持統天皇(ⅱ)/やまとの謎(15)
やっぱりと言うか案の定と言うか、今朝の「産経抄」が、大田皇女の墓と思われる古墳発掘のニュースを受けて、持統天皇、大田皇女、大津皇子の関係について触れていた。
私の関心とほぼ重なっているので、あえて全文を引用しよう。
天武天皇の第3皇子である大津皇子は今風に言えば何とも格好いいプリンスだった。『日本書紀』によると風貌、体格ともに逞(たくま)しかった。弁舌は明朗で、学問にも秀でていた。当然のごとく当時の人々に人気があったようだ。▼ところが686年、天武天皇が崩御、叔母に当たる皇后、後の持統天皇の時代になると、たちまち、謀反を企てたとして捕らわれる。そして24歳で死を賜る。その妃は髪を振り乱し、はだしで皇子に殉じたとある。古代にはよくある話とはいえ、歴史上に残る悲劇のひとつだった。▼大津皇子の母は持統天皇の同母の姉で、同じ天智天皇の娘の大田皇女(おおたのひめみこ)である。持統天皇が生んだ皇子で病弱だった草壁皇子を天武天皇の後継者にするため、人気の高い大津皇子が排除されてしまった。事件について、そんな推測も昔から行われてきた。▼もうひとつ、大田皇女は皇子を生んだ後、若くして亡くなっている。悲運の娘を哀れんだのか、中大兄皇子時代の天智帝は母、つまり皇女の祖母である斉明天皇の陵の前に葬ったと『書紀』に記される。さらに大津皇子は天智帝の寵愛(ちょうあい)を受け育ったともある。▼天智天皇は古代史の中でも卓越した政治的リーダーだった。だがここらの記述はむしろ天皇の人間味を感じさせる。逆に同じ天皇を父に持つ持統帝にはそれがうとましく思えた。といえば「下衆(げす)の勘繰り」かもしれないが、これまた人間味が漂う。▼その大田皇女の墓と思われる遺構が、明日香村の牽牛子塚(けんごしづか)古墳のすぐ前から見つかった。『書紀』が書く通りだ。牽牛子塚が斉明天皇陵であることを決定づけるとともに、愛憎劇が1300年余りの時空を超えて甦(よみがえ)った。鼻のあたりがツーンとくる。
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101211/acd1012110253001-n1.htm
一方、日経新聞の「春秋」欄は、当時の東アジア情勢を現代と重ね合わせてみる。
▼奈良県明日香村の古墳からも古(いにしえ)の人の心情が伝わる。女帝の斉明天皇と娘の墓だと、多くの考古学者がいう牽牛子塚(けんごしづか)古墳の隣で石室が出土した。墓の主は斉明天皇の孫娘とみられている。のちの天武天皇に嫁ぐが、天武帝の即位前に早世した。薄幸の皇女は安らかに眠れるよう、家族のそばに埋葬されたと思える。
・・・・・・
▼斉明天皇が在位していた7世紀中ごろは東アジアが激動期にあり、日本の転換期だった。中国の唐が強大になり、白村江の戦いで日本と百済の連合軍は、唐と新羅連合に一敗地にまみれた。それを機に日本は律令国家への歩みを急いだ。中国の勢力拡大に揺れ動く姿は現在と似ている。どんな治世だったのだろう。
http://www.nikkei.com/news/editorial/article/g=96958A96889DE3EBE5E7E5E0E4E2E3E3E3E0E0E2E3E29F9FEAE2E2E2;n=96948D819A938D96E08D8D8D8D8D
斉明天皇の実子とされる天智(中大兄皇子)と天武(大海人皇子)の姻戚関係は複雑である。
天智天皇の娘4人が、叔父の嫁になっており、現代からみると異様ではないかと思える。
そのこともあって、天智-天武の非兄弟説が唱えられている。
⇒2008年1月26日 (土):天智と天武…諡号考
⇒2008年10月25日 (土):小林惠子氏の高松塚被葬者論…①天智・天武非兄弟説
天智-天武の兄弟関係の真偽はともかく、下図に見るように、鸕野皇女(持統天皇)には自分以外に、夫と夫婦関係にある女性が7人いたことになる9。
そのうち、大田皇女は、同じ遠智娘(蘇我石川麻呂の娘)の子であり、実姉になる。
遠智娘は、乙巳のクーデターを企てるに際し、石川麻呂を味方に引き入れるために政略的に婚姻したとされるが、石川麻呂は後に中大兄に対する謀反の疑いで自害に追い込まれる。遠智娘も後を追うように亡くなっている。
大田皇女と鸕野皇女(持統天皇)にとっては、夫(天智天皇=中大兄皇子)は、母や祖父の仇でもあった。
複雑で頭の中が混乱するが、図示しているサイトがあるので引用しよう。
http://manoryosuirigaku2.web.fc2.com/chapter1-6.html
池上彰さんでも、なかなか「そうだったのか!」とはいかないだろうけど、『日本書紀』の記述等によれば、上記のようになる。
持統天皇(鸕野皇女)は、このような複雑な網の目の中を生き抜いたのだ。
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