舛添要一氏の小沢批判言説
部屋を片付けようとして、古雑誌を捨てようとしたら、舛添要一氏の文章が目に止まった。
『「反小沢戦争」の天王山/総理となり、小沢氏に最後のとどめを刺す』というもので、舛添氏の肩書は、参議院議員・新党改革代表である。
「新潮45」の7月号で、「小沢民主の病理を衝く」という特集の中の一文である。
舛添氏がいつ執筆したのかは分からないが、冒頭に6月2日の民主党の両院議員総会の様子をTVで観ていた時の感想が記されているので、雑誌の発行日を考えれば、その直後辺りではないかと思われる。
別に、古証文というほど昔のことではないだろう。
舛添氏の文章は、「この人もやっと最後に、代表としてまともな行動をしたのか……」という感慨から始まっている。
「この人」というのは、鳩山前首相のことである。
「まともな行動」というのは、自らの辞任と道連れにすべく、当時の小沢一郎幹事長にも職を辞することを迫ったことを指している。
あれから半年余りしか経っていないが、もうずい分と昔の出来事のように感じる。
鳩山氏の後継として、菅現首相氏と樽床伸二氏が名乗りを上げて、菅氏が総理大臣の座に就いた。
7月の参院選で、民主党は大敗し、菅氏の去就が注目されたが、いち早く続投の意思を表明した。
小沢一郎氏との代表選に競り勝って、引き続き総理大臣職にあるが、何が変わったのか。
今また、民主党は、小沢氏の政倫審への出欠問題などで大騒ぎしている。一体政権交代に期待した国民の意向を、この人たちはどのように考えているのだろうか。
舛添氏の抱いた感慨はおそらく多くの人に共通するものであろう。
鳩山氏の在任中の迷走は理解を超える部分があったが、この時ばかりは、幕の降ろし方は心得ているんだな、と思った。
ところが、である。
つい先日、鳩山氏、弟の邦夫氏、小沢氏、舛添氏が会談をしたという。
⇒2010年12月 9日 (木):鳩山兄弟と小沢、舛添-この懲りない面々
会談の内容はいろいろ取りざたされているが、当事者ではない者が推し量っても仕方がないだろう。
しかし、菅氏の政権運営に不満を抱いているのが共通項であるのは事実であると思われる。
政界というのは一寸先は闇だという。何が起きても不思議ではないらしい。
それにしても、「戦争」の相手と位置づけをしている人間と平然と会食するなど、朝飯前ということだろうか。
舛添氏は、「代表が菅直人氏に代わろうが、幹事長が枝野幸男氏に代わろうが、民主党のキングメーカーは、依然として……小沢氏であることには変わりがない」と書いている。
改造菅政権を取り仕切っているのは仙谷官房長官のようだが、その辺りの事情は変わったのか、変わらないのか?
あるいは舛添氏の認識は?
舛添氏が、「新党改革」を旗揚げしたのは、参院選で、“小沢民主党”の単独過半数を阻止することが大きな目的であった、という。
舛添氏の描いたシナリオ通りだったかどうかはともかく、結果として、民主党は過半数を制することができず、この立党のコンセプトは成功したともいえる。
舛添氏の狙い通りに、ねじれ国会は運営が難渋しており、国民の多くが苛立っているように見える。
舛添氏は、次のように書いて、自らのスタンスについて、「みんなの党」との差別化を訴求している。
私は終始、「反小沢」の旗幟を鮮明にしてきた。そこが、「みんなの党」の渡辺喜美氏との違いといえる。渡辺氏は、「アジェンダが一致すれば、小沢氏とも組む、小沢氏に関してはあくまでもフリー」だと明言している。
私は小沢氏と組むことはない。なぜか? それは小沢氏の手法では日本が沈没する、政治不信がますます深まると憂慮するからだ。
その言やよし。まさか、この間の会談によって、小沢氏と組むことになった、なんてことはないでしょうね。
菅氏には、ビジョンが見えないという批判が多い。
舛添氏は、この文章の最後の部分で、自分のビジョンの目玉として、「廃県置州」構想に触れている。
地方の動きが、大阪や名古屋(愛知)などの個性的な首長によって面白くなりそうな予感がする。
中央もそろそろ役者が変わった方がいいのではなかろうか。
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