シンクタンクなどの成果物そのものの正本は、多くの場合、紙の報告書として提出されるのではなかろうか。
しかし、知的生産全般にわたって、電子媒体の占める比重が急速度で増えていることと思う。
特に、2010年は、電子書籍元年ともいわれるように、書籍の電子化において大きな進歩があった。
念のため、電子書籍をWikipediaでみてみよう(101221最終更新)。

電子書籍(でんししょせき)とは、古くより存在する紙とインクを利用した印刷物ではなく、電子機器のディスプレイで読むことができる出版物である。電子書籍はソフトウェアであるコンテンツだけを指すが、ハードウェアである再生用の端末機器(電子ブックリーダー)も重要な要素であり、本記事ではコンテンツと端末機器の両方について記述する。
呼称については電子書籍の他、電子ブック、デジタル書籍、デジタルブック、Eブックといった呼称が存在する。
コンテンツの流通と再生の方式の違いにより、以下の形式が存在する。
1. 携帯電話や携帯情報端末などで携帯電話ネットワークやインターネットからダウンロードして閲覧する
2. PC等でインターネットからダウンロードして閲覧する
3. PC等でインターネットからダウンロード後、さらに再生用小型機器にダウンロードして閲覧する

2010年が電子書籍元年と呼ばれるのは、以下のようなニュースを見ても頷けるであろう。
Photo
http://internet.watch.impress.co.jp/docs/index/20101227_416904.html

確かに、端末を中心に、電子書籍に話題が賑わった。
iPadは社会現象といえるほどインパクトがあったし、GALAPAGOSはマイナス的なイメージを逆手に取った意欲が窺える。
しかし、書籍の本質は器にあるのではなく、中身(コンテンツ)にあるだろう。
その面からみるとどうだろうか。
次のような指摘がある。

「電子書籍元年」と騒がれた今年。一方、紙の書籍・雑誌の売り上げは、21年ぶりに2兆円を割り込んだ昨年を、さらに下回る見通しだ。電子書籍は出版界の救世主となるのか。先行きはまだ不透明だ。
出版科学研究所によると、今年1~10月の書籍・雑誌の推定販売金額は1兆5629億円で、昨年同期より3・5%減少した。年間でも昨年の1兆9356億円を下回るのは、ほぼ確実な情勢だ。電子書籍の市場規模は2009年度の推計で574億円(インプレスR&D調べ)だが、その9割は携帯電話向けのコミック。アップルのiPadを除けば、各社の電子書籍端末の発売が年末にずれ込んだこともあり、10年度も携帯向けコミックが市場の大半を占めると見られる。それ以外の電子書籍・雑誌が紙の本の減少分を補うには程遠い。
出版界の動きも「元年」と呼ぶには物足りなかった。3月に設立された日本電子書籍出版社協会はアップルなどの“黒船襲来”に備えて出版社が大同団結した意味合いが強く、個々の取り組みには、ばらつきがあった。日本語の縦書きやルビなどに対応する統一規格作りも、ようやく始まったところ。作家の平野啓一郎氏は新作電子化の記者会見で、「業界全体の足並みがそろっていない」と指摘した。米国に比べると日本では読む中身より端末が先行して広がり始めた構図が見える。

http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20101221-OYT8T00341.htm

私も、増え続ける紙媒体をいつも妻や娘になじられている身として、紙が電子化される可能性に期待するものは大きい。
新聞の切り抜き等はほとんどスキャンしてPDFの形で保持するようになった。
雑誌も、必要箇所をPDF化しつつある(わが家のスキャナーでは結構大変であるが)。

書籍についてはどうか?
未だ結論を出すほど馴染んでいない。
しかし、品揃えが拡大すればかなりの部分を電子化できるのではないかと思っている。
今ある蔵書についてはどうか? いわゆる自炊をするだろうか。
次のような記事がある。

紙の書籍や雑誌を電子データとしてパソコンや携帯端末に取り込む「自炊」を楽しむ人がじわじわ増えている。今年は米アップルの「iPad(アイパッド)」に続き日本のソニーやシャープも相次いで電子書籍端末を発売。これらを購入した人が、自分で所有している本も新端末で楽しんでみたいと始めるケースが多いようだ。
自炊には本の裁断が必要。書籍の背を裁断すると本は「紙の束」に変わる。自動給紙装置のついたスキャナーに束をセットすれば高速スキャンが可能になる。裁断作業は、「オフィスコンビニ」と呼ばれる事務補助店や印刷・製本業者で有料でやってもらう人が多い。ただし一部のマニアは手動裁断機とスキャナーの両方を自宅などに置いてすべてのプロセスを「手作り」で完結させる。作成した電子データを転売したりネット上に流出させると著作権侵害になるが、自分で使うなら私的複製の範囲内で問題ない。
愛好家は、アナログな作業によって「自家製電子書籍」というデジタルな成果物を生み出す、ある種の矛盾が魅力だと言う。だがそれを一歩引いてみると、コンテンツ不足という日本の電子書籍市場の課題が背景に浮かび上がる。

http://www.nikkei.com/news/print-article/g=96958A96889DE0E2E7E4EBEAE7E2E0E7E

裁断のところで身体的なハンディがどれくらい影響するか・・・・・・。
廉価で高速のスキャナが登場すれば、実用書のかなりの部分が電子化されることになるだろう。
しかし、本には愛玩物的な要素もある。モノとしての存在感は電子書籍にはない。
私自身、せっかく苦労して手に入れた稀覯本を裁断してしまう潔さは多分ない。
したがって、わが部屋がスッキリとした状態になることはないだろうなあ。

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